第七夜:04【スカー】

第七夜:04【スカー】


 たったっ、ぐっ、すとん。


 目当ての場所へ辿り着いた小夜子はガードレールを乗り越え、素早く身体を側溝の中へ潜り込ませた。

 大きめのこの溝は一メートル近い深さと人が通れるほどの幅があり、小柄な彼女なら屈めば余裕を持って身を隠すことができるのだ。無論内側は汚れており、泥やゴミが靴やスカート、制服に付着するが……小夜子は意に介さない。

 膝を擦るようにそのまま進み、やがて溝に被さる金属の格子、「グレーチング」の下まで移動する。

 これで姿は道路上からは完全に隠され、彼女は一息ついて考察を再開する余裕を得たのであった。


(まず間違いないわ。アイツは私の居場所が分かるんだ)


 一度ならともかく、二度までも最短距離でやって来たのだ。特に二度目は二つも交差点を曲がり、距離も離した場所を選んだというのに。居場所が分かっていなければ、直線で突けるはずなど到底あるまい。


(でもきっと細かい場所、正確な方向までは分からないんだわ)


 あの「西脇ねじ 第二倉庫」に隠れた際、【ハートブレイク】は少し離れた壁を分解して現れていた。完全な奇襲ではあったが……あれにしても、倉庫の壁にもたれた小夜子を直接狙い現れれば良かったのだ。そうすれば、その時点で勝敗は決していただろう。

 怯えさせるためにわざとやった可能性も捨てきれないが、どちらかといえばあれは「そうしなかった」のではなく「できなかった」気配が強い。


 その次もだろう。

 確かにおおよその方角は小夜子を捉えていたが、【ハートブレイク】が塀を消し去り現れたのは、十メートル以上も外れてのことだ。しかもその後、視界が開けたところで標的を探すために周囲を見回している。

 このことからも、やはり敵の捕捉能力は粗いと思われた。


(多分結構な誤差があるのか、視覚へ正確に投影するタイプのチートじゃあない、のね)


 そう分析した小夜子は、チートへの反撃のためにこの場所を選んだのである。


 逃走中に見かけていた、道路脇にある大きめの側溝。そして溝向こうの自動車部品工場へ渡るため被せられた、グレーチング。この構造を利用した偽装で、小夜子は奇襲をかけるつもりであった。


(固形物を分解する障壁を、任意で発生させる能力……)


 それはつまり、任意ではない……意識していない場所には張れないことを意味する。だから、不意を突く。死角から、一気に襲う。


(とにかく、後頭部なり首なりに一撃)


 ぎゅっとバールを握りしめ、直角に曲がった鋭利な先端部位を見つめる。


(これを、あの女に食い込ませてやる)


 上手くいけば一撃で倒せる。倒せずとも、まともに動けなくなるはずだ。動きが遅くなれば、それでいい。今でこそ逃げるのに精一杯なものの、相手が動けなくなれば、時間さえあれば、いくらでもやりようはあるのだ。

 どこかの工場なり会社なりから灯油とライターを入手して、焼き殺す。【モバイルアーマー】戦のように火炎瓶を作ってもいいだろう。

 それで、倒せるはずだ。


(大丈夫よ、いける。いけるわ)


 作戦を整理し終えた小夜子は息を潜め、【ハートブレイク】の接近を待つ。



 ざっ。ざっ。ざっ。


 普段なら、騒々しい屋外で足音を聞き取るのは難しいだろう。だが今この世界にいるのは、彼女ら二人だけなのである。意識を集中していた小夜子には、【ハートブレイク】の足音がしっかりと聞こえていた。


(近い)


 コン、という音を立て、何かがグレーチングを踏む。それは【ハートブレイク】が、頭上に来た知らせであった。


 音を立てぬように蓋の下から這い出て、側溝をよじ登る小夜子。

【ハートブレイク】はグレーチングから数歩先へ進んだところで、不思議そうに工場の方角を見回している。背後の小夜子には、全く気付いていない。

 当然である。敢えて、そのように訝しがるであろう場所を選んでおいたのだ。


 その後ろへ忍び寄った小夜子は右手で大きくバールを振りかぶると、踏み込みつつ全力でそれを叩き込む。

 バールの尖端が弧を描き、遠心力を生かして運動エネルギーを増しつつ、【ハートブレイク】の後頭部目掛けて襲いかかる!


 ……かと思われた。そのはずであったのだ。


 だが小夜子が全力で叩き込んだ凶器は【ハートブレイク】の身体にはまったく触れず、尖端から塵となって消え始めたのである。

 そして失われたのは、バールの先だけではない。長く伸びた棒状の部分も、全てが霧のように崩れ去った。それを握る、小夜子の右手までも。


 ぱっ。


 親指と人差し指、そして中指の大部分が消失する。同時に【ハートブレイク】の足下を中心として、円周状にアスファルトの構内路面がぞわっと蠢いたのを、今度の小夜子は理由と共に認識した。


 がしゃり。


 指三本分の支えを失ったことにより、襲撃者の右手からバールの握り部分が落ちる。落下したそれはグレーチングと衝突し、乾いた音を立てた。


「えええっ!?」


 仰天の声を上げたのは、小夜子ではない。【ハートブレイク】のほうだ。なんと今まで襲撃に全く気付かなかったらしい。振り向いた彼女は、驚愕で目を剥いている。


「ちょ、え? 【スカー】!? 何で!? どこから!? いつの間に!? えええ!?」


 事態が飲み込めていないらしく、相当に取り乱した様子だ。そのためか冷静さを取り戻したのは、重傷を負った小夜子のほうが早かった。


「クソが!!」


 と吐き捨てると眼鏡少女は右手首を支えつつ、一気に逃げ去っていく。


「え? え!? ええ!?」


【ハートブレイク】が現状を理解するのには、まだもうしばらくの時間を要していた。

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