19th 告白

 ある日、不思議な男の子に出会った。

 紅い髪とあかい眼の、どこか普通の人間とは違う雰囲気を持った男の子。年齢は渡羽と同じか、少し下……くらいかな?

 その男の子が無表情のまま、あたしに言ったの。

『アスフェリカ王女……いつか君を迎えに来る人がいる。それは君がよく知る人物で、とても身近な人だよ』

 初めて会うのに、どうしてあたしの名前を知っていたのかってことにも驚いたけど、迎えに来るという言葉がショックだった。

 身近な人って誰? 父様? それとも他の誰か? あたしはただ呆然と男の子を見つめていた。

『その時、君は…二つの大きな選択を迫られる。君の運命を決める選択だ。どちらを選ぶかで、君のその後の人生が決まる。だからその時が来たら、慎重に選んだ方がいい』

 あたしの運命? 選ぶって、何を? だんだん頭が混乱してきて、目の前がぐらついた。でも、男の子は表情を変えずに淡々と告げてくる。

『でも君の選ぶべき道はもう決まってる。君は――』






   *   *   *     






「姫様!」

 ティアラの声に、アスカは物思いから現実に引き戻された。数回、目を瞬かせると、ティアラが文字通り目の前にいた。

「先ほどから渡羽さんが呼んでいますよ!」

 言われてアスカは視線を下に向けた。今、アスカは渡羽家の屋根の上にいる。庭を見下ろすと、渡羽が困った風情で佇んでいた。

 アスカは小さく呪文を唱えて、ふわりと渡羽のそばに降り立った。

「アスカ、魔法があるとはいえ、やっぱり屋根の上は危ないですよ。それに、魔法を使っているところを誰かに見つかったらどうするんですか?」

 吐く息が白い。眉を八の字にする渡羽をアスカは見上げる。出会った当初、目線はほとんど同じだったのに、今はほんのちょっとだけ目線が高くなった。

 アスカはくすりと微笑み、うれしそうに笑った。

「心配してくれてるの? 渡羽。ありがと」

 アスカの満面の笑みに、渡羽は頬を赤らめた。少しだけ顔を逸らし、しどろもどろになって言う。

「と、当然じゃないですか。アスカに何、何かあったら困ります、から……」 

「うん。それで用は何? ずっと呼んでたんでしょ?」

「あ、はい。そろそろ出かけるので挨拶をしようと思ったんです」

「もうそんな時間? 結構時間経ってたのね。じゃあ、いってらっしゃい、渡羽」

「はい。いってきます」

 渡羽の背中を見送るアスカ。これまでいろんなことがあって、渡羽の背中はずいぶんとたくましくなったと思う。 

 それだけの月日が流れたのだ。優しい背中。穏やかなまなざし。どんな小さなことでも心配してくれる、あたたかい心。

 渡羽に出会えてよかった。ずっとそばにいたい。けれど。

 あの男の子の言葉が気がかりだった。アスカの胸に不安が広がっていく。



 今日はいつも以上に冷え込んだ。どんよりと曇った空は、今にも雪を降らしそうである。

 冷たい風が吹く中、渡羽は人混みの中で目の前の掲示板を見上げていた。吐く息が白く、時々眼鏡がうっすらと曇る。

「……あった!」

 手に握りしめていた紙と、掲示板に貼られた紙面に羅列されている番号のうちの一つを、交互に確認してほっとする。

 今日は、高学校入試の合格発表の日。

 渡羽が志望していたのは慶星けいせい高学校。自分の実力では無難な所だが、余裕とまでは行かなかったし、油断すれば不合格になる可能性もあった。

 だから自分の受験番号が合格者の中にあったことに安堵した。

「よかった……」

 夏休みに猛勉強した甲斐があった。これでようやく肩の荷が下りた。後は……

「高尾さんとバルカンは……」

 振り返った渡羽は次の瞬間、ものすごーく嫌な顔をした。バルカンが滝のような涙を流して満面の笑みを浮かべていた。

「あった……あったぜ、飛鳥」

「……へぇ」

「合格だぁぁぁぁぁっ!!」

 叫んでバルカンは渡羽にがばりと抱きついた。渡羽は「ひっ」と顔を青ざめさせた。

