1st 出逢い
父親の強制転移魔法によって、アスカは人間界に放り出された。しかも、空中に。
「いやーっ、なんでよりにもよって空なのよぉー!」
落下しながらアスカは呪文を唱えた。
「リ=アフィ=レストエルク!」
すると、アスカの手の中にほうきが現れた。うまく体勢を直し、ほうきにまたがって別の呪文を唱える。
「アフィ=リ=グオレ=ヒェウタエルク・リ=ラーチ=クム=マウロ=ウィトリセルク!」
魔法発動! ほうきはぶわり、と重力に逆らって宙に浮いた。そこでようやく一息つく。
「ふう。あー、よかった。ティアラも無事?」
きょろりと首を巡らせると、ティアラはすいーっと滑るように降りてきた。
「はい。まったく問題ありません、姫様」
ティアラは長い髪を揺らして、ガッツポーズをしてみせる。アスカは眼下に広がる人間界を見渡した。
「ここが人間界かぁ。なんかごちゃごちゃしてるとこねー。
でも、気持ちいい風吹くじゃない。やっぱり、ほうきで空飛ぶのは気持ちいいわね。
これで修行のためなんかじゃなかったら最高なんだけど」
「仕方ありませんよ、掟ですもの。でも、これはいい機会です。姫様、きっちり修行してもらいますよ!」
腰に手を当て、ティアラはアスカの顔の周りを飛びながら小言を言い始めた。
「いっつも修行をサボってばかりで、ろくに練習もしないおかげで、レベルの低い魔法しか使えないんですから!」
「うるさいなぁ。レベルが低くても、応用すればなんとかなるんだからいいじゃない!
何よ、ティアラなんて、魔法って言ったら、ドア開けるくらいしかできないクセに!」
「私と姫様を一緒にしないで下さい! 姫様は一国の王女なんですから、初歩の魔法しか使えないのでは、民に示しがつかないと言ってるんですっ!」
ティアラの切り返しに、アスカは嫌味っぽく返した。
「あたしは好きで一国の王女に産まれたわけじゃないわよ! いいわよねぇ、あんたはお気楽な妖精に産まれることができて!」
「お気楽なんかじゃありません! 私だって苦労してるんですよ。姫様の世話やら何やら……」
「何よそれ! それじゃまるで、あたしがティアラに世話かけまくってるみたいじゃないの! チビっ子のクセに生意気よ!」
「チビっ子って言わないで下さい! その気になれば魔法で大きくなれますぅ!」
「だったら、いつでもおっきくなってなさいよ! 虫みたいでうっとうしいのよ!」
「その魔法を使うと疲れるんですー!」
不毛な言い争いを続けていたが、なんだかバカバカしくなってきたアスカは、現状を思い出して気を取り直した。
「あーもう、こんなことで言い争ってる場合じゃないわ。さっさと人間選んで、願い事叶えなくっちゃ。そしてマジカリアに帰って、父様に文句言いまくってやるんだから」
「適当に選んではいけませんよ、姫様。しっかり、その人の本質を見極めてからにして下さい。くれぐれも、魔法を悪用しそうな人を選ばないで下さいよ?」
「分かってるわよ。よっと」
アスカはほうきの上に立ち上がって、下界を見回した。
「うーん、そうねー、誰にしようかしら」
目の上に手をかざしてきょろきょろするアスカに、ティアラは顔色を変えた。
「何してるんですか、姫様! 危ないですよ!」
「大丈夫よ! ほうきは得意中の得意なんだから!」
「それはそうかもしれませんけど~~~」
ティアラが不安げに表情を曇らせた時だった。前触れもなく風が吹き荒れ、アスカはバランスを崩した。
「わわっ、何、この風!? 落ち……きゃああっ」
「姫様っ!」
ほうきはアスカの手を離れどこかへと飛ばされ、アスカは地上へと落下していった。
その日、
母親曰く「飛鳥の手料理はなかなかのものだから自慢したくって」だそうだ。
「***(きゃあああっ)―――――!」
商店街を突っ切っていた渡羽は、妙な叫び声を聞いた。
「……ん? なんでしょう、上から人の声が……」
呟いて何気なく上を見上げると、渡羽は我が目を疑った。
「……!?」
人が落ちてくる!? しかも、自分の上に。
「****(どいてぇぇぇっ)――――!」
声からして女の子のようだ。聞いたことない言葉だが。いやいや、そんなのんきに構えている場合じゃない!
