12th 魔法界

「それではそのように取り計らないなさい」

「はっ」

 片膝を立てて跪いていた臣下の男は、立ち上がると玉座のあるじに一礼し、謁見間を後にした。

 足音が遠ざかると、玉座に座っている中年の女性は、ふうと息をついた。

「これで少しは楽になるかしら。それにしても、外は相変わらず暑そうだこと」

 大きな窓ガラスから外を見やり、女性はため息をついた。その時、覚えのある魔法力の気配を感じ取った。

「これは……」

 遠い。町の外だ。なぜわざわざ。でも。女性は口元をゆるめた。

「帰ってきたのね」

 それも、珍しいものを連れて。

 隣の空いた玉座を見やり、もう一度外を見た。魔法力の気配がする方向を。

「楽しみだわ」

 帰ってきたのなら、当然ここに来るだろう。例の少年も一緒に。会えるのが楽しみだ。



 何気なく空を見上げていた渡羽は違和感を感じた。明らかに何か違う。空の色ではなく、何かが足りない……

「……! 太陽が……」

「ん、どうしたの、渡羽?」

「あの、空に太陽が…………ないんですけれど」

 そう。ないのだ。この空には太陽が無い。人間界なら在って当然の太陽が。

 呆然としている渡羽に、アスカはきょとんとしてさも当然のように言った。

「そうよ。魔法界には『太陽』はないの」

「えええええっ!?」

 愕然とする渡羽。そんなあっさり。しかし、太陽がないならいろいろと問題があるのではないか?

 それに、太陽がないというならこの明るさと暑さはなんだ。

「で、でもこんなに明るいですし、暑いじゃないですか!」

「? 明るいのは空が光ってるからよ。暑いのも空が発熱してるからで」

「えええええっ!!? そういう仕組みなんですかぁぁぁっ!?」

 魔法界と人間界では環境がかなり違うようだ。こちらの常識は通じない。カルチャーショックだ。アスカが人間界に来た時もこんな感じだったのだろうか。

「……こ、こんなに違うなんて……じゃあ人間界に来た時、アスカは戸惑ったでしょう」

「あー、うん。少しはね。でも、人間界のことは昔教わったから、大体のことは知ってたし、本当にこうなんだなーってぐらい。

 一般の子供はね、学院で基本的なことだけ、人間界のことを習うんだって。あたしは学院じゃなくて王城専属教師に教わったんだけど」

「そうなんですか……本当に魔法界と人間界は全然違いますね」

「おもしろいでしょ? だから、あたしずーっと人間界に行ってみたかったの。あ、もうすぐ町の入り口よ。早く行こっ」

 すぐそこに見える町の入り口を示す門に向かって駆け出すアスカ。その隣をブロッサムがぴょこんぴょこんと併走(?)している。

「もう、姫様ったらはしゃぎすぎですよ」

 渡羽の頭上で苦笑するティアラ。アスカの気持ちは分かるので、本人に言うことはないが。渡羽もつられるように微苦笑し、ティアラを見上げた。

「俺たちも行きましょうか」

 道の先でアスカが「二人とも、はーやーくー!」と手を振っていることだし。ティアラは「そうですね」と笑みを返した。 


 

 町に入ると、渡羽はさらに驚く光景を目にした。

 ビルではないが、建物のほとんどが四角い。石造りのようだ。ところどころに円筒形の建物があるが、総じて屋根は屋上になっている。

 道には露店が軒を並べ、大変賑わっている。しかし渡羽が驚いているのはそこではなく、町を歩いている人々だ。

 普通に人が歩いている。だが、その中に混じって兎やら狸やらカラスやら、動物や鳥が、二足歩行して服を着てしゃべっているのだ。

 そして誰もが、下に着ている服は違えど、渡羽と同じデザインのマントをつけている。

 これはマジカリア国民の制服のようなものなので当然だろうが、獣や鳥が立って歩いてしゃべっているのは、かなり違和感がある。信じられない。本当にファンタジーだ。

 呆気にとられている渡羽の前を歩きながら、アスカが説明してくれている。

「魔法界にはね、あたしたちアドムスとティアラたち妖精以外に、獣人と鳥人が住んでるの。あ、アドムスっていうのは人族のこと。

 魔法界の言葉で、妖精はミノル、獣人はゼオレスクーティン、鳥人はルフォーティンって言うのよ。

 獣人ゼオレスクーティン鳥人ルフォーティンは見ての通り、獣や鳥のような姿をしたヒトたちなの」 

「はぁ……」

「主に町で暮らしているのはアドムスと獣人ゼオレスクーティン鳥人ルフォーティンね。

 妖精ミノルは種族によっては町にもいるけど、ほとんどがその体質に適した場所で暮らしてるわ。

 たとえば土族は地下に住んでてね、雲族は雲の中に住んでるの。あ、ティアラは花族よ」

「はぁ……」

 話を聞いても、非現実的だ。本当にここは自分の住んでいた世界とは別世界。

 空は黄色くて、太陽は無くて、魔法使いが空を飛んでいて、ほうきが生きていて、獣や鳥が立ってしゃべって、妖精がいて……

(ここが、アスカの住んでいた世界)

 そう思うと不思議だ。来ることはないと思っていたアスカの故郷。知ることはないと思っていたのに、なんだか懐かしくて。

 ふう、と息をつく。そしてふと、渡羽は視線を感じた。周囲のヒトが自分を見ている気がする。

 ちらりと目をやると、渡羽を見ながらひそひそ話をしているヒトたちがたまに目につく。

「ねぇ、あれ…もしかしてマーティンじゃない?」

「マーティン?」

「リーフェミアルだったりするんじゃないか?」

「え、まさか……」

「どうしてテュレーゼにリーフェミアルが……」

「あれがマーティン……」

 雑踏の合間に、時々聞こえる“マーティン”“リーフェミアル”というのはなんだろう? 自分のことを指しているようだが。

「?」

 怪訝そうに渡羽は小首を傾げた。そこへ横合いから、十歳くらいの女の子と五歳くらいの男の子が駆け寄ってきた。

「あっ、アスカ姫さまー!」

「姫さまだぁ」

「え? あ、フィルオーラ、ジェネル」

 駆け寄ってきた少女たちを抱き止め、アスカは破顔した。

「久し振りー、二人とも。元気にしてた?」

「うん! 姫さま帰ってきたんだね」

「さみしかったー」

 少女たちはぎゅうっとアスカに抱きつく。アスカは二人の頭を撫でて「ただいま」と言った。二人は顔を上げてにぱっと満面の笑みを浮かべた。

 二人をきっかけに、わらわらとアスカの周りに人が集まってきた。獣人や鳥人もいる。

「姫様」

「おかえりなさい、アスカ王女」

「修行は終わったんですか?」

「アスカ様が帰ってきてくれてうれしいですよ!」

 あっという間にヒトだかりができる。アスカはその中心で、周りのヒトたちに笑顔を振りまいている。

 こうして見ると、やっぱりここはアスカの故郷なんだなと実感する。ここにはアスカを知るヒトがたくさんいるのだ。

「あの……ところで、アスカさま。……あちらの方は……?」

 群衆の中のひとりが、少し離れたところで所在なさげにしている渡羽を目で指した。その言葉に、他のヒトたちも渡羽を一斉に見る。

 突然注目され、渡羽はどぎまぎする。

                                                                    

「ああ、あの人はあたしの主人あるじよ。渡羽って言うの」

 笑顔でアスカが答えると、群衆がざわめき出した。

主人あるじ…ということは、マーティン?」

「やっぱりマーティン……」

「もしかしてリーフェミアルなの?」

「テュレーゼにマーティンが……」

 好奇の目を向ける者、目を輝かせる者。だが中には、明らかに気分を害したような者もいる。

 胡乱な目で渡羽を見ている。ヒトビトの視線が痛い。居心地悪そうに渡羽が身じろぐ。

 アスカはキッ、と表情を険しくすると、人だかりをかき分けて、渡羽の前に立った。渡羽を背にして、群衆たちを見据える。


「みんな! 珍しいのは分かるけど、そんなにじろじろ見ないで! 渡羽は注目とかされるの苦手なんだから。

 ……それに、確かに渡羽はリーフェミアルだけど……渡羽自身は何も悪くないわ」

「……?」

 渡羽は目を瞬かせた。アスカの言うことがいまいちよく分からない。『悪くない』というのは?

