14th 姉妹

「……カリン!」

 空間移動魔法の出入り口である黒い穴から落ちてきた少女を見て、アスカは瞠目した。

 彼女はアスカの妹、カデリーンだ。

 外跳ねのフクシアレッドの髪にサルビアブルーの吊り目。髪は左側でサイドテールにしている。

 カリンの隣にいるのは妖精の少年で、ライトブルーのショートヘアにオリエンタルブルーの瞳。

 二人とも、どこか刺々しさのある雰囲気をまとっている。カリンはアスカの姿を認めると、目を丸くした。

「姉さん!? なんでココに! いつ戻ってきたの!?」

「さっきよ。ちょっと里帰りにね。それより!」

 アスカはびしっとカリン――いや、カリンの足元を指差した。

「さっさと渡羽の上からどきなさいよ!」

「とば?」

「うう……」

 自分の下から人の呻き声が聞こえ、カリンは足元を見下ろした。下には少年が一人。カリンは少年の上に座っていたのだ。

「うわっ、何、アンタ! なんでアタシの下なんかにいるんだよ!」

「どいてくれない? 重いんだけど」

 渡羽がかすれた声で言うと、カリンはこめかみに青筋を立てた。

「んなっ……初対面の女の子に向かって言う言葉がそれ!?」

「“女の子”ってタマかよ」

 ぼそりと少年妖精が言うと、カリンは、キッ、と少年妖精を睨み、ぴしっと指で弾いた。

「るっさいよ、クラウン!」

「いってー!」

「アンタも、いつまでアタシの下にいるつもりよ! 変態!」

「あんたが上に乗ってるからどけないんでしょ! 早く降りなさーいっ」

「分かったから、服引っ張んないでよ」

 袖を引っ張るアスカの手を振り払い、カリンはようやく渡羽の上から降りた。

「いたた……」

「渡羽さん、大丈夫ですか? はい、眼鏡です」

「あ、ありがとう、ティアラ」

 よろよろと起き上がった渡羽に、ティアラが眼鏡を渡す。

 その時、「カリン、もう少し手加減しろよな!」と抗議の声を上げかけた少年妖精――クラウンが、ティアラを見て「あー!」と叫んだ。

「ティアラ!」

 その声に、ティアラはびくっとして、怯えた顔でクラウンを見る。

「ク、クラウン……」

「アスカ姫がいるってことは、やっぱりお前もいたのか。泣き虫ティアラ!」

「わ、私は泣き虫じゃないですっ」

「ヒトの顔見てびびってんじゃねーよ! ムカつくなぁ!」

 クラウンはぐいっとティアラの髪を引っ張った。

「やああっ、髪の毛引っ張らないで下さいぃぃっ」

「ちょっと、クラウン! いくらティアラでも女の子なんだから、もう少し優しくしたらどうなの!? 女の子の髪引っ張るなんて最低よ!」

「! ……っ、アスカ姫には関係ねーだろ!」

 アスカの言葉に、クラウンは顔を朱くしてそっぽを向いた。渡羽がアスカの横で「アスカもいつも同じことをしてると思うんですが……」と呟いたが、誰の耳にも入っていなかった。

