2nd 同居
閑静な住宅街。アスカはそのうちの一つ、淡いクリーム色の家を見上げた。
「ここがあなたの家? ちっちゃーい。まるで庶民の家みたーい」
歯に衣着せぬ物言いに、
「まぁ……庶民と言えば庶民ですけど……」
悪気があって言っているわけではないと思うし、事実なので渡羽は深く気にしなかった。
「あ、ねぇ、渡羽! これ何?」
渡羽に続いて庭に入ったアスカは、脇の小さな花壇を指差した。
「それは俺が作った花壇ですよ」
「これ、全部一人で作ったの!?」
「ええ、まあ。俺、花が好きですから……」
照れ笑いを浮かべる渡羽。アスカは花壇をまじまじと見つめ、感嘆の息を漏らした。
「すっごーい。あたしにはマネできないなー」
「姫様は細かいことが苦手ですからね。一生、ムリでしょうねー」
「一生って何よ、失礼ねー!」
腕を組んでしみじみと頷くティアラ。半生ならともかく、一生とは何よ。
「アスカさんたち、ケンカはやめて下さい。あと、花壇に気をつけて――」
「ねえ、あたしのことはアスカでいいよ。『さん』づけされるのヤなのよね」
アスカは困ったように微笑した。
「すみません。じゃあ、今度からはそう呼ばせてもらいます」
渡羽が素直に謝ると、アスカは尊大に頷いた。
「よろしい。ところで、渡羽はティアラが見えるのよね?」
「うっすらとですけど……」
「OK。あのね、突然だけど、あたし本当は普通の人間じゃないの。魔法使いなのよ」
「ええっ!?」
あっけらかんとしたアスカの言葉に目を丸くする渡羽。当然の反応である。
アスカは自慢げに笑って「証拠、見せてあげる」と指を振った。
渡羽から二、三歩離れ、精神を集中させる。
「シッカイエルク!」
魔法界の言語で、魔法の発動ワードを唱えたアスカは、ふわりと宙に浮いた。渡羽はさらに目を丸くした。
「ア、アスカさん? う、浮いてますよ!?」
「どお? すごいでしょ。でも、こんなの序の口よ。あたしが他にできるのは……リロ」
言うや否や、アスカが立てた人差し指の先に火が灯った。
「うわっ、手から火が!?」
アスカが軽く指を振ると火は消えた。
「あとはハヒイエルクっていう、物を自在に動かす魔法くらいかな。この二つは、呪文詠唱は必要ないんだよ」
「すごいですねー。そんなことができるんですか」
目を丸くしながらも、感心したようにため息をつく渡羽。渡羽の顔の横に滞空しながら、ティアラが苦笑気味に言った。
「でも、これは基本中の基本ですから、魔法使いなら誰でもできるんですよ」
「もう、余計なこと言わないでよ、ティアラ! せっかく渡羽にいいとこ見せてるのに!」
「あああ、すみませんすみませんっ。もう口出ししませんから、首絞めないで下さい~っ」
きう~っとティアラの首を指で絞めるアスカに、渡羽は慌てて止めに入る。
「アスカさん、そんなことしたらティアラさんが死んじゃいますよ!」
「平気よ。これくらいじゃあ、ティアラは死なないわ。それと、アスカさんじゃなくて、ア・ス・カ!」
「そ、そうでしたね。では、そろそろ中に入りましょう」
家のカギを開け、渡羽はアスカたちを家の中へと促した。
母親はまだ仕事から帰ってきていないらしい。担当さんと打ち合わせがあると言っていたが、長引いているのだろうか。
「これが人間界の家なんだぁ。狭いけど、見たことない物ばかりでおもしろーい!」
食堂に入ると、アスカは物珍しそうにあちこち見ている。
「アスカさ……じゃなくて、アスカ、何か飲みますか? 麦茶しかありませんけど」
「むぎちゃ? ん~、よく分かんないけど、いる!」
「ティアラさんも飲みますか?」
「はい。いただきます」
渡羽はアスカにイスを勧め、台所横の冷蔵庫から麦茶を出してコップに注ぐ。
「で、渡羽。あたしが魔法使いだってことは信じてくれた?」
「え? まあ、魔法見せてもらいましたし、信じますよ」
「よかった。じゃあ改めて自己紹介。
あたしの名前はアスフェリカ・グランジェ・ウィル=マジカリア。長いからアスカでいいわ。
あのね、あたしが人間界に来たのは、女王試験のためなの」
「女王試験?」
「そう。あたし、実は魔法の国の王女で、王家では先祖代々、女の子が産まれた場合、十六歳になったら人間界に降りて、
で、それは女王になる素質があるかどうかを調べる試験でもあって、あたしも今日で十六歳になったから、人間界に降りてきたってわけ」
