17th 本心
「カリン様の……」
「本当の想い……?」
困惑しているアスカとティアラ。カリンは渡羽を睨めつけた。渡羽は構わず続ける。
「君がこんなことをするのは、リーフェミアルが憎いから、アスカに思い知らせてやりたいから。でも」
「うるさい……」
「それは見せかけで……原因の一つであるのも嘘ではないでしょうけど」
「うるさい……っ」
渡羽の言葉に、カリンは顔をゆがめていく。言うな。それ以上言うな。
「君が本当に望んでいるのは、復讐でも見返すことでもなく」
「黙れ……」
その先は言うな。言わないで。
「ただ、構ってほしいんでしょう?」
これまでにないほど、カリンの目が大きく見開かれる。クラウンが泣きそうな顔でカリンを見、瞑目した。
「あ……っ、ああああぁぁああぁああっ!!!」
「「!?」」
頭を抱え、カリンは絶叫した。アスカたちは突然の事態に驚いた。
「うるさいうるさい黙れ! 黙れリーフェミアル風情が! オマエなんかに分かるか! 解ってたまるもんか! オマエなんかに、アタシの気持ちをぉ…っ!!」
頭を掻きむしり、空に向かって吠えるカリン。その体から激しい魔法力が放たれる。不意打ちで、渡羽はその場から吹き飛ばされた。
「うわあっ!」
「渡羽!!」
アスカが素早く渡羽の後ろに回り、渡羽の体を支える。そのまま近くの建物の陰に避難した。
強い魔法力だ。カリンの体にこれだけの力が秘められていたなんて。でもこれは……
「……
「え?」
「グレイトバン。ええっと……」
「精神的や肉体的に強い衝撃を受けたり、生命の危機を感じた時に魔法力が暴走する現象です。幼い子供や未熟な魔法使いが陥りやすい事故です」
説明がうまくできずにいるアスカの代わりに、ティアラがアスカの陰から説明した。アスカは「そうそう、そんな感じっ」と乾いた笑みを浮かべた。
「さっきの渡羽さんの言葉でかなり動揺したみたいですね。こうなるとそう簡単には止められませんよ」
「へー、そうなんですかー。………………って、えええっ!? もしかして俺、状況を悪化させただけですかぁ!?」
がびーん。
助けるつもりが余計なことをしてしまった。まかせて下さいと大見栄切っておきながらこの失態。言わなきゃよかった。ああ、後悔先に立たず。
「気にしないで、渡羽。なんとかするから!
とは言ってもカリンを気絶でもさせない限りこれは止まらないわ。この勢いの中であたしの魔法はたぶんカリンに届かない。けど、接近すればあるいは……」
「ですが姫様、この奔流の中、カリン様に近づくのは困難ですよ?」
「――オレが行く」
三人のもとに、クラウンが飛んできた。アスカたちは唖然としてクラウンを見る。クラウンは無表情で告げた。
「オレがカリンを押さえる。その間に
「そ、そうね。でも危険よ? あの状態のカリンに近づくなんて。それに、今頃どういう心境の変化? 止める気があるならもっと早く止めればよかったじゃない」
言われてクラウンは表情に影を落とした。
「……ごめん、アスカ姫。でも、カリンのためだったんだ。カリンを……独りにさせたくなくて」
「どういうこと?」
「アスカ。カデリーンさんは本当は、さみしかったんですよ」
「え?」
渡羽が言うと、クラウンが無言で首肯した。
「カリンはさ……ずっと誰からも見向きもされなかったんだ。第二王女として最低限の相手はされても、本気で向き合ってくれる奴はいなかった。なんでか分かるか?
