3rd 願い事
高い空を滑空しながら、アスカはぼやいた。
「あいかわらず、どこもかしこも人ばっかり。ホント、人間界ってごちゃごちゃしたとこねー。それにしても、渡羽の学校ってどこだろ」
アスカの呟きに、ティアラは目を剥いた。
「姫様! 渡羽さんに言われたでしょう。来てはいけないって」
「分かってるわよ。ただ、どこにあるかくらい知っておきたいだけよ。行ったりしないわ」
笑顔でそう言うアスカに、ティアラは半眼で、
「本当ですかぁ? そうやっていっつも、ウソついて修行サボったり、どこかに遊びに行ったりして、よく女王陛下に叱られるじゃないですか。今回もそうやってウソついて、学校に行くつもりでしょう」
ずばり心の内を言い当てられ、アスカは内心ぎくりとした。
(ぎくっ。さすがティアラ。あたしの考えてることは全部お見通しってわけね……)
アスカは引きつった笑顔で、念を押した。
「ヤダなぁ、ティアラってば。そんなことないわよ。ホントに行かないったら行かないわよ」
「信じられませんっ」
「もう、ティアラってば疑り深いんだから。大丈夫だから心配しないで」
駄目押しに、ばちん、とウインクをしてみる。しかし、ティアラには無意味だった。
「それでいつも騙されるんですよねー」
「しつこいなぁ。ホントに行かないって――」
「はーっはっはっはっ!」
出し抜けに聞こえてきた聞き覚えのある笑い声に、アスカは静止した。
「ん? このカンに障る笑い声は……」
冷や汗を垂らして、おそるおそる振り返った。
「シン!!」
「ごきげんよう、アスカ姫。お元気そうで何よりです」
浮遊魔法で浮いているのだろう。そこにいたのは、アスカにしつこくつきまとっているストーカー男、シンだった。
コバルトグリーンの髪にアイスグリーンの瞳。ストライプのスーツをシックに着こなし、貴族がするように胸に手を当て、恭しく腰を折って一礼した。
「またあんたなの、シン! なんの用なのよ!」
嫌悪感をあらわにするアスカだが、シンは気にも留めた様子はなく、優雅に前髪を掻き上げた。
「照れなくてもいいんですよ、アスカ姫。別に用などありませんが、あなたに逢いに」
「二度と来ないで! っていつも言ってるでしょ!? 何度も言うけど、あたしはあんたなんかだーいっ嫌いなの! あんたはあたしの好みの対極に位置するのよ。だからさっさと消えて」
あからさまに嫌そうな顔できっぱりと言い切るアスカ。
シンはくすりと微笑んだ。普通の女の子ならときめいてもおかしくない笑みだった。
が、いかんせんアスカにはまったく効果がない。
「そんなはっきり言わなくてもいいじゃないですか。でも、あなたのそういうところは嫌いじゃありませんよ。
ここで逢えたのも何かの縁です。これから僕と一緒に人間界巡りをしませんか?」
ダンスに誘うように、シンは手を差し出した。ぴきっとアスカのこめかみに青筋が浮かぶ。
「あんた、人の話聞いてた!? 聞いてないでしょ! あたしはあんたなんか好みじゃないの! だぁぁれがあんたなんかと、人間界巡りなんてするもんですか!!
