13th 家族

 アスカたちは静かに玉座まで続くじゅうたんの上を歩いて行った。五段ほどの階段があり、その上に玉座がある。

 階段の数歩手前で立ち止まり、アスカは玉座の二人を見上げて微笑んだ。

「ただいま。父様、母様」

 父親に対しては今さらだと思ったが、たぶん言わないと拗ねるだろう。

 国王はアスカと、明らかに緊張している渡羽を見て、口の端に笑みを浮かべた。

「お帰り、アスカ」

 女王は黙したまま笑みも浮かべず、じっとアスカを見る。そして渡羽を。

 微かに感じる魔法力。それは少し魔法界のモノとは異質だ。

 似ているけれど違う。だが根本は同じだ。我が娘はなんとも風変わりな子を好きになったこと。

 ふっ、と女王の表情が和らいだ。

「お帰りなさい、アスフェリカ」

 アスカは満面の笑みを浮かべる。

「元気そうね。それとティアラ」

「はっ、はい!」

 呼ばれて、ティアラは背筋を伸ばした。

「これまでよくこの子の面倒を見てくれたわね。大変だったでしょう」

「い、いえ、そんな! 確かに姫様のお世話をするのは大変ですが、私が好きでやっていることですから!」

「ふふ。では今後もよろしくお願いするわ」

「はい!」

 笑顔で答えるティアラ。アスカが少し物言いたげに眉をひそめている。

「そちらがアスフェリカの主人あるじね」

 女王はカチコチに固まっている渡羽を見やる。渡羽はびくーっとさらに緊張した。

「ようこそ、我がマジカリア国へ。イリアタルテ・グランジェ・ウィル=マジカリアよ。あなたを歓迎します」

 渡羽は目を瞬かせ、次いで肩の力が抜けた。

 町のヒトたちが、自分にあまり良い感情を持っていないようだったので、国の長たる女王様もそうだったらどうしようと思っていたのだ。

 けれど、女王様は歓迎すると言ってくれた。ほっとした。

「はじめまして、渡羽飛鳥です」

「名前だと、呼び方は違うけれどアスフェリカとややこしいわね。渡羽と呼ばせてもらうわ」

「はい」

 あ、アスカと同じことを言ってる。渡羽は昔にアスカが同じことを言っていたことを思い出した。

 以前、国王様がアスカは母さんに似てきたと言っていたが、確かによく似ている。

 少し女王様の方がきつい顔つきだが、アスカが大人になったらきっとこんなふうになるのだろう。

「人間界は楽しいかしら?」

 再びアスカに顔を向けて、女王は問いかけた。

「うん。魔法界では見たことないものとか、人間界でしか通じないこととかあって、毎日楽しいよ。あのね、あたし、人間界の文字を覚えたの! それから友達もできたのよ!」

「そうなの。ところで、アスフェリカ?」

 女王はにっこりと満面の笑みで、

「修行の方はどうなっているのかしら」

 びしっ。

 アスカの笑顔が固まる。ティアラも渡羽も国王も、気まずい顔になった。あくまで女王は笑みをたたえたままだ。

試験あれから随分と経っているのだもの。魔導士ボミガとまではいかなくても、魔法師イオクイノにはなっているわよね。というよりも、それくらいなっていて当然よね?」

 笑顔が怖い。アスカがだらだらと脂汗をかき始めた。

「真面目に修行をしていたのなら、いくらあなたでも魔法師イオクイノにはなっているはずだわ。まさか」

 女王のやけに静かでゆっくりな言葉に、ドキッと心臓が跳ねる。

「まだ魔法士ノエウィだなんて…まさか言わないわよね?」

 まさかと二回言った。アスカは長い沈黙の後、小さい声で「ゴメンナサイ」と謝った。女王はすうっと目を半眼に開いた。

「――そう。まだなのね」

「……いえ、その……ゴメンナサイ」

「アスフェリカ」

 びくんっ、とアスカの肩が跳ねる。空気が冷たい。

 自分のことではないのに、まるで自分が責められているような気がして、渡羽もティアラも固唾を呑んで見守っていた。

「あなたは自分の立場というものがまだ解っていないの? 

 あなたはこの国の第一王女であり、女王候補のひとり。いずれはこの国を背負うことになるかもしれないあなたが、魔法士ノエウィのままでどうするというの!

 所詮、魔法士ノエウィなど、魔法使いジルコーディンが与えられる四称号の中で最下位なのよ!?

