第六夜:05【ウイングカッター】
第六夜:05【ウイングカッター】
なんだアイツ。
なんだアイツ。
なんなんだ、アイツ!
左手でもう片方の腕を押さえながら、【ウイングカッター】……松屋祥吾はよろよろと歩いていく。
その右手は、掌が半ば挽き肉と化している。血が止めどなく溢れ出し、学ランのズボンと床を濡らし続けていた。
アイツが追ってくる。
あの女が、追ってくる。
このままでは、殺される。
必死で足を動かし通路を抜け、一番手前の部屋へと向かう。
ドアもないその入り口は、脇に立て看板やポスターが掲示されており……そこが、ある海外の画家をテーマにした特設会場であることを示していた。
松屋は息を荒らげつつ足を踏み入れると、広い部屋の中央へも順路沿いに別の部屋にも行かず、すぐ手前側の壁面に沿って進んだ。垂れた血がワックスで磨かれた美術館の床を汚し、ふらつきながら歩く肩は額縁に触れ絵を落とす。
「まだだ、まだだ」
朦朧とする意識を必死に繋ぎ止め、ようやく部屋の隅まで辿り着く松屋。壁に体重を預けつつ滑り落ちるように座り込み、深く息をつく。そして自らが入ってきたばかりの入り口を見据えて唇をきつく噛むと、この状態から戦意を復活させたのだ。
既に数回の死線を潜り抜けた彼の精神力もまた、常人の枠外に踏み出している。
(落ち着け松屋祥吾……待ち伏せだ、待ち伏せ。まだ勝ち目は、十分にある)
痛みで折れそうになる心をねじ伏せ、自身に言い聞かせる松屋。
……先程の交戦。散弾銃らしきものの射撃で、彼は右手を失った。
だが【ガンスターヒロインズ】も松屋の能力【ウイングカッター】を回避しきれず、左足をつま先から十センチほど失っていたのを確認している。
彼女の移動速度が落ちたからこそ、松屋はここまで逃げ延びることができたのだ。
(いける。いけるはずだ。俺の能力に腕の有無は関係無い)
そう考えつつ、能力を発動させる。松屋の目の前で「ぶぉん」と音を立て、彼の片腕ほどもある刃のブーメランが出現した。
能力名【ウイングカッター】。出現させた高周波ブレードのブーメランを、敵へと投射する能力である。
コンクリートの壁ですら豆腐のごとく切り裂く威力をもつが……誘導性能が無いことと、再使用に十秒を要するため、近距離戦闘や攻撃の応酬には向かない。
だがこの能力の真価は、「タメ」を作った時にこそ発揮されるのだ。十秒で一枚目を、二十秒で二枚目を、三十秒で三枚目を、と。
投射せず空中に置いたまま「タメ」ることで、最大三十二枚までの同時投射が可能なのである。それは致命の一撃を点から面へ切り替える、まさに必殺の技と言えるだろう。
四戦目にしてようやくこの応用に気付いた松屋は、五戦目ではそれを有効活用。【ゴーレムハンド】を見事に撃破した。
そしてこの六戦目。最初は不覚をとったものの、これからその威力を待ち伏せ攻撃で遺憾なく発揮するつもりなのである。
(奴がこの部屋に入った瞬間、ありったけのブレードを叩き込んでやる。奴の姿か、奴の銃が見えた瞬間。その付近に、全弾だ!)
厚さ二十センチのコンクリートすら貫通した刃である。中身がスカスカな木の壁など、標的ごと造作なく切り裂くことだろう。
「問題無い。問題は……無い!」
ぶーん、ぶん、ぶん、と低く太い音で唸る刃と共に、松屋は痛みを堪えて待ち続けた。
そして一枚、二枚、三枚、四枚……とやがて数を十二枚まで増やし続けたところで。
たん……こん……たん。
という音を彼は聞き取った。
(来た!)
間違いない。彼女だ。彼女の足音だ。【ガンスターヒロインズ】以外に、誰がこの空間にいるというのだ。木の床に響く硬い音は、足を庇って杖でもついているのだろうか。
(よくもまぁ、あの傷で歩いてくるものだ)
感心する一方、
(絶対に来ると思っていた)
相反する思考が、少年の脳内で交差した。
先の交戦で松屋を見た、あの眼が思い出される。美しい顔に殺意を湛えて燃える、あの双眸。
(あんな目をした奴が、足を止めるわけがない)
恐怖と敬意と興奮がないまぜになった複雑な感情が、胸の鼓動を早める。脳内麻薬が、アドレナリンが、右手の痛みを消し去っていく。そしてそのことに気付かぬほど、彼の意識は部屋の入り口に集中していた。
(さあ、来い!)
松屋がそう思った瞬間。
ぱたたたたっ!
という音と共に、少年の身体へ「何か」が左側から突き刺さったのだ。
その数発の「何か」は彼の肉を引き裂き内臓を破壊し、いくつもの致命的な損傷を肉体に与えていたのである。
「がっ!?」
床に倒れこむ松屋。精神の集中が途切れ、制御を失った十四枚の高周波ブレードが部屋の入り口目掛けて飛んで行く。それらは壁面や構造材を切り裂き、貫通し、そのまま何処かへと消えていった。
「何……何が……っ?」
揺らぎ滲む視線を壁に向けると……そこには横一列に薙ぎ払うかのように、不揃いの穴が点々と開いている。銃痕だ。
(そうか、杖の音は)
刹那、自動小銃を杖代わりに進む【ガンスターヒロインズ】の姿が松屋の脳裏に浮かぶ。
(俺がいると読んで、壁を撃ち抜いたのか)
まずい、奴が来る。
立ち上がらねば。
立って、逃げねば。
態勢を、立て直さなければ。
「う……ぐ……」
脳が緊急指令を出す。が、もう彼の肉体は言うことを聞かない。なんとか上半身を起こすも力は抜け、すぐ血だまりの中へ倒れこむ。
たん……ずっ……たん。
そうこうしているうちに、足音が部屋の中に入ってきた。呼吸とも呼べぬか細い息をしながら、その視線を彼女へと向ける松屋。
(……綺麗な顔……してんなぁ)
片足を引きずりながら近寄ってくる、【ガンスターヒロインズ】。
おそらく貫通力の高い自動小銃で壁抜きをした後に、拳銃へ換えたのだろう。彼女は丁度、そのスライドを引くところであった。
「私はね、決めたの」
動作を終えて、少女が松屋の頭部へ銃口を向ける。
少年も何かを返そうとしたが、もう喋ることすら叶わない。
ゆっくりと息を吐き、全てを諦めたように目を瞑る。
「……絶対に勝つんだ、って」
拳銃が、二連続で火を噴く。
その最初の引き金を引く音が、松屋祥吾が生涯で感じた最後の知覚であった。
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