20th 入学

「ご苦労様でした。下がってよろしい」

 片膝を立てて跪いていた少女は深くこうべを垂れると、立ち上がって謁見間を後にする。

 マジカリア女王・イリアタルテは、目を閉じて玉座にもたれかかると深く息を吐きだした。

「疲れているな。薬湯でも持ってこようか」

「いいわ、大丈夫」

 顔を覗き込んでくる夫、マジカリア国王・シーウォルドに小さく手を振り、イリアタルテは目を半眼に開いた。

「これで、すべての女王候補の試験は終わったわね」

「ああ、あとは最終選定の決定を待つばかりだ」

「……」

 半眼に開いたまま、イリアタルテはぼんやりと天井を見る。ややあってぽつりと呟く。

「時間がかかるとよいのだけれど」

 シーウォルドはイリアタルテを見る。

「そうすれば……少しでも長くいられるでしょう?」

「……」

 答えはないが、イリアタルテは答えを求めていないのでそのまま続ける。

「最終選定で選ばれても、選ばれなくても…それまでは“自由”でいられるわ……

 現女王である私が、こんなことを言うのはいけないことかもしれないけれど……次期女王なんて決まらなければいいのに」

「……まったくだな」

 その答えが、『こんなことを言うのはいけないことかもしれない』に対してなのか、『次期女王なんて決まらなければいいのに』に対してなのか、イリアタルテは考えなかった。

「ただ待つだけというのは、つらいな」

「……ええ」

 シーウォルドの静かな声を聞き、再びイリアタルテは瞳を閉じた。



 玄関横にある姿見の前で、渡羽はきゅっとネクタイを締めた。以前は赤いネクタイだったが、これからは青いネクタイだ。

 4月。今日から渡羽は高学生になるのだ。

「わあっ、渡羽かっこいいっ!」

 高学の制服に身を包んだ渡羽を見てアスカが歓声を上げる。

 中学の制服は黒いジャケットとズボンに赤ネクタイだったが、高学の制服は白いブレザーにダークアッシュのズボン、青ネクタイだ。

 ブレザーの丈は普通より少し長めで太股の中間辺りまである。

「なんだかまだ着慣れないですね……ネクタイ曲がってませんか?」

 アスカはどきりとする。慣れないのはこっちの方だ。

 この数か月の間に、渡羽は声変わりしていた。優しさは変わらないが、低く男らしい声になっている。

 ちょっとだけ頬を紅くしながら、笑顔で返すアスカ。

「うん、大丈夫だよ」

「準備できた? 飛鳥」

 美鳥がよそ行きの服装でやってきた。入学式に出席するためなので気合いが入っている。

「じゃあ行きましょうか。アスカちゃん、お留守番よろしくね」

「行ってきます」

「うん、いってらっしゃーい」

 アスカ(とティアラ)に見送られ、二人は家を出た。



 昇降口付近は新入生でごった返していた。真新しい制服姿の人混みの中から、渡羽を呼ぶ聞き覚えのありすぎる声がした。

「お、飛鳥~!」

 喜々とした表情で駆け寄ってくるのは金髪長身のバルカンだ。

「はあ……おはようございます」

「おはようさん!」

 明らかにため息をつく渡羽に対して、バルカンは満面の笑みを浮かべている。美鳥がバルカンを見上げ、顔を綻ばせた。

「あらぁ、将之介君、久し振りねぇ。しばらく見ない間に大きくなったわねぇ~」

「どーも、お久し振りっす。相変わらず綺麗っすね」

「あらあら、お世辞なんか言っちゃって、もう。保護者の方は?」

「じいちゃんが来てますけど、保護者の控室に行きましたよ。ここにいても用はないしって」

「そうねぇ、私も控室に行こうかしら。じゃあ、飛鳥」

「はい。また後で」

 人込みに紛れていく美鳥の後ろ姿を見送り、渡羽は首を巡らせた。

「さてと、教室に行きましょうか。バルカンはD組ですよね?」

「おう! 飛鳥と高尾はB組だよな。クラスは違ぇけど、遊びに行くからな!」

「別に来なくていいですよ。来てどうするんですか。そもそも高学も同じところじゃなくてもよかったと思います」

 きっぱりと返す渡羽に、バルカンはいつもの泣きマネをする。

「そこまで言うことないじゃないっ、飛鳥のおバカ!」

「君にだけは絶対に言われたくない単語です」

 すたすたと渡羽は昇降口に入っていく。その後を追いかけながら、バルカンは口を尖らせる。

「少しは俺にも優しくしてくれよ~。幼学校からのつき合いだろ~」

「そんなことしたら君はすぐにつけあがるじゃないですか。これくらいでちょうどいいんですよ。

 そんなことより、もう高学生になったんですから、これからはもう少し落ち着いて行動して下さいね。下手にバカやらかして俺に火の粉飛ばさないで下さいよ?」

 その切り捨てるような声音に、バルカンは改めて、やっぱり眼鏡かけたままでも地に近くなったよな……としみじみ思ったのだった。



