5th 決闘

 その日の午後七時。渡羽は、修羅坂に向かった。あたしも行くと言うアスカに、渡羽は一人で大丈夫だと言って聞かせた。

 修羅坂につくと、シンは修羅坂の上で腕組みをし、仁王立ちしていた。夏の熱気をはらんだ風が、二人の間を吹き抜ける。

「ふふふふふ。怖じ気づかずに来たか。まあ、そうでなければ、張り合いがないがな」

「一体なんだと言うんですか、あなたは。アスカにしつこくつきまとったりして。しかも、あんな挑戦状まで送ってくるなんて」

 シンは渡羽を見下ろし、笑みを消した。

「君だって大事な花に害虫がついていたら、排除しようとするだろう? それと同じだ。

 アスカ姫に近づく害虫は排除する。今までそうしてきたのだ。たとえ人間であろうと、容赦しないぞ!」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ! 俺は別にそんなつもりは……」

「問答無用! 行くぞ!」

 シンは地を蹴り、空中に立った。渡羽に右手を向け、呪文詠唱を始める。

「ビフォー=ワイズエッジエルク・リ=パナト=フィーロ=ビュッセーエルク!」

 すさまじい風が刃となり、渡羽に襲い掛かる! 渡羽は悲鳴を上げた。

「魔法を使うなんて卑怯ですよ! 俺は丸腰なのに……うわっ、眼鏡が!」

 強風によって、渡羽の眼鏡が飛ばされる。

「果たして、この風刃の嵐から逃げ切れるかな!?」

 にやりと笑うシン。渡羽は四方八方から襲いかかってくる風刃を必死でよける。そうしなければ、下手をすれば死ぬ!

 その様子を見ていたシンは、ふと違和感を感じた。

(……ん? なんだ、これは)

 ほんの微かだが、魔法力を感じる。自分のものでも、アスカ姫やティアラのものでもない、別の魔法力。

 しかし、この町に――この人間界に、今のところ自分たち以外の魔法使いは来ていないハズだ。もしもいるなら、遠い国でない限り魔法力を感じ取れる。

 だが、今まで自分たち以外の魔法力を感じたことはないし、今感じている魔法力はすぐ近くからだ。強まったり弱まったりと不安定だが、確かに感じる。

(いったいどこから……)

 渡羽を目で追いながら、シンはまさかと思った。

「なんでこんなことに……! 俺が何をしたって言うんだ!」

 渡羽の叫び声に、シンははっと我に返った。そんなわけがない。一瞬頭をよぎった可能性を否定し、シンは小さく舌打ちをした。

「全て避けきったか。なかなかやるな。では、これならどうだ?

 リロ=スト=カルネー=アウミ=ロアジェルエルク・リ=パナト=フィーロ=エン=ススワーラエルク!」

 渡羽の頭上にいくつもの青い火の玉が出現した。それらは一斉に、渡羽に向かって飛来する。

「!! 火の玉が落ちてくる!? くそっ」

「それをよけられないようでは、アスカ姫のことはあきらめるんだな!」

「そんなこと言われても……っ。うわぁぁぁぁぁ!」

 いくつもの青い火の玉が隕石のごとく落ちてくる。渡羽は覚悟を決めて固く目を閉じた。まさにその時!