「何するんですかっ! 抱きつかな……ちょっ、鼻水垂れてますよ!」

「ぅおおっ! やったぜ飛鳥ぁぁっ!」

 ぎゅうーっ、とバルカンは力の限りに渡羽を抱きしめる。

 公衆の面前で抱きつかれたことと、男(それもバルカン)に抱きつかれたこと、それからバルカンの強い力でみるみる渡羽の顔が蒼くなっていく。

「バルカンくん! 何やってるの!?」

 声を聞きつけ、少し離れたところで受験番号を探していた明衣子あいこが、人混みの合間を縫って駆け寄ってきた。

 渡羽に抱きついているバルカンを引きはがし、

「もう! いつも手加減してって言ってるのに! うれしいのは分かるけど、渡羽くんに迷惑でしょ!?」

「いやぁ……受かれると思ってなかったからよ…けどうれしいぜ、これでまた三人一緒だな! 高尾は当然受かってんだろ」

「え、うん」

「よっしゃ、三人そろって合格! めでてーなぁ」

 ほくほく顔でバルカンは明衣子と渡羽の肩に腕を回した。

 うれしいのは二人も同じなので、仕方ないとばかりに顔を見合わせて苦笑した。



「おーし、これでようやく夢に一歩近づけたぜ!」

 合格発表の帰り、モノレールの駅構内でバルカンが言った。「「夢?」」と渡羽と明衣子はきょとんとする。

「おう! オレな、慶高に合格したらアスカさんに告白しようと思っててさ」

 にかっと笑うバルカン。明衣子は、渡羽とアスカが恋人同士であることをなんとなく知っているので、ぎくっとして渡羽を見たが、渡羽はと言うと怪訝な顔をしていた。

「告白? 告白って何をですか。自分の数ある恥ずかしい失態でも告白するんですか」

「なんでそんなもんをアスカさんにコクらなくちゃなんねーんだ。告白っつったら一つしかねーだろ。愛の告白に決まってんじゃねーか」

 誇らしげに胸を張るバルカンに、渡羽はたっぷり三泊ほど無言になった後に「……はぁ!?」と眉根を寄せた。

「なんですかそれ!」

「おっと、今まで内緒にしてて悪かったが、オレ、夏休みにアスカさんと会って一目惚れしちちゃってなぁ。今までにコクろうか悩んだんだが、どうせなら合格してからの方がカッコよくね?」

 明衣子は、もしかしたらそうなのかも、とバルカンの気持ちに気づいていたが、特に何も言わなかった。渡羽の方は、今初めてバルカンの気持ちに気づき、混乱していた。

(知らなかった……バルカンがアスカのことを……? えええっ、でも今までそんなそぶり見せたこと……)

 と考えて、渡羽ははっとした。アスカと初めて会った時のバルカンの奇妙な言動の数々。やけにアスカのことを知りたがり、イヤになるほどの笑顔を振りまいていた。

(まさか……あれがそうだったのかーっ!?)

 今頃気づく渡羽。鈍すぎる。

(でも……告白って、アスカは……)

 アスカは自分の恋人なのだが。そう言えば、バルカンにはアスカが居候だということは言ったが、自分とアスカの関係を詳しく教えていなかった。

(今言うべきでしょうか……)

「あの、バルカン」

「ん? なんだ?」

「実はですね、アスカは……」

「あっ、渡羽ー!」

 当の本人の声が背後から聞こえ、渡羽はがくっと脱力して振り返った。

「アスカ!?」

「アスカさん!」 

 顔を輝かせるバルカン。アスカは何も知らず、笑顔で駆け寄ってくる。

「えへへー、気になって来ちゃった。三人ともどうだった?」

「バッチリっす!」

「合格だったよ」

 ぐっと親指を立てるバルカン、照れくさそうに微笑む明衣子。渡羽はなんだか気まずそうな顔をしているので、アスカは顔を曇らせた。

「どうしたの? 渡羽。もしかして、ダメ……だったの?」

「え!? いや、違います。合格でしたよ」

「そう? よかった。じゃあみんな、おめでとう」

「ありがとうございます、アスカさん!!」

「ありがとう」

「――あ、そうだ。アスカさん、ちょうどいいや」

 バルカンが動き、渡羽と明衣子は息を呑んだ。もしやここで!?

