こいつも連れだ!


「……どうも、お世話になりまして」


「どうってことねえよ、あれくらい」


「この油屋源右衛門ともあろうものが、みっともないところを見せちまいやした」


「……俺こそ」


 チョロチョロと流れる水を受けていた鹿おどしが、カコーン、と澄んだ音を立てる。


 石造りの庭に面した部屋のなか。いつも通り背筋を伸ばしおちついた様子ながらもまだ少し目の赤い源右衛門。それを前に、ドマイナーはその巨体をどうにか小さくしようとでも言うように、背を丸め神妙な面持ちで座っていた。


「余計なことを、しちまったようだな……」


 ふすまが開け放されたまま、地続きになっている隣りの部屋には、白木の箱。そのなかには、お菊の遺骸が白い布につつまれ、収められている。


「俺が、お菊さんが逃げるのを手伝ったりしなければ、こんな……」


「旦那、それは違いますよ。こういう覚悟の心中ってもんは、遅かれ早かれ、でさ」


 源右衛門が、小さく首を横に振る。


「お菊の通行証はあたしが握っている。あたしに逆らったら、他の機械都市へ逃げることはできない。かといって、機械都市に生まれ育った、体を機械化もしていないただの人間が、いきなり機械都市の外に出て、生きていけるわけはありません。あたしを裏切って、逃げのびたからといっていったいどうするつもりかと思ってはいたんですが……まさか、死ぬつもりだったとは……」


「…………」


「あたしに捕まって、これまで逃した遊女たちの行く先をはかされるのはなんとしても避けたかったってことなんでしょうかねえ……機械のお人形なんかに同情して、なんで、そこまで……」


「お菊さんは、優しいひとだったからな……」


 ドマイナーはぼそりと言って、ぐっと口をつぐみ、そのままうつむいた。


「……優しい、か。あたしに似ない可愛い子だと思っていたが、そこは似なかったのがいけなかった。好いたらしい男と死ねたのが、せめても救いってことだったんですかねえ。子どもだ子どもだと思っていたのに、いつの間にやら、男をつくって、親を裏切って……ねえお客人、いや、ドマイナーの旦那、せめてもの恨みごと、言わせてもらっていいですかい?」


「なんでも言えよ。なんでも聞く」


「あんた、なんで、お菊に手を出さなかったんです」


「手、って……」


 ドマイナーが、虚をつかれた表情になった後、困ったようなため息をつく。


「源右衛門、なんでもと言っといて悪いが、俺はまだ冗談を言える気分じゃねえよ」


「冗談でもなんでもありゃしません。あんたなら――死ねと言っても死にそうにないじゃありませんか。誰に追われようと、行く先にどんな障害があろうと、地の果てまでお菊をかかえて逃げてくれたでしょうに。こうなってみりゃよくわかる。親としちゃあ、死なれるよりはそのほうがよっぽどましだ」


「かいかぶりすぎだせ。俺はそんな立派な男じゃねえ。お菊さんにははじめから決まった相手がいたんだ。そもそも俺の出る幕じゃなかったんだろ」


「男と女の現世(うつつ)芝居じゃ、出番てなあ、自分で作るもんですよ。心中の相手は〝ケン〟とか言いましたっけ? あいつ、逃し屋仲間かなにか知らないが――どうせどこの馬の骨とも知らない野郎にかっさらわれるなら、あたしが男と見込んだ相手ならばせめても上出来ってやつですよ。お菊のやつも見る目がない。まったく、どこでどう育て方を間違えちまったんだか……」


