第五夜:02【アクセレラータ】

第五夜:02【アクセレラータ】


 伊勢フェオドラはしゃがんだまま「県民の森」公園管理事務所のドアノブに、そっと手をかけた。

 運良く鍵がかかっていなかったのだろうか。ノブは抵抗なく回り、ドアは小さな音を立てて開く。彼女は敢えて扉を全開にはせず、そのままそろそろと音を殺して事務所の中へと侵入。身体を全部室内へと入れたところで、ゆっくりとドアを閉じる。

 事務所の中には六台ほどの事務机が置かれていた。フェオドラは姿勢を低くしたまま歩み寄り、机の引き出しを開け物色していく。


(武器……武器を探さなきゃ)


 伊勢フェオドラの能力【アクセレラータ】は、直接相手を攻撃する術を持たない。

 彼女に与えられたこの能力は一時的にフェオドラ自身の運動速度を数倍まで高めるものであり、それ自体に敵を殺傷する力がある訳ではないのだ。【アクセレラータ】という母親の故郷ロシアの言葉が意味する通り、この能力は純粋に「加速装置」なのである。

 そのため彼女は対戦ごとに毎回武器を現地調達して、敵と戦わねばならなかったのだ。


(無いよりはマシ……かな?)


 ごそごそと漁った引き出しの中には、幅広のカッターナイフ。無論、殺傷力といい耐久力といい、他人に向けるのに適した武器では決してない。

 が、【アクセレラータ】には能力発動中でも比較的扱いやすい、貴重な軽量の刃物である。フェオドラは音を立てぬようそれを持ち上げ、白いセーラー上着の胸ポケットへゆっくり忍ばせていく。

 その後に引き出しを閉める際、うっかりと自身の金髪まで巻き込んでしまい、思わず小さな悲鳴を上げてしまう。慌てて口を塞いだが、これは今更意味が無いだろう。

 そのまま同様に他の机も調べ、カッターナイフをもう二本調達することに成功する。今度のこれらは、スカートのポケットへ収納だ。

 だが事務所で手に入ったのはこの程度で、他に彼女が武器として使えそうなものは見つけられなかった。


(包丁があるかも)


 姿勢を低くしたまま給湯室へと向かう。散らかり気味のシンク下を調べるが、残念ながら包丁の類は見受けられない。


(果物ナイフ程度、あっても良さそうなのに)


 そうフェオドラが考えて事務所へ戻ろうとした時、彼女は目当ての物が見つけられなかった理由を理解した。

 デスクを漁っていた時は間仕切りの死角で気付かなかったが、応接スペースの脇にある窓ガラスが一枚、割られているのだ。丁度鍵に手が届くように割られた窓ガラスは、鍵を開けた上でスライドして開かれていた。

 明らかに、何者かが侵入した跡である。そしてこの戦場で「何者」かなど、一人しかいない。


(【スカー】!? 【スカー】もここに入ってきて、ドアの鍵を中から開けて出て行ったの?)


 だが一体何のために……と考えを巡らせた彼女は、すぐに答えを導き出した。

 散らかり気味の給湯室シンク下。いや、あれは「散らかされた」シンク下なのだ。


(ということは、【スカー】も武器を探しに来ていたの!?)


 包丁の類が全く残っていなかったのは、スカーが持ち去ったためかもしれない。

 そう考えたフェオドラは、周囲を警戒しつつ事務所の物置部屋らしきものを覗いてみる。すると、そこにもやはり物色された形跡が見受けられた。どうやら「武器探し」の線で正解のようだ。


(先を越されたのね。でも慌てていたみたい。まだ、使える物があるかも)


 念のために物置部屋を物色するフェオドラ。少しして床に散乱した工具類の中から、一本の千枚通しを発見できた。


(これは使える)


 刺突武器は【アクセレラータ】と最も相性が良い。実際彼女が倒したうちの二名は【アクセレラータ】による全力疾走からの刺突攻撃が決め手となっていた。

 木槌も落ちているが、これは逆に相性が悪いため拾わないでおく。遠心力を利用する重量系の打撃武器は、高速行動中には重心制御が難しい。同様に高速運動を利用しての投擲攻撃も、腕を大きく振ることで照準がひどく困難になるため適さない。

 習熟の時間がたっぷりあれば、投擲は強力な武器と成り得ただろうが……これは特殊能力を使っての行為なのだ。現実では、試行することすらも叶わない。またここまで回戦が進み「優良選手」ばかりの状況になってしまえば、対戦時間中の練習など自殺行為に等しい。


(……駄目ね、後はノコギリみたいな戦いには向かない工具しか残ってない)


 結局彼女がこの管理事務所で入手できた武器は、カッターナイフ三本と千枚通しが一本だけであった。


 ……ポケットの中にある武器の感触を確かめつつ思う。


(これで倒せるでしょうか。ブルイキン)


 倒せなければ、「総括」が待っているだろう。

 恐怖でフェオドラの心臓は、身体を揺らさんばかりに激しく脈打つのだった。



『人は苦痛と恐怖で従えるのが一番合理的で、かつ確実なのだ。それは、歴史が証言している』


 フェオドラの監督者であるゲラーシー=ブルイキンは、そう言って憚らない男である。

 彼は選んだアバターこそ可愛らしい子熊の見た目だったが、その実は嗜虐性が強く、独善的で冷酷な人物であった。


 そしてその言葉通り、ブルイキンは初接触時から神経干渉を多用したのである。


 まず、未来人の存在を納得させるために使用した。次いで初戦から相手を殺しにかかるよう、言うことをきかせるためにも使用している。

 その一方で対戦ルール以外の説明は、ほとんどフェオドラに行われなかった。大学授業の教材に使われているという事情すら、四日目になって初めて教えられたほどだ。


 初戦の【マンアットアームズ】との対戦。戦果を挙げることができず引き分けに終わったフェオドラに対し、ブルイキンは翌日面談時に「総括」と称して痛覚神経を蹂躙した。

 痛みから逃れるため二戦目の【オッドアイビーム】とは必死に戦い、辛うじて少女は相手を殺害。禁忌を犯す躊躇いは、恐怖があっさりと凌駕した。だが彼女の懸命の戦いに対しブルイキンは、『手際が悪い』とこれも翌日に「総括」を実行する。

 三戦目の【デスサイス】では自分の能力の把握も進み、朧気ながらとるべき戦法が見えてきた。これに対してブルイキンは『君には期待しているのだ。努力せよ』と軽めの「総括」を行ってその日を締めくくった。

 四回戦の【パペットメーカー】。この戦いでフェオドラは「小さなダメージを蓄積させ動きを鈍らせた後、死角からの高速接近、急所への全力刺突による致命打」という彼女なりの戦術パターンを確立させることになる。

 そして今度は「総括」はなく、フェオドラはブルイキンから賞賛の言葉を贈られた。


 少女はその時、「嬉しい」と思ってしまったのである。

 痛みから逃れられたからなのか、褒められたからなのか。

 フェオドラ自身にも、それは分からない。

 だが発狂寸前の苦痛と恐怖に脅かされ続けた彼女の精神は、もうそんな判断などつけられなくなっていたのだ。

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