また、ふられちゃいましたね
機械帝国は、百年ほど前に突如としてこのゴンドワナ大陸に現れた国である。
その版図の多くは、皇帝ルドルフ率いる機械兵団に逆らう兵力を持たぬ小国、あるいは、神の祝福にも魔の恩恵にも恵まなかったがために、人間に比べ頑健な身体を持つ亜人たちだけがぽつぽつと暮らしていた荒涼とした地域である。
無人の原野に突如として現れる天高くそびえる機械都市は、地下茎を思わせる地中にはりめぐらされたバイパス道により相互に接続されており、そのなかでは、人口の3割ほどしかいない普通人類が、7割を占める
「……このシャツも脱ぐでありんす」
「えっ、なっ、ぬっ?!」
脱ぐ、という言葉に過剰反応したドマイナーが、背中をまるめあぐらをかいた姿勢のまま、小さく飛び跳ねた。
赤い窓枠で囲われたガラスの向こうで、赤い風鈴が揺れている。部屋の隅でゆっくりと回転している機械式香炉からは、南国の果物と香辛料を混ぜ合わせたような、甘ったるい複雑な香りが漂っている。
機械都市というものはいくつもの区画が重なった重層構造で形作られている。
地下および地面に直接接している低層階は機械都市そのものを管理維持するための工場およびコントロールセンターがある管理区画。そしてそれより上が、人類が生活を営む自由区画だ。区画は、商業区画、工業区画、居住区画と目的別に分かれている場合もあれば、亜人のなかでも陸上系の獣人区画、水棲系の魚人区画、あまり特徴のない人間区画と種族により住み分かれている場合、さらには、富裕層、中間層、貧困層と資力により住み分けられている場合など、機械都市ごとにさまざまな特色がある。
なかでも、ここ機械都市ヨシワラは、その区画のほとんどが商業――しかもいわゆるひとつの春を売る商売ばかりで占められている、機械帝国でもめずらしい都市である。
帝国の各地からまだ見ぬ美女との、いや、好みにより美男醜女幼女人外あらゆるものとのこの世ならざる快楽を求め、このヨシワラを目指すものは後を経たない。ましてや、戦争が終わったはいいもののこの先自分たちをとりまく状況がよくなるのか悪くなるのかわからない、という先行き不安なこの時代においては、本能的快楽を求めてやってくる客は増えるいっぽうだった。
そんな機械都市ヨシワラのなかで、最上部の区画を占めるのは、この機械都市そのものと同じ名を持つ、ヨシワラ区画。
その忘八の塔とちょうど向かい合うようにしてどんと建つ、花街の中でもひときわ目立つ、やはり七階建ての朱塗りの建物こそは、この花街きっての名妓楼〝
なお、相手、と言っても、残念ながら、いや幸いなことに、色っぽい意味ではない。
「勘違いしないでくだしゃんせ。体のほうに傷やあざがないのか確認したいのでありんす」
禿の少女が呆れながらそう言った通り、単に、武装機械兵相手に大立ち回りをした際に負った、傷の手当てをしているのである。
「か、勘違いなんて誰がするか。怪我なんかねえってさっきから言ってんだ!!」
禿の指摘が図星だったのか、ドマイナーがあたふたと両手を振って言い訳する。禿は、背筋をすっと伸ばした姿勢を崩さぬまま、そんなドマイナーを冷たい目で見た。
「だから〝ない〟ことを確認したいのでありんす。雪乃輪姐さんの大事なおひとの、ご友人だからと任された以上、わっちも適当なことはできないでありんす」
「だから、怪我なんか……」
「まったく面倒くさいおひとですでありんすね。怪我がないというのなら、さっさと見せれば終わりでありんす」
禿がそう言いながらドマイナーが身につけているシャツに無造作に手をかけると、ドマイナーは思わずその手を払いのけた。
「っ……!」
「あ、わ、悪い、つい……」