それに、あたしは今、女王試験の真っ最中なのよ。だからあんたなんかの相手なんてしてられないの。もう二度とあたしの前に現われないでよね!!」
早口でまくし立て、アスカは猛スピードでその場から逃げだした。
「アスカ姫! ……相も変わらず素早い。さすがは僕のアスカ姫だ。だが、もう少し好感を抱いてくれれば、なおいいのだが」
再度、前髪を掻き上げ、シンは艶やかに笑った。
猛スピードで空を駆け抜け、アスカはしばらくしてから振り返ってみた。そこにシンの姿はない。
「よし、ついてきてないわね」
肩の力を抜くと、アスカはほうきのスピードをゆるめ、憤慨した。
「なんなのよ、あいつ! ホンット、ムカつく!」
「私もあの人は嫌いです。あーいう身勝手な人は、いつかその身を滅ぼすんです」
肩につかまっていたティアラも、こくこくと首肯して賛同する。
「人間界にまで追いかけてくるなんて、しつこいったらありゃしない!」
「まったくですね。……あ、もしかしてあれ、渡羽さんでは……」
「渡羽!? ホントだ、渡羽だ。じゃあ、もしかしてあれが学校ってヤツかな」
たった今まで怒り心頭だったアスカだが、渡羽の名を聞いてころりと態度を変えた。
「そうなのではないですか? って、姫様、ダメですよ!」
先手を打ち、ティアラはアスカの髪を一束掴んだ。
「いったーいっ。髪引っ張らないでよ、ティアラ! 抜けたらどーするの!? 放しなさいよ!」
「放したら渡羽さんのところに行ってしまうじゃないですか。渡羽さんから来てはいけないって言われてるんですから、行っちゃダメですっ」
「いいじゃない、別に。それに……あっ」
「どうしましたか? 姫様」
アスカは渡羽を上空から見下ろし、まじめな顔つきで呟いた。
「ねえ、あの渡羽の前にあるのって、花壇よね」
「んー……そうですねぇ。花壇ですね。でも、なんか荒らされてませんか? 花がメチャクチャになって……」
キラン、とアスカの目が光った。
「何やら事件の予感! 行くわよ、ティアラ!」
「えっ? あ、いつの間に髪を……ああ、もう、待って下さい、姫様ぁー!」
焦りを顔に滲ませ、アスカは渡羽のもとへと急降下していった。
休み時間、渡羽は花壇の様子を見に外に出てきた。校舎の横手にあるその花壇は、園芸部のみんなで整えたもの。
そのうちの一つ、渡羽が担当している花壇の前で、渡羽は愕然とした。
花壇の花がなぜか残らず切られている。
無意識に、水の入ったじょうろを取り落としていた。水がアスファルトに広がっていく。
「なん……で……」
昨日まできれいに花が咲いていたのに。その面影は今やどこにもない。
花は全て、刃物のようなもので茎から切られ、花びらが散り、土が散乱している。
「渡羽!」
渡羽の後ろに降り立ったアスカは、ほうきを消して渡羽に駆け寄った。
思いがけない声に、渡羽は吃驚の声を上げた。
「え? アスカ!?」
「その花壇、どうしたの!?」
問いかけに、渡羽は俯いて顔を逸らした。
「……なんでもないですよ。それより、どうして君がここにいるんですか? 来てはいけないって言ったでしょう」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!? その花壇、もしかして渡羽のじゃないの?」
「そうですよ。俺が作ったものです」
「メチャクチャに荒らされてるじゃない! 一体、誰がやったの!?」
「分かりません。さっき来てみたらこうなってて……この花、やっと咲いたと思ったのに」
「え……?」
渡羽は痛ましげに、花壇をもう一度見て、腰を落とした。
真っ二つになっている花の一つを、手で丁寧にすくい上げる。
「この花は、昨日咲いたばかりなんです。なかなか咲かなくて、あきらめかけてたんですけど、昨日見てみたら咲いてたんです。なのに……」
「渡羽……」
渡羽の背中が、痛いほどに悲しい。アスカは胸に当てた手をきゅっと握りしめた。
(そうだよね。渡羽にとって、花は何よりも大事なものなんだ。一生懸命育てた花を……やっと咲いたばかりの花を、こんなメチャクチャにされて悲しいよね。