「そうなんですか。はい、どうぞ」
突拍子のない話に目を丸くしながら、渡羽はアスカの前にコップを置いた。
「ありがと。……って」
アスカはなみなみと注がれた麦茶を見て、顔をしかめた。
「何これ。なんか茶色い……」
「それは麦茶ですから……もしかして、知らないんですか?」
ティアラの前に、コップ代わりのボトルキャップを置いて渡羽が訊くと、ティアラも渋い顔をした。
「魔法界にはない飲み物です……」
「人間界の飲み物って、みんなこうなの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「なんかまずそう。でも、せっかく渡羽が出してくれたんだし……えいっ」
意を決し、アスカはぐいっとコップを豪快に
「ぷはっ。ちょっと苦いけど、さっぱりしてておいしー!」
「少し、グランの実のお茶に似てますね。色は全然違いますが」
「気にいってもらえたのならよかったです。それで、話の続きは……」
「ああ、うん。普通は願い事を叶えて終わりなんだけど、あたしの場合は、初歩の魔法しかうまく使えないから、修行も兼ねてるのよ」
「魔法修行ですか。あの、もし願いを三つ叶えられなかったら、どうなるんですか?」
「うーん、もしそうなったら罰として魔法界に強制送還されて、魔法力を奪われちゃうの」
「魔法力を奪われると、魔法使いもただのヒトですからね。魔法界で暮らすにはとっても不便になるんです」
「そうなんですか。結構、大変そうですね」
気遣わしげに表情を曇らせ、渡羽が俯くと、アスカはずばり言った。
「そういうわけで、渡羽! あなたは見事、あたしに選ばれたわけなのよ」
「え? 俺が選ばれた人間なんですか?」
驚いて渡羽は顔を上げた。
「そう! だから、これからよろしくね、渡羽」
「あ……はい、よろしくお願いします」
なんだか状況をうまく飲み込めず、渡羽は曖昧に頷いた。
「で、あたしはどこの部屋に住めばいいの?」
「どこの部屋に……って」
「姫様、ここに住む気なんですか!? いけませんよ、そんなの!」
ティアラが身を乗り出す。アスカは当然といった顔で、
「だって、渡羽の願いを叶えるのに、あたしが近くにいないと意味ないでしょ?」
「それはそうですけど」
「あの、急にそんなことを言われても……」
「ほら、渡羽さんも困ってますよ?」
「ええー? ダメなの? 渡羽」
おねだりするように、上目遣いで渡羽にすり寄るアスカ。
同年代くらいの女の子に、ここまで近づかれたのは初めてだったので、渡羽は「うっ!」と呻いて赤面した。
じーっと見つめてくるアスカ。目が「お願い。泊・め・て」と訴えている。
「……分かりました。母さんに頼んでみましょう」
渡羽はあっさり折れた。
「やったぁ!」
諸手をあげて喜ぶアスカを尻目に、ティアラは「本当によろしいんですか? 渡羽さん」と申し訳なさそうに訊いた。
「はい。ちょうど一部屋空いてますし、俺の母さんは童話作家で、メルヘンとかファンタジーなことを信じる人なので、きっとアスカたちのことを話したら喜びますよ」
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
ティアラはうきうきしているアスカに代わって、丁寧に頭を下げた。
その会話を、使い魔のカラスを通して、渡羽家の外で聞いていた青年は、ぐぬぬ、と固く拳を握りしめた。
「なんてことだ! アスカ姫があんな地味男と、一つ屋根の下で暮らすことになるなんて……! 断固阻止しなければ。
いや、待てよ? あんな地味男ならば、アスカ姫に何かするハズもないか。
いやいや、奴も男だ。四六時中そばにいれば、何かしら間違いを犯すかも……
それにしても、あのアスカ姫が自分から男に近づくなんて。だが、アスカ姫は誰にも渡さん! アスカ姫は僕のものだ。
ふふふふふ、はーっはっはっは!」
ふんぞり返って高笑いをする青年に、近くの家から出てきた中年の女性が怒鳴りつけた。
「ちょっと、そこのあんた! 変なバカ笑いしないでくれる? 近所迷惑なのよ!」
「あ、すみません。以後気をつけます」
「まったく、近頃の若い子は、周りの迷惑ってもんを考えないのかしらね。髪まで染めちゃってまあ……」