「渡羽! 危ない!!」

「姫様、いけませんっ」

 いるはずのない人の声。渡羽は目を開け、声のした方に目を向けた。

「え? アスカ!?」

 物陰から飛び出したアスカは、早口で呪文を唱える。

「ルンウェ=デヴァイデン=ゴーゼエルク・リ=ワノッサ=ケナミパ=リ=エクスチャエルク!」

 間一髪で間に合った。アスカたちの頭上に光の防壁が現れた。アスカは防壁を押さえるように、両腕を翳している。

「ア、アスカ……っ」

「大丈夫、心配しないで」

 肩越しに渡羽を振り返ると、アスカは少しつらそうにだが笑った。

「渡羽さん、眼鏡ですっ。どこも壊れていないようですよ」

「そうか。ありがとう、ティアラ」 

 ティアラが拾ってきた眼鏡を受け取り、渡羽は眼鏡をかけた。渡羽をかばうアスカを見て、シンは動揺していた。

「アスカ姫、なぜここに……!」

「渡羽はあたしが守る! 渡羽を傷つけさせはしないわ!」

「アスカ……」

 渡羽はアスカの頼もしい背中を見つめた。

 ――初めから、敵わないと思っていた。相手は魔法使い。

 ただの人間である自分に、太刀打ちできるわけがない。

 ――ずっと、叶わないと思っていた。相手は魔法の国の王女。

 ただの人間で、平凡で、地味な自分では、釣り合うわけがない。

 けれど、たとえ魔法使いであるシンが相手でも、アスカが助けてくれる。

 一人ではなくて、力を貸してくれる。

 身を挺して守ってくれるのは、それだけ自分を想ってくれているということ。

 一方通行じゃない、恋心。二人でなら、乗り越えていける。

 次々と防壁に阻まれる火の玉。しかし、威力が凄まじく、防壁の方がダメージを受けていた。

「ぅうっ、壁が…もたな……きゃあああっ」

 ついに防壁が破られ、アスカは火の玉の直撃を受けた。

「アスカ!」

「アスカ姫!」

「姫様ぁっ!」

 三人の悲鳴が重なる。アスカはぐらりと前のめりに倒れた。辺りに焦げた臭いが充満していく。

 よろめきながら駆け寄り、渡羽はアスカを抱き起こした。シンも滑空し、アスカのそばに降りてきた。

「アスカ! アスカ、しっかりして下さい! アスカ!」

 渡羽の呼びかけに、アスカはうっすらと目を開いた。焦点の合っていない目で、渡羽の顔を認めると、か細い声で名を呼んだ。

「……と……ば……」

「アスカ……」

「渡羽……無事?……よかった……」

 弱々しく笑うアスカ。渡羽は泣き笑いのような顔で、問いかけた。

「俺は無事ですよ。アスカのおかげです。でも、どうして来たんですか。俺一人で平気ですって言ったのに……」

「……どうしても…心配になって………だって、渡羽……人間だもん……魔法、使えないでしょ?……だから……」

 切れ切れに言いながら、それでもアスカは笑っている。渡羽は痛ましくて、首を横に振った。

「分かりました。分かりましたから、もうしゃべらないで下さい……っ」

 アスカは目だけを動かして、渡羽の横に立っているシンに語りかけた。

「……シン……お願い……渡羽は……渡羽だけは、許して…………

 渡羽は……あたしの……大事……な…………」

 それを最後にアスカは力尽き、目を閉じた。完全に動かなくなったアスカに、渡羽は愕然とした。

「――アスカ? ……っアスカ! アスカ、目を開けて下さい、アスカ!!」

「アスカ姫!」

「姫様ーっ、冗談はやめて下さいよ!? 起きて下さい、姫様ぁっ」

 ティアラが泣きながら、アスカの胸元に飛びついた。

 渡羽はそっとアスカの体を横たえ、拳を握りしめて、シンに掴みかかった。

「……っ。あんた、魔法が使えるんだろ!? なんとかしろよ! あんたのせいでこんな……っ」

 胸倉を掴む渡羽の、かつてない激しい瞳を見つめ、シンは静かな声で返した。

「無理だ。僕は死者を生き返らせる魔法は使えない。それに、死者の蘇生魔法は禁断の魔法。どうすることもできないんだ」

「そんな……そんなことって……」

 シンの言葉に、渡羽は呆然とシンから手を放し、へたり込んだ。

 その目から涙があふれ、嗚咽を漏らす。

「アスカ……俺はまだ……君に何も伝えていない……まだ君に……」

(好きだと言っていないんだ……)

 やるせない思いで、渡羽はうなだれた。こんなことなら、もっと早く気持ちを伝えていればよかった。

 自分とは違うと、身分も立場も住んでいる場所も、何もかも違うからと、遠慮して気持ちを押し隠していなければ。

 後悔と自責と深い悲しみが、渡羽の心をしめつけた。

「お願いだ……アスカ。もう一度笑って……。生き返ってくれ。俺は……俺は。

 笑っている君が好きだったんだ……!」

「ホント? 渡羽」

「はい……」

「じゃあ、もう一度言って」

「何度でも言います。俺はアスカのことが好…き……って、え?」

 今、聞こえるはずのない声がしたような。渡羽はおもむろに顔を上げ、

「確かに聞いたわよ。渡羽」

 倒れたままにっこり笑っているアスカを見た。

 瞬間、ショックのあまり、ぴし、と渡羽の眼鏡にヒビが入った。

「アアア、アスカァァァ!!? な、な、なぜ!? 生き返ったんですか!? でも、そんな魔法は使えないって!」

「ごめんね、渡羽。今のは全部演技。お芝居よ」

「はぁ?」

 渡羽の目が点になる。

「お二人の決闘も、全て仕組まれたことだったのですよ。なぜなら……」

「ティアラ、その先は僕から話そう。渡羽、なかなかの告白だったぞ。これならアスカ姫を……いや、我が娘を安心して任せられる」

 言っている意味が分からず、渡羽は頭上にいくつもの「?」を浮かべた。

「はい? 我が娘って……」

「いい加減、変身解といたら? 父様」

「うむ」

「ええぇぇぇぇぇぇ!?」

 笑顔で言ったアスカの言葉にも驚いたが、ぼん、と白煙にシンの体が包まれたかと思うと、シンは中年の男性の姿になっていた。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。唖然とする渡羽。アスカは立ち上がって服をはたいた。

