6th 夏恋
ミーンミンミンミンミンミン……
どこかでセミという虫が鳴いている。あれは夏になると聞こえるらしい。
ミーンミンミンミンミンミン……
むわっとした熱気が部屋にこもっている。窓は開けているが、あまり風がないし、セミの声がうるさい。
ミーンミンミンミンミンミン………
ただでさえ暑いのに、あれの鳴き声を聞くと、余計暑く感じる。魔力でもあるのだろうか?
ミーンミンミンミンミンミン…… ミーンミンミンミンミンミン…… ミーンミンミンミ……
「あ――――っ、もううるさーい!」
アスカはがばっと起き上がって窓に駆け寄った。
「少しは静かにしなさいよ! ミンミンミンミンうるさいし、暑いし、のど渇いたし、暑いし、夏なんてもうイヤーっ!」
どこかにいるであろうセミに向かってアスカは声を張り上げた。
道を歩いていた通りすがりの人が汗を拭きながら、アスカの絶叫に首肯して同意した。今のアスカの絶叫は、誰もが心の中で思っている本音だった。
アイスグリーンの瞳と、ヒヤシンスブルーのロングヘアー。今は暑いのでポニーテールにしているが、普段は下ろしている。
アスカ――正式名はアスフェリカ・グランジェ・ウィル=マジカリア。魔法の国の王女である。彼女は十六歳の誕生日、魔法界からこの人間界へとやってきた。
アスカの住むマジカリア国は女王制で、マジカリア王家に生まれた女児は十六歳を迎えると、女王試験を受ける。
その女王試験は、人間界で
この試験では人選の良さ、判断力、魔法力の強さなどを試される。
人間を選ぶと言っても、適当に選ぶのでは意味がない。魔法の存在を知り、その力を悪用する者、欲深い者などを選ぶようなら、失格となる。
これは女王となった時、より良い臣を選べるかどうかに繋がる。悪しき臣はいらぬ争いの種を持ち込むことがあるからだ。
そして、良い人間を選んだとしても、なんでもかんでも叶えればよいわけではない。
魔法を使わずとも手に入れられるもの、努力すれば叶うようなことを、わざわざ魔法で叶える必要はない。
何がよくて何がいけないのか、それを判断し決断することは、国を統治していく中で大きな意味を持つ。女王の判断と決断一つで、国が栄えるか廃れるかが決まるのだ。
そして魔法力――魔法を使うための力だ。
パーガウェクオには魔力が宿っていて、魔法力が弱い者では反発してうまく魔法を使えない。それをうまく扱えるかどうかが、統治者として認められる条件の一つでもある。
他にも人間界の暮らしや
アスカも女王試験を受けるために人間界へ来て、
「アスカー、麦茶持ってきましたよ」
「やったぁ、待ってました!」
ドアをノックし入ってきたのは、黒髪眼鏡の地味ーな少年。どことなく影が薄そうで、これといった特徴のない、ありふれた平凡な少年だ。
彼こそが、アスカの
アスカは渡羽に一目惚れし、直感で
今では家族公認――ただし片親のみ――の恋人同士です。
「お待たせしました。すみません、部屋のクーラーが壊れてしまって、暑い思いをさせていますね」
誰に対しても敬語の渡羽は、アスカに対しても変わらない。アスカはふるふると首を横に振った。
「ううん。あたしの方こそゴメンね。ずっと渡羽の部屋に居座ってるもん。渡羽は『受験生』なのに、勉強の邪魔じゃない?」
麦茶を飲みながら、困ったように問いかけるアスカ。
この『麦茶』と言う飲み物は、人間界に来て初めて飲んだのだが、見た目に反して結構おいしいので、お気に入りの飲み物だ。
渡羽は「いいえ」と微笑する。トレーをテーブルに置き、自分の分のコップを手に取って机に向かった。
「そんなことありませんよ。アスカこそ、俺が勉強している間はつまらないでしょう」
「それこそ問題なしだよ。渡羽が勉強してる間は、
ためらいなく好きだと言われ、渡羽は麦茶を吹き出しかけた。いまだにこの不意打ちには慣れない。
「ごほ。……えーと、その、そうですか。ありがとうございます」
「ねぇ、渡羽」
「わあっ」
顔のすぐ横でアスカの声がする。いつのまにかアスカが渡羽の後ろに立っていた。
「勉強してる渡羽も好きだけど、やっぱり少しは渡羽と遊びたいなぁ」
「え、アスカ、でも……」
しおらしい様子で、アスカは渡羽の背中に寄りかかり、淋しげに言った。
「ううん、分かってるの。渡羽は『高学』に行くために勉強しなきゃいけないってことは」
「さっきは問題ないって……」
「退屈ってわけじゃないよ。さっき言ったことはホントだもん。
美鳥母様が書いた本はおもしろいし、人間界には珍しいものがいっぱいあるから、見たり聞いたりするのが楽しいし」
「あの、その……」
「でもね!」
ぐっと拳を握りしめると、アスカは渡羽から離れ、叫んだ。
「『夏休み』に入って以来、ずーっと渡羽と遊んでないのよ! 毎日、勉強勉強っ! 朝から晩まで机に向かいっぱなし!