軽く払っただけとはいえ、一撃で岩をも砕くと称されたドマイナーの拳である。小柄な禿にとっては、凶器にも等しい代物だ。ドマイナー自身にもそれがわかっていて、払われた手をおさえた禿を前に、あたふたと狼狽した。
「白魚や、不慣れな相手にいきなり強引に行くのは、お客はん受けが悪うおまっせ」
禿に対しそう優しく諭したのは、隣で手当ての様子を見ていた、ステンレス製の巨大ゆで卵である。正確には、ゆで卵のような見た目をした、名楼〝椿屋〟を一手にしきっている遣り手婆だ。なお、遣り手、というのは、この花街において廓を取り仕切る役目を与えられた女性の、職業名である。
体の一部を機械化している人間と、人間に似せて作られたアンドロイドとか混在するこの機械都市のなかで、この遣り手婆の見た目は、珍しく、極端に機械的な方に寄っている。はじめて見た時には、新手の機械兵かと勘違いしたドマイナーが、思わず身構えてしまったほどであった。
「それに、さっきからなんやのその言葉遣い。そんなめちゃくちゃな廓言葉じゃ、ここに夢を求めてやってきたお客はんがいちいち興醒めやで」
「なにが夢でありんすか、ばからしい。言葉使いが決まってるなら、言語機能を……雪乃輪姐さんの言語機能をコピーすればそれでいいのでありんす」
「いくらアンドロイドいうても喋りかたを丸々コピーなんかしたら味気ないやろ。考えてみい。うちの店の遊女みんながみんな同じ体で、同じ性格で、まったく同んなじ受け答えばかりしてたら、あっという間に飽きられる。昨日米食ったら翌日はパン食いたい言うんがお客はんいうもんやで。ためしに玄米食ってみたらうまかった、いうこともあるやろ。話し方も同じや。決まりはあるにせよ、雪乃輪には雪乃輪の話し方、白魚、あんたにもあんたにあった話し方いうんがあるのがいいんや。お客はんはそこに女体さえあればいいというんやない。そういうのを求めて、この花街に金を落としていくんやで」
「……あほくさ」
「一人前の口は、男はんのお着物を脱がせられるようになってから言いなはれ。男はんのお着物は〝脱がす〟んじゃないで。自分から〝脱ぐ〟ようにするんや。目の一睨みでそれくらいやるようにならんと、雪乃輪みたいな一流どころか、部屋持ち遊女になることすら危ういで」
「一流になんかなりたくありんせん。来たくてここへ来たのじゃないのでありんす」
と、遣り手に対し禿――どうやら白魚という名のその禿が、言い返している横では――
「いやあ、またふられちゃいましたね、ドマイナー」
「ふられてねえよ!」
「ふられたからといって、女の子をいじめてはいけませんよ」
「だから、ふられてねえよ!」
部屋の片隅で細剣を横に置き、正座の姿勢で待機しているアルラマージが、したり顔でドマイナーに注意している。なお、彼にはりついていた太夫たちは、すでにその全員が部屋から追い払われていた。それもこれも、こんなにたくさんの女の前で手当てなんかできるか、という、ドマイナーたっての希望によるものであった。
残されたのは、ドマイナー基準でどうやら〝女性〟の範疇にはまだ入らないらしい禿と、性別というものをとうに逸脱した見た目をしている遣り手婆だけ、という状況である。
「まったく、せっかく雪乃輪が手当てしてくれると言ったのに、わざわざ固辞するなんて……彼女の指先に触れるために己の全財産、いや、生命までもなげうっても惜しくはない、という男が、どれだけいることか。それだからあなたはいつまでたっても童貞……」
「うるせえな! 俺は手当てなんかいらねえって、初めから言ってるだろ?!」
「そう言われましても、あなたの身になにかあれば供をしていた僕が責任を問われ死刑台にあがるはめにもなりかねないわけで……そうすると、国中の女性が悲しみます。僕にはとてもそんなことはできません」
「とか言っといて喧嘩のときには助けにも来ず高みの見物。いいご身分だな」