「ええええええっ!?」
なぜ人が? パニックに陥る渡羽。高速落下してくる少女が「***(もうダメぇ)!!」と叫ぶ。
渡羽は反射的に、その少女の体を受け止めていた。
「うっ、わわわっ」
ものすごい衝撃。渡羽はたたらを踏んで仰向けに倒れる。はずみで渡羽のかけていた眼鏡が落ちた。
歩いていた人々がざわめき出す。アスカはむくりと起き上がると憤慨した。
「いたた……もうっ、なんなの、今の風は!!」
人々が注目する中、アスカのもとにティアラがようやく追いついた。
「姫様ぁぁぁぁぁぁぁっ」
「ティアラ」
見上げると、ティアラは涙目で言った。
「ご無事ですか、姫様。よかったです~」
「もう、災難よ。まさか、あたしがほうきから落ちるなんて。とっさに衝撃吸収魔法かけたからよかったものの」
遠巻きに人々はアスカに不審な目を向ける。周りの人々のざわめきを聞いて、ティアラははっとした。
そう言えば、人間界と魔法界では使われている言語が違うのだ。それをアスカに伝えようとした時、アスカの下から声が聞こえた。
「***(ちょっと、君)……」
「んんっ?」
見てみると、自分の下に人がいる。そういえばさっき、ちょうど落ちるところに人がいたような……
「******(いい加減どいてくれない)? ****(重いんだけど)……」
聞き慣れない言語にアスカが困惑すると、ティアラが通訳してくれた。
「どいてほしいと言ってますよ。姫様」
「えっ。ああ、ごめん!」
慌ててアスカがどくと、下敷きになっていた少年は体をさすりながら起き上がった。
「大丈夫?」
アスカは念のために訊いてみたが、少年は驚いたように目を丸くした。次いで困ったように小首を傾げる。
「姫様、忘れたんですか? こちらとあちらでは使われている言葉が違うので通じませんよ。こちらの言葉じゃないと」
「へ? あっ、そうか」
言われてからようやくアスカも気づいた。そうか、言葉が通じていなかったのか。こほん、と咳ばらいをし、アスカは言語変換魔法の呪文を唱えた。
「リ=エチャッユア=ワング・リ=ポオアタ=ワング・リ=オッツイ=クム=ロアジェルエルク。
……えーと、改めて。大丈夫?」
おそるおそる、もう一度訊いてみる。今度はちゃんと通じただろうか。
「え? あ、ああ……大丈夫だよ」
あのスピードで落ちてきたわりには、衝撃は少なかった。なので痛みはあまりなかったが、重かった。
渡羽は、急に言葉が通じたので少し驚いたが、言葉が通じてホッとし、微笑んだ。
「君の方こそ、ケガとかしてない?」
その微笑みに、アスカは一瞬どきっとした。なんて素敵な笑顔なの。
「うん、大丈夫。あなたが下敷きになってくれたから……」
「下敷き……うん、まあそういうことになるか」
正直な言葉に、渡羽は少しショックを受け、乾いた笑みを浮かべた。
「とにかく、ケガがないならよかった。どうして、空から落ちてきたかは訊かないでおいてあげるけど、危ないことはしちゃダメだよ」
「は、はいっ」
気を取り直して、諭すように告げると、少女はなぜかぽーっとした顔で返事をした。
それにしても、珍しい格好の女の子だ。この辺りではあまり見かけない。変わった髪の色をしているし、外国人だろうか。
などと考えていた渡羽だったが、はっと思いだした。
「あ……俺の眼鏡……」
足元を見回す少年に、アスカはそばに落ちていた眼鏡を手渡した。
「もしかしてこれ?」
「それだ! ありがとう」
眼鏡を受け取り、ふいに視界に入った腕時計を見て、少年はぎょっとした。