 それに称号は一般国民ならともかく、王家や王族の者は協会に申請せずとも勝手に与えられるもの。

 称号を持っているからといってのんきに構えている場合ではないのよ!? 人間界に残らせたのは遊び呆けさせるためではないわ!」

 厳しい言葉に、アスカはしゅんとうなだれた。覚悟はしていたが、やはりいざその言葉を突きつけられると落ち込む。

 事実なだけに、フォローすることもできない渡羽とティアラ。

「あの…でもね、母様。少しはちゃんと修行してたのよ。これは本当。ただ…」

「ただ?」

 アスカはちらっと上目遣いで国王を見た。

「シンが時々、っていうか、しょっちゅう邪魔に来るもんだからやる気が失せて…」

 ぎくっと国王の顔が引きつる。女王は「ほぉぉぉう?」とゆっくり、国王に顔を向ける。

 国王は慌てて顔を逸らした。ジト目で国王を睨みつける女王。 

「しょっちゅう姿が見えなくなると思っていたら、やっぱりアスフェリカのところに行っていたのね、シーウォルド」

「あ、いや……その……」

「しかも“シン”ということは、また若い姿に変身していたわけね。わざわざ」

「いやぁ…それは、そっちの方がアスカも見慣れていると……」

「バカを言うのではないわよ。そのままの姿の方が見慣れているに決まっているでしょう。十六年間見ているのだから」

「…………」

「シーウォルド」

 今度は国王の方がだらだらと脂汗をかき始めた。女王の怒りの矛先は、完全にアスカから国王へと移っている。

 渡羽は邪魔にならないように、こっそりとアスカに問いかけた。

「アスカ、“シーウォルド”というのは?」

「え? ああ、渡羽は知らないんだっけ。シーウォルドは父様の名前よ」

「…シンじゃなかったんですか」

「そーなのよね。たぶん“シン”は偽名だったんじゃない? あたしに正体バレないための」

 それで合点がいった。なぜ、アスカが今まで、シンが父親だと気づかなかったのか。

 姿が違うということもあっただろうが、名前も違ったのだ。なら気づくわけがない。

「私は言ったわよね? アスフェリカの人間界滞在を許可した時に」

「………………」

「アスフェリカの修行の邪魔はしないこと。周りをうろちょろするな、と」

 冷たい空気が流れてくる。夏なのに涼しい。いや、寒い。

 アスカもティアラも平然としているが、渡羽はこういった雰囲気に慣れていないので、かなり居心地が悪い。

「いや、しかしだな、イリア。父として、我が子の成長ぶりをこの目で見たいと……」

「そんなもの、魔法で水晶でも鏡でも使えば見れるでしょう」

「やはり直に近くで見たく」

「ならないわよ。」

「……………………」

 淡々とした切り返しに、国王はもはや言葉もない。ひたすら顔を逸らし、どうにかこの場を切り抜ける方法を考える。

 そろそろかと思ったアスカは、小さく防御魔法の呪文を唱える。

「まったく、何度言えば分かるのかしら?」

 女王の手元に魔法力が凝縮されていく。国王がはっと気づいたが遅かった。全身から怒りのオーラを迸らせた女王は怒り満面で、

「いい加減にしなさい!! この粘着質男ぉ―――――――っ!!!」

 国王に爆発魔法を叩き込んだ。

 爆発の余波がこちらにも来たが、アスカの防御魔法のおかげで事なきを得た。

 しかし、国王は直撃だったため、黒焦げになって玉座から崩れ落ちた。

「こここ国王様ぁ!? アアアスカッ、こ、国王様が!」

「心配ないわよ、渡羽。母様ちゃんと手加減してあるもの」

「あれで!?」 

 黒コゲなんですけど! 

「母様が本気出してたら跡形も残らないわよ。それに、あたし程度の防御魔法で防げるわけないじゃない」

「うう。でも大丈夫なんですか? あれ…」

「大丈夫よ、父様だもの。こんなのあの二人の間じゃ日常茶飯事だし」

 あっけらかんと笑って言うアスカ。こんなことが日常茶飯事だなんて……よく国王様生きてますね……、と、渡羽は別の意味で感心した。

 女王は玉座から立ち上がると、ぷすぷすと煙が出ている国王の体を見下ろした。

「あんたは昔からそう! 何度、来るな顔見せるな近寄るな消えろと言っても、しつこくつきまとってくるし、うるさいし、人の話は全然きかないし!」

 国王相手だとつい昔の口調に戻ってしまう。怒鳴り散らす女王の前で、国王はよろよろと起き上がった。

「それはお前に少しでも…」

「あんたがそばにいると腹が立って集中できなくなるのよ! だからただでさえ集中力のないアスフェリカの周りをうろつくなって言ったのよ。魔法修行の妨げになるから!」

 ずずいっと女王は国王に近づく。国王は起き上がると、玉座にもたれかかって、女王を見上げた。

「なのに、アスフェリカに悪い虫がついたら困るとか言って、わざっわざ、若い姿に変身してアスフェリカに近づく男たちをことごとく追っ払って! 

