後日談 愛する君への願い

 ある日の昼下がり。誤字や脱字がないかの最終確認を終え、渡羽とばは一息ついた。

「ようやく終わった……」

 伊達メガネを外して机の上に置き、目元を揉む。小説家としてデビューしてから三年の月日が経った。現在、渡羽は二十七歳。

 仕事はそれなりに順調で、これまで五冊の本を出し、どれも売れ行きは好調だ。今は新作の原稿を書き終えたところだった。

 渡羽はすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干し、作業中ずっと手元に置いておいた小さな箱を手にした。

 手のひらにすっぽり収まる黒ずんだ小箱。勇気をくれる、小さな宝物。

 ぼんやり眺めていると、玄関のチャイムが鳴った。小箱を置き、あわててインターホンに駆け寄る。

「はいっ」

《あ、よかった、出られたのね》

 インターホンの画面に茶髪の女性が映る。長い髪は肩のあたりで緩やかにまとめられ、右肩から垂らされている。目元のほくろが印象的な、優しげな女性だ。

「ああ、ごめん、明衣子あいこ。今開けるから!」

 渡羽は玄関まで走り、鍵を開ける。明衣子は出迎えた渡羽の姿を見て目を丸くした後、くすっと笑った。

「相変わらずすごい恰好」

「えっ。あ!!」

 髪は伸び放題でボサボサ。髭だってろくに剃っていないし、パジャマもよれよれだ。

「ごめん……ついさっきまで原稿チェックしてたから」

「じゃあもうできたのね? ふふっ、楽しみ」

 中に入ると、明衣子は慣れた様子でソファーやらイスやらに無造作に置かれた服を拾い集めていく。

 明衣子はいつも、こうして渡羽の身の回りの世話をしてくれる。時には泊まり込みで資料の整理や調べ物をしてくれたり、担当さんとの架け橋になってくれたりもする。

 それがどれだけありがたいことか。渡羽はごちゃごちゃになっているテーブルを半分だけ片付け、コーヒーを淹れ直して明衣子に出す。

「締め切りは確か明日よね。よかったわね、間に合って」

「なんとかね。あとは原稿を送るだけだ」

「毎回、飛鳥あすかくんの小説楽しみにしてるのよ。今度のは今までと違う路線なんでしょ?」

「ああ、新作はSF要素を取り入れてる。今までの現代物と違ってかなり手探り状態だけど、明衣子がいろいろ資料を集めてくれたからなんとかいけそうだよ。ありがとう」

「役に立てたならうれしいわ」

 笑顔を見せる明衣子に、渡羽は照れたように頬を掻いた。

 今度の新作は、藍泉あいずみで毎年行われている皇族主催の芸術品評会に応募することにしている。

 その品評会にノミネートされれば、それだけでもかなり評価が高く、注目を集めること間違いなしだ。優秀賞を受賞すればなおさら。

 渡羽はこの品評会に賭けていた。なぜなら、とある一大決心をしていたからだ。

 数年前から何度も、家族や友人などから問いかけられた言葉。

「明衣子」 

「ん?」 

 コーヒーを飲んでいた明衣子は微笑みながら小首を傾げた。渡羽は緊張した面持ちで、じっと正面から明衣子を見つめる。

 真剣な渡羽の顔に、明衣子はどきっとしてコーヒーカップをソーサーに置いた。

「もし……次の品評会に新作がノミネートされたら……」

 言わなくては。ずっと決めていたこと。でも、いざとなると緊張して言葉が出てこない。

 渡羽は顔を赤くして俯いた。言わないといけないのに。ずっと待たせてるんだから。

 けれど、不安が募る。賭けが成功するとも限らない。そもそも、明衣子が受け入れてくれるかどうかも。

 明衣子の気持ちは分かっているけれど、他にもっと不安があって。

 やっぱり言うのをやめようかと思った時だった。視界の隅に、三角帽子を被った小人たちが入ってきた。

 彼らは妖精で、普通の人間には見えない。渡羽は“霊視たまみ”能力者なので見ることができる。

 小説家デビューをして家を出た時についてきた、渡羽の小さな友人だ。

 小人の一人が頭上に掲げている黒ずんだ小箱を見て、渡羽ははっとした。

 小人はずいっと小箱を渡羽に差し出し、にこっと笑った。頑張れ、と言ってくれているのだろう。

 いつでも勇気をくれた小箱。その箱をくれたのは、渡羽にとってただひとりの最愛の女性ひと。彼女を想うからこそ、決意した。

 渡羽は小さく頷き、顔を上げた。

「明衣子。次の品評会で俺の新作がノミネートされたら――結婚しよう」

