21th 予兆

「え、そうなんですか?」

 買い物に出ていた渡羽は、井戸端会議をしていたおばさ…奥様方の話に、大きく目を瞠った。

「そうなのよぉ、もう残念よねぇ」

「なじみ深いし、この辺りではあれが最後だったでしょう?」

「さみしいわよね…もう見れなくなるなんて」

 頬に手を当て、しきりにため息をつく奥様方は、のっぽで眼鏡をかけた人と、恰幅のいい中ぐらいの背の人と、吊り目で背の低い人の三人組だった。

 この三人は仲良し三人組らしく、よく一緒にいるのを見かける。

「今度の土曜が最後らしいわよ」

「まぁ…じゃあ、その日は混むかもしれないわねぇ」

「随分昔からあったわよね。私が子供の頃はもっと古くて……」

「そうそ、駅の売店に珍しいお菓子がたくさん売ってて、よく母にねだったわぁ」

「駅と言えばあの辺りもだいぶ町並みが変わったわよねぇ。昔はもっと……」

 だんだん話が逸れ、思い出話に突入し始めたので、渡羽はさりげなく話を打ち切り、逃げるようにその場を去った。

 おばさんたちの思い出話は始まると長いのだ。



 奥様方から聞いたのは、渡羽の住む町で使用されている鉄道路線の一つが、近々廃線になるということだった。

 その路線は渡羽家から最寄りの駅で、渡羽も時々利用しているので、さっきは本当に驚いた。

 今や鉄道は、二本のレール上を鉄製車輪のついた電車や機関車が走る、従来の鉄道システムではなく、モノレールやマグレブなどの新鉄道システムが主流となっている。

 そのため、車輪で走る旧鉄道システムの鉄道は珍しいものとなっていた。

 今度、廃線になる路線も、都内では数少なくなってしまった旧鉄道システムの列車だ。

 奥様方の言う通り、市内では最後の旧鉄道路線だったのだ。

 渡羽が最後にあの路線を利用したのは、夏にアスカとプールに行った時だ。

 あの頃はまさか、この路線がいずれ廃線になるなんて思いも寄らなかった。

 今度の土曜日だなんて急すぎる。と言っても、さっきまで自分が知らなかっただけで、前々からそんな話は出ていたのかもしれないが。

「ただいまー」

「あらっ、飛鳥、おかえりなさーい。ちょうどよかったわ」

 美鳥がぱたぱたと玄関に小走りでやってくる。やけにうれしそうだ。

「どうかしたんですか?」

「今ねぇ、電話があったのよ」

「電話? 誰からですか?」

「うふふ、お父さんよ」

「父さんから?」

 渡羽はわずかに表情を明るくする。渡羽の父親は旅客船の船長で、日々世界中を巡っているいるため、年に数回しか帰らない。

 連絡があったということはもうすぐ帰ってくるということだ。

「じゃあ、帰ってくるんですね、父さん」

「ええ。今週の土曜日ですって」

「……今週の土曜日?」

 はて、どこかで聞いたような……

「……あ。母さん、その日に英高えいこう線が廃線になるって聞いたんですけど」

「ああ、そうそう。あそこは昔からよく使ってたから、ちょっとさみしいわよね~」

 今は新鉄道路線の方を利用する人が多いため、旧鉄道路線は廃線になるわけだ。渡羽もどちらかと言えば新線を利用している。

 高校に行くにも、旧線を使って行けないこともないが、新線の方が近いのでそちらを使っている。

 土曜日は普段なら学校は半ドンだが、今は短期休暇である皐月休みの時期なので休日だ。

「そうですね……そうだ」

 一つの考えを思いつき、渡羽はポン、と手を打った。



 そして土曜日。渡羽は午後からアスカと出かけることにした。

「それじゃあいってきます」

「いってきまーす」

「はーい、いってらっしゃい」

 渡羽とアスカ、それからティアラが向かうは――港。三人は渡羽の父親を迎えに行くのだ。

 渡羽の父、修吾しゅうごが乗る船は今日の午後、港に到着する予定らしいのだ。

 港へは電車を乗り継いで行く。今日使うのは英高線。今日で廃線となるあの路線だ。

 駅に着くと、駅周辺はやはり人が多かった。そこかしこで記念写真を撮る人を見かける。

 電車に乗り込み、普段よりは客の多い電車に揺られ、アスカはふう、と一つ息をついた。

「渡羽、これって前にプールに行った時に乗った電車よね?」

「そうですよ」