「? 何?」

「そのー、アスカさんに前から言おうと思ってたんですけど……えっと…」

 そのまま黙りこむバルカン。アスカは背の高いバルカンを見上げたまま待つ。渡羽と明衣子は複雑な気持ちでバルカンを見守る。

 しばらくしてバルカンは思い切って言った。

「あの! 明日、暇ですか!?」

 渡羽と明衣子は脱力した。今ここで言うわけじゃないのか。

「明日? うん、暇だけど」

「じゃあ、改めて話したいことがあるんで、明日の十時、家に行かせてもらいます!」

「う、うん、分かった」

 ちょうどモノレールが到着し、四人はそのまま乗り込む。

 バルカンは笑顔で、アスカは不思議そうな顔で、渡羽と明衣子は複雑そうに、それぞれの思いを抱きながら。



 翌日、バルカンは珍しく時間通りにやってきた。渡羽と待ち合わせをする時はたいてい遅刻してくるのに。

(まあ、告白するのに遅刻っていうのは格好悪いですからね……。それにしても)

 自室でガーデニング雑誌を読んでいた渡羽はため息をついた。

 家に行くということはつまり、渡羽家に来るということだ。アスカは渡羽の家に居候しているのだから。

(よくうちに来れますね。知り合いのいる家の前で告白なんて、恥ずかしくないんでしょうか)

 どこかに呼び出すとかすればいいのに。アスカはバルカンが来たので外に出ていった。

 ティアラがふわりと飛んできて、渡羽の肩に座った。

「姫様に告白なんて……勇気ありますね、その方」

「妙な心境ですよ。知り合いがアスカに告白なんて思ってもみなかったし、アスカはその……俺と……~ですし」

「結果は目に見えてますよね。でも、せっかく告白なさろうとしているんです。邪魔するのは気が引けますからね」

「そうなんですよね……」

 結果は分かっているが、バルカンの勇気を無駄にしたくないのは事実で、だからあの後もアスカと自分がつき合っていることを明かさなかった。

 バルカンの勇気は無駄に終わるだろうけれど、その勇気を出すことが大切だと思うから。

「……」

 それでもやはり気になる。渡羽はぱたん、と雑誌を閉じ、部屋を出た。



「いらっしゃい、バルカン」

「どっ、どーも!」

 家の前まで出てきたアスカに、バルカンは緊張した。

 いよいよ告白するのだ。告白なんて初めてでどうすればよく分からなかったが、とにかく想いを打ち明けたかった。

「あのっ、昨日の……話の続きなんですが……」

「うん?」

「オレっ……………アスカさんのことが好きです!」

 アスカはゆっくりと瞠目した。バルカンは顔を真っ赤にし、真剣な目をしていた。

「夏休み……初めて会った時から好きでした! つきあってください!!」

 勢いよく頭を下げるバルカン。アスカはバルカンを見つめ、ふう、と一つ息をついた。

「……ありがとう、うれしいわ。でもごめんなさい」

 それだけ言うとアスカは黙って、頭を下げたままのバルカンを見つめる。

 バルカンはしばらく動かなかったが、やがて「そうっすか」と顔を上げた。

「やっぱりフラれちまいましたか。分かってはいたんですけどね」

「……」

「そんな顔しないでください。アスカさんは悪くないっすよ」

「……あのね、バルカン。あたし……」

「飛鳥とつき合ってるんでしょ?」

 アスカと、ちょうど一階の窓からこっそり外に出てきた渡羽は驚いた。バルカンは苦笑する。

「気づいてましたよ、最初から。あの飛鳥が女連れなんて、そうでもない限りありえませんて。

 気づいたけど……一目惚れしたのも事実で、飛鳥から奪うことも、何も言わずあきらめることもできなかった」

 物陰に潜み、渡羽は息を殺してバルカンの声を聞いていた。バルカンの声は普段の彼からは想像できないほど静かで、大人びていた。

「だからせめてオレの気持ち伝えて……それからあきらめようと思ったんです。やらないで終わるより、やって終わった方がスッキリすっかなーって。すんません、オレの身勝手につき合わせてしまって」