「…………」


 源右衛門が目頭を抑える。ドマイナーは黙ってうつむいた。

 と。


「ここでありんす!」

「表口から入ると人目につきましょうから、入るなら裏口から……」

「裏口のほうは狭いでありんすから、あちきが案内するでありんす!」

「若輩もんはひっこむでありんす。ここはあちきが……」

「いいえあちきが……」


 この部屋のしんみりした空気を蹴り飛ばすような黄色いはしゃいだ声が、表通りのほうから聞こえてきた。


「騒がしいね……誰か! 表の子スズメたち、追い払っておくれ!」


「いや待て源右衛門。俺が行く」


「旦那が? でも……」


「……ちぃっとばかり、心当たりがあってな」


 源右衛門の前を辞したドマイナーは聞こえてくる声をたよりに中庭に出ると、表通りに面した高い壁の一角にある鉄戸を引く。

 はたしてそこには、十をゆうに超える花魁たちに囲まれた、アルラマージがいた。


「きゃっ!」

「いやあっ!」

「熊?!」

「二足歩行の牛よっ!!」

「頭が返り血だらけの虎が……!!!!」


 突然現れたドマイナーの姿に、花魁たちはアルラマージの背中へ隠れる。


「……やっぱりお前か」


「おやドマイナー。わざわざ出迎えていただけるとは恐縮です。みんな、安心してください。彼はぎりぎり人間ですよ」


「おいアルラ、ぎりぎりってなんだよ!」


「……アルラマージはん……この野人と顔見知りなんしか」


「昨今じゃ、用心棒をうたって油断させる追い剝ぎもいるから気をつけなんし」


「誰が追い剝ぎだ!」


「きゃっ!」


 花魁たちのあまりの言い分にドマイナーが思わず怒鳴りつけると、怒鳴られた花魁は顔面蒼白になり、泣き出した。花魁たちの非難のまなざしがドマイナーを貫く。ドマイナーは気まずい表情で目をそらした。


「ドマイナー、女性には優しくといつもあれほど言っているじゃないですか」


「う、うるせえな、わかってるよ! 早く入れ!」


「わかりました。それでは、案内してくださったみなさんへの感謝の口づけが済んでから……」


「あとにしろ!」


 ドマイナーはアルラマージの腕をつかんで強引に源右衛門の家の中へとひきこんだ。花魁たちの抗議の声は、鉄戸でピシャリとさえぎる。


「ったく……」


「ドマイナー、あなたときたら、それだからもてないんですよ」


「もてなくて結構だ。家のなかでお菊さんが眠ってるんだ。静かにしてろ」


「それはそれは……とりあえず、埋葬許可はもらってきましたよ」


「埋葬許可?」


「お菊さんの死体を処分場送りにせず、こちらで自由に埋葬していい、という許可証です」


 アルラマージがドマイナーに、手のひらより少し小さなサイズのカードを手渡した。


「……なるほど、こんなもんがあったのか」


「普通ならば、死後の申請、ましてや死体を持ち逃げした後の申請は認められないということだったんですけれど、特例的に許可していただきました。必要かと思いましてね」


「そうだな、助かった。源右衛門も喜ぶだろう。できることなら、お菊さんが好きだったあの大きな桜の木の近くに葬ってやりてえが……そういや、あいつ。ケンとかいう野郎はどうなった?」


「ケン?」


「一緒に死んでいたやつだ」


「ああ。それならすでに処分場へ回されていますよ。おや、彼の分も必要でしたか?」


「……あいつのことは正直気に食わねえが、お菊さんが、心中するほど惚れてあってた相手だ。なにもしてやれなかった俺だが、せめて、一緒に葬ってやったら喜ぶんじゃねえかと思ってよ……」


「ははあなるほど……困りましたねドマイナー。まったくこれだから童貞は手に負えない」


 そう言われたドマイナーは、反射的にアルラマージの胸ぐらをつかみその体を自分のほうに引き寄せた。


「ちょっと、苦しいですって」


「アルラ、腹に力入れろ。今からお前を二、三発殴る」


「やめてください死んでしまいます」


「俺は今、お前のくだらねえ冗談を笑って流せる気分じゃねえんだよ」


「冗談に聞こえたなら失礼しました。でも、あれを心中と言われてしまっては、お菊さんも死に切れないと思いますよ」


「お前にお菊さんのなにがわかる」


「女性に関しては僕に一日の長があるのをお忘れですか? まずはお聞きください。僕がもし愛する女性と死を選ぶなら、決してあんなふうにはしませんよ」


「そりゃあお前は、女ひとりに惚れ抜いて一緒に死ぬなんて殊勝なことはしねえだろうよ」


「そういうことではありません。心中とはそもそも、生きては遂げられぬふたりの思いを、ならば死んで遂げよう、という決意のもとで行うものです。ですから僕なら、いえ、この花街でお堀に飛び込み心中するような恋人たちは、必ず、お堀にとびこむまえに、体のどこかを紐や帯で結びつけます。死して、もう引き離されることのないように」