「くーっ、生意気! ティアラ返してよ!」

「ふんっ」

 クラウンが髪を放すと、ティアラは涙目でアスカのところまで飛んで行き、アスカの陰に隠れた。クラウンは不機嫌そうにちらりとティアラを見ると、すぐに顔を逸らした。

「さて、ティアラも返してもらったことだし。早くこの場から去りたいところだけど……

 その前にカリン。ちゃんと渡羽に謝ってよね!!」

 じろりと半眼で見据えてくるアスカに、カリンは腕組みをして見返す。

「謝るって何を」

「あんたねぇ! 渡羽を下敷きにしたでしょ!? その上、変態だなんて失礼なこと言って!」

「謝るのはそっちだろ!? 女の子に向かって『重い』って言ったんだぞ、ソイツ! しかも初対面で! 失礼なのはどっちなんだか!」

「渡羽は悪くないわよ! それに重いのは事実でしょー!?」

「……っ姉さん!! アンタ、どっちの味方よ!」

「渡羽に決まってるでしょ!? それに、姉に向かって『あんた』とは何よー!」 

 怒鳴るアスカに、カリンも負けじと怒鳴り返す。顔を突き合わせて睨み合う両者。

 アスカがシン以外にここまで敵意をあらわにするのを初めて見た。

 渡羽は少々面食らいながらも二人の仲裁に入る。 

「ま、まあまあ。落ち着いて下さいよ、アスカ」

「だって、渡羽!」

「いいんですよ。悪気があってやったわけじゃないでしょうから。俺も失礼なこと言ってしまいましたし」

「渡羽がよくてもあたしがよくない。ちゃんと謝って、カリン」

 しかしカリンはつーんとそっぽを向いている。

「カリン!」

 今にも噛みつきそうな勢いのアスカに、カリンはやれやれと首を横に振って、

「……わーったわよ。謝ればいいんでしょ。ちょっと、アンタ」

「渡羽よ!」

「はいはい。さっきは悪かったわね」

「いえ。俺の方こそ、すみませんでした」

 申し訳なさそうに笑って、渡羽は軽く頭を下げた。その様子にカリンは眉をひそめた。

「……アンタ、なんかさっきと雰囲気、えらい違くない? 頼りなさげっていうか……」

「あ……それは……」

「気のせいよ、気のせい! 全然同じよ!! ねっ、渡羽!?」

「あ……はい」

 説明しようとした渡羽の言葉を遮り、アスカは渡羽とカリンの間に割って入り、渡羽を振り返った。

「ふーん。まあいいか」

 たいして興味なさそうに、カリンはあっさり納得した。

 アスカはほっとした。一刻も早くこの場から去りたかった。なぜならカリンは……

「ところでさ、コイツ、誰なの? 町の奴らは城の中には入れないし、城の奴にしては見かけない顔だし」

「えっ! あ、この人はそのー」

 俄然、焦り出すアスカ。渡羽は「?」と小首を傾げている。

「……なんか、魔法力も全然感じないし」

 胡乱気に渡羽を見るカリン。アスカはますます慌て、

「だからその~……あっ、この人はね、無流ギターなの! だから魔法力感じなくて当然……」

無流ギターだとしても、法石ほうせきくらい持ってるだろ。でもそれらしいもん持ってなさそうだし……」

「うあっ? えーっと、それはそのぅ……」

「テュレーゼミアルにしては、なんか毛色が違うし……」

 カリンは渡羽を品定めするようにじろじろと見る。渡羽は少したじろいで、カリンの言葉を否定した。

「いえ、あの、俺は魔法界の住人じゃないんです」

「え?」

 もっと早く、ここから立ち去っていればよかった。

「俺は……」

「渡羽、ダメ!」

 やっぱり渡羽を魔法界に連れて来なければよかった。

「人間界から来たんです」

 だってカリンは、リーフェミアルを憎んでいるから。

「……なん、だって…?」

 カリンは大きく目を見開き、ふらりと渡羽から数歩離れた。渡羽はきょとんとしている。アスカは激しい後悔に顔をゆがませた。

「人間界から……? じゃあアンタは……まさかリーフェミアル?」

 渡羽を見つめるカリンの瞳には驚怖。そして、それがみるみる憎悪へと変貌する。

 カリンの全身から魔法力がにじみ出てくる。

「あの…町のヒトとかにも言われたんですけど、そのリーフェミアルというのは……」

「うるさい!! しゃべるな! 話しかけるな! アンタがリーフェミアルだったなんて……!」

 完全に憎悪に染まった目で、カリンは渡羽を睨み見る。

「どうりでおかしいと思ったんだ。魔法力はないわ法石もないわで…でもマーティンだって言うなら納得がいく。

 アンタがマーティンで、しかもリーフェミアルだって知ってたら近づきやしなかった。リーフェミアルなんかに触ってたなんて……気持ち悪い!」

 あからさまに汚らしいものを見るように顔をしかめるカリン。アスカはその一言に、一瞬で頭に血が上った。

「カリン!! なんてこと言うのよ!? あんたが勝手に渡羽の上に落ちてきたくせに!!