「ううん、バルカンの気持ちうれしかったよ。あたしを好きになってくれてありがとう」

「……はい」 

 いつもの笑顔で、バルカンはきびすを返した。

 わずかに悲しみを含んだ笑顔でアスカが見送っていると、つと足を止めてバルカンが振り返った。

「アスカさん! これからも飛鳥のことよろしく頼みますね。オレ、二人のこと応援してますから!」

「!」

 それきりバルカンは一度も振り返ることはなかった。



「……渡羽」

「あっ、お、お帰りなさい、アスカ」

 居間のこたつにもぐり込んでいた渡羽は焦って立ち上がった。アスカが戻ってくる前に急いで潜り込んだ直後だったので、声が裏返った。

 アスカは俯いてゆっくりと居間に入ってきた。

「……その……バルカンは、なんて?」

 知ってはいるがあえて問いかける。するとアスカは肩を小さく震わせ、渡羽にもたれかかってきた。

「ア、アスカ?」

「バルカンね……あたしのこと、好きだって、ずっと好きだったんだって……」

「……っ、そう、ですか」

「でも、あたしは渡羽の恋人だから『ごめんなさい』って言ったの。バルカンは知らないかもしれないから、それを言おうとしたら『気づいてた』って。『最初から気づいてた』って……」

 だんだんアスカの声が涙交じりになっていく。渡羽はそっとアスカの背に腕を回し、抱きしめた。途端、アスカが強くしがみつく。

「あたしは『気づいてなかった』! バルカンの気持ち……っ。きっと言われなかったらずっと気づかなかった。

 もっと早く気づいていたら、今日までバルカンを苦しめなくてすんだかもしれないのに!」

 ポロポロと涙を零し、アスカはしゃくりあげた。渡羽は何も言わず、アスカの背中を撫でる。

「……最後に、バルカンは言ってくれたの。『二人のこと応援してるから』って……。自分のことより……あたしたちのこと考えてくれて。

 優しいよね。そんな……優しい人の気持ちに応えてあげられなかったことが……悲しいの」

 泣き続けるアスカの背中を、渡羽は何も言わず撫で続けた。アスカの気持ちが落ち着くまで。自分の気持ちが落ち着くまで。



「よう、飛鳥! おはようさん!」

 翌朝。学校にて、底抜けに明るい笑顔のバルカンに、渡羽はぽかんと口を開けて顔をしかめた。

 まるで昨日の出来事がなかったかのようにいつもどおりだ。

 失恋したばかりだというのに、なんだろうこの明るさは。

「受験合格したからのんびりできるな~。あとは卒業式くらいだしな!」

 あまりに普段と変わらない様子に拍子抜けだ。落ち込んでいるものかと思ったのに、心配して損した。

「……変わりませんね」

「ん? 何がだ?」

「別に。なんでもありませんよ」

「なんだよ、飛鳥。気になる言い方だなぁ」

 にやにやと笑って肘で小突いてくるバルカンに、渡羽はこめかみを引きつらせた。

「君はいつも間抜け面ですねってことですよ」 

「うおっ、ひでぇっ! なんかおまえ、冬休み明けてから変わってね? 眼鏡かけてても、地に近いっつーか…」

「そうですか? じゃあ成長したんですよ。君は相変わらずバカ丸出しで、成長止まってるんじゃないですか?」

「さらに!? やっぱおまえ変わったってぇ~。口調変わらねぇだけでほとんど眼鏡外した時と一緒じゃねーかぁ~」

 泣き真似をして寄りかかってくるバルカンを、渡羽は押しのけようとする。

「ちょっ、重いですよ、バルカン!」

「――オレのことは気にすんな」

 不意に耳元でささやくバルカンの声が、昨日アスカと話していた時のように大人びた。渡羽は手を止めてバルカンから顔を逸らした。

「……すみません」

「おまえが謝ることねーよ。フラれたのはアスカさんのせいでも、おまえのせいでもない」

「いえ、アスカとのことを…黙っていたことです。すみませんでした」