この暑いのに、よくそんなに同じこと繰り返していられるわね!?
あたしだったら耐えられないわっ。勉強なんて聞いただけでイヤになるし、やりたくなんかないしっ。
それで渡羽と遊べないなんてもっとイヤよぉーっ!」
本音爆発。元々、アスカは真っ正直で、本音を隠さない。それでも、頑張っている渡羽のために、これまで我慢していたのだが……
「遊びたい遊びたい! 渡羽と一緒に遊びたい~っ」
限界だったらしい。アスカにしては頑張った方だと思う。
子供のように駄々をこねるアスカのもとに、ふわりと何かが飛んできた。
「姫様、ワガママを言ってはいけませんよ。渡羽さんにとっては大切なことなんですから」
飛んできたのは小さな女の子。チェリーピンクの髪にストロベリーピンクの瞳。背中には透明な薄い二枚の羽。そして尖った長い耳。
少女の名はティアラ。魔法界の妖精だ。アスカの付き人でもある。
「あたたかい目で見守るって決めたじゃありませんか」
腰に手を当て、ティアラは滞空しながら言った。アスカはティアラを上目遣いで睨んだ。
「そうは言うけどね、ティアラ。渡羽はさっきあたしが言ったとおり、ホントに勉強ばかりの毎日なのよ?」
夏休みに入ってかれこれ二週間。この数週間を思い出す。
朝。起床→朝食→勉強。
昼。昼食→勉強。
夜。夕食→勉強→入浴→勉強→就寝。
以下続。
「一緒に出かけたのなんて、ご飯の材料の買い出しくらい。
せっかく……せっかく恋人同士になったのに……全然、恋人らしいことしてないのよーっ」
わーんとついに泣き出すアスカ。渡羽は空のコップを机に置いて、おろおろとうろたえるばかり。こういう時どうしたらいいのか勝手が分からない。
ティアラはため息をついた。今回ばかりは嘘泣きではなく、本気泣きのようだ。
まあ、姫様の気持ちも分からなくはない。姫様の言ったことは事実だ。文字通り、勉強に明け暮れる渡羽。
初めの数日は、美鳥の書いた本を読んだり、人間界のことをいろいろ聞いたりして暇をつぶしていたが、だんだん不満が積もってきたらしい。
アスカの言うことにも一理あるので、どちらも責められないし、味方にもなれない。どうしたものかとティアラが解決策を考えていた時だった。
「飛鳥~、入ってもいいかしら? ……ってあら、どうしたの? アスカちゃん」
一度ノックしてから、渡羽の返事を待たずに、渡羽母――美鳥が部屋に入ってきた。
肩より少し長めの黒髪。ゆるやかなウェーブがかかっていて、おっとりした雰囲気に見える。
渡羽は母親似のようだ。眼鏡をかけているところなどがそっくりである。
床にうずくまって泣いているアスカを見ると、美鳥は心配そうにアスカの体を起こした。
「み、美鳥母様~っ!」
「あらあら。なぁに? 飛鳥とケンカでもしたの? それとも、ついに飛鳥に純潔奪われちゃったのかしら」
「母さん! 何バカなこと言ってるんですかっ」
ゆでダコのように顔を真っ赤にして、渡羽が怒鳴る。
「そうよねぇ、飛鳥にそんな根性あるわけないものねぇ」
そうはっきりと否定されるとちょっと物悲しい。性格はまったく似ていないようだ。
「じゃあ、なぁに? 本当にケンカ?」
「……いえ、そういうわけでは……」
「聞いてっ、美鳥母様! 渡羽ってば、渡羽ってばぁ……っ」
「はいはい、聞いてあげるわ。だから少し落ち着きましょう。ね?」
よしよしとアスカの頭を撫でる美鳥。アスカはぐすぐすと鼻をすすり、こくんと頷いた。