「よいしょっと。作戦成功よ。ありがと、父様。手紙が届いた時はびっくりしたわよ。まさか、あのシンが父様だったなんて」

 シンもといマジカリア国・国王は、親指と人差し指を立ててあごに当て、一笑した。

「ふふふ。わしの若かりし頃は凛々しかろう、アスカ」

「うーん、まあまあね。あたしの好みの対極に位置するっていうのは、ホントだけどね。

 それにしても、もうちょっと手加減してくれてもよかったんじゃない? この服、お気に入りだったのに、少し焦げちゃったわ」

 服を見下ろし、アスカはぼやいた。

 一応、反射魔法をかけていたが、さすがは一流である魔導師クレシアスの称号を持っているだけはある。

 四流の魔法士ノエウィである自分の魔法では、完全には防ぎきれなかったようだ。ちょっと悔しい。というかかなりムカつく。

「魔法で元に戻せばいいだろう。それとも、新しい服を買ってやろうか。

 いろいろと新作が出ているし、お前の専属デザイナーも、新しい服のデザインを考えているようだしな」

 ほのぼの(?)とした親子の会話に、渡羽はそーっと口を挟んだ。

「あの……これは一体どういうことなんでしょうか。話が見えないんですけど……」

「あー、えっとね。実はシンは父様で、父様はシンってことなのよ」

「はぁ……シンさんはアスカの父親で、アスカは魔法の国の王女ですから、シンさんは魔法の国の王様ってことで……」

 ぐるぐると頭で情報を整理し、シン=アスカ(王女)の父親=国王という図式が、ピーンと繋がる。

 顔を蒼白にし、渡羽は平身低頭して謝った。

「じゃあ、俺は今まで、国王様に対して無礼なことを!? す、すみません!」

「いやいや、謝らねばならないのはわしの方だ。試したりなどしてすまなかった。

 このアスカの選んだ人間だったもので、ちと心配になってな」

「ひっどーい。何よ、それぇ」

 ぶーぶーと口を尖らせるアスカ。その頭を軽く撫で、国王は満面の笑みを浮かべた。

「はっはっは。だが、それは間違いだと気づいたよ。渡羽殿は立派な紳士だ。お前の目に狂いはなかったぞ」

「当然よ! あたしの直感が外れたことはないんだから」

 ふんぞり返って得意げに笑うアスカ。

 国王はアスカの頭を片手で撫でながら、空いている手をあごに当て、何度も頷いた。

「いやぁ、本当によかった。送り出したはいいが、アスカのことだから、試験をサボるのではないかと思ってな」

「しっつれいねー。掟なんだから、いくらあたしでもサボったりはしないわよ」

 父親の手をうっとうしそうに振り払って言うアスカに、ティアラが肩をすくめながら言った。

「その割には、この一週間、魔法の練習をしていませんでしたよねぇ」

「ベ、別にサボってたわけじゃないわよ。ただ…」

「とにもかくにも。試験の結果、アスカは期限以内に、主人あるじである渡羽殿の願いを叶えることはできなかった。よって……」

 一転して、アスカは不安げな表情になった。上目遣いで父親の顔を窺う。

「やっぱり、強制送還して魔法力封印?」

「――と言いたいところだが、特別に、このまま人間界で魔法修行を続けることを許可する!」

「「ええ!?」」

 渡羽とアスカ、ティアラの三人の声がハモった。

「よろしいのですか、国王様!?」

「そうよ、そんなこと勝手に決めちゃっていいの? 母様……女王陛下の許可も得ないで」

「母さんにはわしから言っておく。多少、仕置きを食らうだろうがな……」

 苦笑混じりに国王は言った。ティアラがうれしそうにアスカの肩に座った。

「よかったですね、姫様」

「うん。うれしいけど……なんで?」

 きょとんと不思議そうにアスカが問うと、国王は鷹揚に頷いた。

「お前の渡羽殿に対する想いはよく分かった。渡羽殿も、アスカのことを好いてくれているようだし、愛し合う二人を引き離すのは心苦しいのでな」

 寛大な父親に、アスカは久し振りに感謝した。

 ここ数日の悪行の数々を水に流すのに十分な処置だ。これくらいはしてもらわないと割に合わない。

 無理やり人間界に転送したこと。姿を偽ってずっとつきまとっていたこと。