――アスカ姫がいたからだよ」
「え……あた、し?」
なんとなくぎくっとするアスカ。
「アスカ姫は潜在的に強い魔法力を持って産まれた。だから、次期女王に選ばれる可能性があるとして、幼い頃から大事にされてきた。その点、カリンは第二王女でありながら魔法力が弱くて…」
「ちょ、ちょっと待って。え…それ、おかしくない? だってあたし、いつも魔法失敗するし、すぐコントロールできなくなるのよ? 魔法力強いなら、もっとうまく魔法使えるはずでしょ?」
「確かにそうだけど、アスカ姫の場合は潜在能力が大きすぎるんだよ。だからコントロールしきれていないんだ」
「なんだ、失敗するのは魔法力のレベルが低いからだったんじゃないんだぁ」
「そういうこと。でもさ、そのせいでアスカ姫ばかりがかわいがられて、カリンはまともに相手されなかった。
元々あんなひねくれた性格だから親しい奴もいないし、修行の成果を報告しても、国王や女王はアスカ姫のことばかり気にしてさ。
それでも思ってること素直に言えなくて、言いたいこと全部我慢して、父親や母親の望むとおりになろうと頑張ってさ……」
クラウンの言葉が痛い。クラウンの言っていることが本当なら、カリンはずっとつらい思いをしてきたんだろう。
誰にも悩みを打ち明けられず、頑張っても誰にも褒められず、うわべだけの付き合いしかされない。そんなこと、アスカには耐えられない。
「カリンはオレにだけはなんでも話してくれた。だからオレは、カリンの味方でいてやりたい。カリンの心の拠り所になってやりたいんだ。
そんなオレが、カリンを止められるわけない」
クラウンは目を閉じて思い出す。膝を抱えて、不安げな顔で淋しそうに問いかけてきたカリンを。
『クラウンだけは……アタシの味方だよな?』
そうだと答えれば、同じ言葉を今度はうれしそうな笑顔で。
『クラウンだけはアタシの味方だよな!』
「そう言って無邪気に笑うカリンの心を、裏切れなかったんだよ……っ。
でも、もうダメだ。これ以上は見てられない。カリンが自分を傷つけるのを、黙って見てるだけなんて、できない……!」
両の拳を握りしめ、クラウンは絞り出すように言った。
アスカは俯いた。そんなことにも気づけず、自分はカリンを責めた。たった一人の妹なのに、家族なのに、気づいてあげられなかった。
「ごめんね、カリン。あたし、お姉ちゃん失格だね。ずっと苦しんでたのに、解ろうとしなかった」
にじみ出てきた涙をぬぐい、アスカは顔を上げた。
「でも、もう大丈夫。今、助けてあげる。あたしが、カリンを助けるよ! クラウン、力を貸して。一緒に助けよう」
「!」
アスカの笑顔に、クラウンは表情を明るくした。アスカは渡羽の手を握りしめた。
「ありがとう、渡羽。渡羽がいてくれてよかった。渡羽がカリンのことに気づいてくれたから、あたしも気づけた」
「そんな……俺のせいでこんな事態になってしまって……」
「ううん。仕方ないわよ。これはカリンの心が未熟だったからで、渡羽のせいじゃないわ。
危ないから渡羽はティアラと一緒にここで待ってて。行くわよ、クラウン!」
「おう!」
二人は奔流の中へと飛び出した。勢いは依然収まっていない。
奔流の中心でカリンが頭を押さえてうずくまっている。このまま放出を続けたらカリン自身も危ない。急がなければ。
「頼んだわよ、クラウン!」
「絶対、カリンを止めてやる。後はまかせるぜ、アスカ姫」
「うん」
アスカが頷くと、クラウンはポン、と大きくなった。
年の頃十三、四歳の人間大の姿になったクラウンは、奔流の中、カリンのもとへ近づいていく。一瞬でも気を抜けば吹き飛ばされる。
(カリン……今行くからな。絶対、助けてやるから)
アスカは比較的流れの弱い物陰で、精神を集中する。
クラウンがカリンを押さえて勢いが弱まった隙を狙い、カリンの法石と、魔法力を増幅させる
成功すればカリンを無傷で助けられるが、もし失敗すればカリンやクラウンはただでは済まない。だから今度こそ失敗はできない。
(ダメ。落ち着いて。しっかりしなさい、アスフェリカ!
クラウンが言ってたじゃない。あたしの潜在能力が強いって。潜在能力が強いなら、このくらいの魔法簡単に操れるはず。
あたしの力だもの。自分の力をうまく操れないでどうするの!?)
