15th 魔石

 扉の中に足を踏み入れながら、カリンはにやりと笑った。

「アタシはこれから人間界に行って遊んでくるよ。行くよ、クラウン」

「おう! じゃ、またな、アスカ姫、泣き虫ティアラ!」

「コラ、待ちなさい! カリン!」

「私、泣き虫じゃないです~!」

 じたばたともがくアスカを尻目に、カリンは扉の向こうに消える。扉はカリンたちが中に入ると同時に自動で閉まり、シュン、と消えた。

「くーっ、油断した! これ、カリンが逃げる時によく使う魔宝具ロゼアス……囚われの蔓ペルガンレイラバレッタじゃない! こんな手に引っ掛かるなんてぇ!」

 胸から足まで蔓が巻きつき、頭しか動かせない状態で、悔しそうに叫ぶアスカ。渡羽とティアラも同様だ。

「でも、これなら……ティアラ!」

「はいっ」 

 離れたところで同じように絡め取られているティアラは、アスカの声に応えて目を閉じた。魔法力を解放し、呪縛を解く!

 ティアラの身体が薄桃色の光に包まれる。徐々に、ティアラの体に巻きついている蔓が緩んでいく。

「えいっ!」

 裂帛の気合とともに、ティアラの全身から魔法力が解放される。魔法力の波が蔓の森を包み込むと、蔓の巻きつく力が弱まった。

「よし、今だわ!」

 アスカは蔓の隙間からペンダントを引っ張り出し、パーガウェクオの魔力を発動させる。

「パーガウェクオ=ショー=レッシグ。

 ショー=ケレスト=ウィーズ=フォア・ショー=ケレスト=ノイエ=フォア。

 イェルーシュア=リ=フォア・リ=オッツイ=ケナ=フォア。

 パーガウェクオ=ショー=ディレット。

 ショー=ケレスト=リ・ショー=クレイファン=リ!」

 魔法力とは質の違う力がパーガウェクオから発せられ、アスカの体に染み渡る。

 やわらかくあたたかい魔法力と違い、この力――魔力は張り詰めていて冷たい。

 何度使っても体が締めつけられるような感覚がする。アスカは顔をしかめ、素早く別の呪文を唱える。

「リスト=ヤーギエ=ケレスト=キュイーシェルク」

 全員に魔法がかけられる。全身を見えない薄布で包まれたような感覚だ。

 アスカは息苦しさを感じた。パーガウェクオを操りつつ魔法を使うことなど滅多にない。いや、たぶん初めてだと思う。

 パーガウェクオは魔法力と相反する魔力の宿った魔石。

 その力を操るということは、反発しあう磁石と磁石を無理やりくっつけようとするようなもの。かなりの負担がかかるのだ。

 主人あるじの願いを叶える時もパーガウェクオを使うが、それはパーガウェクオの魔力を操っているわけではないので、負担はない。

 少し息切れしながら、アスカはさらに別の呪文を唱える。

「……リロ=リ=ワノッサ=ケナ=エネルティエルク!」

 ゴオッ。

 オレンジ色の炎が蔓を焼き尽くす。焼けたのは蔓だけで、全員火傷一つない。アスカがかけた反射魔法のおかげだ。見えないヴェールが炎から三人の体を守ったのだ。

 焼け焦げて崩れていく蔓の森。渡羽たちは炭化した蔓の残骸を払い、その場から離れる。

「うわ…すごいですね。一瞬で蔓が全部炭に…」

「姫様!」

「え?」

 ティアラの悲鳴に、渡羽はアスカを振り返った。アスカは炭化した蔓の残骸の上に立っていた。

 そして次の瞬間、ぐらりとアスカの身体が傾いだ!