さすがは母親。泣いている子供の扱いが手慣れている。
しばらくしてから、アスカは落ち着きを取り戻した。美鳥はせかすことなく、アスカに事情を聞いた。
「それで、どうしたの? アスカちゃん」
「うん……。あのね、渡羽、ずっと勉強ばかりしてるでしょ? 『夏休み』に入ってからずっと。
だから、ほとんど一緒に遊べなくて、出かけたりもできなくて……さみしいの。
勉強しなくちゃいけないのは分かってるけど、
そのままうなだれるアスカ。美鳥は渡羽によく似た穏やかな笑みを浮かべ、優しくアスカの頭を撫でた。
美鳥は悄然としている息子に顔を向けた。あの子だって本当は分かっていたはずだ。
勉強ばかりでアスカに淋しい思いをさせていたことも、アスカが本音を言わず我慢していたことも、どうすればアスカの機嫌が直るかも。
けれど、そういうことを言葉や態度に表すのが苦手で、初めてのことに戸惑っていることも、美鳥は解っている。
(本当、不器用な子ねぇ)
一体、誰に似たんだか。くす、と美鳥は笑った。
「そうだったの。それじゃあアスカちゃんが泣きたくなるのも無理ないわね。
でも、もう大丈夫よ。そんな二人にプレゼントがあるの」
「プレゼント?」
「ええ!」
美鳥は服のポケットから、一枚のチケットを取り出した。
「じゃじゃーん。新聞屋さんからもらった、プールのペア割引券~!」
目を瞬かせ、アスカはチケットをまじまじと見た。
「この間、新しく大きなプールができたでしょう? そこのチケットよ。いろんな水のアトラクションがあるらしいわよー。
飛鳥もたまには息抜きが必要だし、明日あたり二人で行ってらっしゃいな」
にっこり笑って、美鳥はアスカにチケットを渡した。渡羽はイスから立ち上がった。
「でも母さん、俺は――」
「飛鳥」
厳しい目で、美鳥は渡羽を捉えた。渡羽はたまに見せる母のこの
「根を詰めるのは良くないわ。体を壊したら元も子もないのよ?」
「……」
母さんの言うことはもっともだ。渡羽は俯いた。
「それにね、あんまり恋人をほったらかしにしてると、愛想尽かされちゃうわよ」
にんまりと笑う母に、渡羽はあんぐりと口を開けた。その一言はかなり堪えた。
「これなら飛鳥の息抜きになるし、アスカちゃんの悩みも解消!
それに、夏はアバンチュールがつきものよ! 海辺やプールで、あらやだそんなっ的なドッキリ体験をしないでどーするの!」
「いえ、それは別に…」
「一度も遊ばないで夏休みを過ごすなんてもったいないわ。勉強もいいけど、恋も大切になさい」
「はぁ…」
「というわけで早速、水着を買いに行くわよ! 飛鳥が思わず襲いたくなっちゃうような、嬉し恥ずかし素敵な水着をっ!」
すっくと立ち上がり、美鳥はその気満々だった。アスカは「水着?」ときょとんとしているが、渡羽は動揺した。
「ちょっと、さりげなく何言ってるんですか!」
「あら、心配しなくても飛鳥のもちゃーんと見繕ってあげるわよ。
去年のままでいい、なんて野暮なこと言っちゃダメよぉ? アスカちゃんとの初プールデートなんだから、ビシッとかっこよく決めないと」
美鳥はるんるんと上機嫌で、なんだかよく分かっていないアスカを連れていく。
イスの背もたれに寄りかかり、渡羽は顔を手で覆った。
母さんのテンションにはついていけない……
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