第七夜:03【スカー】

第七夜:03【スカー】


「もぉ、逃げないでよ~! こういうのを分解すると、埃がたって嫌なんだから」


 見せつけるように塵を払う仕草をしつつ、【ハートブレイク】がこぼす。


「……って、あれ?」


 だが、聞いている者は誰もいない。

【ハートブレイク】が倉庫の壁に穴を開けたのと同時に、小夜子は脱兎の如く走り去っていたからである。



 ……たったったったったっ。


 呼吸を乱しながらも、小夜子は全力で走り続ける。道路に出て左。先程の修理工場の前を抜け、交差点まで辿り着く。そして領域外壁へなるべく近付かぬよう、右折して対戦領域の中央方向を目指した。


 たったったったったっ。


 幾らもせずに息が切れる。やむを得ず、最寄りの敷地へ逃げ込む彼女。


「カーショップ ミノウラ」と書かれたそこは、最初に侵入した建屋とは同業者。自動車の修理を行う、小工場であった。

 つまりレイアウトや見た目が異なるだけで、構成する内容は大体同じ。先程の工場に足を上げた車両はなかったが、こちらはタイヤ交換の真っ最中だったらしい。門型二柱のリフトが、車輪のない軽自動車を腰の高さまで持ち上げていた。

 歩み寄り、身を隠すため工場か事務所に入ろうとした小夜子だが……わずかに逡巡し、それを止める。


(もし中にいて壁越しに【ハートブレイク】が現れたら、逃げ場が無いわ)


 相手は障害物や壁すらも無視して進めるのに対し、小夜子はドアか通路を経由してしか逃げられない。発見される危険を承知で、開けた場所にいるべきとの判断であった。


「すーはー、すー」


 呼吸を整えつつ、考える。


(あいつ、まっすぐに追いかけてきてた)


【ハートブレイク】は最初の修理工場から次に小夜子が隠れた倉庫裏まで、道路にも出ず、一直線に突っ切ってきたと思われた。

 ネジ工場との間のコンクリ塀も、おそらくはネジ工場自体も。工場と駐車場の間のフェンスも、そして倉庫の壁も……能力で邪魔な物は全て分解し、除去し、悠然と歩いてきたに違いない。まっすぐに、獲物目掛けて。

 ここに来て小夜子は、対戦前にキョウカから言われた言葉を思い返す。


『注意すべきは、不正に抽選した強力な能力だけじゃない。連中は、視聴者にバレない範囲で能力以外にも改竄を加えている可能性がある。特に今回は三人娘のリーダー格、ヴァイオレットの担当だ。一番いい成績を取らせるためにも、三人の中で最も強化されていると見ていい』


 攻撃能力以外の改竄、その可能性。


(あの女は、私の居場所が分かるのかもしれない)


 今度は、以前遊んだFPSゲームのネット対戦を思い出す。

 小夜子はコンシューマ機でのプレイだったため遭遇した経験はないが、PC版ではイカサマ……ソフトウェアチートを用いてプレイする悪質プレイヤーもいると聞く。

 撃たれても死ななくなるとか、必ず相手の頭部に照準をつけられるとか、移動速度が速くなるとか……。


(相手の居場所が分かるとか、ね)


 なるほど不死のような露骨なイカサマならともかく、相手の居場所がわかるだけなら、テレビ番組で放送されたとしても不正と睨まれにくいだろう。分析や予測能力に優れているとか、カンがいいとかで、幾らでも言い訳はきく。


 強力な防御力と近接攻撃力。障害物を除去する驚異的な踏破性。そして敵の場所を感知するチート。極めて、極めて相性の良い組み合わせだ。

 使用者は相手の居場所を目掛けただ歩いていれば、それだけで最終的に獲物を追い込むことができるのだから。


 ……小夜子はその疑いについて、確認する必要に迫られていた。



 小夜子は随分と走ってここへ辿り着いたが、それは道路沿いに進んだからである。直線で目指せば、左程に時間は掛からない。来られれば、の話だが。


(予想通り来たら、チートの証明。来なければそれで良し。やりようも増えるし、考える時間も増えるわ)


 そして敷地の周囲を囲む塀、それも直線上に先程の遭遇地点を見据え……小夜子はいつでも駆け出せる姿勢で、息を整えつつ待ち構えた。


 ……そして。

 あまり時間を置かずして、【ハートブレイク】がその姿を現す。小夜子が予想していたよりもかなり右側の塀を、塵へと崩し去って。


(やっぱり、居場所が分かるんだ!?)


 だが位置予想がずれたのは、【ハートブレイク】も同じだったらしい。敷地に侵入した彼女は周囲をきょろきょろと見回し、それからようやく標的の姿を確認した様子であった。


「あらら、もっとそっちのほうだったか~」


 頬を膨らませ、


「も~。埃っぽくて嫌だって言ってるで、ショ?」


 ウインクし、獲物へ向け歩き出す。


(位置バレは確定! でももう少し探る!)


 スカートのポケットに手を入れた小夜子は小さなスパナを一本取り出すと、軽く振りかぶって【ハートブレイク】の顔面へと投げつける。

 意外な器用さで胸元へ飛んだスパナは案の定、【ハートブレイク】に当たる前に分解され塵となり散っていった。同時にその足下で術者を中心とした円周状に、コンクリート路面が一瞬ぞわりと蠢く。


「無駄よぉ、無駄」


【ハートブレイク】が、けらけらと嗤う。


「あなたじゃ、スペシャルな私の【ハートブレイク】には絶対に勝てないの」


 聞き終わる前に、小夜子は背を向け駆け出していた。


「ああん」


 残念そうな喘ぎを【ハートブレイク】は漏らす。が、走って追おうとはしない。逃げ去る獲物をしばらく眺めた後、大まかかつ緩やかにその方角へ向きを変えただけだ。


「走ると汗かくし、疲れるのよネ」


 そして髪をかき上げつつそう呟くと、気怠げにまた歩き始めるのであった。

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