 リーフェミアルだからって、たったそれだけのことで渡羽を汚物扱いしないで!!!」

「それで充分だろ! リーフェミアルはみんな汚い! 醜い! 非道な奴らだ!!」

「リーフェミアルってだけで決めつけないで! 実際に会ったこともないくせに、勝手なこと言わないでよ!

 カリンが知ってるのは刷り込まされた歴史情報だけでしょ!?」

 カリンは顔をゆがませ、驚いて唖然としている渡羽を見て嗤った。

「それが何? でも事実だろ? リーフェミアルが遠い昔アタシらに……アタシらの先祖に何をしたのか、それは姉さんだって知ってるだろ!?」

「!」

 息を呑むアスカ。言われずとも知っている。人間界と魔法界の因縁は、魔法界に住む者なら子供でも知っていることだ。

 けれどそれは過去のことであって、現在とは関係ない。渡羽とは関係ない。渡羽がやったわけじゃない。

「リーフェミアルは勝手な言い分を振りかざして、アタシらから…」

「そんなの関係ない!!」

 ひときわ大きな声でアスカはカリンの言葉を否定した。カリンは気圧されて口をつぐむ。

「それはずっと昔のことで、渡羽自身が何かしたわけじゃない。そんなのは渡羽をひどく言う理由にならない!」

 怒りでアスカの体からも魔法力が放出される。それは渦となってその場を飲み込んでいく。

「キャッ」

「ティアラっ」

 魔法力の奔流で飛ばされそうになったティアラを、渡羽が抱き止める。

「あ、ありがとうございます、渡羽さん……」

「いえ」

 ティアラに微笑みかけ、渡羽は不安げにアスカを見やった。

(アスカ……)



 あふれ出てくるすさまじい魔法力に、カリンは身震いした。

 いつもは弱々しい魔法力のくせに、感情がたかぶるとこんなにも魔法力が強くなる。これが姉さんの実力のほんの一部……!

「……だからムカつくんだ……っ」

 ぎりっと歯を噛みしめ、カリンはアスカから距離を取った。このままここにいてもなんの意味もない。

 元々こんなところに出るつもりじゃなかった。ちょっと空間移動に失敗して、偶然ここに出ただけなのだ。

(ほんとにムカつく! これだけの力を持ってるのにうまく使えないで、それなのにみんなからちやほやされて)

 カリンはぽつりと呟いた。

「姉さんはズルい」

「え?」

 よく聞き取れず、アスカは眉をひそめる。カリンは真っ向からアスカを睨みつけた。

「いいよね、姉さんは! そんなに強い力があって! 好き勝手もできて、誰からも必要とされてさ! 

 人間界滞在だって本当は試験期間のみなのに、今も滞在を許されてる! それは姉さんだから。姉さんがそう望んだからっ! ワガママ言っても、姉さんなら許される。

 その上、リーフェミアルを魔法界に連れてくるなんて!! どうせそれもお咎めなしなんだろ!? なんでいつも姉さんばっかり! ムカつく! 姉さんも、そいつも、何もかも!!」

