18th 親子

 カリンの一件がひと段落し、アスカたちは改めて魔法界を散策することにした。

 城の庭園に出ると、眩しい光に目がくらんだ。太陽の光こそないが、暑さは人間界とさほど変わらない。

 熱を持って輝く空はどこまでも広がり、世界を照らしているのだ。渡羽は空を見上げて目の上に手をかざし、眩しそうに目を細めた。

 その隣でアスカがブロッサムを喚び出す。ブロッサムは呪文によって喚び出されると、ぴょこぴょことアスカの周りを回り、渡羽に飛びついた。

「わあっ! わ、分かりましたから落ち着いて下さい」

 仔犬のようにすり寄るブロッサムに、渡羽は困惑しつつなだめるように柄の部分を撫でた。

「んー、なんでブロッサムはこんなに渡羽に懐いてるのかしら。謎だわ……」

「ほうきは持ち主の影響を受けますからねー、姫様の気持ちの分、渡羽さんに懐いているのではないですか?」

 何気なくティアラがそう言うと、渡羽はまじまじとブロッサムを見た。

 それじゃあブロッサムのこの行動は、アスカの愛情の大きさを表しているということだろうか。

 ブロッサムがこれほど懐いているのは、アスカがそれだけ渡羽のことを好きだからというわけだ。

 柄をこすりつけるブロッサムをアスカに置き換えてみて、渡羽は赤面した。

 アスカも同じようなことを考えたのだろう、少し頬を朱くし、照れ隠しのように渡羽にくっついているブロッサムをひったくった。

「も、もう、ティアラったら変なこと言わないでよっ。渡羽、後ろ乗って。あたしのとっておきの場所に連れて行ってあげるからっ」

 早口でアスカは言い、ブロッサムにまたがる。

 渡羽がためらいがちにブロッサムにまたがると、ふわりとブロッサムが浮き上がった。そのまま勢いよく雲の上まで上昇する。

「た、高いですね。どこまで行くんですか? アスカ」 

「ふふっ。ここよ」

「ここって?」

 得意げにウインクするアスカに、渡羽は小首を傾げた。

 アスカは六畳ほどの広さの雲の上で停まると「こ・こ!」と真下を指差した。

「え……」

 まさか。渡羽は真下――雲の上を見る。アスカはにっこりと笑って、

「そう。ここがあたしのとっておきの場所。さあ降りるわよ」

「降りるって……、! アスカ!?」

 ひょいっとブロッサムから飛び降りるアスカに、渡羽は思わず目をつむった。

「渡羽ー、何やってるのー? 早く~」

 アスカの声に渡羽が目を開けると、アスカは白い雲の上で手を振っていた。

「え!? 雲の上に乗ってる……?」

「どうしたの? 渡羽。早く降りておいでよ」

 きょとんとしているアスカ。雲は水蒸気が冷えて凝結した水滴や氷晶が群になったものだ。いくら凝結しているとはいえ、乗ることなどできないはずだ。

 しかし、アスカが待っているので、渡羽は意を決してブロッサムから降りた。

 ぼふんと柔らかい感触がして、渡羽の体はわずかに雲に沈み込みつつも落ちることはなかった。

「うわ……なんか不思議な感覚ですね…雲の上に乗るなんて……」

「人間界では雲に乗ったりしないの?」

「乗りませんね。そもそも乗れませんし」

「へぇ~、そうなんだ。こんなに気持ちいいのに、人間界の雲は不便ね。渡羽、こっち来てみて」

 アスカが雲の端に座って手招く。ふわふわした雲の上をえっちらおっちら歩いてアスカの隣に腰を下ろすと、マジカリアが一望できた。

「絶景ですね。風も気持ちいいですし」

「でしょ? よく城を抜け出してここに来るの。あたしのお気に入りの場所、渡羽に見せてあげられてよかった」

 雲は風まかせでゆっくりと流れていく。二人は並んでマジカリアを眺める。いつまでも、いつまでも……



 バルコニーに出てきたアスカは、夜の闇に覆われた町を見渡した。

 ぽつりぽつりと民家から明かりが漏れている。道には人間界のように街灯がないため、ところどころに照明魔法を頭上に灯しながら歩いているヒトがいる。

 黒い空ではまるで星のように、小さな白い光が点滅している。

 魔法界は太陽もなければ月や星もない。一日の終わりが近づくと、徐々に空の明度が落ち、夜が来る。

 そして『点光ココヴィアオ』と呼ばれる、人間界で言う『星』が光り始めるのだ。

 人間界のように星座があるわけでも、位置が変わるわけでもないが、日によって光り方や色が変わる。

 昼間の熱気は夜になると比較的落ち着く。少し熱をはらんだ風がアスカの髪を揺らした。

「姫様ー、ヨパンジョリーをお持ちしました~」

 魔法で自分の分とアスカの分のグラスをぷわぷわと浮かせながら、ティアラが飛んでくる。

 その後ろから渡羽が、ジュースの入ったグラスを片手に歩いてきた。ブロッサムは相変わらず渡羽にべったりだ。

「ありがとう、ティアラ。どう? 渡羽。ヨパンジョリーのお味は」

「あ、いえ、まだ飲んでませんから…アスカと一緒に飲もうと思って」

「そうなの? んじゃ、せーので飲もっか」

 ティアラから黄色く透き通った液体の入ったグラスを受け取ると、アスカは町の方へ体を戻した。

 渡羽が隣に並ぶと「いくよー、せーの」と掛け声をかけ、三人は同時にグラスを傾けた。

「ぷはーっ、やっぱりヨパンジョリーは飲み口爽快ね!」

「この口の中に広がる爽涼感はヨパンジョリー特有ですからね」

「見た目よりさっぱりしてますねー、少しラムネに似てるかも」

「夏にはつきものなのよ? この飲み物。一度、渡羽に飲ませてあげたかったのよねー」

 ごくごくとアスカはヨパンジョリーを一気飲みする。

 アスカの自室のバルコニーで、三人は夜の町を見下ろしていた。グラスの中の氷がカラン…、と音を立てた。

 ぼんやりと町を見ていた渡羽の前に、ふわりと手のひら大の光るものが舞い飛んできた。

「!?」

「おやおやぁ~ん? めんずらしい子がいるでないの」

 目を丸くしている渡羽の前で、光がしゃべった。

「!? !?」

「びっくらこいてるねぃ。あっはは、まあ仕方ねぃやな」

 しかも、変な口調だ。渡羽が驚いていると、ティアラが「あっ」と声を上げた。

「んむむ? おんやまぁ、ティアラっこでないの。久し振りやねぃ」

 光は手すりに降りると人の姿になった。正確には光を弱めて姿を見せたというか。外見は二十代半ばの青年。

 ボサボサの黒髪に、ダークイエローの瞳。火のついていない葉巻を口にくわえ、背中には透明な四枚の羽があるので妖精だと分かるが……服装は腰みの一つという、涼しげだがあまりうらやましくはない格好だ。