 人間界に来てから、使い魔のカラスを通して四六時中覗き見ていたこと。

 そして手紙で知ったことだが、アスカがほうきから落ちる原因となったあの風も、渡羽の花壇をぐちゃぐちゃにしたのも、このウザ父の仕業だったのだ。

 あの風はとっさの対応力を見るためだったらしい。覗き見ていたのも、試験官としてのことだからそれは別にいいのだ。

 けれども、花壇をぐちゃぐちゃにしたのは、少しやりすぎだったのではないか。いくら試験とはいえ、やっていいことと悪いことがある。

 実力を試すにしても、他に方法があっただろうに。あれで渡羽がどれだけ傷ついたことか。

 アスカはぱあっと顔を輝かせて、心からの笑みを浮かべた。

「ありがとう、父様! 用はもうこれで終わりでしょ? じゃ、とっとと帰って」

「トホホ。お前は顔だけでなく、性格まで母さんに似てきたなあ。もう少し本音を隠したらどうだ」

 がっくりと肩を落とす国王に、アスカはヒラヒラッと手を振る。

「生まれ持った性格は直せないわよ。ね、渡羽」

「あ、そうですね、アスカ……いえ、アスカ姫」

「何よ、改まっちゃって。呼び捨てでいいわよ。

 それにしても、初めて逢った時も思ったんだけど、渡羽って、眼鏡かけてる時と外してる時って性格違うわよね」

 ずっと気になってはいたのだが、訊くタイミングを逃していた。渡羽はそっと眼鏡に触れて微苦笑した。

「眼鏡を外すと地が出てしまうんです。なぜかは分からないんですが」

「ふーん。でも、さっきは眼鏡かけてても、地でしゃべってたわよね」

「さっきは動揺していましたので……でも、なるべく眼鏡かけてても、地で話せるように頑張ります」

「いいよ、別に。どっちも渡羽だもん。あたしはどっちの渡羽も大好きだよ」

 さらりと言われ、渡羽は真っ赤になって俯いた。

「えっ、あ……ありがとうございます……」

「はっはっは。若いというのはよいものだ。

 渡羽殿、こんな無鉄砲で非常識な娘だが、一つよろしく頼むぞ」

「は、はいっ。分かりました」

「なーに、父様。まだいたの? 早く帰って。邪魔よ!」

 半眼でアスカはしっしっと手で追い払うしぐさをする。今度こそ国王は落ち込んだ。

「はぁ~。本当に本音を隠さない子に育ってしまった。どこで育て方を間違えたのだろうか……」

 そう嘆きながら、国王は魔法で姿を消した。

 渡羽はしばらく黙っていたが、つつつっとアスカが近寄ってきたので、照れながら口を開いた。

「じゃ、じゃあ……帰りましょうか。だいぶ暗くなってきましたし……」

「うんっ。あ、ねえ。手、繋いでもいい?」

「恥ずかしいですよ、そんなの……」

 こうして照れている渡羽はなんだかかわいい。アスカは猫がじゃれつくように、渡羽にすり寄った。

「平気だって。ティアラ以外、誰もいないじゃない」

「あ、私のことはお気になさらず。手でもなんでも繋いじゃって下さいな!」

 ティアラは邪魔をしないように、二人から離れた。初々しい二人を見ると、自然と顔が綻ぶ。

「ほら。ティアラもこう言ってるし。いいでしょ、渡羽」

「~~~仕方ありませんね」

 ギクシャクと慣れない動きで、渡羽はアスカに手を差し出した。

「家までですよ?」

 はにかむ渡羽の手を、アスカはぎゅっと握った。離れないように。放さないように。

「分かってるよ! えへへ、幸せ」

「どうぞ、あなたのお好きなようにして下さい。お姫様」

 観念したように、渡羽は微笑んだ。アスカが穏やかな声で問いかけた。

「じゃあ、ずーっとそばにいてもいい?」 

「……ずっと魔法を覚えないつもりですか?」

「それもいいかもね!」

「よくないと思いますけど……」

 こうして花開いた恋の花。二人は寄り添い合って、家へと帰っていく。

「あ、渡羽、見て」

「はい? ……ああ。きれいな星空ですね」

 一緒に見上げた夜空は、きっと忘れられない思い出になるだろう。


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