目を閉じ、集中する。いつもより強く、深く。
「シザー=スト=ユァイユ=ゴーゼエルク」
クラウンは奔流に押し流されないよう、足を踏ん張って進んだ。あともう少し。
「カ……リン……カリ……ン……っ」
うずくまっているカリンは、昔を思い出させる。出会った時のカリンを。王城で再会した時の、カデリーン王女を。
カリンに助けられて村に帰ったあと、村長に言った。
城に仕えたい。助けてくれた王女に恩返しがしたいと。村長は渋ってたけどなんとか許してもらえた。
城に行き、女王と国王に許可をもらってから王女を捜した。その時カリンは、一人で庭の隅にうずくまっていた。誰にも構ってもらえず、ぽつんと一人で花を見ていた。
ひねくれてて、口が悪くて、口より先に手が出るけど、誰よりも努力家で、家族思いで、さみしがり屋なカリン。
家族が好きだから、困らせたくないから、今までワガママを言わずにいた。本当は姉のことだって嫌いじゃない。むしろ憧れてる。
(誰からも好かれて、誰とでも仲よくなれる素直なあの人に、カリンは憧れてた。あんな風になりたいって言ってた)
けれど、どんなに頑張っても追いつけなかった。いくら修行しても誰も自分を見てくれなくて、姉は女王候補に選ばれて、その上、
「カリン……カリンは……うらやましかったんだよな? うらやましくて、悔しくて、それが嫉妬に変わっちゃっただけなんだよな?」
クラウンは手を伸ばした。
「カリンはただ……置いていかれるのがさみしかっただけなんだよな?」
伸ばされた手が、カリンの肩に届く。びくん、とカリンの体が震える。
「……解ってるよ。オレも置いていかれた時、さみしかったから」
城からの招請で奉公に出ることになったティアラ。
村にはほとんど帰れないだろうと言われた。それでもティアラは行くと言った。
何度も引き止めようとしたけど、本人を前にすると言葉が出てこなくて。
(何も言えないまま出発の日が来て、最後に別れくらい言ってやろうと思ったのに、あいつは出発の日が早まったことを黙ってて、オレは別れの言葉さえ言えなかった)
さみしくて、追いかけたくて、そばにいる理由が欲しくて城に来た。
初めはそれだけだった。ティアラのそばにいたかったから、恩返しをするためともっともらしい理由をつけて追いかけてきた。
(でも、カリンとつき合っていくうちにカリンのことを放っておけなくなった。カリンのことを解ってやれるのはオレだけだ。だから――)
「もう大丈夫だ。オレがいるから。オレだけは、カリンの味方だから」
きゅっとカリンを抱きしめる。カリンはおもむろに顔を上げた。
「クラ……ウン……?」
魔法力の流れが弱まっていく。
「今だ!!」
クラウンの合図で目を開き、アスカは物陰から躍り出る。
「リ=ラーチ=タカヴァ=ケナ=ヌールシューベルク!」
全力で魔法を放つ。一本の氷の矢がカリンへまっすぐ飛来する。
魔法力が弱まり、渡羽たちが建物の陰から出てきた。放たれた矢は狙い通り。
「クラウ……? アタシ……」
「動くなよ。アスカ姫がちゃんと、助けてくれるからさ」
お前の大好きな姉ちゃんが。カリンを抱きしめ、クラウンは微笑んだ。
「姉さん……?」
朦朧とする頭で、カリンはクラウンを見つめる。
矢がカリンに届く直前で、アスカは副呪文を唱える。
「
一本の矢が三つに分裂する。分裂した矢はそれぞれ、カリンの両の耳飾り――法石と、左腕のリストバンドについている青い宝石――
瞬時に魔法力が消え、暴れていたカボチャ人形や蔓の森が消えた。
カリンは朦朧とする意識の中で、笑みを浮かべた。
「……ありがと……姉さん……」
商店街はその後、アスカが復元魔法で元に戻した。(今度は成功した)
気絶したカリンを背負い、クラウンはカリンのズボンのポケットから出しておいた
「わわっ」
「テュレーゼに戻るんだろ? オレはこうだし、アスカ姫が開けてくれよ」
「ちょっともう、
肩をすくめ、アスカは宙に
「ファイディーラ=ノウル=ジェイシーエルク」
カリンの時と同じように、銀色の扉が現れ、ゆっくりと開く。
この扉の先は、人間界でも魔法界でもないまったくの異世界。その上