 錯乱したように喚くカリン。アスカは困惑した。カリンが自分を嫌っているだろうとは思っていたが、正面からはっきりと言われたのは初めてだった。

 憎んでいるリーフェミアルに会ったことで、積もり積もっていた不満や怒りを抑えきれなくなったのだろう。

「リーフェミアルなんか嫌いだ…みんな嫌いだ……っ。みんないなくなればいいんだ!」

 そしてその思いが強いため、リーフェミアルに対する憎しみと、アスカに対する不満を混同してしまっている。そのことにカリンは気づいていない。

「カリン! 落ち着いて!」

「うるさいっ! 姉さんがなんと言おうとリーフェミアルなんか嫌いだ! 大っ嫌いだ! リーフェミアルなんて……っ」

 弾かれたようにカリンは言葉を切った。そうだ。リーフェミアルなんていなければいいんだ。リーフェミアルのいる世界なんていらない。

「――メチャクチャにしてやる」

 今までの興奮した様子から一転して、カリンは静かに、怖いほど静かに半眼で言葉を紡ぐ。アスカはカリンの意図に気づいて目を瞠った。

「リーフェミアルのいる世界を、人間界をメチャクチャにしてやる…っ」

「やめなさい! それに、そんなことできるわけないでしょ!? あんたはまだ時空移動魔法を使えないんだから!」

 止めようとするアスカの言葉に、カリンはにやりと笑った。ズボンのポケットを探り、アスカの前に、ある物を突き出した。

 それを見たアスカは顔色を変えた。

「! それは……っ、時空廻廊の鍵ファイディーラプレッシモギオ!? どうしてあんたがそれを……っ」

 カリンが手にしているのは、全体に細かい文字が彫り込まれた、長い銀色の鍵だった。それは時空廻廊じくうかいろうへと続く扉を開けられる魔宝具ロゼアス

 時空廻廊――時空と時空を繋いでいる時空神の神殿ジルティリードゾルディーに続く廻廊のことだ。

 本来、この時空神の神殿ジルティリードゾルディーには入ることができないが、神やそれと同等の者、もしくは神クラスの力を持つ者や選ばれし者などは入ることができる。

 時空を渡る際は、この時空神の神殿ジルティリードゾルディーを経由しなければ、別時空に渡ることはできない。ただし、時空移動魔法を使った場合は時空神の神殿ジルティリードゾルディーを経由せず、別時空に跳ぶことができる。

 時空移動魔法が使えない者は、この時空廻廊の鍵ファイディーラプレッシモギオを使って、一度時空神の神殿ジルティリードゾルディーを経由することで別時空に渡ることができるのだ。

 だが、別時空に渡ることは一般国民には禁じられている。時空移動を許されているのは、王家と王族のみ。

 そしてこの魔宝具ロゼアス時空廻廊の鍵ファイディーラプレッシモギオは、王城の主――マジカリアの場合は女王――と主が許可した者しか入れない禁断の間に保管され、よほどの事情がない限り、たとえ王家・王族でも主の許可なしに持ち出すことは禁じられている。

 それをカリンが持っているということは……

「……まさか……っ、禁断の間から盗み出してきたの……!?」

 カリンはくすくすと笑い、「そうだよ」と悪びれなく言った。

「だってこれがないと時空渡れないし。母さんに言っても貸してくれないだろうからさ、勝手に持ってくるしかないだろ?」

「なんてことを! それは重罪よ!? 返しなさい! 今ならまだ減刑してもらえるかもしれないわ!」

「やだね。もう決めたんだ」

 そう言ってカリンは時空廻廊の鍵ファイディーラプレッシモギオを宙に放り上げた。

「ファイディーラ=ノウル=ジェイシーエルク」

 解呪の呪文を唱えると、カリンの後ろに銀色の扉が現れ、ゆっくりと開いた。カリンはその扉へと歩き出す。

「やめなさい、カリン!」

 制止するアスカの声に、カリンは振り返りざまいくつかの植物の種を放った。

 深緑色の種はアスカたちの足元に落ちるとものすごい速さで成長し、巨大な蔓となってアスカたちを絡め取った。

「!」

「うわっ!」

「キャーッ」

 巨大な蔓の森に絡め取られ、アスカたちは身動きができない。カリンは三人を半眼で上目遣いに見、くす、と嗤った。


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