そうして、女性は長々と小言を言い始めた。青年は逃げるに逃げられず、最後まで説教される羽目になった。
翌朝。アスカはあてがわれた部屋のベッドで「んんーっ」と伸びをした。
「よく寝たぁ。あ、おはよう、渡羽」
「おはようございます、渡羽さん」
「おはようございます。朝ご飯、持って来ましたので、ここに置いておきますね」
渡羽は朝食の乗ったトレーをテーブルの上に置く。
「ありがと。昨日はごめんね、いきなり押しかけちゃって」
ベッドの縁に腰掛け、アスカはブラシで髪を整えながら言った。
「いいですよ。母さんも許してくれましたし。それに、こっちこそすみませんでした。母さんにたくさん質問されて疲れたでしょう?」
渡羽の母、
時々本屋でも見かけるし、渡羽が小さい頃はまだデビュー前だったが、手作りの童話をよく読んで聞かせてくれた。
昨日は担当者との打ち合わせ後、その担当者と一緒に帰ってきたのだが、ややこしくなりそうなので、担当者が帰ってからアスカを紹介したら、興奮してあれこれ質問攻めにしたのだ。
喜ぶだろうとは思ったが、まさかあそこまでとは。
二つ返事でアスカの同居を許され――むしろ言い出す前に「ねえ、うちに住まない!? いいえ、ぜひ住んでちょうだいっ!」と同居を勧める母を思い出して、紹介しない方がよかったのではと半ば後悔している。
「ううん。そんなことないよ。渡羽の母様って楽しい人ね。あたし、気に入っちゃった」
まったく気にしていない様子で破顔するアスカに、渡羽は心からほっとして微笑んだ。
「それじゃあ、俺は学校に行ってきますね。アスカは家で待っててくれますか。なるべく早く帰ってくるようにしますから」
「渡羽ぁ~。あたしも行っちゃダメなのー? 『学校』ってどんなとこー? 行ってみたーい」
魔法界にも学校はあるが、アスカは学校に通っていなかったので、『学校』というものがどんなものなのか興味がある。
「ダメです。部外者は学校に来てはいけない決まりなんですから」
「なんでなんでー? つまんなーい」
「とにかく、ダメって言ったらダメです。それじゃあ行ってきます」
「いってらっしゃぁぁぁい」
不服そうに口を尖らせつつ、アスカは渋々と渡羽を見送った。
家を出て歩いていく渡羽を、窓から見下ろしてため息をつく。
そのまましばらく、ボーッと空を見上げてみる。
「姫様、暇でしたら魔法の修行でも」
「イヤ。」
即答され、ティアラはがくっと肩を落とした。
「そんなことばかり言っていたら、願い事を叶えるなんて夢のまた夢ですよ?
そんなことになったら、魔法力を封じられてしまうんですよ! いいんですか?」
「イヤに決まってるでしょ。でも、修行するのもイヤ」
「どうすればいいんですか、もう」
嘆息するティアラ。しかしすぐに何かを思いつき、アスカの右肩に座る。
「あ、ではとりあえず、人間界を散歩しましょうよ。しばらく人間界にいるわけですし、人間界のことを知っておいた方がいいです。それならいいでしょう? 姫様」
「そうねー。じゃあ、そうする。そこの窓開けて、ティアラ」
「え? はい」
ティアラは窓の鍵を解錠し、魔法で窓を開けた。
「リ=アフィ=レストエルク!」
魔法でほうきを出し、アスカはほうきにまたがった。
「ほうきの準備OKっと」
「姫様、窓開けましたけど、どうする……」
「アフィ=リ=グオレ=ヒェウタエルク」
「え? 姫様? ま、まさか……」
振り返った瞬間に飛行呪文を耳にし、ティアラはたらりと汗を垂らした。
「リ=ラーチ=クム=マウロ=ウィトリセルク!」
ティアラは止めようとしたが一歩間に合わず、アスカは開け放たれた窓から外へ飛び出した! ほうきに乗って。
「やっぱりぃ! 姫様、いけませんよ、窓から外に出たりしては! 誰かに見られたらどうするんですか!」
半泣きで、ティアラは窓の外で滞空しているアスカに叫んだ。
「大丈夫、大丈夫! 全然、問題なしよ!」
「なんの根拠もなしに、自信たっぷりに言わないで下さいっ」
「ほーら、何してるのよ、ティアラ。置いてっちゃうわよ」
「あっ、置いていかないで下さーい」
ティアラは魔法で窓を閉めてから、ワガママ姫様の後を追った。
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