「アスカ!」



 扉の中に入ると、そこは不思議な空間だった。

 青だったり紫だったり、赤だったり緑だったりと、周りの空間の色が目まぐるしく変わる。そのせいか光がないのに明るく感じる。

 役目を終えた時空廻廊の鍵ファイディーラプレッシモギオがカリンの手元に戻る。カリンは鍵をポケットにしまうと歩き始めた。

 壁も床もないのに、ちゃんと歩くことができる。まるで宇宙遊泳をしているような感覚だ。

「初めて入ったけど……時空廻廊ファイディーラプレッシモって妙なとこだな。なんか酔いそうだ、オレ……」

「クラウンはまだ飛んでるからいいだろ。アタシは歩いてんだぞ。妙にフワフワして変な感じだよ」

 二人して気持ち悪そうな顔をする。カリンは前方を見据え、適当に歩いていく。

 時空回廊は刻々と道が変わっていくらしく、同じ道を通ることはないのだという。

 歩いていれば勝手に目的の時空神の神殿ジルティリードゾルディーに着くと文献にはあったのだが……

「勝手に歩いてればいいらしいけど、いつ着くんだろうな。ていうか時空神の神殿ジルティリードゾルディーってどうやって入るんだ? 扉もなんにもないし」

「オレに訊くなよ。そんなの分かるわけねーじゃん。

 それよりさっきの囚われの蔓ペルガンレイラバレッタ、あれ意味なくね? あれ草属性の魔宝具じゃん。ティアラは花族だから効かねーし、すぐ解かれるぞ?」

「いいんだよ、あれは足止めだし。ちょっと時間稼ぎできればそれで……」

 話していると、奇妙な感覚が襲った。大きな波に押されたような、ぶ厚くて柔らかい綿の中を通り抜けたような。

「!? なんだ今の……、!!」

 気づくとそこは広い円筒形の部屋の中だった。今度はちゃんと床と壁がある。黒い床と壁。

 床には大きく複雑な魔法陣が白い線で描かれていて、天井にはステンドグラス。そこから光が落ちてきているようで、部屋自体に明かりはなかった。

 カリンの立っている正面には三つの巨大な銀色の扉。全体に様々なレリーフが施されている。

 草や花、天使、樹、雲、鳥、動物、星や月…あらゆる自然物が描かれ、三つの扉をくっつけると一つの絵になっている。

「スゴ……」

「本物初めて見た……」

 扉に目を奪われていたカリンたちは、部屋の中央に置かれた黒い丸テーブルとイス……そしてイスに座っていた人物に気づいていなかった。

 二人の声に、彼らに背を向けてティーカップを傾けていた人物は振り返った。

「あ、お客様ですか?」

「「!」」

 足もとまで隠すほど丈の長い白ローブを着た人物が、イスから立ち上がった。目深にフードをかぶっているので顔はよく見えず、口元だけが笑っていた。

時空神ときがみの神殿へようこそです」 

 性別は判別不可だが、かわいらしい声だし背が低いのでたぶん女だろう。

 カリンは表情を引きしめた。ここが時空神の神殿ジルティリードゾルディー。文献に書いてあったとおりだ。

【黒き閉ざされた部屋。三つの銀の扉。時空の魔法陣。そしてそこを管理する神】

「……アンタが、いや、アナタが……時空神ジルティリード…?」

 カリンの声に緊張が混じる。目の前にいる相手は神。本来相まみえることのない、別時空の尊き存在。

 少女(?)はにこっと笑みを深くした。

「ちがいますですよ。」

「「へ?」」

 目を点にするカリンとクラウン。

「ジルティリードさまは今、お休み中なのです。ねむねむなのですよ。だからわたしが代わりにお客様のお相手をするです」

「え? あの、じゃあアンタは?……」

「わたしはただの守人もりびとです~」

 がくっと肩を落とすカリン。拍子抜けだ。神に遇えるとちょっとは期待していたのに。

 守人なんて文献にはなかった。だが、ここは文字通り神の領域。すべてが文献に記されているというわけではないのだろうが。

「さてさてお客様、あなたの目的の場所はどこですか?」

 問われてカリンははっと我に返った。そうだ、あたしは人間界に行くためにここに来たんだ。厳しい顔つきになり、カリンははっきりと告げた。

「――人間界のリーフェ」

「それは『過去』ですか? 『現在』? それとも『未来』ですか?」 

 扉の方に歩いていく守人の背中に、カリンは問いかけた。

「? 何? その『過去』とか『現在』って……」

「ここは時間と空間を管理する場所です。時と時をつなぎ、『過去』『現在』『未来』もつないでいるです」

