第五夜:03【アクセレラータ】
第五夜:03【アクセレラータ】
(あれからどのくらい、経ったのだろう)
窓際でカーテンの隙間から外の様子を窺っていたフェオドラは、「【残り時間確認】」と小さく呟いた。
するとフェオドラの眼前に、「一時間十五分三十五秒」を示す算用数字群が浮かび上がる。それを見た彼女の表情に差す、影。
(もう四十分以上も経ってる……)
闇夜で視界も悪く相手の能力も分からないため、フェオドラは敢えて敵の出方を待つことにしていたのである。
だが【スカー】に動きはない。いや動いているのかもしれないが、それが掴めない。微かに何かを叩くような音が聞こえたような気もするが、窓からの視野だけではそれが何かの判断もつかなかった。
しかしこのままじっとしていれば、対戦時間は終わってしまうだろう。そうすればフェオドラはどうなるか? また、ブルイキンによる「総括」が待っているに違いないのだ。
あの気が狂いそうになるほどの痛み。気絶も許されぬ激痛。死んだほうがマシだ、と初めて考えた惨苦。折角、もう受けずに済むようになってきたと思ったのに。
(またあれは、嫌だ。嫌だ。嫌だ!)
奥歯がガチガチと鳴る。冷や汗が吹き出し、顎まで伝う。
(こうなったら、見つけ出して始末するしかない)
今までの敵は能力の内容もあり、何もせずとも彼女へ向かってきた。だから待ちに徹する敵を探し出し倒すのは、フェオドラにとって今回が初めてである。
不安は、ある。
だがフェオドラは唇を噛み締めながら立ち上がり、何かに背中を押されるように事務所の扉を開くと……外へ向け、歩き始めたのだった。
◆
「『総括』は嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ」
繰り返し口中で呟きながら、事務所を出て歩き始めるフェオドラ。そのまま事務所隣に建つ自然学習展示館へと足を向け、周囲を見て回る。
窓ガラスも入り口も、どこにも破壊された形跡は無かった。施錠もされたままだ。
(ここの中には入っていない……【スカー】は武器を漁りに回っているのではと思ったけど)
念のために見てみただけだとはいえ、他に思い当たりそうな場所はない。時間切れへの焦りが、彼女から冷静さを奪っていく。
「【対戦領域確認】」
フェオドラの視覚に投影される、オレンジ色のバリア壁。三百メートル四方の直方体。彼女はそのほぼ中央付近にいる形になる。
勿論、闇夜ではっきりと視認できるわけではない。が、自然学習展示館の壁面に掲示された公園内の案内図と照合しても、その範囲内に事務所と展示館、そして屋外トイレ以外の建造物があるようには思えなかった。
(一体何処に行ったの)
周囲を見回す。
防犯のため入り口に明かりが点けられた事務所と展示館。やや離れた屋外トイレ。それ以外は、まばらに街灯が立っているだけだ。
月明かりは乏しく、電灯で照らされた場所以外は、そこかしこに沢山ある植え込み、ブロンズ像や謎の近代芸術オブジェといった屋外展示物のシルエットがようやくぼんやりと見えるかも……という程度である。
(まさか、相手は時間切れを狙っているの?)
公園の案内図を見ながら、そうフェオドラが疑った矢先。彼女の眼前を何かが掠めて、展示館の壁に衝突した。
がしゃん!
という音を立てて、飛び散る破片。驚き思わず左を向いたフェオドラへ、次弾が飛来する。
ごっ。
「うぐっ!?」
脇腹を打つ、何か。フェオドラは即座に【アクセレラータ】を発動。立っていた場所から五メートルほどを、高速でバックステップした。だが能力に、彼女の感覚が追い付かない。ややバランスを崩し、よろめいて手をつく。
(こっ攻撃を受けたの!?)
次の瞬間だ。彼女の回避行動で照準しきれなかったのだろう。【スカー】の新たな攻撃が壁へと衝突する。同じく砕け散る、投擲物。
「ひっ!」
そこでフェオドラはさらに【アクセレラータ】を発動させ、ステップを重ねて大きく後退。何かがまた壁にぶつかり砕ける音を聞きつつ、展示館の前から離れた。そして闇の中に立つブロンズ像の一つ、その陰へと身を隠す。
(攻撃を受けた……受けちゃった……!)
