第七夜:02【スカー】

第七夜:02【スカー】


【ハートブレイク】が修理工場の机を、棚を、機材を……塵へと変えながら歩み寄ってくる。粉が足下にさらさらと落ち、砂煙の如く拡散していった。


(何あれっ! 何なのあれ!?)


 それでも小夜子は即座に反応。障害物の間を走り抜け、工場のさらに奥へ向かう。そして建屋裏口のドアを開けると、そのまま外へと走り出る。


(何だかよく分からないけど、あれに近付くのはまずい!)


 彼女の視界を塞ぐ、コンクリートの壁。工場の裏は高めの塀になっており、飛び上がった程度では登れそうにない。


「クソが!」


 しかしここでも小夜子は瞬時に決断した。躊躇が命を奪うことを、彼女は既に知っているのだ。乗り越えるのを諦め塀沿いに走り、全速で敷地から脱出していく。


(とにかく一度、あの女の視界から消えないと!)


 手にバールを持ち、ポケットにレンチを入れたままの走行だ。バランスは悪く、重い。だが小夜子は、必死に駆けた。


(【モバイルアーマー】戦の繰り返しか、ってのよ!)


 強力な近接戦闘力を備えた相手に対し態勢を立て直すには、とにかく一度離脱せねばならない。塀を、壁を、建屋を使い、相手の死角に入る。加えて距離を稼ぎ、視界から消えるのだ。

 一度見失えば、敵は捜索の必要に迫られる。そして稼いだ時間で考察と、対策と、準備を済ませるのである。


 修理工場の門から飛び出し、回れ右して道路沿いに全力疾走する小夜子。

 だがあまり長い時間道路を走っても、【ハートブレイク】が表へ出た時に後ろ姿を発見される恐れがある。とはいえ、すぐ隣の敷地に逃げ込むのも危険過ぎるだろう。そのため二つ隣の敷地で妥協し、そこへと転がり込む。


 門も塀もないアスファルト敷きのそこは半分ほどが駐車場になっており、残り半分は「西脇ねじ 第二倉庫」と書かれているシャッターの降りた建屋があるだけだった。建物は文字通り、倉庫そのものである。一つ手前の敷地が「西脇ねじ」という看板の小規模工場だったので、おそらくそこが従業員向けに用意した駐車場なのだろう。

 倉庫のシャッターが開くか試みる余裕はない。開いている可能性も、そもそも低い。中に入るのは最初から諦め、小夜子は脇を走り抜けて倉庫の裏側に向かった。

 飛び込むように裏側へ駆け込み……壁に体重を預けつつ胸を撫で下ろす、眼鏡の少女。


(これで、とりあえず姿をくらますことができたわ)


 そしてその姿勢のまま深い呼吸を繰り返して動悸を整えつつ、小さく呟く。


「【能力内容確認】」


 眼前に浮かび上がる文字列。能力名、【ハートブレイク】。

 まず白文字で書かれた、能力の主たる部分に目を通す。既に発動を目視し条件を満たした小夜子のバイオ人工知能が、相手の能力内容を開示していた。


・固形物を分解する障壁を、任意で発生させる。


(これか……)


 先程の光景が、脳裏に蘇る。

【ハートブレイク】の歩みに合わせ、塵と化し、崩れ、煙になっていった机や棚。木やプラスチックだけではなく、硬い金属で作られた丈夫なインパクトレンチまでもが、同じようにさらさらと崩れ去っていた。

 どうも固形物であれば、素材や硬度は関係なく「分解」できてしまうらしい。


(当然人体も、よね)


 つまり障壁とやらに小夜子が捕まれば、その時点で勝負は終わりということになる。即死でなくとも、四肢を失うのは確実だろう。


「ふー、はー」


 深呼吸し、【ハートブレイク】が机を塵に変えた様子を脳裏に描く小夜子。分解しているという「障壁」を、視認できなかったことを彼女は思い出す。


(バリア自体は見えないってことか)