「十分お助けしたじゃないですか」
アルラマージが、涼しい顔で答える。
「相手はあなたが女性に弱いことを知っていたんでしょう? 女性の誘惑に弱い、という意味ではなく、女性の目の前では緊張して力が発揮できない、という意味であることは知らなかったにせよ。あなたの妨げになりそうな太夫の皆さんを僕がここでどれだけ必死に足止めしていたことか、あなたにわかりますか」
そんなアルラマージに対し、ドマイナーは腕組みしたままの仏頂面で答えた。
「おまえがあいつらを口説いていたのは俺のためじゃねえ。単なる女好きだろ」
「べつにあなたのため、ということにしてもいいんですよ。あなたが、損得の算盤をはじきながら女性を口説くような人間を、親友と呼びたいのであればね」
「ぐ……」
言葉に詰まったドマイナーの手に――なにか冷たいものがそっと触れた。
「うわっ?! って……なんだ、お前か」
触れたものの正体を確認し、ドマイナーが安堵の息をはく。ドマイナーの手に触れたのは、白魚の手であった。
「……脈拍、正常。体温、高め……平熱範囲上限。それで、怪我はないのでありんすね」
「お、おう」
ドマイナーを見つめる白魚の目の奥で、なにかがチカチカと光っている。見た目こそ人間と変わりないが、遊女を務めるアンドロイドたちには、人体の状態を把握するための各種センサーがそなわっていた。
「これ、白魚! 不精をするんやない。それに、お客はんの手を逃握るにしても男心をつかむタイミング言うもんが……」
「それじゃあ、これで手当ては終わりでありんす。失礼するでありんす」
「これ白魚! 説教はまだ終わってないで!」
薬箱を持ってそそくさとふすまの向こうへ消える白魚を追い、遣り手婆が立ち上がる。と、その卵のような体がバランスをくずしころんと転がった。
「ひえっ……」
「あぶねえ!」
ドマイナーが思わず手を伸ばしその体を受け止めた。
「あらあ、まあ……」
遣り手婆の丸い体が、ドマイナーの手にまるっと抱えられるかっこうになる。遣り手婆が、ドマイナーの腕の中から、とろんとした表情でドマイナーの顔を見上げた。
「……ほんに、ありがとなあ」
「い、いや……礼には、およばねえよ」
なにか不吉なものを感じたらしいドマイナーが、遣り手婆のたまごのような体を、そっと畳の上に安置する。
「ほんに、みっともないとこお見せしてしまいましてお恥ずかしいどすわあ。あの子ときたらこんないい男相手にあの態度。まったくうぶなこっちゃ。あの太夫どももお連れさんばかりちやほやしてまったく見る目がありゃあしまへん。この婆めがまだ現役だったら、あんたさんのこと放って置きませんのになぁ」
と、遣り手婆から流し目を送られると、さすがのドマイナーも毒気を抜かれた表情で、
「お、おう……」
としか答えることができなかった。
現在鋼鉄のゆで卵のような遣り手婆の、現役時代、というものについて、想像できたのはせいぜいが、鍋から出したばかりのあつあつゆで卵ぐらいである。
「あの子はゆっくりじっくり育てておりましたら、どうにも教育が行き届いてなくてなあ。もう数日もしたら少しはお楽しみいただけたんやろうけど」
「お楽しみ……って、あいつまだガキだろ」
「少女型アンドロイドですわなあ。そういうのが好きなお客さんもいらっしゃるんで、何台かはそろえとくことにしとるんですわ。昨日ちょいと乱暴なお客はんが来てしもうて、少女型のなかでは一番の売れっ子だった蛍火って子がいなくなってしもうてな。白魚には早よう一人前になってもらわんとあかんいうに……このままじゃお客さんを回しきれませんわいな。それなのに、客とらせるために買うたもんが、客をとるのはいやだいやだ言うて、難儀なことですわ」