「…………」


「お菊さんと、一緒に死んでいた男性との間には、それはなかったですよね。あれば、彼のほうだけ置き去りにされたりはしなかったわけですから」


「……べつに、それは、絶対にやるってもんじゃねえだろ。あるいは、結んでいたのにほどけたか……それをやる時間がなかったか……」


「少なくとも時間がなかったからということはないでしょうけどね。わざわざ事前に機械頭脳を破壊し、重い体をお堀にどぶん、と投げ込むだけの時間はあったわけですから」


「機械頭脳を……破壊?」


「ええ、男性のほうはアンドロイドだったようですよ。持ち主から少し前に盗難届が出ていましたが、損傷もひどかったので結局そのまま処分場に送られたとか」


「……あいつはアンドロイドで、お菊さんと堀に飛び込む前から、ぶっ壊されていたってことか」


「おそらくは。ちなみにこの情報を得るのにも、だいぶ苦労しました。廃棄されていたアンドロイドについての記録なんて、普通は外部に漏らしませんからね。なにもしなければ、アンドロイドの男と人間の女ふたりの死体が堀からあがったので処分されて……アンドロイドの遊女と人間の男の心中ならよくある話ですが、男女逆転というのはちょっと珍しいね、と、噂され――それで終わりだったはずです」


「…………」


「……ドマイナー、あなたの考えていることをあててさしあげましょうか」


「な、なんだよ」


「〝お菊さんは心中じゃない。心中にみせかけて殺された〟」


 ドマイナーは露骨に顔をしかめ、舌打ちをした。


「……当たりだ」


「――――アニキぃ!」


 家屋のほうから、キンとギンがひょいと姿を現した。


「あっ、さっきの色男さんじゃないっすか!」


「源右衛門さんが、知り合いが来てるならあがってもらえって言ってますよ!」


「ああ……」


 ドマイナーは軽く手をあげると、少し考えてから、言った。 


「源右衛門に伝えてくれるか。野暮用を思い出したのでしばらく出てくると」


「えっ?! でも、源右衛門さんは……」


「源右衛門にはしばらくお前らがついていてやってくれ。頼むぞ」


「は……はい!」


 状況がわからないようすながら、ドマイナーに、頼む、と言われたことに興奮したらしいキンとギンが、元気よく返事をする。


「行くんですか?」


 アルラマージの問いに、ドマイナーが頷く。


「このまま外に出るとお前のおっかけどもがまだいそうだから、別のところから出るとしよう。キン、ギン、裏口まで案内を頼めるか」


 再びドマイナーに頼み事をされたキンとギンは、頬を紅潮させたまま、へい、と声をそろえて返事をした。


「そういやアニキ、そちらさんもアニキとご一緒ってことでいいんですかい」


「ああ。俺の親友だ。女癖は最悪だが、悪いやつじゃねえよ」


「いえ、色男さんじゃなく、その後ろの……」


「うしろ?」


 キンとギンが指差すほうへ、ドマイナーがひょいと目をやる。そこには、おかっぱ頭の禿が、しげみに隠れるようにして立っていた。


「おまえ……!」


 椿屋でドマイナーの手当てにあたった、白魚、という名の禿である。さんざし色の着物に色とりどりの魚が刺繍されている着物が、れんぎょうの花咲く庭によく調和している。それが迷彩の役割を果たし、今まで存在に気づかなかったらしい。


「お菊さんは……殺されたのでありんすか……?」


「えっ?」


「アニキ、なにか言いやしたか?」


「なんでもねえ!」


 禿の口を、ドマイナーが慌ててふさぐ。


「こいつも連れだ! 裏口に案内してく……ぎゃあ!」


 口を塞いだ手の甲に、花を生けるための剣山をつき刺され、ドマイナーは思わず飛び上がった。

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