「じゃあ、過去や未来の人間界にも行けるってことか?」

「行くことはできるですよ。あ、でも…あなた、時空廻廊の鍵を使ったですか?」

 振り返る守人。カリンが首肯すると、あごに人差し指を当てて「あうー」と小さく唸った。

「ならダメですね。時空廻廊の鍵は時空神の神殿ここに来るための入場券みたいなものですし、時間移動は別のカテゴリーですから」

「????」

「ああ、今のは忘れて下さいです。とにかく『現在』のリーフェ…あなたが来た時間と同じ時間のリーフェに行けばいいんですよね」

 失言だったです。守人は慌てて真ん中の扉へと小走りで向かう。

 カリンは眉をひそめたが、難しいことを考えるのは苦手なので気にしないことにした。どちらにしろ人間界に行くことはできるようだし。

「お客様二名様、ご案内です~」

 軽い足取りで真ん中の扉の前に立った守人の手に、一本の杖が現れた。

 先端が鉤爪のような形をした白にほぼ近い灰色の杖。鉤爪のような部分の中には、透明な細長い六角形の水晶が浮いている。

「これが『現在』の扉です。さあお二方、こちらへどうぞです」

 手招かれ、カリンは扉の前に立った。クラウンはカリンの肩の上に乗り、やや不安げな顔をしている。

 きゅっと口元を一文字に結び、守人が杖を掲げた。

時空じくうの扉よ、呼応せよ。我は守人もりびと時空ときの神と契約せし者」

 守人の声に応えるように、扉が銀色に発光する。カリンたちは思わず顔を腕で覆った。

「時空神ジルティリードの名において、我、今ここに、時空じくうの扉を開け放たん」

 杖の先端を扉に向ける守人。先端の水晶がくるくると勢いよく回り出す。光が一層強まった。

「ぅわっ」

「うわあああああぁっ」

 光に包まれたカリンたちの姿が消える。水晶が回転をやめた。守人は杖を下ろし、微笑んだ。

「良い旅路をです!」



 床に倒れるアスカ。渡羽は慌ててアスカに駆け寄り、抱き起こした。

「アスカ!?」

「う……ごめん……魔法力使い過ぎたみたいで……めまいがしたの」

 弱々しくアスカは笑った。渡羽は不安げな顔で、アスカの顔や服についた炭を払う。

「そんなに強力な魔法を使ったんですか?」

「ううん……魔法そのものはそんなに……でも、パーガウェクオを操ったから……」

「パーガウェクオ?」

「このペンダントについてる三つの宝石…これが、パーガウェクオ……」

 ペンダントを持ち上げて見せるアスカ。ペンダントの中央には白・青・緑の三色の宝石。

 渡羽の願いを叶えるまでは、赤・青・緑だったが、渡羽の願いを叶えたことで、赤の宝石が白く変わったのだ。

 この三つの宝石は、主人の願いを叶えるごとに色が白くなるのだそうだ。ただそれだけのものだと思っていたのだが……

「なんなんですか…? この宝石は……。そんなに疲弊するほど特別なものなんですか」

「……あはは……渡羽には言ってなかったね……

 そう。これはただの宝石じゃない……これは、魔石ませき…魔力が宿ってる……」

「魔力?」

 荒い息でつらそうなアスカに代わり、ティアラが説明してくれた。

「魔法力と相反する力のことです。主に魔族が持つ力で、魔法力を持つ者にとっては、毒のようなものなんですよ」

「ええ!? じゃあ、大変じゃないですか! アスカはその、毒を受けたのと同じ状態ってことですよね!?」

「はい。パーガウェクオは本来、この世界にはない産物。この世界に害を及ぼすもの。ですが、パーガウェクオはテュレーゼの至宝でもあるんです」

「ど、どうしてですか?」

 矛盾した答えに、渡羽は困惑して首を傾げた。ティアラが真剣な顔で、

「それは、パーガウェクオが――テュレーゼの柱とも言うべき女王を選ぶからです」

「女王を選ぶ? 石が、ですか?」

 ますますわけが分からない。石が女王を選ぶなんて。それも魔石が。

「パーガウェクオには意思があるんです。そしてその意思が女王を選ぶんです。代々、テュレーゼの女王はパーガウェクオが選んできました。

 テュレーゼの女王、それはマジカリアの女王のことです。マジカリアの女王となる者はパーガウェクオに選ばれ、この世界を支える柱となります」

 そして、女王はパーガウェクオの守り手でもある。

「なぜ、パーガウェクオが女王を選ぶのか。本来あるはずのない魔石がこの世界にあるのかなど、謎は多くありますが……

 その理由が故に、パーガウェクオは魔石でありながら、この魔法界の宝なのです」