「アスカさまもお元気そうで。おっきくなりやしたねぃ」

 にかっと妖精が笑うと、アスカは引きつったように笑みを浮かべ、

「あー……ええと……誰だっけ?」

「ぅわお、俺っち忘れられんぼ!? いやまあ、最後に会ったのは五年以上前だがよぅ、そんじゃまあ仕方ねぃやな」

 ボリボリと頭を掻いて、妖精は手すりの上に胡坐をかいた。

「俺っち、ユィウェホイでさぁ。ティアラっこの育ての親の」

「ええっ!?」

 渡羽が驚嘆の声を上げる。

「あー……そう言えばそんな名前だったわね。言いにくいから忘れてたわ」

 アスカが肩をすくめてため息混じりに言った。

 一度ティアラの村に遊びに行った時に、偶然会ったことがあるのだが、このヒトは少々苦手なのだ。

「え……あの、育ての親って……」

「ああ、渡羽さんには言っていませんでしたね。私、元は捨て子だったんです」

「す、捨て子?」

「はい。生まれて一年も経っていなかった私は、ジャングルの入口に捨てられていたんです」

「うんうん。んで、そこを通りがかった俺っちがティアラっこを拾ったわけさぁ」

「ティアラと言う名前はお母さん――ホイの奥さんにつけてもらったんですよ。

 そう言えばお母さんは元気?」

「はてなぁ、俺っちもここ半年ほど、家帰ってねぃかんなぁ」

「ダメよ、お母さんひとりにしちゃ。お母さんはさみしがりやなんだから」

 言いながらユィウェホイの隣に降りたティアラは、さっ、と葉巻をかすめ取った。

「あと、これもやめるように言ったわよね?」

「あうあ~、それねぃと落ち着かねぃのよ。火つけてねんだからいいでないのぅ」

「ダーメっ。それで話を戻しますが、お父さんに拾われた後、私はふたりのもとで育てられました」

 葉巻をアスカに渡すと、アスカが小さな葉巻を指でぷしっと潰す。

 その瞬間、ユィウェホイはこの世の終わりのような顔をした。

「お父さんは影族なんですが、お母さんが水族で、水族の村で暮らしているんです。ただ、お父さんは放浪癖がありまして、私が村を出る前もよく放浪していましたね」

「うう~、最後の一本だったのに、ひどいぜぃティアラっこ~」

「お母さんからも止められているでしょ? いい加減にしなさい」

 呆れるように肩をすくめるティアラ。常々、ティアラはしっかり者だと思っていたが、こういうヒトが身近にいたのならしっかりしていてもおかしくない。

「はぁ……ティアラにそんな事情があったなんて……。アスカは知ってたんですか?」

「んー、だいたいはね。でも、言うこともないかなーって。訊かれなかったし」

 ヨパンジョリーのおかわり分を注ぎながら、アスカはユィウェホイに説教をしているティアラをチラ見し、声をひそめた。

「……捨て子だったなんてさ、ティアラはそんなに気にしてないみたいだけど、あんまり気分のいいものじゃないでしょ?」

「まあ…そうですね……」

「どうして捨てられてたのかは分からないけど、ティアラが花族だってことはすぐ分かったみたい。妖精は種族によって髪やの色に特徴があるから。花族はピンクか紫の髪と瞳が主な特徴なの」