「姫様~、私、緊張してきました~」
「おお落ち着くのよ、ティアラ! こうゆう時は深呼吸よ、しんこきゅー! ねっ、渡羽!?」
「え……?」
渡羽を見ると、渡羽は女王の前に出た時よりも顔をこわばらせ、脂汗だらだらだった。…訊かない方がよかったかもしれない。
「そんなに緊張することないかもしれないぜ? オレたちが来た時、神様は“お休み中”だったらしいからな。オレたちも会ってないんだ」
「ホント!? いないの!? なんかそれはそれで残念な気もするわ~」
「とにかく、早く行こうぜ。カリンをこのままにしとくわけにいかないだろ」
「そ、そうね……うん、覚悟決めるわよ!」
ぐっ、と握り拳を作り、アスカは思い切って扉に入った。クラウン、渡羽、ティアラも続く。
扉に入ると扉は消え、妙な空間の中に立っていた。黄色や赤、青や白と周りの空間の色が目まぐるしく変化する。
「何、ここ……これが
「そうだよ。二回目だけど…やっぱ酔いそうだな」
「アスカ、ここから魔法界に行けるんですか?」
「あ、ううん、このファイディー…時空廻廊のどこかにある時空神の神殿から魔法界に行けるの」
「どこかって…どこにあるか分からないんですか?」
「入ったの初めてだし、詳しいことは文献に載ってないんだもん。歩いてれば自動的に着くとか……」
「オレたちも適当に歩いてたら着いたぜ? で、なんか変な感覚になったと思ったら……」
その時、大きな波に押されたような、ぶ厚くて柔らかい綿の中を通り抜けたような、全身にむわっとした感触を感じた。
「きゃあっ、何々!?」
「今、妙な感覚が…」
「姫様、ここは……!」
いつの間にかアスカたちは広い円筒形の部屋にいた。壁も床も黒いが、床には大きく複雑な魔法陣が白い線で描かれている。
天井にはステンドグラスがあり、光がそこから落ちてきているため、部屋には照明らしきものが一切なかった。
「もしかしなくても、ここが……」
「ええ、
アスカとティアラは注意深く部屋を見渡す。ふと、部屋の真ん中に置いてある黒い丸テーブルとイスに気づいた。
「ん? 何あれ」
丸テーブルに近づくアスカたち。その上には一冊の大きな白い本。
「おかしいな、ここに守人がいるはずなんだけど」
「守人?」
アスカが本に何気なく手を伸ばした時、背後から人の声がした。
「そこにある物は勝手に見ないでくださいね」
「「!?」」
突如、誰もいなかったはずの場所に人が立っていた。全員、すざっ、とその場から飛びのいた。
足もとまで覆い隠している純白のローブ。変わった形の杖を片手に、フードを目深にかぶっているので、口だけが笑みを形作る。
得体の知れない人物に、アスカたちは動揺する。クラウンだけが平然としていた。
「
「えっと、あの……魔法界テュレーゼに」
「分かりましたです。ひいふうみぃ……五人ですね。お客様五名様、ご案内ですぅ~」
意気揚々と守人は、反対側の三つの扉へ歩いていく。巨大なそれは銀色で、あらゆる自然物のレリーフが施されている。
「わぁ……きれい……」
「見事なレリーフですね……」
「さすがは、
ティアラの呟きで、アスカははっと我に返った。そうだった。ここは神のおわす場所。あの人(?)は自分を守人と言っていたが、もしかしたら
「あ、あのっ、あなたはジルティリード様…ではないんですか?」
アスカの問いかけに守人は肩越しに振り返った。
「ほえ? ちがいますですよ~。わたしは守人。ジルティリードさまの助手みたいなものです。ジルティリードさまはねむねむですから、静かにしててくださいね~」
口調はやわらかだが、有無を言わせない迫力がある。守人は真ん中の扉の前に立つと、こちらへどうぞですと手招いた。
「
守人が杖を掲げると、目の前の扉が銀色に発光した。
「時空神ジルティリードの名において、我、今ここに、
守人は杖の先端を扉に向ける。杖の先端の水晶が勢いよく回り出した。すると扉の光が一層強まり、アスカたちは光に包まれた。
「わああぁっ!」
「きゃああっ!?」
目も眩む光に包まれ、アスカたちはしばらく目を閉じていたが、肌に当たる熱気にそろそろと目を開いた。
「あれ……ここ、うちのお城?」