 明衣子の目が緩やかに見開かれる。渡羽はそっと、明衣子の手を両手で包み込んだ。

「ずっと待たせてごめん。なかなか決心がつかなくて。でも、ようやく君にプロポーズする決心がついたんだ。

 ほとんど賭けのようなもので、いい加減だと思われるかもしれないけど、これしかきっかけが思いつかなくて……」

 その時、ポロリと明衣子の目から涙が零れた。ぎょっとする渡羽。

「あ、明衣子!?」

「ご、ごめんなさい。うれしすぎて……だって、言ってくれるなんて思ってなくて……もう、すごいサプライズよ、飛鳥くん。あはは……やだ、止まらない」

 ぼろぼろと涙を零しながら笑う明衣子。渡羽は困ったように笑い、涙をぬぐってやる。それでも明衣子の涙はあふれ出てくる。

「ありがとう、飛鳥くん。すごくうれしい。きっかけなんてなんでもいいわ。飛鳥くんがわたしを選んでくれただけで充分だもの」

「明衣子……」

「飛鳥くん、わたしでいいのよね? 隣にいて、一緒の人生みちを歩むのは」

 精一杯の笑みを浮かべる明衣子の頬に触れ、渡羽はこつん、と彼女の額に自分の額を当てる。 

「もちろんだよ、明衣子。これから二人で新しい人生を始めよう」

 一年後、渡羽の作品は品評会にノミネートが決まった。残念ながら受賞することはなかったが、約束通り二人は結婚することになった。

 渡羽飛鳥と高尾明衣子の結婚式当日。夏の空は青く、好天に恵まれた。

 両者の親類縁者や友人、渡羽の出版関係者など多くの人が二人の結婚式に参加した。

 ちらほらとマスコミの姿も見かける中、渡羽とは小学校時代からの腐れ縁であるバルカンこと坂月将之介さかづきしょうのすけは、二人の結婚式に誰よりも喜び勇んでいた。

 式を終えて立食パーティー中、来場者に挨拶をして回っている渡羽と明衣子に駆け寄っていくバルカン。

「そこの新婚お二人さん。おめっとさーん!」

「あ、バルカンくん。ありがとう」

 バルカンは上機嫌で、いつものように渡羽の肩に腕を回した。

「いや~、よかったなぁ、飛鳥。無事に結婚できて。あっと、今日は花婿さんって呼んだ方がいいか!?」

「どっちでもいい。というか、なんだその恰好は」

 今日だけはずっと笑顔でいようと思っていたのに、渡羽はバルカンの不相応な恰好に顔をしかめた。

 バルカンは自分の結婚式でもないのに、やたらキラキラとしたタキシードを着ていた。バルカンはウインクをしながら親指を立てた。

「晴れの舞台だからな。カッコよく決めてきたぜ!!」

「今日の主役は君じゃないだろ!! なんだその無駄なキラキラは! 眩しい! 似合わない! ウザい!」

「最後は余計だろー!? おいおい、高尾~。本当にこいつでよかったのか? なんならオレの知り合いで他にいい奴紹介して…」

「うるさい邪魔だ帰れ。」

 バルカンの胸元についていた花をぶちっとむしり取り、渡羽はバルカンを睨みつける。

「ひでぇーっ」

「結婚式当日に、花婿の前で新婦に他の男紹介する方がひどいだろ。というよりおかしい!」

「へいへい、悪うござんしたぁー。それにしても、今日からは『高尾飛鳥』なんだよな。ま、いつも飛鳥って呼んでるからオレは実感湧かねぇけど、お二人さんはどうよ?」

 バルカンが揶揄やゆするような笑みを浮かべて問いかける。明衣子は気恥ずかしそうに微笑んだ。

「え? あ……改めてそう聞かれるとなんだか照れるわ」

「それよりバルカン、奥さんと子供も一緒に来てるんだろ? 放っておいていいのか?」

「おっ、そうだな。そろそろ戻るか。マイダーリンたちのところへ~っ」

 スキップしそうな勢いで、バルカンは家族のもとへ戻っていった。それと入れ違うように渡羽たちに近づいて来た一団があった。

「飛鳥」

 軽く手を挙げて笑みを浮かべているのは渡羽の姉、羽柴翔子はしばしょうこ

 その隣にいる茶髪を一つ結びにしている男性が旦那の雅英まさひでで、二人の後ろに並んでいる茶髪の少年と黒髪の少年は息子の寿一としかず直基なおきだ。

「来てくれたのか、姉さん。仕事の方はいいのか?」

「ああ、少しの間抜けてきた。すぐに戻るよ」

 翔子と渡羽は十二歳離れていて、彼女は今は警吏隊に所属している。そのためか、翔子は警吏隊の制服を着たままだった。

「おめでとう、飛鳥、明衣子くん。幸せな家庭を築けるといいな」

「はい」

「ありがとうございます、お義姉さん」