「じゃあクラウンは?」 

「クラウンは水族よ。水色か青の髪と瞳が特徴」

 言われてみればクラウンは水色の髪に蒼い瞳だ。妖精にはそういう見分け方があったのか。

「あの、もう一つ訊いていいですか? ティアラは羽が二枚ですよね? でも……その……」

 名前が難しくて言えない。渡羽の言いたいことを察して、アスカは答えた。

「ああ、ホイはおとなだから四枚羽なのよ。妖精はおとなになると二枚羽から四枚羽になるの。つまり、ティアラはまだおとなじゃないってことね」

「そうなんですか」

 アスカはずっと立っているのに疲れたのか、渡羽に柄をこすりつけているブロッサムに声をかけた。

「ブロッサム、ちょっと座らせてくれる?」

 ブロッサムはアスカと渡羽を交互に見、ぐるんと横になって、柄の部分で渡羽の体をすくい上げた。

「うわ!」

 ちょうどブロッサムに腰掛ける格好になり、渡羽は落ちないように慌てて柄につかまる。それからブロッサムはアスカの前に移動した。

「そんなに渡羽と離れたくないの? もう、ブロッサムったら」

 体勢を直せず横座りしている渡羽を乗せたまま、上機嫌で浮遊しているブロッサムに、アスカは苦笑した。

 それを見ていたユィウェホイは「ひゅう♪」と口笛を吹いた。

「ほうき(アフィ)に好かれるマーティンなんて初めて見たぜぃ。あんた、マーティンだろ? 本物のマーティンだよな?」

 目の前まで飛んできたユィウェホイに、渡羽は一瞬たじろいでから頷いた。

「は、はい。そうです」

「ぅわーお、いろんな国を放浪したけど、マーティンなんて初めて見たぜぃ。

 滅多にってーか普通はお目にかかれねぃかんなぁ。いーいみやげ話ができたぜぃ。あ、ついでに握手しとくれや」

「いいですけど……」

 ためらう渡羽に、ユィウェホイは「おっと!」と額をパシッと手で叩いた。

「この大きさじゃ握手できねぃわな。ぃよっと」

 ぽんっ、とユィウェホイは魔法で大きくなった。身長は渡羽とさほど変わらないが、意外と体は逞しかった。

「ほんじゃ改めて」

「は、はぁ……」

 差し出された手を握り返すと、ユィウェホイはにんまりと笑った。

「どーも。いい体験させてもらったぜぃ。ほんじゃ俺っちはそろそろ行くかね」

 元の大きさに戻り、ユィウェホイは再び光に包まれる。

「お父さん、ちゃんと家に帰ってね!」

「近いうちにな~」

 ティアラの釘を差す声に軽い調子で返し、ユィウェホイはどこかへと飛び去って行った。ティアラは腰に手を当て、肩をすくめた。

「もう、何回言っても聞かないんだから」

 娘と言うより母親のようだ。渡羽は微苦笑し、ユィウェホイの飛び去った方角に視線を投げかけた。

「おもしろいお父さんですね」

「変わっているんです。村でも『変わり者』という意味の『ブラボー』と呼ばれていましたから」

 人間界でなら『ブラボー』は称賛の言葉だが、魔法界では逆のようだ。

 褒めるつもりで人間界の住人が魔法界の住人に「ブラボー!」と言ったら悪口になるのか。

 この世界に人間はいないからそういうことはないだろうが。

「いつも放浪しているということは…顔を合わせることは少ないんですか?」

「そうですね、年に数回くらいしか会いません。今回も会うのは三年振りでしたし」

「三年振り? ずいぶん会ってなかったんですね」

「姫様の側付になってからは、私も村に帰ることがあまりなかったものですから……お母さんとは二年前に会いましたけど」

 アスカの修行に付き合って、半年ほど魔法界に帰ってきていないので、正確には二年半会っていないことになるが。

 きっとさみしがっているだろう。あのヒトはとてもさみしがりやだから。

 会いたくないわけではないが、会えばしばらく帰してもらえないだろう。

