第六日:02【御堂小夜子】

第六日:02【御堂小夜子】


 昼休みの教室。小夜子は席に座り、パンをもしゃもしゃと咀嚼している。

 今までのような惰性ではない。英気を養うための、準備行動だ。


(えりちゃん、ちゃんとお昼食べてるかしら。昨日の今日で、あの精神状態だし……)


 最中でも恵梨香のことを気にかけつつ、二つ目のパン袋を開ける。

 以前の小夜子なら昼はパン一つしか食べなかっただろうが、現在は彼女にとって戦時なのだ。食事はしっかりとるよう、心がけていた。今日は、普段は飲まぬ野菜ジュースまで用意している。


「ミドブ!」


 そんな彼女のところへやって来たのは、また中田姫子だ。一人だけなのは、珍しい。


(中田さん、マメね)


 と思いつつも、視線は動かさぬ小夜子。今はカロリーを補充する時間なのである。せめて食べ終わるまでは、邪魔をして欲しくない。


「ミドブ。お前昨日といい今日といい、調子に乗り過ぎじゃないの?」


 小夜子は一顧だにしない。まだメロンパンは半分残っているからだ。無視して咀嚼を続け、嚥下し、またパンに口をつける。

 だがそこで、ふとあることに気がついた。


(……今日?)


 机ごと蹴り倒した昨日なら分かるが、今日は何かしたかな、と微かに首を傾げる。無論その間も、食事は中断せずに。


「聞いてんの?」


 もぐもぐもぐ。


(何だろう。体育の時間に何かやったかしら? 思い出せない。うーん。まあ、どうでもいいか)


「無視してんじゃないよ」


 ガン、と机を蹴る姫子。ほぼ同じくして、小夜子は最後の一切れを口に入れる。

 もぐもぐもぐ。ごくん。

 そして一人手を合わせ、「ごちそうさま」と呟くのであった。


「話聞けっつってんでしょ!?」


 小夜子が軽く見上げる。声を荒らげる姫子と、視線が交差した。


(ああ、うるさいな)


 中田さん、あなたに割く精神的リソースは無いのよ。

 お願いだから、少し静かにしていてくれる? ね?

 できないなら、黙らせてあげてもいいわ。


 簡単よ。今日あなた一人だし。

 足を引き倒して、机に顔を叩きつけようかしら。

 シャープペンを、目に突き立ててあげてもいいか。

 まあ別に、道具が無くったって指で抉れば十分よね。

 だってあなた、隙だらけなんですもの。


 ねえ? できないと思っているの?

 いいえ。違うわね。


「……やらないと思っているの?」


 小夜子は姫子に焦点を合わせることも無く、気怠げに顔を向け、微笑む。


「はぁ?」


 姫子は苛立った声を上げたが……同時に背筋を冷たくしたように怯み、一歩後退った。本能が姫子にとらせた反応だが、彼女の理性は理解できないだろう。


「鬱陶しい」


 小夜子が机の中からペンケースを取り出し、蓋を開け、シャープペンシルをつまみ上げる。そして椅子の背に手をかけ、緩やかに立ち上がろうとしたその時だ。


「ちょっと失礼しまーす」


 という声とともに、教室の入口に現れる恵梨香。

 その声で我に返った小夜子と、惨事を免れたとを知る由もない姫子が、


「えりちゃん!」

「恵梨香!」


 同時に声を上げる。


「あ、いたいた」


 恵梨香は教室の入り口を通り、トテトテと歩いて席までやって来た。


「め、珍しいわね、恵梨香が一組に来るなんて」


 上擦った声を上げ、恵梨香に話しかける姫子。


「こんにちは、姫子ちゃん」

「え、ええ」

「あれ? もしかしてお取り込み中だった?」

「だ、大丈夫よ恵梨香」

「そう? じゃあちょっと御免ね。さっちゃんに用事があって」

「へ? あ、そう……」


 どこか落胆したような姫子を他所に、覗きこむような姿勢で恵梨香は小夜子に顔を寄せる。額が付きそうなほどに、近い。


「今日は一緒に帰ろ?」


 いつもと同じ、柔らかい微笑みだ。だが何故かその笑顔には、有無を言わせぬ圧があった。


「う、うん。いいけど」

「じゃあまた放課後ね。迎えに来るから。先に帰っちゃ駄目よ」

「え!? あ、うん」


 そこまで話したところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。


「また後でね」


 恵梨香はそう言い残すと、足早に自分の教室へと帰っていく。

 小夜子と姫子は、その後ろ姿を呆けたように見つめていた。



 柔らかいし、暖かいし、気持ちいいし、いい匂いがする。

 何というか、とにかくいい匂いがして、たまらない。


(だけど、行き交う人の視線が痛い……)


 学校も終わっての帰り道。小夜子と恵梨香は、並んで歩いていた。ただし恵梨香は右腕を小夜子の右肩に回し、肩を抱くように仲睦まじく、だ。

 小夜子も本来なら相手の肩に手をかけて対応すべきなのだろうが、残念ながら二人の身長差はかなりのものである。腰のあたりに手を回すのが、精一杯であった。

 だがこの体勢……腕を組んでいた時よりもずっと密着度が高い。鼓動が高まり、早くなるのを抑えられぬ小夜子であった。


(でも)


 恵梨香がこんなにもスキンシップを求めてくるのは、精神が傷つき、折れそうだからなのだろう。それは恐怖からなのか。絶望からなのか。あるいは、罪の意識によるものか。

 何かに縋りたくて、支えが欲しくて。それで、身近な小夜子に甘えているのだ。そう理解しているからこそ、小夜子はこの状態を喜ぶことはできなかった。


(えりちゃん)


 見上げる。背の高い女神は、傍目には楽しげな笑みを浮かべて前を向いていた。


(……この笑顔の裏で、どれほど苦しんでいるのだろう)


 代わってあげることもできない。相談に乗ることもできない。

 辛いのは分かるよ、と言ってあげることすらできない。


(私、ホント駄目ね)


 無力感に潰されて、萎れそうになる自分の心を誤魔化すため。潤む目を隠すため。

 小夜子は恵梨香の腰に回していた手をずらし、その臀部を指の腹でねっとり撫で回す。


 ……流石に、チョップが飛んできた。

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