ほほほ、と軽く笑いながら話す遣り手婆に、ドマイナーは血相を変えた。
「客って、おい……!」
「そういうわけで、婆もこれにて失礼いたしますわ。行儀の悪い禿にはきつく言ってやらんとあきません。鉄は熱いうちに打ていいますからな」
遣り手婆が、饅頭のような足でちょこちょこと、廊下へと続く襖の向こう去る。
「おい、ちょっと待てよ! あんなガキに客とか――」
立ち上がろうとするドマイナーの手を、アルラマージがつかんだ。
「なんだ、アルラ! 話ならあとにしろ!」
「……ドマイナー、あの子に同情するあなたの気持ちはわかります」
「おい、まさか、止める気か?」
「その気です。お願いですから、ただでさえ見つかるあてのない花嫁探しの上……」
「見つからねえとかいうなよ! ちゃんと見つけただろ!」
「そうですね、何度目かわからない失恋の相手がちゃんと見つかりましたね」
「し……失恋じゃねえよ! お菊さんのことは、ただ、ちょっと、気になっただけ……だ!」
「それならよかった。ドマイナー、ならば、もう、この機械都市にいる意味はありません。ですから、これ以上この花街の問題にかかわるのはおやめなさい。ここであの禿を助けたとしてもすぐに次のアンドロイドが取り寄せられ、同じことが繰り返されるだけです。あなたがここに来るずっと前から、この街はそうやって成り立ってきたのです。もう一度言いますよ。僕らは所詮この街では異邦人です。口を出すのはおやめなさい。もうここから我々は去るべきです」
「アルラ。お前のそういうところ、俺は嫌いだぜ」
「そういうところ、とは?」
「お前の言ってる理屈はわかる。だが、だからってほうっておけるもんでもねえだろ」
「じゃあどうします? あの禿を助けますか。その次に来た禿は? その次は?」
「……それは……」
「あるいは――国中の売春宿に殴り込みをかけ、責任者をぶん殴りますか? それともそんなひどいことをしている都市ごと滅ぼしますか? あるいは、国庫が枯れるまで国中の遊女を身請けでもしますか? 法律で売春を禁止する方法もありますね。あなたこそは、この大陸の王。どうぞ自由にしてください。その權利がありますからね。ですが、禁止されたからといって人間の欲望などそうそうすぐに消えるものではない。すぐに違法な売春の闇市場がはびこって、そのなかでの女性たちの扱いはもっとひどくなることでしょうね。それに、ここがいやだという女性もいるいっぽう、ここで楽しく働いている女性もいます。彼女たちに対してはどう保障しますか? いっそ、こういうところで働くアンドロイドたちは、それに喜んで奉仕できるよう、あらかじめ洗脳プログラミングを施しますか? そういうの、あなたは嫌うと思ってましたけどね」
「…………」
ドマイナーは腕組みしたまま無言で座り込んでいる。
「ですからドマイナー、もうやめましょう。そして、あなたはあなたのやるべき事を果たすのです。次こそは運命の女性を見つけ、今度こそ盛大な戴冠式といきましょう。城でロレンスたちが首を長くして待っていますよ。ね?」
「さっきも言ったぜアルラ。お前の言ってることはわかる。だが――俺は、いやだ」
「…………じゃあ、どうします? いい案があれば言ってください。あなたの思う通りにいたしましょう」
「それは……」
「ドマイナー、正論を語ることは簡単です。ですが、正論だけでは動かないのが世の中と――」
そのときである。
窓の外がにわかに騒がしくなった。
「あっちで、男女の
「ははあ、情人と遊女の心中か?」
「いや、女のほうはどうやら普通の女らしい。菊の小紋を着てるとか――」
その言葉を聞いて――ドマイナーは顔色を変え、立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます