9th 年越し

 師走しわすの終わり。この日、渡羽家では大掃除を行うことになった。

 冷たい水を張ったバケツと、その中に沈む雑巾。窓拭き用のスプレーと布。掃除機にほうきにちりとり。その他もろもろの掃除用具。

 それらを食堂の真ん中に置き、渡羽家の面々は食堂に集まっていた。

 現在、渡羽家を仕切っている、渡羽美鳥。その息子・渡羽飛鳥。そして、この家に居候している魔法の国の王女・アスフェリカ――アスカと、付き人の妖精・ティアラ。

 ただし、ティアラは美鳥には見えていない。ティアラは普通の人間には見えないのだが、渡羽は人外のモノを見る能力ちからがあるため、うっすらとだが見えている。

 アスカは並べられた掃除用具の前に立つと、すうっと両の掌を掃除用具に向けた。

「ハヒイエルク!」

 アスカが呪文を唱えると、カタカタと掃除用具が震え、命を吹き込まれたかのように動き始めた。

 それを見た美鳥が興奮気味に叫んだ。

「きゃあああっ、本物だわ! 本物の魔法だわーっ! いやん、素敵! さすがはアスカちゃん。魔法の国の王女様なだけあるわぁ」

「えへへ、それほどでも」

 アスカは照れ笑いを浮かべた。掃除用具たちは自分のすべきことを心得ていて、各々の仕事を始める。

 ファンタジー好きで童話作家である美鳥は、本物の魔法を目の当たりにして、すっかり我を忘れている。

 何度かアスカの魔法を見たことのある渡羽だが、せかせかと動き回る雑巾や掃除機を見ていると、おとぎ話の世界に迷い込んだような気になる。

 大掃除は彼らがやってくれるので、今年の大掃除は楽に終わりそうだ。

「今回はうまくいきましたね」

 ティアラが渡羽の肩に座り、掃除用具たちを観察しながら言った。

 王女でありながら、初歩の魔法しか使えないアスカは、修行してはいるものの、いまだに失敗ばかりだ。だから成功したことにホッとしている。渡羽も笑って、

「そうですね。よかったです。それにしても、やっぱり魔法って便利なんですね」

 ティアラの声は美鳥には聞こえないので小声で返し、後半のみ、美鳥にも聞こえる声量で言った。

「そうねぇ。いつも二人だけで掃除してたから、だいぶ助かるわ。ありがとう、アスカちゃん」

「どういたしまして。渡羽や美鳥母様にはお世話になってるし、これくらい、ちょろいちょろい!」

 アスカがそう胸を張った時だった。掃除用具たちが、妙な動きを始めた。未熟なアスカは、集中力が散漫すると魔法の制御が弱まってしまう。

 ティアラが気づいてアスカに警告を飛ばした。

「姫様! 集中力を散漫させてはいけません!」

「へ?」

 間の抜けた声でアスカが反応した時、掃除用具たちが一斉に暴れ始めた!

 雑巾は水を振りまきながら宙を飛び、壁に体当たりする。バケツはひっくり返ってゴロゴロと廊下を転がっていった。

「わーっ、廊下が水浸しに!」

 渡羽が慌てて雑巾を捕まえようとする。しかし、雑巾は必死になっている渡羽を嘲笑うようにひょいひょいと避けて、水を撒き散らす。

 水に濡れながらも奮闘する渡羽に、雑巾はびゅんっと加速して、渡羽の顔面にアタックした。

「うぶっ!」

 渡羽は目を回してその場にばったりと倒れた。

「いやーっ、渡羽ぁ!? しっかりしてぇっ」

 目を回している渡羽をアスカが抱き起こして前後に揺さぶる。その後ろで、居間からも悲鳴が上がった。

「ああーっ、やめてぇっ、それはお父さんが買ってきてくれた、ファンダレン作『眩きものたち』の模写なのよぉー!」

 次いで、ガシャーンッ、とガラスの割れる音がする。どうやら窓が割られたようだ。

「姫様ぁっ、早く止めて下さーい! このままでは部屋がメチャクチャに……キャーッ」

「ティアラ!?」

 ここからでは見えない。しかし、ゆゆしき事態であることは確かだ。アスカは渡羽の体を床に寝かし、魔法を解除した。



「ああ、そんなこともありましたねぇ」

 居間のこたつでみかんをむきながら、渡羽は苦笑した。大晦日の夜、一年の出来事を振り返るのが渡羽家の習慣だ。

 先日に起きた事件を思い返し、渡羽はなんとも言えない気持ちになった。

 あの後、アスカが魔法で元の状態に戻したので、割れた窓ガラスも、水浸しになった廊下も、ボロボロにされた『眩きものたち』の模写その他は元に戻ったが、結局、自力で掃除をすることになり、終わるまで丸一日かかった。

 それでも例年よりは人手があったため、早く終わった方だ。

 今回の教訓。楽をしようとすると痛い目に遭う。油断は禁物。集中力は大事。

 むき終わったみかんをアスカの前に置く。アスカはその時の失態を思い出してか、頭を抱えて突っ伏し、唸っている。

「まあ、誰にでも失敗はありますし」

「姫様の場合は失敗ばかりです」

 むいてもらったみかんの一粒をかじりながら、ティアラが言う。

 いつもなら「失敗ばかりで悪かったわね!」と怒鳴るところだが、さすがにあの時のことは、アスカも心苦しく思っているので、何も言わなかった。

「いつも集中力は大事だと言っているのに、姫様はすぐ調子に乗るんですから」

「うう~」

「まあまあ、ティアラ。アスカだって反省しているんですし、もう過ぎたことですよ」

「それもそうですけど、今後このようなことがないよう、しっかり心に留めておいてもらわなければ。

 なんでも魔法で解決できるからと言って、慢心するのはよくありませんからね」

 はっとして、渡羽はみかんをむく手を止めた。ティアラの言葉は的を射ている。魔法に頼ってばかりではいけない。

 便利だからと言って、使いすぎたり慣れてしまえば、いつかは油断が生まれる。

 その油断が大きな過ちにつながることもあるのだ。それは魔法に限らない。

 渡羽はティッシュで手を拭くと、ティアラの頭を指でそっと撫でた。

「そうですね。俺も気をつけるようにします。ティアラは偉いですね」

 微笑む渡羽。ティアラは頭を撫でられて顔を朱くし、少し困ったように、けれどうれしそうに笑った。

 それを上目遣いで見ていたアスカは、ぶすっとした顔で、渡羽がむいてくれたみかんを頬張った。なんだかおもしろくない。

「二人とも、お待たせ~、年越しそばができたわよ」

 美鳥がお盆にどんぶりを乗せて居間に入ってきた。二人の前にどんぶりを置く。

「熱いから気をつけてね」

「これが年越しそば?」

「と言っても普通のそばですけど。マジカリアでは年越しに何かしたりしないんですか?」

「んー、そうねぇ。年越しには特にしないけど、新年が明けたら新年のお祝いをするわね」

「まあ、そうなの? 新年のお祝いってどんな?」

 美鳥が身を乗り出す。魔法界の話になると、美鳥は目の色が変わる。 

「えっと、いつもは許可なしに入るのは禁じられてるんだけど、その日だけは城が一般公開されてね、国民も自由に城に出入りできるの。

 で、国を一周するパレードが開かれて、夜にはその日だけ食べることを許されている、レジンストロっていう料理を食べるのよ」

「魔法の国での新年のお祝いは派手なのねぇ」

「レジンストロって、こっちのおせち料理みたいなものですかね」

「そうねぇ。でも、その日にだけ、それも夜に食べるっていうところが少し違うわね」

「あたし、『おせち料理』楽しみ! 明日食べられるのよね?」

 年越しそばを食べながら、アスカは期待のこもった目で訊いた。

 渡羽が首肯した時、除夜の鐘が鳴り始めた。

「あ、除夜の鐘ですよ」

「いよいよ年が明けるわよ。今年も一年お疲れ様。アスカちゃんが来て、この家も賑やかになったわよね。来年もよい年でありますように」

 美鳥はそう言って、年越しそばと一緒に持ってきた甘酒の杯を傾けた。

 除夜の鐘が鳴り響く。一つ、また一つと。そして、テレビでは年明けへのカウントダウンが始まった。

 ティアラはふい~っと窓辺まで飛んで行った。カーテンをくぐり、外を見る。

 暗い夜空。けれど、月明かりが町を照らし、星々が瞬いている。

 ティアラが夜空を見上げていると、一つの星が流れた。

「! 流れ星」

 ちょうどその時、背後のテレビでカウントダウンをしていた、バラエティー番組の司会者が《ゼロ!》と叫んだ。

「新年、明けましておめでとう~」

「あけましておめでとうございます」

「あ、あけましておめでとう」

 カウントダウンが終わると同時に、美鳥が甘酒の入った杯を高く掲げ、新年のあいさつを述べた。

 渡羽も、初めて経験するアスカも新年を祝う。カーテンの向こうから出てきて、ティアラは窓の縁に座った。

 渡羽はそんなティアラに目を留め、口の動きだけで「おめでとうございます」と言って微笑んだ。

 ティアラは渡羽に笑い返して、美鳥に甘酒を勧められているアスカへと飛んで行き、肩に座った。

 アスカは目だけでティアラを見ると、微笑んでから甘酒に口をつけた。



 元旦の朝、アスカはベッドの上で唸っていた。昨夜飲んだ甘酒で酔ったらしい。人間界のお酒は自分には合わないようだ。

「う~、なんか体だるい~、頭痛い~」

「大丈夫ですか? 姫様」

「だいじょぶじゃなぁ~い~」

 ごろんと寝返りを打ち、体を丸くした。コンコン、とノックの音がし、渡羽が入ってきた。

「入りますよ、アスカ。二日酔いに効く薬持ってきました」

「うい~?」

 ごろりと寝返りを打って、渡羽の方に体を向ける。のらのらと身を起こすと、途端にめまいがする。

「あ~、頭がぐらぐらするぅ~」

「甘酒で酔うなんて…アスカってお酒弱いんですね」

「そんなことないわよ~、あたしお酒飲めるもん。ただ、人間界こっち魔法界あっちじゃ成分が違うんだと思う」

「姫様はどちらかと言えばお酒に強い方ですしね。ビン一本くらい簡単に飲み干しちゃいますよ」

 ティアラがあっさり言うと、渡羽は目を丸くした。

「じゃあ、こっちのお酒の方が強いってことですか?」

 というか、マジカリアでは未成年でもお酒を飲んでいいのだろうか。ちなみに藍泉での成人年齢は十八歳だ。

「たぶんね~。うう、薬~」

「あ、はい。甘酒でこれなら、普通のお酒なんて飲めませんね。

 まあ、未成年は元々飲んではいけませんし、飲む機会はないでしょうけど」

「飲む機会あっても絶対イヤ~っ」

 錠剤を水で口に流し込むと、アスカはぱたん、とベッドに寝転がった。

「だいぶつらそうですね。起きられそうにありませんか?」

「今はムリぃ~」

「そうですか。じゃあ、おせち料理はもう少ししてから食べましょうか」

「……『おせち』。うう、食べたいけど、今食べたら吐きそう……ごめん、渡羽」

「いえ、いいんですよ。お正月の朝はゆっくりするものですし、無理にとは言いませんから」

 コップをお盆に戻し、渡羽はお盆を持って立ち上がった。

「それじゃあ、母さんにも言ってきます。具合がよくなったら教えて下さい。ティアラ、あとはお願いしますね」

「はい。おまかせ下さい」

 空中で滞空しながら、ガッツポーズを見せるティアラ。

 渡羽が部屋を出ていってから、アスカは壁の方を向いて、背を丸めた。

(あーあ、せっかくの初めての『お正月』なのに、災難だわ。治癒系の魔法が使えれば、二日酔いなんて簡単に治るのに。

 こんなことなら、もっとマジメに魔法修行しておけばよかったな)

 くすんと落ち込むアスカ。何を考えているのかだいたい分かっているティアラは、すとん、と枕元に降り立った。

「元気を出して下さい、姫様。何も食べられなくなったわけじゃないんですし」

「でも、迷惑かけたことには変わりないわ。あたしのせいで、渡羽たち朝ご飯食べられないんだもん」

 ティアラは目を瞠った。あの姫様が他人への迷惑を省みるなんて。

 昔はオテンバで、城の者たちをからかったり、イタズラをしては城を抜け出して、町や危険な森、山に遊びに行っていた。

 何度怒られても反省の気配を見せず、懲りずに言いつけを破っていた。そんなアスカが迷惑をかけてしまったと落ち込んで反省している。

(これも渡羽さんのおかげでしょうか)

 渡羽と出会ってから、アスカは確実に成長してきている。それは良い意味で、今までならなかったことだ。

 ティアラはうれしそうに笑うと、踊るようにくるっと回った。

「姫様。姫様がそういった考えを抱くようになって、ティアラはうれしく思います。だから、姫様の元気が出るように、姫様のために、一曲捧げます」

「え?」

 アスカは寝返りを打って、ティアラに体を向ける。ティアラは手を組み、祈るように目を伏せると歌い始めた。

 透明で、涼やかで、流れる水のような旋律。そういえば、妖精の歌には微弱だけど治癒効果があるんだっけ。

 アスカは目を閉じて歌声に耳を傾ける。普段はキンキンと金切り声で怒鳴っているティアラの声が、今は耳に心地よい。

 歌っている時のティアラの声は、どこか大人びていていつもと違うせいだろうか。

 少しずつ、体のだるさがなくなってきたような気がする。頭痛も引いてきた。

(ありがと、ティアラ)

 目を閉じて歌い続けるティアラに、アスカは心の中でそっとお礼を言った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る