「もう行こう、渡羽。母様はもうあたしが帰ってきてること知ってるだろうし、早く会いたいもん」

 渡羽の手を握り、アスカは俯き加減で歩き出す。ティアラがおろおろと、ブロッサムが分かっているんだか分かっていないんだか、ひょこひょことついてくる。

 群衆はアスカたちに道を開け、唖然と見送った。しばらく歩いて行って、アスカはぽつりと言った。

「ごめんね。イヤな思いさせちゃった」

「え? あ、いえ、そんな。俺は別に……」

 アスカは渡羽を振り返らず、歩いたまま続ける。

「みんな珍しいのよ、人間界の住人が。人間界に一般人は行けないから」

「そ、そうなんですか」

「そう。だから初めて見る本物に興味津々なの」

 くるっとアスカは肩越しに振り返り、微笑んだ。

「それだけだから気にしなくていいよ!」

 なんだか不自然だった。心からの笑みではなく、作り笑いな気がして。渡羽はただ「…はい」と答えるしかできなかった。

 それ以上踏み込んではいけないと、何かが警告している。訊きたいことがあったけれど、渡羽は思いとどまった。

 マーティンやリーフェミアルとはなんなのか。『悪くない』とはどういう意味なのか。

 渡羽の心に、小さなわだかまりができ始めていた。



 賑わっていた大通りを抜けると、比較的落ち着いた通りに出た。その通りを進んで行くと、丘の上からも見えた城の門が見えた。近くで見るとさらに大きく見える。

「大きいですねー……」

「渡羽の家は小さかったもんね。あれの何十倍もあるわよ」

「……久し振りに正直な感想を言われましたね」

 確かにこれに比べれば小さい。小さいが…アスカは本当に正直だ。でも、アスカらしい。

 ティアラがすいっと飛んできて、アスカの肩に座る。

 なぜかさっきからブロッサムが渡羽に寄り添い、時々柄の部分――人間で言うなら上半身だろう――を軽くこすりつけてくる。

 それを見たアスカが「渡羽なつかれちゃったね」と笑っていた。ほうきに懐かれるなんて複雑な気分だ。

「ここがあたしの生まれ育った家。懐かしいなー。半年振りなのよね」

 アスカは目の上に手をかざして城を見上げた。自分は帰ってきたんだな。

「あーっ、早く母様に会いたい! 元気かなぁ」

 るんるんとアスカは軽い足取りで門に向かう。すり寄るブロッサムに少し辟易しながら、渡羽も後に続く。

 門に近づいてきた人影に、ふたりの番兵が気づいた。片方は人だが、片方は熊だった。アスカだということを認めると、顔を綻ばせた。

「アスカ王女! お戻りになられたのですか?」

「うん。と言っても里帰りだけど。見張りご苦労様」

 アスカが労いの言葉をかけると、人の方の青年番兵は照れ笑いを浮かべた。王女に直接労っていただけるとは。

 熊の番兵がそんな同僚を見て、笑みを深くする。

「いつお戻りになるかと、皆心待ちにしていましたよ。姫様の笑顔が見れなくて寂しく思っていました」

「えへへ、ありがとう」

「失礼ですが、そちらの方は?」

「ん。あたしの主人あるじ。ちょっと里帰りにつき合わせちゃってるの」

「この方が王女の主人あるじ様……。この方のために、アスカ王女は人間界で修行を続けていらっしゃったんですよね?」

「うん。現在進行形でね」

「はー、本物のマーティンなんですよね。初めて見ました。すごいなぁ!」

 興味深げに青年番兵は渡羽を見つめる。アスカは「はいはい、そこまで」とその視線を遮るように、番兵の顔の前にさっと手を出した。

「あたしたちは母様のところにあいさつに行かないといけないんだから」

「あっ、そうですよね。申し訳ございません、お引き留めしてしまって。つい嬉しくて」

 青年番兵はびしっと姿勢を正した。熊の番兵が微苦笑し、門を押し開ける。さすがは熊。巨大な門なのにひとりで開けてしまった。

「さあどうぞ、皆様方」

「ありがとう!」

 ふたりの番兵に手を振り、アスカたちは門をくぐった。番兵たちは一礼してアスカたちを見送る。

「やっぱりあの笑顔を見ると元気出るよなー」

「そうだな」

「でも、大丈夫かね」

「ん? 何がだ」

 青年番兵は少し物憂げな表情で、

「王女の主人あるじ様、マーティンていうかリーフェミアルだろ? …カデリーン様はリーフェミアルがお嫌いだから……」

