第六夜:04【スカー】

第六夜:04【スカー】


 ぐりん。


 手首を捻って刃を回転させ、傷を広げる。引き抜くと「ずるり」という音を立てて、少年の脇腹から刃が露出した。


「ああああああああ!?」


 苦悶とも驚愕とも区別できぬ叫びを上げ、ベッドから転げ落ちる【ハウンドマスター】。

 全裸の少女が全身から薬液を滴らせつつ、冷たい瞳でそれを見下ろしていた。御堂小夜子である。


 彼女は囮を作るために着衣も靴も全て脱ぎ、三つ編みも切り落とし、臭気を強めるため小水まで使い……あの病室に「猟犬」を引き付けたのだ。同時に自身は薬液を大量に被り、塗りこみ、口中に含み、人間としての臭いを消して。

 そして薬品を大量に散布した廊下で「猟犬」の群れとすれ違うと、【ハウンドマスター】が潜んでいるであろう病室を目指し、各所備え付けの消毒液を撒き散らしながら進んだのである。


 居場所の特定は簡単であった。廊下を進む彼女の耳に、【ハウンドマスター】の高らかな笑い声が聞こえていたからだ。だがそうでなくとも、小夜子は彼を簡単に探し出したことだろう。


(あのイカサマ野郎……臆病者は、一番端の病室もしくはその付近に隠れている)


 確信に近い推測。そしてその勘は正しく、獲物が潜んでいたのはまさに一番奥の病室であった。


「お前ッ!? 何で、どうして!? なんでだぁッ!?」


 陸に揚げられた魚の如く身を悶えさせながら、息も絶え絶えに叫ぶ【ハウンドマスター】。

 小夜子は彼の言葉に答えない。素早く病室の引き戸を閉め、近くのベッドを横付けして「猟犬」向けの簡易バリゲードを作ると、本体へ向き直る。


「そんなっ、そんなっ!?」


【ハウンドマスター】が彼女の目を見て、歯を鳴らし震えた。股間から、生暖かいものが広がっていく。彼は対戦者に選ばれて以降、このような恐怖と直面したことがなかったのだろう。いや今までの人生において、一度も。

 少女は無感動に彼を見下ろすと、低く暗い声でゆっくりと問う。


「お前、弱い奴しか狩ってこなかったな?」


【ハウンドマスター】は答えない。もう、答えることができない。彼の精神は恐怖と苦痛で混沌とし、正常な受け答えができる状態とは程遠くなっていたのだ。


 だがそもそも、返事など期待していなかったのだろう。小夜子はぺたぺたと【ハウンドマスター】へ歩み寄るとその横顔に蹴りを入れ、そっぽを向かせる。そしてそのまま馬乗りになり、彼の髪を掴んで首を露出させると。


 ……解体を、開始した。



 ぱんぱかぱぱぱぱーん。


『Bサイド【ハウンドマスター】死亡! 勝者はAサイド【スカー】! キョウカ=クリバヤシ監督者の勝利です! おめでとうございます!』


(……終わったか)


【ハウンドマスター】の髪より手を離し、果物ナイフを放り捨てる。


『七回戦は明日の午前二時から開始となります。監督者の方も、対戦者の方も、それまでゆっくりとお休み下さい。では、お疲れ様でした!』


 いつもの祝辞が頭の中に響く。しかし、勝利への感慨は小夜子にない。アナウンスを聞き流しつつ、彼女はただ幼馴染みの心配をしていたのである。


(えりちゃんの方は、大丈夫だったかしら)


 大丈夫だとは、思う。

 大丈夫であって、欲しい。

 だが、もしも、ひょっとしたら。


(確認するのが、怖い)


 自らを抱きしめるように怯える小夜子の視界を、闇が一息に塗り潰していった。



 どくん!


 小夜子の意識が復活する。


『サヨコ! 勝ったんだね!?』


 飛び付いてきたキョウカのアバターは、そのまま少女の身体をすり抜け後方へ飛んでいった。旋回し眼前へ回り込んで来るのを眺めつつ、帰還者は床にあぐらをかいて息を吐く。


「ええ。勝ったわ」

『君は本当に凄いね、能力も無しにあの三人娘が担当する対戦者と戦って、生きて帰ってくるなんて!』

「大丈夫よ。今回の奴は、今までで一番弱かったから」


 事もなげに、言い捨てる小夜子。


『そ、そうなのか……? まあ、対戦記録はまた後で見せてもらうよ』

「そうしておいて」


 少女はもう、吐きもしない。動揺もない。たった数日で変貌した彼女を、キョウカが戦慄に近い眼差しで見つめている。


「そんなことよりも、よ」


 しかしその小夜子が、怯えた顔を見せた。


「【対戦成績確認】」


 彼女は動かぬ唇を懸命に動かし、小さく呟く。すると小さな効果音を伴い、眼前に現れる対戦者の一覧。白と黒の枠が混在するその画面に、【ガンスターヒロインズ】の名前は、無い。

 余程怖いのだろう。指を伸ばしスクロールさせる前に、小夜子は何度も深呼吸を繰り返していた。


「……お願い、無事でいて」


【ハウンドマスター】相手には微塵も感じなかった恐怖が、今は彼女の心臓を握り潰さんばかりに締め付けている。顎から垂れ落ちる汗。荒くなる呼吸。破れんばかりに暴れる心臓。その全ての圧迫に押し潰されそうになりながら……目を剥きつつ、小夜子は指で画面をゆっくりと動かしていく。


「……あった」


 その指が止まる。視線の先、白地に黒の文字、生存枠。

 能力名【ガンスターヒロインズ】。監督者レジナルド=ステップニー。対戦成績は、二勝〇敗四引き分けだ。


 恵梨香は、二人目を殺していたのである。


「……っ!」


 瞼を伏せ、静かに頭を振る小夜子。感情が全身を揺さぶり、震えている。だが彼女はもう、その数字では泣かなかった。


(そう。えりちゃん。あなたは決めたのね。勝ち残ることを)


 ええ。それでいいの。

 私は、あなたの覚悟を尊重するわ。

 あなたの選択を、応援する。


(大丈夫よえりちゃん。あなたは、間違ってなんかない)


 だから負けないでね、えりちゃん。

 敵との戦いにも、自分の心との戦いにも。


 私、頑張るから。もっと頑張るから。

 戦う相手は、絶対に討ち漏らさないから。

 必ず、殺しておくから。


 だからね、えりちゃん。

 引き分けでもいい。相手を倒してでもいい。


 何だっていいの。

 どんな形でもいいの。

 どうあっても、いいから。


 お願い。

 あなたは生きていて。

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