「のようですね、姫様」
「それも、謁見間の前ですよ」
横を見れば、謁見間の扉がある。戻ってきたのだ、魔法界に。
「なんか結構あっさり……とにかく、母様たちに報告ね」
そのまま謁見間に入り、アスカは両親にすべての事情を話した。カリンがなぜこんなことをしたのか、カリンの本心もすべて。
聞き終わったマジカリア女王は瞑目し、長く息を吐いた。
「……そうだったの。こんなことをしでかすまで追い詰められていたのね」
カリンは許可を得て、医務室へと運ばれた。
数日は絶対安静だそうだ。今はクラウンが付き添っている。
「けれど、
ぴしゃりと言い放つ女王。厳粛な声に、女王の裁決を待っていたアスカ、渡羽、ティアラはぴっと背筋を伸ばした。
「
ふう、とため息をつき、女王は厳しい表情で言い渡した。
「違法による時空移動及びリーフェミアルへの暴行、それによる魔法の存在の露見。
最後の件に関しては、国王シーウォルド派遣によって記憶隠蔽に成功。
先述の件に関しては――無期の魔法力封印、同時に魔法牢留置に処す」
アスカとティアラは息を呑んだ。魔法牢は異界に創られた、特殊な魔法を施された牢獄のことである。
魔法牢は公にできない罪人や、重罪人、死刑囚などが入れられる。異界にあるため、脱牢は難しく、脱牢の危険性がある者も罪の重さにかかわらず留置・拘置される。
「国民も私たち以外の王家も王族も、この事実を知らないわ。内密に事を進めるには、魔法牢に留置する他ないでしょう」
あまり身内をあそこに入れたくはないが、この事実を無かったことにはできない。
たとえ王族や王家でも、リーフェへの不法干渉は重罪だ。
基本的にリーフェに干渉していいのは女王試験の時と、リーフェが絶大な危機に瀕した時のみ。それ以外でリーフェに干渉することは罪になるのだ。
アスカたちもそれを分かっているのか、不服そうな顔をしてはいるが反論はしなかった。女王に一礼し、カリンの様子を見に医務室へ向かった。
医務室に入ると、カリンは意識を取り戻していた。ベッドに上半身を起こして座っている。アスカたちに気づくと、カリンはばつが悪そうに俯いた。
「よかった。目、覚めたのね、カリン」
「ぁ、うん……」
俯いたまま視線をさまよわせるカリン。元の大きさに戻っていたクラウンが、カリンの肩に座ってカリンの顔を見上げた。
「あのさ……ごめん、姉さん。いろいろ」
「ん? ああ、いいよ別に。あたしも、カリンの苦しみとか気づいてあげられなかったし」
「ううん。全部アタシが悪いんだ。ちゃんと自分の気持ちを母さんたちに伝えていれば、少しは違ったかもしれない。
我慢することが母さんたちのためになると思って……なのに、結局爆発しちゃって、迷惑かけまくって…情けないよ」
膝の上で両手を握りしめ、カリンは歯噛みした。
「こんなんじゃ姉さんに追いつけるわけがない。追いつけなくて当然だ。アタシは未熟で、未熟もいいところだ」
ぱたぱたっ、と拳の上に滴が落ちる。
「アタシ、本当はずっと姉さんに憧れてたんだよ。姉さんに追いつくために、たくさん修行した。
でも、どんなに頑張っても、努力しても、姉さんに追いつけなかった。アタシはずっと、姉さんみたいになりたかったのに…!」
憧れで自慢の姉さんみたいに。とめどなく涙があふれてくる。
本当に自分は未熟で情けない。素直になれず、何を言われても、何をされても受け入れて。追いつけないから八つ当たりして、嫌いなフリをして。
そんなことでしか自分を表せなかった。こんなことになるまで自分を省みることさえできないなんて。最低だ。
「リーフェミアルのことだって、言われる前から分かってたよ。
この憎しみは、アタシ自身から生まれてるものじゃないって。アタシの中にある先祖の記憶が、リーフェミアルを憎む気持ちが、アタシの心を支配してるんだってさ。
分かってたけど、長い間、何度も夢を見たんだ。リーフェミアルとの戦争の夢を」
カリンはそっとまぶたを閉じた。剣や弓矢や槍、大砲など様々な武器で戦うリーフェミアルとテュレーゼミアル。飛び交う怒号と悲鳴、そして流れる涙と血。