 散々バルカンに、文句もとい忠告をした渡羽は指定された教室に入る。教室にはもうほとんどの学生が集まっていて賑やかだった。

 黒板に苗字と席位置が書かれていて、渡羽は自分の席を探してそこに向かった。席は階段状になっているので、階段を上っていく。そこそこ上の方だ。

「おはよう」

「ぁ……おはようございます」

 着席すると奥には先客がいて声をかけられた。茶髪がかった黒髪に人懐っこそうな笑みを浮かべる少年だ。

「僕、鹿取淳平かとりじゅんぺい。市外の中学出身なんだけどさ、君は?」

「渡羽飛鳥です。俺も市外ですよ」

「へえ、どこの中学?」

「戸尾ヶ崎ですけど」

 鹿取と名乗った少年は目を丸くして、さらに笑みを深くした。

「知ってる知ってる! 昔、部活の合同試合でそこの選手と試合したんだけど、結果は惨敗」

「そうなんですか。部活って?」

「テニスだよ。戸尾ヶ崎ってテニス強いよね~」

「確か、都大会で準決勝まで残ったとか聞きましたけど」

「そうそう! 僕、その準決勝に出た選手と当たってさ、結果は分かってたけど1点も取れなくてね~」

 軽く肩をすくめる鹿取。彼と話をしていて渡羽は思った。人懐っこくさばさばとした雰囲気はどこかアスカと似ていると。

「渡羽は何か部活やってた?」

「え? あ、えっと……園芸部です」

 鹿取にアスカの面影を重ねていた渡羽は、一瞬答えるのが遅れた。

「へぇ~、地味だね」

 真っ正直なところもアスカとよく似ている。そういえば……アスカは今頃何をしているだろう。鹿取と会話しながら渡羽はアスカのことを想った。



 広い何もない空間。青い空と草原がひたすら広がり、そこにアスカは立っていた。

 目を閉じ、魔法力を練っている。その後ろ――少し離れたところに、心配そうな顔のティアラと水晶玉が浮いている。

 水晶玉の中には老いたツバメの鳥人が、真剣な顔つきをして映っている。

 練り込まれた魔法力がアスカの周りで渦巻く。カッ、と目を見開き、アスカは魔法を発動させる。

「リロオイヴィヌ!」

 放たれた炎が蛇の形になり、前方に設置しておいた的を呑みこんだ。

 アスカはふう、と額を腕でぬぐい、くるっと振り返った。

「どう? ヘベルク。結構いい感じだったと思うんだけど」

《ふむ。そうですな……確かに先ほどまでよりはよいでしょう》

 ツバメの老鳥人は重々しく頷いた。

《しかし、油断はなりませんぞ。集中力持続を忘れませんように。王女はすぐに集中力が途切れますからなぁ》

「そうですねぇ、それさえ直れば力そのものは上達してきているのですが」

 ティアラも賛同し、こくこく頷いている。アスカはむっと顔をしかめる。

「何よ、いいじゃない、上達してるなら!」

《それにしてもですな、なぜ今頃になって昇級判定を頼まれたのですかな? これまでそのようなことは一度も仰らなかったではありませんか》

 老鳥人――魔法協会会長のヘベルクが問うと、アスカは宙を仰いだ。

「んー、母様にちゃんと修行しなさいって言われたのもあるけど……やっぱり、いつまでも魔法士ノエウィってのは王女としてまずいかなーって」

 もう少し早く自覚していれば、とヘベルクは思ったが、あえて口には出さなかった。

「で、今回はどうなの? 昇級は?」

《ふむ。なかなか腕は上がりましたしの、合格ですじゃ》

「やったぁ! じゃあ魔法師イオクイノに昇級ね! ここならほとんど時間の流れを気にしないですむから、頑張ったかいがあったわ」

 今、アスカたちがいるのはレイチャネルと言う魔法具の中だ。この中は外の空間とは時間の流れが違い、外よりもゆっくり時間が流れる。

「そうですね。これまでの三ヶ月間、修業を続けていらっしゃいましたものね。かなりの進歩です」

 感動を声ににじませるティアラ。ほんの十個ほど、しかも基本的な魔法ばかりしか使えなかったアスカが、今や三倍近い数の魔法が使えるようになった。

 修業をサボってばかりだったアスカを考えれば喜ばしいことこの上ない。

「もう~、泣くことないじゃない」

「泣いてませんっ」

 とは言っているが、実際涙ぐんでいる。

「さて、じゃあもう一頑張りしますか」

 ぐっと気合いを込めて、アスカは再び的に体を向けた。



 入学式とHRが終わり、バルカンが教室までやってきた。

「帰ろうぜ~、飛鳥~」

 金髪長身のバルカンは目立つ。渡羽は注目を浴びたくなくて、速攻で教室を飛び出した。帰りがてらに、一緒についてきた鹿取を紹介する。

「どうも。鹿取淳平でーす」

「初めまして。高尾明衣子です」

「坂月将之介。あだ名はバルカンだ」

「略して『バカ』と呼んであげて下さい」

 間髪入れずに笑顔で言う渡羽。

「ちょっ、なんだよそれっ」

「うん、分かった。よろしく、バカ」

「いやいや飛鳥の言うとおりにしなくていいから! 飛鳥ぁ~っ」

「冗談ですよ。」

(半分本気でしたけど)

