傭兵と管理の湯 (前)

(御入浴における注意事項)


・魔術師、エルフ、ドワーフなど様々なお客様が来店します。

文化や生活習慣の違いによるトラブルがあるかもしれません。

・入浴マナーは守りましょう。番頭さんを怒らせると大変なことになります。

・当銭湯は、シャンプーハットを無料貸出しております。


※そこそこ残酷な表現がありますので、苦手な方はご遠慮下さい。



『木馬の国』。

 広大な穀倉地帯を擁し、大公国時代は食糧庫と呼ばれていた。

 大戦役以降、他国との小競り合いもなく、豊かさと平和を謳歌していた公国だった・・・。



 メイガスが訪れた時点で、村は無残な状況だった。


 念入りに耐毒耐病の呪いを施した仮面をしていても、ひと呼吸するごとに潜ってくる。

 死の匂い。瘴気だ。

 大抵の者にとって嫌悪と吐き気を催す匂い。

 彼女にとっては極有り触れた匂い。


 鴉面をつけた傭兵達がせわしなく働き続けている。

 自分の命令で、井戸のある広場に次々と村人の亡骸が集めていた。

 開き虚空を見つめ、或いは眠りように瞼を閉じ積み重なったその大半は、疫病による死者ばかり。


 見回りの途中で、一際背の高い鴉面を見つけ声をかける。

 傭兵団長だった。


「順調かね」

「この子で最後だ」


 傭兵団長が立ち止まり答えた。

 抱えるようにして小柄な遺体を運んでいる。


 少年の死体だ。

 疱瘡だらけで美醜すらわからなくなった顔には、だがまだ僅かにあどけなさが見て取れる。

 病が進行した結果、両手が黒い石膏のように痛ましく変化していた。


「或いは手厚く治療を施せば、救えたろう。だがここには救護の為の人員も、物資も、時間もない」

「その為に君たちを雇ったのだよ」


 交易都市の官吏であるメイガスが拝命しているのは、巷で流行っている『黒霧の病』の抑止だ。

 残念ながらそれは疫病に苦しむ者たちを助けるという意味ではない。

 故に傭兵団には、『できる限り彼らを苦しまないようにする』という役割を与えていた。


 この少年も例外ではない。

 罹患してはいたが先程まで生きていたはずだ。何故なら胸元に真新しい刺し傷があった。


「……そうだったな」


 傭兵団長は、鷹揚のない声でそう言った。

 彼女が浮かべている表情は果たして不満か、怒りか、それとも憐憫か。

 残念ながら鴉面の瘴気マスクのせいで窺えない。


「火葬しろ」


 彼女の号令がかかると、傭兵のひとりが動いた。

 手にしていた松明を放り投げると、死体の山に撒いていた油に火がつく。

 やがて赤い揺らぎは広がり、少年の亡骸も飲み込まれていく。


 暫くして村のあちこちから煙が上がり始めた。

 家屋も残らず焼いてしまえという自分の指示を、傭兵たちが忠実に実行した成果だ。


「略奪行為はくれぐれも慎むように」

「……」

「盗みを働く者がいれば、そこから疫病が広がることになる」


 傭兵団長は素直に頷いた。

 聞くものによっては侮辱されたと怒る場面だが、非常に従順だ。


 無論それは彼らが犬だからだ。

 何故ならより十度戦場をこなしても得られないような金を積んでいた。


 だが決して愚かな犬ではない。

 幾つかもの戦場で、実績をつんできた腕の立つ傭兵たちだ。



 村を出た後、メイガスと傭兵団は馬で穀倉地帯を南下した。

 残りの村を焼いて回る為だ。

 メイガスは彼らを引き連れ、既に三つの村を焼き払っていた。


 神をも恐れぬこの所行に、どれだけの価値があるのかは不明だ。

 是か非かも知らない。

 ただ疫病の侵攻を防ぐ為の有効な手段。その先にある数百万の命を守る行為であるのは確かだった。


「止まれ」


 先導していた傭兵団長が何かに気づいたようだ。

 馬を止め西の方角に顔を向けている。


 同じ方向を見ると、更に雄大で鮮やかな赤が目に入った。

 大地に沈みかけた夕陽だ。

 そして背景では無数の小さな影が動いていた。


「……渡り鳥の群れか?」


 団員たちの一人が呟いた。

 だがそれしきの事が馬を止める理由にならないのは明白だ。鳥ではないことを指摘せずとも気づくだろ。

 案の定、影の群れがその数を増していくにつれて、団員たちの間にざわめきが起き始める。


「あれは――」

「何ということだ」

「『黒い霧』か」


『黒い霧』――。

 それは数千、数万の人々を死に至らしめた存在。

 病人に群がり、這うように、舐めるように蠢めいているおぞましき悪魔。

 先程の村人たちを殺したものの名前。


 無数の小さな影は、目を疑いたくなるような勢いで増えていった。

 そして夕日を飲み込んでいく。

 やがて茜色だった空が、大地が、瞬く間に夜へと染め変えられていく。


 そのあまりにも不吉な光景に、傭兵たちが動揺し、隊列を乱していた。

 早く逃げなければ、自分たちも村人と同じ運命を辿る羽目になると思っているようだ。

 だがそうではない。あれが出た時点で手遅れなのだ。

 傭兵団長が彼らを怒鳴りつけ、統率をはかっているにを尻目に、メイガスは呟く。


「もうこの国は終わりだな」と。





 疫病は黒霧病と呼ばれていた。

 大陸全域に渡ってかき集めた文献を漁っても記録にない新種の病だと、判明したのは半年前のことだ。


 突然の高熱の後、自らの身体から毒素を生み出し、七日後に全身を黒色に壊死させ、死に至る。

 運が悪ければそのまま骸骨の魔物と化す事になる。

 鳥獣類や魔物にも罹患することもあり、その場合、狂暴化し人を襲うようになる。


 有効な処方は、腕の立つ魔導師が耐病で予防するか、位の高い僧侶が退病で治療するのみ。


 無論その恩恵を受けられるのは極少数の人間だけだ。

 故に致死率九割九分九厘。つまりはほぼ間違いなく死ぬ。


 実際に沢山の人間が苦しみ、死んでいった。

 大部分が赤の他人だったが、なかには家族同然に生活をするような連中もいて、なす術もなく、死神に連れて行かれるのを見送った。


 これが大陸の西側から訪れ、今や全土を覆い尽くさんとしていた。

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