傭兵と管理の湯 (中)
「ここはどこだ?」
「松の湯という銭湯さ」
傭兵団長は釈然としないと言った顔をして腕組みをしている。
状況がまるで理解できないようだ。
メイガスが、傭兵団を連れてきたのは行きつけの銭湯だった。
知る人ぞ知る、ある条件がなければ訪れることのできない名湯だ。
ここに訪れることができたのは本当に幸運だった。黒の霧を目撃してから、廃村が点在するだけの穀倉地帯を逃げるように移動。
その途中、偶然にも松の湯に通じる祠を見つけたのである。
今は陽も沈みかけそろそろ混雑が始まる前の時間帯。
自分たちの他にもあちらからの客を見かけた。
エルフ、ドワーフ、オークなど年齢も若いのから年寄りもまで。
多様な種族が同じ部屋にいるなど、交易都市の酒場でもなかなかありえない状況だ。
勿論、彼女たちはそれを平然と受入れている。
唯一、同行する傭兵団長だけが動揺していた。
「我々は何故裸になっている?」
「湯浴みをする場所だから当然じゃないか」
部屋を仕切る巨大な壁の向こうから聞きなれた声が聞こえてきた。
別の場所に案内された傭兵団員たちだ。
彼らも向こうでも同じような状況が起き、驚いているようだ。
彼らもつれてきたのは間違えだったかもしれない。
もしかしたら帰り際に若旦那に小言を言われるかも、と思った。
「何故、湯浴みをする?」
「仕事の汗を流すのが気持ちいいからだ」
他にも理由はあったがいちいち説明するのは億劫だ。
それよりも今は早く、身体を洗いたい。
外気の漏れない防護服を十日以上も着用していたのだ、体中が汗と垢で汚れている。
「では早速、背中を流してくれ給え。終わったら次は頭だぞ。そこにある鍔だけの帽子を被せたらシャンプウで洗うんだ。仕上げのリンスとコンディショナアは忘れるな」
矢継ぎ早に指示を送ったが、シャンプウやリンスが何か教えていなかった。
まあいい順々に説明していこう。
「これは……仕事なのか?」
「勿論だ」
「お前は自分で洗えないのか?」
傭兵団長が反論してくる。
これまでどんな汚れ仕事も、淡々とこなしていた癖に、ここにきて何故、懐疑的な視線を送ってくるのが理解ができない。
無論、メイガスも自分で洗うくらいはできた。
だが人に洗ってもらうのが好きなのだ。
大体、背中は自分でやらない方が綺麗になるし、頭を洗うのはシャンプウが目に染みて、痛くなるので苦手だ。
「おまえ幾つ……」
「報酬を減らされてもいいのか?」
そう告げると、傭兵団長は釈然としない顔で動き出した。
◆
「……ひとつ尋ねたい」
傭兵団長が、メイガスの背中をスポンジで擦りながら話しかけてくる。
彼女もようやくコツがつかめたようで、洗い方も様になってきた。
だが問題は力加減だ。
たまに強すぎる時があるので都度注意しなくてはいけない。
「……今度は何だね」
「黒い霧とは一体、何なんだ?」
日の沈む前に見たあの光景を思い出しているのだろう。
確かにあれはこの世の終わりのようだった。
あれが疫病の原因という事は、子供でも知っている。
黒い霧が目撃された場所では、まず植物や動物が狂い出し、やがて人間が疫病にかかり、最後に国が亡びるという。
巷では、荒野の大魔術師の呪いだとか、大戦役時代に造りだされた霧状の魔物だとか言われている。
だが真実を知る者は少数だ。
正確に言えばあれは疫病の予兆ではない。
全てが疫病によって滅んだ後に起きる現象。
交易都市の安全衛生庁や、魔術師たちの研究機関である象牙の塔の連中を除けば、百人程度だ。
別段隠しているわけではない。
説明しても、多くの者が信じない理解しないせいだ。
「あれは蚤だ」
「のみ?」
傭兵団長が聞き返してくる。
「左様。麦粒よりも小さく、動物に寄生し、時に血を吸うあの虫だ」
だがやはり多くの者がするように疑わしげな視線を向けてくる。
「より正確には『人喰い蚤』という魔物だ」
村を訪れた際、彼女も何度か目撃しているはずだ。
死後何日も経過した遺体を観察すれば、皮膚の上を、素早く動く小さな黒い虫が這っているのが目に入っただろう。
他の部下たちも遺体に虫が集っていて可哀想だと、ぼやいていたではないか。
「一匹一匹が疫病を宿しており、噛まれれば感染する」
そして死者が出ると、苗床にして繁殖する。
一匹が十匹に、十匹が百匹に、百匹が千匹に、無数に増殖していく。
巨大な群れとなった後は、遠目からは霧のようになる。
気流に乗って、まるで花粉のように別の地域へと拡散し、疫病を拡大させる。
それが黒い霧の正体だ。
「だから村を燃やすのか」
「最も実践的かつ有効的な手段だ」
蚤の餌食にさせない為に、繁殖させない為に、黒い霧を作らせない、疫病を広げない為に、人を、人の生きた証しを燃やす。
それが安全衛生庁に所属する官吏としての任務だ。
「あと幾つ焼き払えば、この疫病は終わる?」
メイガスは笑った。
哀しく愚かな問いだった。
「なくならない」
「どうしてだ」
「理由はいくつもある。安価で容易な治療法がない。蚤から身を守る術もない。それから教会」
「教会?」
「とにかく蚤を根絶やしにできず、病を治療できない以上、どうしようもない」
「手はないのか?」
メイガスは口を固く結び、首を左右に振った。
無論、それが答えだった。
たかだか傭兵に、たかだか官吏に何ができるというのか。
かつて大戦役で魔王を封じたという英雄たちですらこの件については出る幕はない。
黒い霧や教会は人間がどうこうできる相手ではないのだ。
傭兵団長もそれきり喋りかけてはこなかった。
「……」
メイガスは想う。
疫病を終わらせようとして、犠牲になった何人もの同僚について。
彼らは防疫マスクの原型を作り上げる為、改善する為に、疫病にかかり、朽ちていった。
治癒薬を試験する為、被験者を 何百人も殺した挙句、気が狂い自決した者もいたし、虫殺しの呪文を開発する為に黒い霧に向かったきり還らなかった者もいた。
だが疫病に対して、最も効果を発揮したのは魔術でも薬でもない。
感染した地域を根こそぎ焼却するという非人道的で粗暴な手段だ。
そして、それですら侵攻を遅らせる程度の意味しかなかった。
「洗い終わったぞ」
頭から湯をかけられた後、そう告げられた。
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