「ああ、そのことか。いーよ別に。飛鳥がそういうこと打ち明けるの苦手だって知ってっから。

 これでもおまえとは五年以上のつき合いだからな。ちゃーんと理解してやってんだぜ?」

 その言葉に、渡羽は不覚にも泣きそうになった。バルカンの言葉でうれし泣きしそうになるなんて。

「……最悪です」

「何それ! オレ今いいこと言ったのにひどくね!? ぬあ~っ、飛鳥のバカ野郎~っ。地味眼鏡ぇーっ!」

「眼鏡をバカにしないでくれますか!? この眼鏡は俺にとって大事なものなんです! 眼鏡のどこがいけないんですか!」

「ほ、本気で怒るなよっ。ちょっとした冗談だろぉ?」

「眼鏡をバカにしたら許しません。眼鏡を笑う者は眼鏡に泣くんです!」

 なんだかよく分からない会話をしている二人に、ちょうど登校してきた明衣子が声をかけた。

「おはよう、二人とも」

「あ、おはようございます」

「おはようさん」

「……」

 二人が挨拶を返すと、明衣子は驚いたような表情で二人をじっと見つめる。

「どうかしましたか? 高尾さん」

「えっ、ああ……なんか、いつもより二人が仲良しだなーと思って」

「はい?」

 渡羽は唖然とする。そんなふうに見えたなんて。本当に最悪だ。渡羽はどんよりとした面持ちのまま放心した。



 ちらほらと咲いている寒桜を眺めながら、渡羽は帰路についた。

 今朝の明衣子の言葉で、一日中気が滅入っていたため、気晴らしに図書館に寄ったので、もう日が暮れてしまっていた。 

 そこかしこにある街灯に火が灯り、明るく道を照らし出している中を渡羽は一人歩いていた。

「あれ?」

 家の近くまで来た渡羽は、門前のライトの横に立っている人影を見つけて、軽く目を瞠った。

「アスカ? こんなところで何やってるんですか?」

「あ、渡羽。おかえり。遅かったね」

「はい、ちょっと寄り道してたものですから……」

「あたしは渡羽のこと待ってたの。渡羽に渡したいものあってね。早くに渡したかったから」

「そうだったんですか。すみません、長い間待たせてしまって」

 渡羽は自分のマフラーを外し、アスカの首に巻いてやる。

「ふわ。ありがと、渡羽」

「いえ。渡したいものというのは?」

「うん、これなんだけど」

 アスカがロングスカートのポケットから何かを取り出し、渡羽の前に差し出した。開かれた手の中には、小さな小さな箱。

 手のひらにすっぽりと収まるほどのそれは、ライトの光を反射して金色に光っていた。

「これは……」

「渡羽の合格祝い。本当は昨日渡そうかと思ってたんだけど、昨日はちょっと、あれ……だったから……」

 言葉を濁すアスカに、渡羽は表情を曇らせた。

「あいつのことは気にしなくていいですよ。ムカつくぐらいいつもどおりでしたから」

「……ほんと?」

「はい。それより、この箱はなんなんですか? 随分小さいですけど……」

 その上、錠までついている。この錠に合う大きさの鍵なんてあるのだろうか。

 アスカはにこっと笑った。あの男の子に出会ってから考えていた。これを渡羽に渡そうかと。

 ずっと迷っていたけれど、バルカンの言葉で心が決まった。

 やらないで終わるより、やって終わった方がいい。

「その箱は今は開かないで。いつか開くべき時が来るから。その時が来るまでは、なくさずに持っててね。約束」

 指切りをするため、小指を出すアスカ。約束をする時はこうするのだと、前に渡羽に教えてもらったのだ。

 渡羽はその細い指に、自分の小指を絡ませ、笑みを返した。

「はい。分かりました」

 その箱はまるで、RPGなどに出てくる宝箱のような形をしている。

 いったいこの箱には何が入っているのだろうか。


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