第七日:02【御堂小夜子】
第七日:02【御堂小夜子】
小夜子が三人に連れてこられたのは、北校舎の裏側にあたる場所であった。ここは正門裏門どちらからも離れていて、下校時間にもなれば誰も通らない。体育館裏とも違い、部活動の生徒に見咎められる心配の無い場所だ。
(こういう呼び出しをするには、打って付けの場所ってわけね)
他人事のように、状況を認識する小夜子。
……彼女が姫子らに付き合ったのには、理由がある。
いい加減、姫子のちょっかいにもウンザリしていたこと。
恵梨香が吹田と会っていることに対する、苛立ちのはけ口を求めていたこと。
何より、自分の中で熱くうねる赤黒い何かを発散させたかったためである。
どん。
顔色一つ変えぬ相手に苛立ったのだろう。中田姫子が、小夜子を校舎の外壁へ突き飛ばす。そして逃げられぬよう両手を壁について追い込むと、怒りに歪んだ顔を寄せてきたのだ。
佐藤と本田は、その様子をニヤニヤと愉しげに眺めている。
「ミドブ、アタシ言ったよね? 調子に乗り過ぎじゃないか、って」
「言ってたわね」
「なのに、何なのアンタ? 一昨日も、昨日も、今日も。ムカつくんだけど」
(まただわ)
姫子の言葉に違和感を覚える小夜子。
昨日も今日も、彼女に対して特に何かをした記憶は無い。何かをしそうになった記憶はあったとしても、だ。今日に至っては、こうなるまで対面すらしていないのである。
(てっきり、一昨日に机ごと突き飛ばした仕返しかと思っていたけど)
どうも、そうではないらしい。
「昨日も今日も、私、中田さんに何かした覚えないんだけど」
ぱしん。
姫子が小夜子の頬に平手打ちを浴びせる。この姿勢では十分な力が入らないが、それでもその衝撃だけで、小夜子の顔から眼鏡が外れて地面に落ちた。
「そういう態度もイラつくのよ!」
姫子は叫び、再び手を上げる。
ぱしん!
先ほどより強く、もう一度。
(……やめてよ)
ぱしん!
「やめてよ」
ばしん!
「は!? 痛い? 少しは懲りた?」
「顔が腫れたら、えりちゃんが心配するじゃない」
「……ッ!」
更に高く手を振りかぶる姫子。
その瞬間だ。小夜子が相手のタイを掴んで引き寄せつつ、その顔面へ頭突きを放ったのは。
ごりっ。
肉越しに頭蓋骨同士が衝突する音、のけぞる姫子。
すぐには何が起こったか理解できなかったのだろう。自失したように、瞬きを繰り返して目の焦点を合わせていた。だが数秒遅れて鼻から滴る血に気付き、
「ミドブ!」
と吠えて拳を振り上げる。
(だから何よ)
目を細めつつ右側へ身体を逸らし、姫子の左足へ自身の左足をかける小夜子。そのまま足を引きつつ姫子の身体を押すと、彼女は造作もなく地面へと倒れ込む。そしてセーラーから覗く白シャツの腹へ、小夜子は体重を載せ全力で踏み込んだのである。
「くはっ!?」
声とも呼吸ともつかぬ息を吐いた姫子が、身体をくの字に折り曲げて横を向く。
小夜子は気怠げにその正面へと回ると、涎と鼻血を垂らしつつ悶える姫子の腹部へ、ボールで遊ぶかの如く蹴りを入れたのだ。
一発。
二発。
三発。
「ぐあっ! ああ! あーっ!」
「ちょっと!」
「おっ、おいミドブ! 止めろ!」
慌てて止めに入った佐藤へは平手打ちを、本田には腹の中程へ膝を叩き込む。
二人とも当たり前ではあるが、こんな事態を予測もしていなかったのだろう。それぞれその一発だけで戦意を喪失し、ぺたりと座り込んでしまった。
邪魔が入らなくなったと判断し、姫子に向き直る小夜子。そして、蹴撃を再開する。
ゲシッ!!
「ぎゃうっ!」
「昔はよく、一緒に遊んでいたのに」
げしっ!
「あぐぅ!」
「どうしてこうなったのかしらね」
げしっ。
(本当に、どうしてこうなったんだろう?)
小夜子は足の動きを緩めて、考え込む。
……小学校低学年のころは、恵梨香を含め友人らとよく一緒に遊んだものである。
だがある日を境に姫子の小夜子に対する態度ははっきりと変わり、「小夜子ちゃん」から「御堂」へと呼びかたも変化した。そしてその後、加虐へ傾いていったのだ。
(中学? いや、嫌がらせを受け始めたのは、同じクラスになった小学五、六年生からだっけ?)
げしっ。
(でもそれより前から「姫子ちゃん」の風当たりはきつかったはず。それとも三、四年生のころはクラスが違ったから、直接的な行動を起こされにくかっただけ?)
小学校では二年毎にクラス替えがあった。そのため一、二年は小夜子と姫子は同じクラス。三、四年は違うクラス。五、六年はまた同じクラス……という具合だったのを、小夜子は思い出す。
(三、四年生の時に何かあったっけ?)
元々、恵梨香以外に対する意識が希薄な小夜子である。懸命に当時の記憶を掘り返そうとするが、姫子と決裂するような出来事が思い出せない。
げし。
(……駄目だ。あのころしっかり記憶に残ってるのなんて、三年生の時にえりちゃんの初キスを奪ったことくらいしか覚えてない)
小学校三年生。女友達と集まっての、「結婚式ごっこ」。恵梨香が花嫁役になった時、彼女の希望で小夜子が花婿役を務めたのだ。
別に本当にキスする必要も無かったし、他の子の順番でも、やってはいなかったのだが……当時の小夜子は恵梨香に対し、舌を絡めて唾液を交換するようなディープで長い代物をぶちかましていたのである。
それは女神の狂信者にとって、鮮烈で輝かしい反逆の記憶であった。
げし。
姫子が腹と鼻を押さえながらも、強い敵意を湛えた瞳で小夜子を見上げている。他の二名と違い、これだけされても眼の光を失わないことにやや驚きつつも。
(……この目、何処かで見たな)
その瞳が、小夜子の脳より古い記憶を呼び起こす。
(あれ?)
あの「結婚式ごっこ」。恵梨香の番が終わって、交代した時だ。姫子と恵梨香が何事か話した後の、姫子から小夜子へと向けられた目。
……あれと、同じなのである。
(ああそうだ。あの時からだ)
小夜子は、思い出したのだ。あの瞬間から、姫子の態度が変わったのを。
(でも何で?)
げし。
力の全く籠もらぬ爪先を姫子の腹に当てた瞬間……小夜子は理解した。
推理ではない、直感が導いたものである。いや、共感と呼ぶべきか。
小夜子は自分の中から急速に、敵意が萎れていくのを感じていた。
(……そうか)
見下ろすと姫子は弱々しい声で、
「なんで……アンタ……なんかが……」
涙を浮かべながら呟いている。
小夜子は黙したまましばらくその顔を見つめていたが、やがて姫子から視線を逸らす。その後に落ちた眼鏡を拾い上げると、苦い顔をしながらかけ直すのだった。
そして佐藤と本田の腹に改めて五発ずつ蹴りを入れ、舌打ちしてその場から去っていく。
……ざっ、ざっ、ざっ。
足早に歩く。苛立ちが、歩調を強める。
複雑な感情を整理できぬまま、吐き捨てるように小夜子は呟いた。
「……ホント、女ってクソね」
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