第九日:02【御堂小夜子】

第九日:02【御堂小夜子】


 夕食支度中の、御堂家台所。

 家事技能の著しく低い小夜子には任せておけぬということで、恵梨香が腕まくりにエプロン姿で張り切っている。むしろ小夜子は火の元や包丁へ近寄ることすら許されず、完全に子供扱いでテーブルにて待機を命じられていた。


 仕方なく、恵梨香の後ろ姿をじっくりねっとりと視線で嬲る小夜子であったが……まな板を置いたりパックから肉を取り出したりする恵梨香に対し、耐えきれずに声をかける。


「ねえ、えりちゃん。一生のお願いがあるんだけど」

「なぁに? 何か合わせて作って欲しいものとかあったの?」

「折角だから裸エプロンってやってもらってもいい?」

「……眠いのならソファーで寝てなさい」

「えー、やってよー、裸エプロン、裸エプロン。きっと似合うよー」


 小夜子が不満の声を上げると、恵梨香はわざわざ手を洗ってから親友へと歩み寄り、三連チョップを繰り出した。しかも、かなり強めの。

 ぐべえ、と蛙のような悲鳴を上げて潰れる狂信者。


「六十度くらいの角度で叩くのがコツよ」

「私は壊れたテレビじゃないよ!?」


 今時のテレビは、叩いても直らない。


「だったら変態発言は慎みなさい。大人しく待っててね?」

「うう……はーい」


 そうして、夕食ができ上がるまで……二人は他愛もない会話を交わしながら、時間を共有し続けていた。



 一緒に洗い物を済ませ、また少し別のゲームで遊んでいると。


 ちゃららららん、らーんらーんららららー。


 風呂に湯が張られたことを知らせる通知音が、居間にまで聞こえてきた。


「あ、お風呂沸いたね。えりちゃん、先入ってきなよ。私は後で、出汁がきいたお湯をいただくから」

「お味噌汁じゃないんだから……別に、一緒に入ればいいじゃない」


 予想外の提案。そのまま恵梨香に引っ張られるように、小夜子は風呂へと向かうこととなる。


「懐かしいなあ。昔はしょっちゅう一緒に入ってたのにね」

「さささ流石に小学校の頃とは違うわよ」

「そうねえ。ほら冷えるから早く入って入って。ほれほれ」


 女神の脱衣を凝視する小夜子であったが、恵梨香に促されあっという間に裸にならざるを得ず……早々に風呂場へと押し込まれてしまう。

 残念と思いながらも風呂マットを敷き、風呂の蓋をはぐる。蓋をくるくると丸めて風呂場の隅に立てたところで、恵梨香が入ってきた。


 その裸身に、目が釘付けになる。

 張りのあるきめ細やかな肌、豊かな双丘と形の良い尖端。同い年とは思えない、くびれた腰。すらりとした脚。

 小夜子の鼓動が強く、早くなっていく。


「ヘアバンドとゴムも持ってきたよ。ここ置いておくからね」

「ん、ああ、ごめん。あ、ありがと」

「やだもー、何照れてるのよ」


 恵梨香が小夜子の頬を、ツン、とつつく。


「ねえ、えりちゃん。お願いがあるんだけど」

「なぁに?」

「おっぱい揉んでいい?」

「全然照れてないじゃん!」


 呆れたという顔をして、恵梨香が溜め息をつき答える。


「生は却下です」

「ぬぅ!?」

「ぬぅ、じゃないよ、まったく」


 そして小夜子を風呂椅子に座らせ、髪を洗うためにシャワーをかけて、すすぐ。

 髪に湯をかけられながらの小夜子が、鏡越しの恵梨香に再度声をかけた。


「じゃあ、おっぱい吸っていい?」

「良いわけあるかあああ!」


 後ろから右頬をつねられ、小夜子が悶える。


「あばばばばば」


 加えて、顔にシャワーが浴びせられた。

 自業自得ではあるが、今日のおしおきは厳しい。



 髪も身体も洗い終えた二人が、湯船に浸かっている。

 始めは向かい合うように入ろうとしたが、「エロすけの視線がいやらしい」という理由で小夜子が恵梨香の足の間へ入り、背中を抱かれるような姿勢で浸かることとなった。


 暖かく、柔らかい。

 体重を預けると、恵梨香は小夜子が傾きすぎないように加減して、彼女の身体を抱きかかえるように支えてくれた。


「んー、よき背もたれじゃ」

「さっちゃんはちっちゃいから、この姿勢で丁度具合いいね」

「……小学校二年生までは、私のほうが背が高かったのに」


 膨らんだ小夜子の頬を、恵梨香が指でつつく。空気が押し出され、ぷっと音を立てる。


「ホント、どうしてこうなったんだろうねえ」


 くすくす笑う声を聞きながら……小夜子は柔らかさと温もりに、身を預けていた。


(ああ私は。この温もりを守れたんだわ)


 後悔は無い。後悔する要素が、無い。

 ただこの温もりも、この柔らかさも、この優しい声も……今日を最後に自分はもう感じられなくなるのだ、想うこともできなくなるのだ。

 小夜子はそう考えると、涙が溢れそうになる。


「んしょ」


 相手を圧迫しないように気をつけつつ湯船からやや上体を出し、ぐるり、と向きを変える小夜子。そして恵梨香の頬へ、猫のように自分の頬を触れさせた。

 しかし恵梨香は小夜子が体勢を崩さぬよう手で支え続け、決して拒みはしない。「ふふふ」とくすぐったそうに笑うだけだ。小夜子も「ふふふ」と笑い返す。


 しばらくして小夜子が頬を放し、身体を起こす。

 目の前に、恵梨香の唇があった。

 しばしの逡巡の後、口を開く小夜子。


「ねえ、えりちゃん。お願いがあるんだけど」

「なぁに?」

「……キス、してもいい?」


 恵梨香は少し驚いたような顔を見せたが、すぐに穏やかな表情へ戻り、


「いいよ」


 と優しく答えた。


 ゆっくりとふれあう唇。

 小夜子の閉じた瞼から湯船よりも熱いものが頬を伝い落ち、水紋を作っていた。

 そしてそれが消えた後、静かに小夜子が恵梨香から離れる。

 二人の間で糸を引いた唾液が、つぅー、と伸び、切れ、湯へと落ちた。

 沈黙が流れる。


「ごめんね」


 小夜子は小さく言った。


 分かっているのだ。

 小夜子の口づけと、恵梨香の口づけと。

 似てはいるが、異なるものであるということは。

 そう、分かっているのだ。


 恵梨香は小夜子の謝罪に対し、ただ微笑んでいるだけ。

 耐えきれず、目を逸らす小夜子。

 ようやくそこで口を開いた恵梨香が発したのは、それもまた問いであった。


「ねえ、さっちゃん、私もお願いがあるんだけど」

「……何かしら」


「キス、してもいい?」


 小夜子は驚いた顔を見せたが、すぐに穏やかな表情へ戻り、


「……いいよ」


 と優しく返した。

 再びゆっくりと、近付く唇。


 先程、小夜子から求めた時よりも。

 何倍も。そう、何倍も。

 長い時間、二人は唇を重ね続けていた。

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