「なんでこんなに人が多いの? あの時はこんなに混んでなかったわよね?」

「今日で廃線になるから、みんな最後の乗り納めなんでしょうね」

 車両の中を見回し、渡羽は乗降扉に背を預けた。

「ハイセン?」

「路線の使用を廃止することです。今日を最後に、この路線は使われなくなるんですよ」

「この電車はもう動かなくなるってこと?」

 窓に手を当てて、アスカは隣の渡羽に顔を向ける。流れていく景色は、プールに行く時に一度見ている。

「えーと、電車が動かなくなるのではなく、路線そのものが使われなくなるので、電車がここの線路を走ることはなくなるんですよ」

「ふーん、そっか。もう使われなくなるから、こんなに人がいるのね」

「そうです。かくいう俺たちもそうですけど。港に行くにはこの路線を使わないといけませんし、父さんを迎えにも行けて一石二鳥ですから」

「だから修吾父様を迎えに行くって言ったのね?」

「はい」

 アスカはくすくすと笑って窓の外に視線を移した。

 これまでは、到着時間がはっきりしないから迎えに行ったことはほとんどないと言っていたのに、今回迎えに行くと言ったのはそのためだったのか。

 そうして電車に揺られること四十分、乗り換えの駅に着くと人の流れに乗って電車を降り、駅を出る。そこから十分ほど歩いて別の路線に乗り換えた。

 ここからはモノレールで、十五分ほど乗ると港町が近づいてくる。駅から出ると、海は見えないが潮風が吹きつけた。

 船着き場まではここからバスに乗っていく。バスに乗ること二十分。ようやく船着き場に到着した。

「わーっ、これが人間界の海なの? すごーい、汚ーいっ」

 潮風になぶられる髪を手で押さえながら、笑顔でズバッと正直な感想を口にするアスカ。確かに、本来の碧い海とは言い難い黒ずんだ海だが……

「まあ、仕方ありませんよね。ここの海も…だいぶ環境汚染にやられているようですし」

 小さい頃に渡羽が見た時からきれいではなかったが、久し振りに見ても環境汚染は進み続けているようだ。国内で碧くきれいな海など、北の海くらいなものだろう。

 少しずつ失われていく自然に心を痛めながら、渡羽は海を見渡す。そして、船着き場に停泊している旅客船を見つけて焦った。

「あっ、父さん……っ」

 数年振りに海を見て忘れていた。自分たちは父親を迎えに来たのだった。

 テトラポッドに打ち寄せる波を覗き込んでいたアスカとティアラを、渡羽は慌てて引っ張って行った。



 大きな客船からは次々と客がタラップを降りてくる。そして最後にタラップを降りてきた人物を認め、渡羽はタラップに駆け寄った。

「父さーん!」

「ん? 飛鳥?」

 手を振る息子に、渡羽家の大黒柱・渡羽修吾はわずかに目を瞠った。

「お帰りなさい、父さん」

 笑顔で出迎えてくれた息子に、修吾は「ああ、ただいま」と笑みを浮かべる。修吾は豊かなひげを蓄えた屈強な壮年の男性だった。

 再会は一年半振りで、懐かしい父の顔に、渡羽は眩しそうに目を細める。

「だいぶ背が伸びたな、飛鳥。私とあまり変わらんじゃないか」

「そうですね、でもまだ伸びると思いますよ。何せ成長期ですから」

「ははっ、そうだな。声変わりもしているし、月日が経つのは早いものだなぁ。ところで、こちらのお嬢さんは?」

 渡羽の後ろに控えめに立っているアスカに目を向ける修吾。渡羽は振り返ってアスカを紹介する。

「今、うちに居候しているアスフェリカさんです」

「アスフェリカ・グランジェです。初めまして!」

 ぺこっと頭を下げるアスカ。渡羽の父親だと思うと緊張する。

 修吾は全体的な雰囲気は渡羽に似ている。穏やかで優しげなおじさまという感じだ。しかし、

「初めまして、お嬢さん。渡羽修吾です。こんなにかわいらしいお嬢さんが新しい家族だなんてうれしいよ」

 物腰や口調は翔子を彷彿とさせる。きっと翔子は父親に似たのだろう。

「さて、私は一度会社に戻って、帰りの準備やら報告やらをしなくてはならないんだが……飛鳥たちはどうするかい?」

「どれくらいかかります?」

「そうだね……一時間弱かな」

「それくらいなら待ってますよ。そこの遊園地に行ってますから、終わったらヴァモバに電話して下さい」