「あ、もうこんな時間じゃないか! それじゃあ、俺急ぐから」
「あ、ちょっと!」
アスカが止める間もなく、少年は走り去ってしまった。その後ろ姿を、アスカはぼーっと見つめる。
「行っちゃいましたね。それはともかく、さあ、姫様。
ティアラが問いかけると、アスカは頬を紅潮させ、興奮気味に言った。
「か、かっこいい~!」
「ええっ?」
「優しげな物腰、穏やかなまなざし。加えて颯爽と去るその姿……完璧、あたしの理想のタイプ~っ」
「姫様って、あーいうのがタイプでしたっけ?」
語尾にハートマークをつけてラブラブ光線を放つアスカに、ティアラは首を傾げる。
と、俄然アスカはぐっ、と握り拳を作って宣言した。
「決めたわ。あたし、あの人にする!」
「ええっ? でも、もういなくなっちゃいましたよ? それに、そんな簡単に決めちゃダメですよっ」
「あの人なら、全然、問題なしよ! あたしの直感がそう告げてるの! さっそく追いかけるわよ、ティアラ!」
「あっ、待って下さい、姫様~!」
どびゅん、と駆け出したアスカを、ティアラは慌てて追いかけたのだった。
それを物陰で見ていた怪しい青年は、怪しい笑い声を発した。
「ふふふふふ。見つけたぞ、アスカ姫。
姫を追いかけて数年。姫に近づく不埒な男どもは、全てこの手で排除してきた。
人間界と言えど、油断は禁物だからな。こうしてそばで見張っていなければ」
にやりと笑うと、怪しい青年は高らかに叫んだ。
「さあ、不貞の輩どもよ、どこからでもかかって来い! 僕のアスカ姫には、指一本でも触れさせはしないぞ! はーっはっはっは!」
青年の横を通り過ぎようとしていた老人がびくーっ、と飛び上がり、離れた所を歩いていた高校生たちが「やだぁ、何あれ?」「警吏隊呼んだ方がいいんじゃねぇの?」とひそひそ話をしながら、通り過ぎていった。
混みあう商店街の中、アスカは人混みをかき分けて、一目惚れの少年を捜していた。
しかし、人が多くてなかなか目的の人を見つけられない。
「もう、なんでこんなにたくさん人がいるのよ。これじゃあ、見つけられないじゃない!」
「この中から見つけるなんて無理ですよ、姫様。あきらめましょーよぉ」
「イヤよ。あたしはあの人に決めたんだから! あんた、せっかく堂々と空飛べるんだから、上から捜してよ」
「そんなこと言われましても、特徴があれば見つけられるかもしれませんが、さっきの人はこれと言った特徴が……」
「あ、もしかしてあの人かな?」
「って、姫様、自分から言っておいて無視ですか」
ティアラのさりげないツッコミはアスカの耳には入っていなかった。見覚えのある後ろ姿に、アスカはルンルン気分で声をかけた。
「あのぉ、すみませーんっ」
「はい?」
振り返った人を見て、アスカは目を点にした。
「………………」
確かによく似ているのだが……………………地味だ。さっきの爽やかさはまったくない。なんだか暗い。
「姫様、この人は違うのでは……」
控えめにティアラが言う。アスカは小声で「そ、そうね」と返すと、相手に向き直り、なるべく明るく謝る。
「間違えましたっ。ごめんなさい!」
そのまま百八十度、くるりときびすを返そうとするアスカを、少年が引き留めた。
「待って下さい。君、さっきの女の子、ですよね?」
「へ? ……ていうことは……まさか、あなたがさっき、あたしの下敷きになってくれた人ぉ!?」
がーんっ。
少年の言葉に、アスカはがっかりした。
(ウソでしょ? さっきの爽やかな人と、この地味ーな人が同一人物? 信じられない!)
