第九夜:04【御堂小夜子】

第九夜:04【御堂小夜子】


 どくん。


 小夜子の意識が復活する。

 糸の切れた繰り人形のように彼女は床へ跪き、そして蹲った。


「うっ……うっ……うううー……ううーっ!」


 荒れ狂う感情が溢れ出す。

 声を押し殺すこともできず、ただ、ただひたすらに、少女は涙を流し続けていた。


(私、馬鹿だ)


 自らを犠牲にするだけなら、恵梨香の人格からすれば必然ともいえた。

 だがあの恵梨香が、あの優しい恵梨香が。

 他者をその手にかけてでも、良心も誇りも、今までの自分の生き方を、全て捨ててでも。


 願ったのだ。

 ただひとつ。たったひとつだけを。

 恵梨香は小夜子が生き残ることだけを、願ったのだ。


 愛。

 それは優しさではなく、愛であった。

 小夜子が求めていたものとは、違う愛。

 だが確かにそこには、愛があったのだ。

 世の全てと交換しても惜しくはないという、愛が。

 長野恵梨香は、御堂小夜子を愛していたのだ。


 そのことを理解した小夜子の目から、涙がなおも流れ落ちていく。

 暖かくて、悲しくて、嬉しくて、悔しくて、切ない感情の雫。

 心が全て溶け込んだかのようなそれは……強まる嗚咽と共に、床へ広がり続けていた。



『起きてくれ、サヨコ』


 その声で小夜子は目覚めた。

 どうやら子供のように、泣き疲れて眠ってしまったらしい。


「ん……」


 顔を上げると、そこにはキョウカの姿。


『サヨコ=ミドウ』


 妖精ではなく、あの時に映像で見た少女の姿だ。

 ただやはり実体ではないらしく、アバターの時と同じような感覚がそれからは伝わっていた。


『本日の午前二時、今試験優勝の瞬間をもって、君の監視は永久に解かれた。そしてユナイテッド・ステイツ・ノーザン政府の特例措置により、君にはこれ以降人権が適用され、国籍も与えられる』


 淡々と伝えるキョウカ。

 立体映像ではあるが、やつれた顔の瞳はまだ虚ろだ。当然だが、立ち直れてはいないのだろう。


『あと六時間……今日の正午をもって、君は僕たちが滞在している南方の島へと転送される。それまでに身辺整理を済ませ、準備を整えておいて欲しい』


 小夜子はそれを、黙って聞き続けた。


『僕らのいる航時船……まあ、大型のタイムマシンさ。宇宙船みたいな奴……への転送後、教授との面談やテレビ局ディレクターとの打ち合わせが予定されている。休憩の後はこの試験と収録の終了を祝して、学生や番組関係者を集めたパーティーの開催だ。君もそれにゲストとして出席してもらうことが、決まった』


 キョウカが、壁にかかった小夜子の制服を指差す。


『パーティーというが、服は制服でいい。むしろこの時代を感じさせるために制服で来て欲しい、と頼まれている。だから靴も部屋まで運んでおいてくれ。その格好のまま、君を船へと転送する』


 手がゆっくりと下りる。


『パーティーの後、翌日には撤収。僕たちは君を連れ、二十七世紀へと帰還だ。二十七世紀に着いた後は、君は一旦テレビ局の預かりになる。その後の予定を僕は知らない。彼らから、改めて知らされることになるだろう』


 そこまで説明したキョウカは目を逸らし、唇を噛んだ。


『……最終戦の記録は、僕も見たよ』


 小夜子が、微かに頷く。


『……すまない。こういう時、何て声をかけたらいいのかまるで分からないんだ。人間を効率的に管理する【教育運用学】が笑わせるよな、ホント……本当……ごめんよサヨコ』


 目を合わせることもできずに、肩を震わせながら呟くキョウカ。

 二人の間を、長い静寂が流れていく。

 だがしばしの後に沈黙の支配を打ち破り、小夜子が問いかけたのだ。


「単刀直入に言うわ。キョウカ、力を貸して」


 それは意外な言葉であった。

 驚いたキョウカが、振り返るように小夜子の顔を見る。

 その瞳には、強い意志の光が灯っていた。


「アンタには受け入れ難い話だわ。そしてアンタが弱っているところに付け込んで、私はこの話をするの。最低よね? 断って当然だと思う。だから私は、一人でもやる。でも……一度話を、聞いてくれる?」


 小夜子からまっすぐ見つめられ、キョウカが頷く。


「ありがとう、キョウカ」


 ……そう小さく言った後、小夜子は計画をキョウカへ語ったのだ。

 そして全てを聞いた後にゆっくりと首が縦に振られ、同盟者は共犯者となった。


『そうか、サヨコ……いや。今の君は、【スカー】なんだな』

「ええそうよ。私は【スカー】」


 赤く、黒く、粘りを持った熱い「何か」。小夜子の中の、もう一人の小夜子。

 恵梨香を守るために小夜子が宿した、悲しくもおぞましき精神。

 残酷で、冷酷で、獰猛で、そして想いに身を焼いた怪物【スカー】。

 その【スカー】へ向け、キョウカが意を決したように口を開く。


『分かった、協力しよう【スカー】。ただし僕にも、条件がある』

「何かしら。あまりアンタにしてあげられそうなことって、私、無いけど」

『大したことじゃない。今の君なら、片手間でできることさ』


 キョウカは一息ついて目を瞑った後……途切れた言葉を続け直した。


『一緒に僕のことも、殺して欲しいんだ』

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