 おかげで、間合いも範囲も分からない。だが十メートル以内まで近付かれても小夜子自身への危害はなかったので、遠距離での攻撃能力は有していないものと思われる。

 そして机が崩れ始めた状況からいって、おそらく射程は至近。ほぼ肉弾攻撃に近い、近接戦闘のみの能力と推測された。


(ということは距離さえ確保できれば、何かと余裕も作れるはずね)


 そしてこの、「任意で発生させる」という記述。

 射程内にいつでも障壁を発生させられる、と言えば聞こえはいい。使い勝手の良い能力だろう。だが小夜子は、それに対し真逆の認識をしていた。


(意図しないと出せない、意図しない場所には出せないんだわ)


 そこが狙い目だ。そう小夜子は考えたのである。


 推察を進めるほどに、少女は冷静さを取り戻していく。今までの戦いで得た経験が、くぐり抜けた死地が……彼女を鍛え、埋もれる本質を磨き上げていたのだ。覚悟を決めた、あの瞬間からの日々が。

 この精神面の成長、いや変貌こそが、【スカー】という対戦者最大の強みであった。


 続いて黄色の文字列へ、視線が這う。補足説明や条件、制限の項目だ。


・分解した対象物の運動エネルギーを奪う。


(なんのこっちゃ)


 首を傾げる。

 数秒して、分解された物が塵となり真下へ落ちた光景が記憶に蘇った。あれを目撃し、かつ真下に落ちたと印象に残っていたから、この補足説明が開示されたのだろう。


(……だからって、何なんだろう)


 これが何を意味するかは、小夜子には分からない。そして実際、彼女当人にはまるで関係のない箇条でもあった。「まあいいか」と鼻で息をつき、表示を閉じる。


(とりあえず、今のところ判明しているのはこの程度か)


 攻防両面の役割を持つ、「分解」の障壁。あれは通常の物理的な攻撃であれば、ほぼ完全に無効化するはずだ。


 強い。実に強力な能力である。

 どんな打撃、斬撃、質量攻撃も無効化する防御力。かつあらゆる装甲を崩し、塵に変える攻撃力。

 矛盾はしないが、まさに最強の盾と矛だ。


 ……だが。


(それだけなの?)


 こびりつくように残る、拭えぬ違和感。


 確かに強力な能力だ。相性によっては、完全試合ともなりうる。

 だが火炎や電撃といった能力……名簿一覧から「そういう能力者もいるだろう」という予測でしかないが……を持つ対戦者の攻撃を防げるとは考えられないし、小夜子が活路を見出したように、背後や視界外からの奇襲攻撃へ「任意」で対応するのは難しいだろう。

【モバイルアーマー】や【グラスホッパー】になら相性だけで勝てそうだが、もし【アクセレラータ】が相手だったら、背後からの高速奇襲で為す術もなく倒されてしまうはずだ。


(えりちゃんの【ガンスターヒロインズ】なら、死角から撃つなり遠目から狙撃するなりで簡単にケリがつくはず)


 強力ではあるが、最強とは言い難い。人間の意識や反応そして知覚には、どうしても限界があるからだ。

 本来のエンターテイメント番組という性質から考えれば当然の弱点ではあるものの、不正行為に手を染めた人物と知る小夜子には、どうしても物足りなく感じられていた。それが、ずっと残り続ける違和感なのである。


(最強というのは、心配し過ぎなのかな)


 キョウカは『連中は、勝ちやすい相手を選んで対戦カードを組んでいるはずだ』と話していた。小夜子も、相棒の予想は正しいと思う。


(なら、今までは相性ジャンケンで勝ってきただけなのかしら?)


 いや、でも、やはり、と再び顎に手を当てる彼女の思考は、突如遮られた。


 ……ぱっ。


 視界に入れつつも見てはいなかった倉庫の壁。その一部に、突然音もなく大穴が空いたのだ。


「えっ?」


 ぱらぱらと崩れ、下に落ち煙をあげる壁面。そしてその穴から、ゆっくりと歩み出る、一人の少女。


 他の誰でもない。【ハートブレイク】である。

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