アスカの中で、ガラガラと爽やか少年のイメージが崩れていく。
その少年――渡羽はと言うと、二度目の『下敷き』に、またショックを受けていた。
「下敷き……はい、そうです。先程はどうも……」
ぺこりと軽く頭を下げた渡羽は、明らかにさっきと雰囲気が違う。
アスカはじろじろと、それこそ頭のてっぺんからつま先まで、品定めするように渡羽を見ると、はっきりと正直な感想を漏らした。
「ヘぇ―――――。眼鏡かけただけで、さっきとは全っっっ然、印象が違うわね。思いっきり地味になったわ。」
「……さっきもそうでしたけど、君って、思ったことを正直に、きっぱりと言うんですね……」
自分が地味なのは重々承知だが、ここまで堂々と、面と向かって地味だと言われたのは初めてだ。笑えばいいのか泣けばいいのか。
「ところで、なんの用ですか?」
「そうそう。さっき、お礼言いそびれちゃったから、ちゃんとお礼言っておこうと思って」
「それだけのために、わざわざ俺を追いかけてきてくれたんですか!?」
「うん」
(なんか、さっきと口調とか雰囲気とか違うし、ちょっと地味だけど、この程度であたしの決心は揺るがない! あたしの直感が外れたことはないんだから!)
かなりイメージは崩れたが、さりとて、助けてくれたことは事実。助けてくれたというか、下敷きにしてしまっただけだが。
自分の直感を信じ、アスカは渡羽に礼を言った。
「さっきはどうもありがとう。それで、あなたの名前を教えてくれるとうれしいんだけど」
「え? あ、はい。俺は渡羽飛鳥と言います」
「あすか!?」
「そうですけど……あの、何か?」
「偶然! 正式名じゃないけど、あたしもアスカって呼ばれてるのよ」
「そうなんですか? 偶然ってあるんですねー」
「ほんとね」
ぽやんと笑うと、渡羽はアスカの左肩に目を向け、
「じゃあ、その肩に乗っている女の子の名前は、なんて言うんですか?」
「「え!?」」
アスカとティアラは声をハモらせ、同時に驚愕した。
渡羽は「どうかしましたか?」ときょとんとする。アスカは小声でティアラに話しかけた。
「ウソッ、ティアラのこと見えるの!?」
「そんなハズありません。私たち妖精は、普通の人間には見えないんですからっ。ええ~、どうしてでしょう~」
「落ち着いて、ティアラ。大丈夫、なんとかなるわよ」
「姫様ぁ~」
涙目になるティアラを元気づけ、アスカは渡羽に確認してみた。
「あなた……この子の姿が見えるの?」
「はい。うっすらと透けて見えます」
「すごーい。ティアラは普通の人には見えないハズなのに。あ、声は聞こえる?」
アスカがちらりと目で促すと、ティアラはおずおずと渡羽に話しかけてみた。
「あの、ティアラと申します。聞こえますか?」
「声ははっきり聞こえますよ。ティアラさんですね。渡羽飛鳥です。よろしくお願いします」
ほっと肩の力を抜いて、ティアラは笑った。
「こちらこそ、よろしくお願いします。えーっと、渡羽さん、でよろしいですか?」
「はい。あの、こんな所では通行人の邪魔になるんで……俺の家に来ませんか? すぐ近くなんで……」
渡羽の申し出に、アスカはぱあっと顔を輝かせた。
「いいの!?」
「はい。では、行きましょうか」
「はいはーい!」
喜色満面で、アスカは渡羽と並んで歩き出した。
それを物陰で見ていた謎の青年は、苛立たしげに唸った。
「むむむむむ。なんなんだ、あの男は! いきなり出てきて「俺の家に来ませんか?」だとう!? ふざけるな!
アスカ姫は僕のものだ。あんな男に姫を奪われてたまるものか。排除しなければ。よし、尾行開始だ!」
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