 それでは姫様の側付である意味がない。会いたくても会えない。

「さみしくないと言えばうそになりますが、もう慣れました。私は、ですけれど」

「そういえば、渡羽の父様にも会ったことないわよね。仕事で家を空けてるって美鳥母様に聞いたけど」

「ああ、はい。父さんは旅客船の船長なので……時々しか帰ってこないんですよ」

「渡羽もさみしかったりする?」

「え? うーん、小さい頃は……そうですね、さみしかったですよ。今はもうティアラと同じで慣れましたから、それほどは」

「ふーん、そっか」

 家族と長い間会えずにさみしいと思う気持ちは少し解る。今回帰ってきたのも同じ理由だし。三人はしばらく無言で夜空を眺めた。



 翌朝、アスカたちは謁見間に集まっていた。女王と国王は玉座に座ったまま娘たちを見た。

「それではアスフェリカ、修行を頑張るのよ。今度会う時は魔法士ノエウィを卒業しているのを楽しみにしているわ」

 笑顔で言われて、アスカは少し冷や汗をかいた。

「……う、うん。ガンバル」

「渡羽殿、アスカをよろしく頼むぞ。わしもそばについていたいのはやまやまだが」

「次にそんなことしたら問答無用で離婚よ。」

「……ということで、アスカのことは任せる」

 半眼での切り捨てるような一言に、国王は涙ながらに言った。渡羽はただ頷くしかできない。

 泣くほど残念がることでもないだろうが。アスカはこれでシンにつきまとわれずにすむので、正直うれしいのだが。

 ため息をひとつついて、女王は「ではそろそろ」と右手を前方に向けた。

「ファイディーラ=ボツ=ジェイシーエルク・リ=ラーチ=タカヴァ=ツージャガ=フォカスト=レレッキーチャメロネルク」

 女王とアスカたちの間の足元に、白く光る円が現れる。ここ数日で何度も使った、時空と時空を繋ぐ時空移動の魔法だ。

「女王様、国王様、お世話になりました」

「姫様のお世話はおまかせ下さい」

 光の中に入っていく渡羽とティアラを国王は笑顔で見送る。アスカは白光の円柱を見つめた。

 これでしばらくはまた家族と離れることになる。さみしさがよぎるが、これも自分が選んだ道だ。

 アスカは父親と母親を見、笑みを浮かべた。

「じゃあ、いってくるね。父様、母様」

「ああ、風邪など引かんようにな」

「……ええ、行ってらっしゃい」

 満面の笑みで見送る国王と対照的に、女王は少し硬い表情だった。

 元々、母親は笑みを浮かべることが少ないので、アスカは特に疑問に思わず、光の中に入ろうとした。

「――アスフェリカ」

 名を呼ばれ、アスカは光に足を踏み入れる直前で動きを止めた。

「何? 母様」

 微笑むアスカに、女王は口を開きかけ――思いとどまるように口をつぐんだ。その様子に、アスカは訝しんだ。

「どうしたの、母様?」

 国王は俯きがちの女王を気遣わしげに見る。女王は一度目を伏せ、ゆるゆると首を横に振った。

「……いいえ。頑張りなさい。最後まで。答えは自分の中に必ずあるのだから」

「? うん」

 どういう意味だろう。よく分からなかったが、アスカは今度こそ光の中に消えていった。

 円柱はアスカが入ってから跡形もなく消える。三人が消えた場所から視線を外さぬまま、女王は独り言のように呟いた。

「最終選定の日は近い……誰が選ばれようとも、それがパーガウェクオの意思ならば、従う他ないわ」

 イリアタルテが何を言いたいのか、シーウォルドは分かっている。だから、

「……そうだな」

 ただ一言、そう返した。全てはパーガウェクオの意思次第。彼らを待つのは幸か不幸か。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る