 同僚の言いたいことは分かる。城に入ればカデリーン様と遇うこともあるだろう。カデリーン様はリーフェミアルを心底嫌っている。

 その時、カデリーン様はあの主人あるじ様に何をするか…

 熊の番兵は思案顔で、アスカたちが歩いて行った方向を見やった。何事もなければいいが……



「ぃよーしっ、そこまで! ちっとばかし休憩だ」

 長時間の訓練で汗だくになっている部下たちに休憩を言い渡し、鎧を着た虎の獣人は、自分の槍を肩に乗せ、水でも飲みに行こうとその場を離れた。

 歩いていると、見覚えのある後ろ姿が見え、虎人こじんは声をかけた。

「おっ。アスフェリカ王女じゃねーか!」

 振り返ったアスカは虎人に気づくと、駆け寄ってきた。

「ウロブレイム将軍!」

「おーおー、相変わらず元気だな。人間界で修行してるって聞いたが、なんだ、音をあげて帰ってきたのか?」

 虎人はにかっと笑って、アスカを見下ろした。

「違うわよ! 里帰り」

「そうかい。オレはてっきり、修行が嫌んなって故郷くにが恋しくなったのかと思ったぜ」

「……それは、少しある、けど」 

 わずかにばつの悪い顔で、アスカは小声でぼそぼそと言った。虎人はぶはっと吹き出し、ゲラゲラと笑った。 

「もーっ、笑わないでよ、将軍!」

「はっは……いや、だってよ……くくっ……ぶわっはっはっは!!」

「笑い過ぎ!!」

 腹を抱えて笑う虎人に、アスカはむくれる。そこで立ち尽くしている渡羽が視界に入り、慌てて彼を紹介する。

「あっ、このヒトはウロブレイム将軍って言ってね、小さい頃、遊んでもらったことがあるの。で、将軍この人は……っていつまで笑ってるのよぉ!」

 まだプルプルと肩を震わせているウロブレイムの背中を、バシッと叩くアスカ。そこまで笑うことないじゃない。

 一方、渡羽は将軍を見て目を丸くしていた。

 虎だ。鎧を着た虎がしゃべっている。まるで人間のように表情豊かで、声だけ聞いていれば人間と変わらないだろう。

 ようやく笑いが収まってきたウロブレイムは、涙目でアスカたちに向き直った。

「はー、いやぁ、悪い。ホント、王女は正直もんでカワイイな」

「何言ってるんですか、もう。将軍、この人はあたしの主人あるじの渡羽で、今回、一緒に来てもらったんです」

「ほぉう、ってぇことはマーティンか。珍しいもん見たな。オレはウロブレイムだ。マジカリア近衛軍の将軍をやっている。よろしくな、坊主」

「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げる渡羽を見て、ウロブレイムは腕組みをし、感心したように何度か頷いた。

「おーおー。礼儀正しいじゃねぇの。オレの若い頃に見せてやりたいぜ」

 豪快に笑うウロブレイム。なんだか少しバルカンに似ている気がする。

 渡羽はちょっと不機嫌な顔になった。こんなところに来てまでバルカンのことを思い出すなんて。

 それから少しウロブレイムと話して、アスカたちは別れた。だいぶ時間を食ってしまった。

 大きな扉を通って中に入ると、またもやアスカに気づいたヒトたちが集まってきた。

 どこに行ってもアスカは目立つ。というか人気者だ。アスカの明るさは人を惹きつけるのだろう。自分も含めて。

 柱廊を渡り、アスカたちは一つの部屋の前まで来た。ここは女王の謁見間だそうだ。

 とうとうアスカの母親――マジカリアの女王様との対面だ。渡羽は緊張した。

 アスカが扉に手を触れると、りぃーん、と甲高い澄んだ音がして、扉が開いていく。今のも魔法だろうか。

 謁見間はまるでホールのように広く、何もない。玉座まで細長く赤いじゅうたんが敷かれているだけた。

 シャンデリアはあるが、天井まで続くいくつもの大きな窓ガラスが、空の光を取り込んでいるのでとても明るい。昼間はシャンデリアは必要なさそうだ。

 そして奥の玉座。そこに座っている中年の女性。隣の玉座には国王の姿に戻ったシンが座っている。

 その女性はまっすぐに、ひんやりとした目でアスカたちを見つめていた。


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