「おめでとう、二人とも。素敵だよ! いやぁ~、僕たちの結婚式を思い出すね。ね? 翔ちゃん!」 

 雅英が満面の笑みで翔子に話を振ると、翔子は懐かしむように微笑んだ。

「ふふ、あの頃の私たちより、二人の方がよほど立派だけれどね」

「え~? そうかなぁ。翔ちゃんもすごく立派だったけど」

 首を傾げる雅英に、渡羽も内心、同感だった。結婚式の時の翔子は堂々としていて恰好よかったのだ。

 それは服装のせいもあったかもしれないが。あの時の翔子はウェディングドレスではなく、白いタキシードを着ていたからだ。

 藍泉では、白い服ならば新郎新婦は何を着ても自由だ。そしてそれぞれ胸元に、藍泉の守護神・オミリアとサヲギラをイメージした赤と青のバラを一輪ずつ差す。

 結婚の儀式は、誓いの言葉を交わし、お互いのバラを交換することで成立する。渡羽たちの胸元にも赤と青のバラが飾られていた。

「昔のことなんていいさ。さて、私はそろそろ職務に戻るよ」

「ああ、気をつけて」

「忙しい中、わざわざありがとうございました」

「翔ちゃん、いってらっしゃーい!」

「いってらっしゃい、母さん!」

「お仕事がんばってください」

 雅英は手を振って翔子を見送る。息子たちも母を見送ると、渡羽たちに向き直った。

「飛鳥兄さん、おめでとう。随分待たせたんだからさ、ちゃんと明衣子さんを幸せにしてあげなよ?」

「寿一、一言余計だ。でも、もちろんそのつもりだよ」

 茶髪の少年の額をデコピンしながら笑う渡羽。寿一に隠れるようにして渡羽たちを見ていた黒髪の少年が気恥ずかしそうに言った。

「あの、おめでとうございます、飛鳥おじさん、明衣子おばさん。えっと、二人ともお幸せに」

 そう言うと、少年は寿一の後ろに隠れてしまった。

「こら、直基~。まったく、人見知り激しいの治らないな」

「人のことは言えないよ、寿一。君だってよく人見知りしていたんだから。ねえ、義兄さん?」

「うんうん。すぐ人の後ろに隠れちゃってねぇ。そういうところはそっくりだよ、トシ君とナオ君」

 腕組みをして頷く父に、寿一は口を尖らせる。

「そんなの、小学校に入るまでのことだろ? 直基はもう小三だっていうのに、まだ人見知りするじゃん」

「そのうち治るさ。直基なら大丈夫だよ」

「でも、ずっとこうやって人に隠れてばかりで、人付き合いができなくなったりしたら……」

 自分の背中に隠れている弟の頭を撫で、寿一は憂いげな顔をする。そんな甥っ子に渡羽は苦笑した。 

「いつまで経っても寿一の心配性は変わらないな」

「わ、悪い!? 兄が弟の将来を心配するのは当然だろ!?」

「寿一君は弟思いなのね」

「というよりブラコンなんだよ」

「兄弟仲が良くて僕は助かってるけどね~。仲良きことは美しきかな、ってね」

 楽しそうに笑う大人たち。けれど、なんだかからかわれているようで、寿一は子供のようにむくれたのだった。



 その夜、渡羽は一人、マンションのベランダに出ていた。上弦の月が雲間で輝いている。

 ビールの入ったグラスを片手に、ベランダの手すりに寄り掛かって夜空を眺める。

(アスカ。俺は今日、明衣子と結婚したよ。君も望んでくれていたように、俺は明衣子と一緒にこれからの人生を歩んでいく)

 正直な話、ときどき“寂しい”と思うことがあった。アスカを思い出してから、アスカとの思い出の欠片を見つけるたびに、会いたいと思う自分がいる。

 でも、それは決して叶うことのない願いだから、胸の奥にしまいこんだ。

『幸せになってね、渡羽』

 いとしい君の、最後の願い。渡羽はそっと目を伏せて微笑んだ。

「うん。俺は今、幸せだよ」

 だから君にも幸せになってほしい。心から愛する人と結ばれて、一緒の人生を歩んで、新しい家族を作って。

 今も彼女は遠い世界で、この惑星ほしを見守ってくれているのだろう。多くの民を支え、守りながら。

 そんな君を、ずっと愛してる。

「アスフェリカ。君もどうか、幸せに」

 魔法界で過ごした最後の日の夜のように、渡羽はヨパンジョリー代わりのビールをグイッとあおった。


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マジカル☆ラビリンス 甲斐日向 @kai-hyuga

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