「この三つの石が、世界の宝……」

「正確にはこの三つではなく、パーガウェクオの原石が、です。パーガウェクオの原石はそれこそ厳重に、禁断の間の奥の奥で保管されています。

 この三宝石はパーガウェクオから削り出された、いわばパーガウェクオの一部です。女王候補はこの三宝石をいかに操れるかが、女王選定の最大の鍵となります」

 ティアラは表情を曇らせ、わずかに俯いた。

「……ですから、姫様がこれの力を操ることは必然なんです。でも、こんなに疲弊するものだとは思っていませんでした。姫様がパーガウェクオを操るのを初めて見ましたから」

「あたしも……予想外だったわ……反射魔法かけたから大丈夫だとは思ったけど……あたし、コントロール下手だから……もしかしたら蔓だけじゃなくて、渡羽たちも焼いちゃうかなーって思って……パーガウェクオを補助に使ってみたんだけど……使わない方が、よかったかな……」

「まったくです。使うなら使うと言って下さいよ。体の方は大丈夫ですか? 姫様」

「んー、まだちょっと頭がくらくらするかな……でも、こんなところでのんびりしてられないわ。カリンを追いかけなきゃ。あたしは時空移動魔法使えないから……母様のところに行こう。母様なら時空移動魔法使えるし」

 そう言って身を起こしかけたアスカの頭を見て、渡羽は違和感に気づいた。

「あれ?」

「どしたの、渡羽?」

「カチューシャの飾り……なんか色違いませんか」

 カチューシャについている丸い宝石は紅かったはずなのに、今は少し灰色っぽくなってるような。

「ああ、これ? これは内蔵されてた魔法力が減ったからね。これは法石ほうせきって言ってね、魔法力を溜める石なの」

「法石? 宝石じゃなくて?」

「そ、法石。法石は魔法力を溜めるものだから、魔法使いは全員持ってるし、必ず身につけなきゃいけないの。ないと魔法使う時困るしね」

「ああ、だからアスカはいつもこのカチューシャをつけていたんですね」

 髪を結んだ時も、寝る時も風呂に入る時も(たぶん)、カチューシャだけは外さなかった。そういう理由だったのか。

「そゆこと。あたしの法石はこのカチューシャの飾り。ちなみにティアラは髪に隠れて見えないけど、左耳につけてるピアスがそうなの」

 ティアラが耳の前に垂らしている髪をどけて左耳を見せる。確かに小さい碧色のピアスがついている。

「法石はピアスやネックレス、腕輪や首輪に加工するヒトが多いんですよー。姫様みたいに飾り玉にするのは珍しいというか、普通いないです」

「悪かったわねっ、普通じゃなくて」

 声を荒げるアスカ。同時に少し咳き込む。

「アスカ、大丈夫ですか!?」

「うー、まだちょっと回復しきってないみたいね。動けなくはないけど、ちょっとつらいかも。母様たちのところに行かなくちゃいけないっていうのに」

 ため息をつくアスカ。渡羽は何かを決心したように表情を引きしめた。

「アスカ、俺が女王様のところまでおぶっていきますよ」

「はえ?」

「歩くのはつらいんでしょう? だったらおぶっていった方が早いです」

「え、え、あ~……そうかもしんないけど……」

 すでに渡羽はその気満々のようで、アスカに背を向けて乗りやすいようにしゃがんでいる。

 こんなふうに密着するのは初めてで、アスカは気恥ずかしそうにためらっていたが、渡羽がせかすように振り返ったので、アスカはそーっと渡羽の背に乗る。

 きちんとアスカが背につかまったことを確認し、渡羽は立ち上がった。

「きゃっ」

「じゃあ、行きますよ?」

「う……うん……」

 渡羽はたたっと走り出した。アスカに負担をかけないよう少し遅めに。

 渡羽の背に揺られながら、アスカは頬を朱く染めて、頭の上から渡羽に問いかけた。

「と、渡羽。重くない? 大丈夫?」

「大丈夫ですよ。俺だって男ですし、女の子一人くらい背負えます」

(そういう意味じゃないんだけどな……)

 アスカは赤面した。まさかこれほど密着することになろうとは。しかも渡羽の方から言い出してくるなんて。うれしい半面、恥ずかしい。

 渡羽の背中は思ったより広くて、頼もしい。パーガウェクオを使わなければここまで動けなくなることはなかったから、渡羽の背中に乗ることなどなかっただろう。

 そう考えると、パーガウェクオ使ってよかったかも、と思う現金なアスカだった。


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