 でも、それだけなら許してあげなくもないわよ。私だってアスフェリカに悪い虫がついてほしくないもの」

「な、なら……」

「だからと言って、あんた自身がアスフェリカに言い寄るのを黙って見過ごすわけにはいかないのよ!! どうして言い寄る必要があるっていうの!?」

 女王の大喝は止まらない。すっかり蚊帳の外になったアスカたちは、とりあえず事が収まるのを待つしかない。

「アスカ、あの二人って仲悪いんですか?」

「ううん、悪くはないわよ。ただ、父様があれだから、母様が一方的に怒るっていうか」

「やはり、シン様は国王様なんですねぇ。思い返してみると、姫様とシン様のやり取りにそっくりです」

「そうなんですか? そういえば、アスカとシンさんが二人で話しているところって、見たことありませんでしたけど……」

 その時だった。

「わしはアスカも愛しているが、お前のことも愛してるぞ!」

「ああそう! 私は昔からあんたのことなんか大嫌いよ! あんたは私の好みの対極に位置してるんだから!!」

 ……ものすごーく覚えのある言葉だった。アスカとティアラは顔を見合わせた。

「……あたし、前に同じこと言ったわよね」

「ええ。確かに仰ってましたね、シン様に」

「自覚なかったけど、あたしと母様って似てるんだ……」

 まさかここまで似ているとは。アスカとティアラは乾いた笑みを浮かべた。

「このっ……しつこいのよっ!!」

 再び爆発が起きる。そして今度こそ国王は沈黙した。動かなくなった国王を鼻であしらい、女王はようやくアスカたちに向き直った。

「さて、少しはすっきりしたわ。アスフェリカ、この粘着質男が邪魔をしていたことは分かったけれど、それを差し引いてもあなたがいまだ魔法士ノエウィなのは、あなた自身の問題でしょう?」

 話が戻り、アスカは悄然とする。女王は玉座に座り直すと、ひじ掛けにひじを立てて頬杖をついた。

「まあ、全く修行していなかったわけではないようね。少しではあるけれど、魔法力が上昇しているようだもの。

 だから今は咎めないわ。せっかくの里帰りでもあるのだし」 

 アスカはパッと顔を輝かせた。

「ただし、今後きちんと修行をすること。そのための人間界滞在なのだから。いいわね?」

「うん! ごめんね。ありがとう母様!」

「ゆっくり休みなさい。あなたの部屋はそのままにしてあるわ。渡羽の部屋もすぐに用意させます」

「はい。ありがとうございますっ」

 恐縮して思い切り頭を下げる渡羽。ティアラもぺこりと一礼し、三人は謁見間を出て行った。

 三人がいなくなって、イリアタルテはふう、とため息をついた。

 どれだけ時間が経ってもあの子は変わらない。いつまでも天衣無縫で、だからこそ。

「あの子は渡羽に惹かれたのね」

 自分を飾ることなく、ありのままでいられるアスフェリカだからこそ、ありのままの渡羽を好きになった。……過去がどうあれ。

「マーティンである渡羽を」

「そうだよ。あの子は渡羽殿を見つけ、選んだ」

 復活したシーウォルドがイリアタルテの横に立つ。

 イリアタルテはシーウォルドを見もせず、不機嫌そうに「相変わらず復活早いわね」と小さく舌打ちした。

「たとえ相手がマーティンであっても、あの子は受け入れた。叶わぬ恋であっても、渡羽殿のそばにいたいと言ったんだ」

 シーウォルドは目を閉じた。夢の中で、自分はアスフェリカに言った。

『人間の願いを三つ叶えれば、あなたは女王になる資格を得る。

 そうなればマジカリアに帰り、女王として生きる。二度と人間界には降りられなくなる。

 人間の男に恋をしたって、叶わぬ恋ですよ。あきらめるべきです』

 試験が終われば、待っているのはどちらにしろ別れ。だからまだ傷が浅いうちにと思った。

 けれど、アスフェリカは答えたのだ。

『……分かってるわよ、そんなこと。でも……仕方ないじゃない! 好きになっちゃったんだもん!