「ああ、分かった」

 修吾と別れ、渡羽たちは海に面した小さな遊園地に向かった。入園料は無料だが、あまり人は入っていなかった。

 初めての遊園地に、アスカは子供のようにはしゃいだ。ジェットコースター、次にティーカップと乗って、アスカが勢い任せにティーカップを回したため、二人とも目を回した。

 酔いを醒ますため、フラフラしながら渡羽が観覧車にでも乗ろうと提案する。

 幸い、観覧車は人が並んでいなかったのですぐに乗ることができた。ゴンドラに乗り込むと、二人はイスにへたり込んだ。

「う~、まだ頭がくらくらする~……」

「回し過ぎですよ、アスカ……」

「だって、みんなくるくる回っておもしろそうだったんだもん……」

「あれは少し回せば十分なんですよ。あとは余力で回りますから……」

「でも、あたし少ししか回してないわよ……」

「いえいえ、何回も回してましたよ……」

 ぐったりとしている二人に、窓辺に座っていたティアラが心配そうに顔を曇らせる。

「お二人とも、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃなーい」

「大丈夫じゃありません」

 アスカは窓に肩を預けると、目を閉じてため息をついた。

 しばらく三人は無言だったが、ゴンドラが頂上付近まで来た頃、ようやく気分が落ち着いてきた。

「だいぶ気分がよくなってきました……」

「ん、あたしも……」

 寄りかかっていた窓から身を起こし、アスカはふと思った。

「そういえば、こうしてデートするの久し振りね」

「えっ、デート?」

「でもお邪魔虫が一匹いるけど」

 意味ありげに、ちらっとティアラを横目で見るアスカ。

「すすすみませんっ。今すぐこの場を辞させていただきますぅっ!」

「冗談よ。元々、デート目的で来たわけじゃないんだし」

 からからと笑うアスカに、ティアラはほっとする。

 ピルルルル

 狭いゴンドラの中で電子音が響いた。渡羽がジャケットの胸ポケットからヴァモバを取り出す。

「もしもし。……はい……今は観覧車に…………ああ、はい。分かりました」

「修吾父様?」

「はい。帰りの支度が終わったそうなので、今、こっちに向かってるそうです。観覧車から降りたら第二ゲートの方に行きましょう」

「うん」

 ゴンドラが下に着くまで、三人は徐々に水平線に沈んでいく夕日を眺めた。



 その日の夕食は修吾のみやげ話で盛り上がった。特に興奮していたのは美鳥だ。世界中を旅している修吾の話は、珍しいことや不思議なことだらけだからだ。

 その夜、渡羽は修吾に呼び出された。庭に出ると、父はビール缶片手に空を見上げていた。

 背後の渡羽の気配に気づくと、修吾は肩越しに振り返った。

「見てごらん、月が綺麗だよ」

 言われて空を見上げると、目玉焼きの黄身のようにまん丸なお月様が浮かんでいた。

「本当ですね……」

「あの子が踊り出すのも無理はないね」

「あの子?」

 修吾は渡羽を横目で見、くすりと微笑む。

「眼鏡を外してごらん」

「?」

 言われるままに眼鏡を外すと、月明かりの中で、月を背に少女が空中で踊っていた。

 ロングスカートを翻し、素足でステップを踏みながら舞い踊る少女。銀の長い髪に月の光が反射して煌めいている。

 その美しさに渡羽は言葉もなかった。

「たまにはそうして眼鏡を外してみるといい。せっかく、あんなに綺麗なものが視えるのにもったいないよ」

 そのまま二人並んで月影の舞を眺める。渡羽は修吾が月を見るために呼び出したわけではないことが分かっていたので、話を切り出すのを待った。

 ややあって、ビールを一口飲み、修吾が口を開いた。

「飛鳥。正直に答えてくれないかい?」

 渡羽は意識だけを修吾に向ける。

「アスフェリカさんは普通の人間ではないだろう」

 目を見開き、渡羽は修吾に顔を向けた。修吾は月を見上げたまま、微笑んでさえいる。

 だが、瞳は月を見ていなかった。ましてや少女でもない。どこか遠い、こことは別の場所を見ているような――

 修吾は自分と同じく“視える”人だ。だからもしかしたら、アスカのことにも気づいたのかもしれない。今さら隠しても修吾にはもうバレている。