誰がこんなひどいことをしたんだろう。これじゃあ渡羽がかわいそうだよ……っ)
その時、ティアラが耳元で囁いた。
「姫様、チャンスですよ。願い事してもらう」
「あ、そっか。ねえ、渡羽! 願い事して。『花を元に戻して』って!」
渡羽の隣まで駆け寄り、アスカは明るい声で言った。
「え……? でも」
「そうすれば花も戻るし、あたしも課題一つクリアーできるし、えーとこういうの人間界ではなんて言うんだっけ。……あ、そう! 一朝一夕よ!」
「姫様、それを言うなら一石二鳥では?」
ティアラの冷静なツッコミが入る。
「うっ。~~~~なんでもいいじゃない! とにかく、渡羽、早く! このペンダントに向かって願い事言って!」
アスカは常時、胸にかけているペンダントを外し、渡羽に手渡した。ペンダントには赤・青・緑、三つの丸い宝石が三角の形に並んでいる。
渡羽はアスカの気迫に押され、おそるおそるペンダントを受け取った。
「じゃ、じゃあ……俺の花壇を元に戻して下さい……」
渡羽が願いを言うと、三つの宝石が発光し、ペンダントが宙に浮いた。
「パーガウェクオ=リ=ギオン=ラーチ=ポオアタエルク・リ=ギオン=オッツイ=オンザッキィエルク!」
アスカが呪文を唱える。呪文に呼応し、三つの宝石から発せられている光が混ざり合い、虹色になった。
「うわっ」
光の眩しさに、渡羽は目をつむった。虹色の光は大きく広がり、花壇を包み込んでいく。
その光が徐々に消えていくと、渡羽はそろそろと目を開き、目を瞠った。
花壇が元通りのきれいな状態に戻っていたのだ。
あの咲いたばかりだった花も、小さいながら顔をこちらに向けている。
「すごい……花壇が元に戻った。花もちゃんと咲いて……」
信じられない思いで、渡羽は咲いたばかりの小さな花に触れてみた。確かに本物の花の感触。昨日の感動が蘇る。
光を失ったペンダントはアスカの手元にゆっくと降りてきた。三つの宝石のうちの一つ、赤い宝石が白に変わった。
「ふう、パーガウェクオの一つが白になったわ。これで一つ目クリアーね」
「お見事です、姫様。普通の魔法はうまく使えないのに、パーガウェクオを操ることだけは失敗しないのは、やはり王家の者だからでしょうか」
にこにこ笑うティアラのセリフに引っかかるものを感じ、アスカはこめかみを引きつらせながら、笑顔でティアラの髪を両手できゅっとつかんだ。
「ふふふふふ。ティアラ~? だけってのは何よ、だけってのは!」
「あああ、すみませんすみませんっ。もう言いませんから髪の毛引っ張らないで下さいーっ」
「アスカ!」
渡羽は勢いよくその場で立ちあがった。
「ん? 何? 渡羽……わっ」
ティアラをぺいっと放り出し、アスカが渡羽に向き直ろうとした時、渡羽ががしっとアスカの両手を握りしめた。
「ありがとうございます! 花壇を元に戻してくれて。うれしいです。本当にありがとう!」
アスカは渡羽のうれしそうな顔を間近で見て、どきっと赤面した。
「ど、どういたしまして」
満面の笑みの渡羽に、アスカはどぎまぎした。こんなに近くで男の子の顔を見たのは初めてだ。
(わ~、渡羽に手握られちゃった)
アスカは渡羽に握られた手を見つめた。まだほんのりとぬくもりが残っている。渡羽はるんるんと花壇に戻り、花を眺めている。
視線を渡羽の後ろ姿に移し、アスカは微笑んだ。さっきまでの悄然とした背中とは打って変わって、喜悦に満ちている。
(でもよかった。渡羽に喜んでもらえて。渡羽がうれしいと、あたしもうれしい気持ちになる。こんなの、初めて……
願い事はあと二つ。このままいけばなんとかなるかも。よーしっ、がんばるぞ!)
アスカは頬を朱く染めて、渡羽の笑顔を見ながら意欲を燃やした。
三人から少し離れた木の枝に止まっていたカラスが「カア」と一鳴きし、どこかへと飛び去って行った。
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