「心の声が聞こえるようデスヨ!?」

 明衣子には見慣れたやり取りをしている二人に、鹿取が「ぷっ」と吹き出した。

「ぁははっ、渡羽っておとなしそうな顔して結構言うんだね~。おもしろいや。いつもこんな感じ?」

 と、明衣子を見る。明衣子は初対面の人と話すのが苦手なので、少し口ごもった。

「あ……えっと、うん……最近はこんな感じ……」

「そっか。じゃあ、二人といればいつでもこのコントが見れるわけだ」

「コント、ですか……」

 バルカンと同列に見られたことが、渡羽にとっては少なからずショックだった。

「何はともあれ、よろしくな」

 鹿取はにっこりと笑った。



 入学式から数日後。たまたま食堂で全員が揃った時に、鹿取が渡羽たちに問いかけた。

「ねえ、君たちは部活どうする?」

「部活?」

「入部必須じゃないけどさ。僕はテニス部にしようかなって」

「オレは柔道部だな」

「わたしはまだ特に……渡羽くんは?」

「俺ですか?」

 答えようとした渡羽より先に、バルカンがにまっと笑って割り込んできた。

「飛鳥は園芸部だろー。あ、でもここって園芸部あんのか?」

「勝手に人の入部先決めないでくれますか。俺は文芸部に入るつもりです」

 バルカンの方を見ようともせず、渡羽はスパッと言う。するとバルカンは目を丸くした。

「えっ、おまえ、園芸部じゃねーのか!?」

「……なんでそんなに園芸部に入れたいんですか」

「いや、中学ん時、三年間ずっと園芸部だったし」

「だからなんですか。高学に入っても、中学の時に入っていたものと同じ部活に入るとは限らないでしょう」

 ため息交じりに返す渡羽。バルカンはミートボールをつつきながら「まあそうだけどよ」と言葉を濁した。

「だってさ飛鳥、好きだったじゃん。土いじり」

「ガーデニングと言って下さい」

「なのになんで文芸部なんだよ」

「もちろんガーデニングは好きですよ。でも俺は、将来小説家になれたらいいなと思っているので、文芸部に入って文章力を高めたいんです」

 微笑む渡羽に、三人は軽く目を瞠り、三者三様の反応を見せる。

「小説家? 初めて聞いたぞっ」

「将来の夢があるっていいわよね」

「へぇ~、渡羽って小説家目指してるんだ」

「なれたらいいなって程度ですけど」

「でもなんで急に」

 なぜか口を尖らせるバルカン。どうやら内緒にしておいたことに少しばかり腹を立てているらしい。

 別に話すほどのことでもないと思って言わなかったのだが。それにバルカンに言うとあれこれ言われそうで嫌だったので。

「……ある人が修行を頑張っているから、俺も頑張ってみようかな、と思ったんですよ」

 誇らしそうに笑った渡羽を見て、バルカンと明衣子は『ある人』が誰なのか察した。

 バルカンは少し考えてから、観念したように一つ息を吐き、ぺしっと渡羽の背中を叩いた。

「そっか。んじゃ頑張れよ!」

「うぐっ! ……ゲホッ、ちょっ……いきなり背中叩かないでくれますか!?」

 口に入れたパスタを危うく吹き出しそうだった。食事中に背中を叩くなど、昔から思っていたがなんて非常識な奴だろう。

「だ、大丈夫? 渡羽くん! もうっ、バルカンくん!」

「ははっ、悪い悪い」

「文芸部かー、真面目な子がたくさんいそうだよね。渡羽は見た目、真面目クンだから気が合う女の子いるかもね」

 からからと笑う鹿取に、渡羽は眉をひそめた。

「……なんの話ですか?」

「え? 部活と言ったら部内恋愛でしょー。いい出会いが転がってるかもしれないじゃん」