 穏やかである半面、ピンと張り詰めたプレッシャーを感じさせる修吾の横顔に、渡羽は俯いた。

「うん……アスカは……魔法使いなんだ。この世界とは別の世界の……」

「そうか……たくさんの異能者や人外を見てきたが…異世界の魔法使いというのは初めてだよ」

「父さん、でもアスカは……」

「分かっているよ。私は異能者や人外に偏見はないし…滅多に家にいないしね、今さら同居を反対したりはしないよ。それに母さんがそうさせないだろう」

 美鳥にとってアスカの存在は貴重かつ憧れだろう。美鳥は常人だし、異能者や人外は世界中にいるとは言え、そうそう出会うものでもない。

「飛鳥は、アスフェリカさんと恋仲なのかい?」

 唐突な質問に、渡羽は一瞬で赤面する。修吾はやっぱりという顔で笑った。

「飛鳥ももうそんな年頃になったんだな。本当に、早いものだ」

 滅多に家に帰らない自分にとって、子供たちの成長は驚きと喜びと、少しだけ寂しさを感じる。

 娘は、母親に抱かれて笑顔で自分を見送ってくれていたかと思えば、随分と凛々しく成長して、婚約者ができていた。

 残念ながら結婚式には出られなかったが、満足のいく式だったようだ。

 息子は、出産にも立ち会えず、初めて直接会ったのはこの子が三歳の時で、それからも家に帰ることがなかったので、親子らしいコミュニケーションはいつもテレビ電話越しだった。

 そして数年振りに再会した今。この子はまた新しい成長を見せている。

 喜ばしくもあり、誇らしいことだ。けれど、と修吾はわずかに憂え顔になった。

「異なる者同士の恋は……難しいよ」

 渡羽は意外そうに目を丸くし、顔を上げた。修吾は空から視線を外さずに続ける。

「世界中を旅しているとね……いろんな人に出会うんだ。本当に、いろんなヒトにね。今回の旅でもそうだった」

 今回の旅客の中に雪女の親子がいた。彼女は人間の男性と結ばれたそうだが、旅行前に離婚したらしい。

 やはり種族の違いというのはどうしても壁を作ってしまうのだ。

 彼女は仕方がないと笑っていたが、淋しさはぬぐえないようで、時折涙を見せた。

「お客さんの中にはね、時々だけれど人外がいることもあるんだ。

 そういうヒトの話を聞いているとね……人間との対人関係に悩んでいるヒトがたくさんいるんだ。特に恋愛となると、人間とはうまくいかないことがほとんどらしい。

 人外と魔法使いでは違うかもしれないけれど…住む世界が異なることに、変わりはないんだろう?」

 話を始めてから、初めて修吾が渡羽と目を合わせた。渡羽は言外に「あきらめろ」と言われている気がして、さっと目を逸らした。

「そう……だけど……一緒にいたいんだ。この気持ちは変えられない」

 変わりはしない。アスカを好きな気持ちは、嘘じゃない。黙り込んだ渡羽に、修吾は小さくため息をついた。

「うん。誰かを好きになるのはいいことだし、大切にするべきだ。飛鳥のしたいようにすればいい。

 ただ、選ぶべき時が来たら、その時は慎重によく考えてから選びなさい。後悔することのないように」

 ぽん、と渡羽の肩に手を置いてから、修吾はきびすを返して家の中に入って行った。

 残された渡羽はのろのろと眼鏡をかけ、空を見上げた。

 ついさっきまで浩々と照っていた月は、雲に隠れて見えなくなってしまった。



 城の最奥――禁断の間で、イリアタルテは巨大な台座の上で浮揚している、鈍く蒼く光る巨石の前に跪いた。

「パーガウェクオよ、最終選定が終了したとのことですが……」

 イリアタルテが語りかけると、パーガウェクオの原石は答えるように発光が増し、その表面に一人の少女が映し出された。

 顔を上げ、映し出された人影を見たイリアタルテは、目を見開き、わずかに顔をゆがめた。しかしすぐに頭を下げ、平静を装う。

「承知致しました。では、そのように公表致します」

 立ち上がると、イリアタルテは足早に禁断の間を去る。

 パーガウェクオが示した次期女王は、アスフェリカ・グランジェ・ウィル=マジカリアだった。


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