呼吸が乱れる。恐れ慌てつつ、脇腹をまさぐる彼女。
負傷による血が手指にべったり付くかと思っていたフェオドラであったが……予想に反し、何も付かない。それどころか攻撃を受けた脇腹は、服も破れていなければ傷も何もないのだ。
「怪我してない……?」
その通り、無傷である。確かに何かがぶつかりそれなりの痛みはあったが、それだけだったらしい。些か拍子抜けした彼女は、先程まで自分が立っていた場所へ視線を移す。
展示館入り口の心細い電灯に照らされ、コンクリート上に散らばる欠片がきらきらと茶色く光っている。そしてその近くには、おそらくフェオドラに命中したことで砕けなかったであろう飛来物も転がっていた。
(瓶!?)
その通り。それはただの小瓶であった。自販機でよく置いてあるような、エナジードリンク風炭酸飲料の茶色い小瓶。ゴミ箱からでも拾いでもしたのだろうか。茶色い破片はおそらくそれが砕けたものであり……つまりフェオドラは、あの小瓶を連続して投げつけられていたということになる。
(一体こんなものをぶつけて、何がしたいというの?)
確かに当たれば痛い。痛かった。だが痛いだけだ。当たり所が余程悪ければともかく、それだけで人を殺せる代物ではない。
「【能力内容確認】」
浮かび上がった文字列を目で追うが、【スカー】の能力内容は不明のまま。あの程度では、能力の発動条件は分からないということか。
しかし貧弱な威力からして高速投擲能力ではなさそうだし、破片から何かを行う力でもない様子である。そして一発被弾しても何も無かったところをみると、連続で命中させる必要があるのか、それともその場から動かれると発動できないだろうか。
何にせよ【スカー】の能力は、【アクセレラータ】の加速には対応しきれないらしい。
(何処から仕掛けてきたの)
瓶が飛んできたと思しき方向へ、像の陰から顔を半分出し覗く。しかし見えるのは、植え込みや謎オブジェだけ。視界が暗過ぎて、【スカー】の姿は全く確認できない。
だが次の攻撃があり次第フェオドラは【アクセレラータ】を発動させ、その方向へ駆け反撃に移るつもりであった。
(大丈夫。私の【アクセレラータ】なら、【スカー】の狙いを十分振り切れる)
能力性能差や相性という不確定成分も、この番組における重要なエンターテイメント要素だ。だが極端に強い力は制限や弱点が設けられるよう、運営のAIが調整を施している。
そのせいだろう。【アクセレラータ】による運動速度の倍加は本人の精神集中次第で二から五倍にはなるものの、感覚は倍加されないため、速過ぎれば動きに身体コントロールが追いつかない。
また加速して動いた疲労は相応が蓄積されるので、あまり続けて使用すれば息も切れるし四肢への負担も蓄積される。加えて先述のように、能力自体に直接的な殺傷力は無い。
しかし、その程度だ。【アクセレラータ】は他の対戦者のように特撮映画じみた破壊力を持たないが故に、制限がかなり緩いのである。
【アクセレラータ】に再使用時間は設定されていない。本人の集中力と体力が続く限り、小刻みではあるが連続しての発動が可能なのだ。他の対戦者に比べ攻撃力は大きく劣るものの、この隙の少なさは強力なアドバンテージといえた。
『破壊力の低さは何も問題ではない。人間は鉄骨やコンクリートで作られているわけじゃない。破壊力と引き換えで得たリスクや隙の大きな能力より、使い勝手が良い小回りの利く力のほうが有利に決まっている』
具体的な戦術指南に当たらぬよう、以前ブルイキンは言葉を選びながら彼女の能力をそう評したものだ。
『人間は苦痛に弱い。傷を負えば動きも鈍る。そして生身の人間に傷をつけるのは、容易だ』
彼の言は的を射ており、今までの実戦においてフェオドラもそれを実感していた。
(たとえどんなに強力な能力を持っていたとしても、所詮本体はただの人間。見つけて、躱して、近付いて、直接仕留めるだけ)
武器を千枚通しからカッターナイフへと持ち替え、チキチキチキ、と刃を伸ばす。
「そう。早く次の攻撃を仕掛けて来なさい、【スカー】」
……だが。
【スカー】からの攻撃は、それ以降ぷっつり止んでしまったのである。
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