「土地を追われる先祖たちの無念や怒りが夢を通して伝わってきて、少しずつ感化されていって…それが先祖の心なのか、自分の心なのかわかんなくなっていって…」
自分は初めはリーフェミアルを憎んでいなかった。
ただ、なんでそんなことしたんだろうとしか関心がなくて、なのにいつからか見るようになった夢は、リーフェミアルへの恨みや憎悪ばかりを伝えてきて、それが怖くて飲み込まれた。
それも全部、自分が未熟だったから。先祖の記憶や憎悪に抗う力がなかったから飲み込まれて、自分を見失ってしまった。
「ごめん……本当に、ごめんなさい…………」
膝に顔をうずめるカリン。クラウンが肩から離れ、無言でカリンの頭を小さい手で撫でた。
「カリン……」
アスカは哀しげに顔をゆがめた。何を言えばいいのか分からない。何を言っても、カリンは自分のせいだと嘆くだろう。
情けないのは自分も同じだ。妹を慰めることさえできない。
「カデリーンさん」
一歩前に出て、渡羽がささやくように声をかけた。カリンは小さく「……なに?」と返した。ほとんど涙声だ。
「そんなに自分を責めないで下さい。誰にでも、失敗はあります。失敗があるから成功があるんですよ」
「……知った風な口きくな。アタシはまだ、アンタを認めちゃいないんだ……」
「はい。それでもいいです。でも、聞いて下さい。俺も昔、カリンさんと同じ失敗をしました」
思いがけない言葉に、アスカたちは軽く目を瞠った。
ぴく、とカリンの肩が動き、カリンは少しだけ顔を上げた。
「俺の母さんは童話作家なんです。それで部屋にこもりっきりの日がざらにあって、父さんも仕事で年に数回しか帰りません。
だから小さい頃はさみしいと思っていました。年の離れた姉さんが世話を焼いてくれましたけど、親にも構ってほしくて……でも忙しいのも子供心に分かっていましたから、何も言えませんでした。
それでも……我慢していてもやっぱり構ってほしくて、なんとか気を引こうとバカなことをしましたよ」
苦笑する渡羽。渡羽は遠い目で天井を仰いだ。
「家出をして、頃合いを見て帰るつもりだったんですけど、途中で交通事故に巻き込まれて、ものすごく心配させてしまったことがあるんです。
その時の母さんの顔は……今でも忘れられません」
忘れられない。あの底抜けに明るくて、一度も涙を見せたことのなかった母が、病院のベッドにいた自分を見た途端、子供のように泣き出した。
恥ずかしいくらいに大声で自分にすがりついて、まだ高校生だった姉に慰められながら泣いていた。
その時に思った。自分はなんてバカなことをしたんだろう。もう二度とこんなことはしないと。
顔をカリンに戻すと、カリンと目が合った。
「カデリーンさん、過ぎたことを悔やんでもどうにもなりません。終わったことはなかったことにできません。
でも、新たにやり直すことはできます。全ては戻らなくても、代わりに手に入るものもあります」
微笑んで、渡羽はカリンに手を差し出した。
「だから、これからやり直しましょう。家族や他人との付き合い方を。それから、リーフェミアルに対する考え方も」
「!」
カリンは目を瞠り、呆然と渡羽の目を見返した。渡羽はにっこりと笑う。カリンはわずかに頬を朱く染め、パシッと渡羽の手を振り払って顔を逸らした。
「そうカンタンに気持ち切り替えられるか。アタシの中の先祖の記憶は消えやしないんだ」
「あ~、そうですよね。いきなり仲よく、なんて虫がいいですよね。すみません」
振り払われた手とは逆の手で、渡羽は後頭部を掻いた。「けどさ」と、カリンが小さく呟く。
「アタシ自身は、そんなにアンタのこと嫌いじゃないし……記憶に打ち克つためにも、少しなら…仲よくしてやっても、いいよ」
「カデリーンさん……」
「だからさっ、その……カリンでいいよ。呼び捨てでいいから。………渡羽」
顔を逸らしたまま、カリンはもごもごと言った。渡羽は「はい」と笑みを深くした。アスカもうれしそうに破顔する。
クラウンがそっとカリンの顔を下から窺うと、カリンはほんの少しだけ、口元をほころばせていた。
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