 渡羽とずっと一緒にいたいの! 渡羽と離れるなんて……渡羽に逢えなくなるなんて……

 そんなの……そんなの絶対にイヤ!!』

 その時分かった。アスフェリカの渡羽殿への想いは、断ち切れないと。もう選んでしまったのだと。

「だからな、イリア。わしは渡羽殿を認めた。アスカの心をつかんだ彼なら、任せられると思ったのだ」

「確かに、渡羽なら問題なさそうだわ。魔法力もあるし、順応性ありそうだもの。

 けれどね、シーウォルド。渡羽はマーティンなのよ。そしてあの子は…アスフェリカは――女王候補なのよ」

 頬杖をつき、窓の外を見やったまま、イリアタルテは低い声で言った。

 その声にはやるせなさが含まれている。シーウォルドも表情を曇らせた。

 いつかは女王となる身。必ず別れは来る。

「パーガウェクオが選んだ、このテュレーゼの柱……それが、女王なのよ。人間界に留まるのは、許されないこと」

「今アスカが人間界に留まっていられるのは、あくまで女王候補だからだ。候補でいる限りは渡羽殿のそばにいられる」

「けれど、パーガウェクオが最後の決定を下せば……」

 あの二人は別れなければいけない。

 どうして、あの子だったのか。イリアタルテは頬杖をついた手で目元を覆った。

「なぜパーガウェクオはあの子を選んだのかしら。

 どうしてあの子が好きになったのが、マーティンだったのかしら。アスフェリカには……幸せになってもらいたいのに」

 はがゆくてしかたがない。どうしようもないことだから、悔しくて、やるせない。

「ねえ、シーウォルド。私はどうすればいいの?」

「イリア……」 

「私は……」

「イリア」

 ぽん、とイリアタルテの肩に手を置き、シーウォルドは微笑んだ。

「こっちを向いてごらん」

 珍しく素直に、イリアタルテはシーウォルドに顔を向けた。

 ぷに。

 顔を向けた瞬間に、肩に置かれたシーウォルドの右手の人差し指が、イリアタルテの頬に刺さる。よくある子供だましだ。

 イリアタルテは顔を引きつらせながら、シーウォルドの胸倉をつかんで凄む。

「何? あんた私を怒らせたいの? 黒焦げにされたいの? だったら望み通りにしてやるわよアンポンタン!!」

「いやいやいやいや」

 シーウォルドは冷や汗をかいた。イリアなら本当にやる。シーウォルドはそっとイリアタルテの手をほどき、

「二人きりの時は愛称で呼んでくれと言っているだろう?」

 微笑むシーウォルド。イリアタルテはぐっと言葉に詰まり、乱暴にシーウォルドの手を振り払った。くるっとシーウォルドに背を向け、

「…………………………シード」

 聞こえるか否かというほどの小さい声で呼んだ。シーウォルドはうれしそうに笑った。

「イリア」

「な、何よ」

「お前のしたいようにするといい。お前がどんな決断をしようとも、わしはどこまでもついて行くぞ」

「………私はあんたのそういうところが嫌いなのよ」

 そう言うことを平気で言ってしまうところが。

 でも、そんな直球な言葉に救われていることも確かで、本当はいつもお礼を言いたいけれど、なんとなくムカつくし気恥ずかしいから、今回もイリアタルテは何も言わなかった。



 謁見間を出たアスカたちが、たわいない話をしながら長い柱廊を歩いていると、アスカたちの頭上に、ぽっかりと黒い穴が開いた。

 魔法力を感じ、アスカが気づいて顔を上げるのと、その黒い穴から何かが落ちてきたのは同時だった。

「どうかしたんですか? アスカ……わっ」

「渡羽!」

 穴からの落下物の下敷きになる渡羽。拍子に眼鏡が落ちてしまった。あれ? こんなことが前にもあったような……? 

「く~っ、また変なところに出たもんだなぁ」

 落下物はむくりと身を起こし、呆れ気味に息をついた。落ちてきたのは人だった。それも女の子。傍らには小さな少年の妖精がいる。

 その少女を見て、アスカは瞠目した。

「……カリン!」


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