 渡羽は複雑な顔をする。自分はすでに彼女がいる身なので、今さら新しい女の子と出会ってもどうしようもないのだが。

 一方、明衣子は顔をこわばらせる。渡羽とアスカの関係を、口には出さずとも知っているとはいえ、渡羽への想いをあきらめたわけではない。

 渡羽が文芸部に入り、アスカに加えて新しいライバルができてしまったら……

(わたしなんか相手にされないかも~っ)

 ただでさえ、渡羽には意識されていないのだ。ここでどうにか頑張らなくては。

「わ、わたしも文芸部、入ろうかな……」

 食堂の喧騒にかき消されがちだったが、渡羽はきちんと聞いていた。

「高尾さんも文芸部ですか?」

「えっ、あ……うん……入ってみようかな」

「そうですか。一緒に頑張りましょうね」

 破顔一笑。明衣子はぽぽっと頬を朱く染めた。

「あ、出会いと言やーさぁ、オレのクラスにうわさ好きのカメラ小僧がいるんだけど、そいつから聞いた話でさ、この学校にすんげぇかわいい先輩がいるらしいんだよ」

「何々? どんな人?」

 食いついたのは鹿取だけである。渡羽も明衣子もさして興味はなさそうだが、一応バルカンに顔を向ける。

「周りからは『めぐ』って呼ばれてて、小さくてツンデレでかわいいんだとさ。いつも人に囲まれてるから一目見ればわかるって」

「うわ~、見てみたいなぁ。それだけ人気があるなら、もう彼氏持ちか好きな人いるかもしれないけど、もしかしたらってこともあるかもしれないし」

「だよなぁ。一目見たいよな。で、うまくいけば彼氏の座に収まれっかもしれないし」

 妄想を膨らませ、バルカンと鹿取は盛り上がっているが、渡羽はすぐに興味をなくして食事に戻る。

 明衣子は渡羽が興味なさげにしているので、内心少しほっとした。 

「なっ、放課後に見に行こうぜ、飛鳥」

「はい?」

「行こうよ、渡羽」

「どこにですか?」

「どこって、うわさの『めぐ先輩』を見にだよ」

「……俺は別にいいですよ」

 興味ないし。しかしバルカンと鹿取はすぐにはあきらめなかった。

「行こうぜ~、飛鳥ぁ」

「そうだよ、見るぐらいいいじゃん」

「行きません」

「見ないと損するかもだぜ?」

「損したっていいです」

「もしかしたらお近づきになれるかもよ?」

「別にならなくてもいいですし」

 頑なに拒否する渡羽に、鹿取は不満げな顔で上目遣いに無言の圧力をかけるが、バルカンは肩をすくめた。まあ、飛鳥の気持ちも分からなくはない。

「わーったよ。しゃーねぇ、オレたちだけで行こうぜ、淳平」

「えー?」

 バルカンは渡羽の耳元に顔を寄せ、囁いた。

「おまえはアスカさん一筋なんだもんな?」

 途端に渡羽は顔を真っ赤にさせ、うろたえた。

「ななっ……」

 にやっと笑うバルカン。渡羽は顔を真っ赤にさせたまま悔しげに顔をゆがめた。珍しくバルカンに一本取られた渡羽であった。



 その翌日。渡羽は、やけに景気の悪い顔をしているバルカンと鹿取に、うわさの先輩のことを訊いてみると、

「はぁ……結局、うわさはうわさでしかないって感じだった」

「は?」

「あれは見なくてよかったかも。見ない方がきれいな想像のまま終われたよ……」

「…………」

 あまりにも気を落としまくった二人に、

(『めぐ先輩』ってどんな人だったんだろう……)

 渡羽は別の意味で興味を覚えた。


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