第五夜:04【アクセレラータ】
第五夜:04【アクセレラータ】
「【残り時間確認】」
フェオドラの眼前に表示される、「三十五分十二秒」という残り猶予。つまり結局あれから五十分近くもの時間、【スカー】に動きはなかったのだ。
(一体、相手は何を考えているの?)
少女は最初の二十分弱を、瓶を投げつけられた現場付近で警戒し続けた。だが何の変化もみられなかったため、十分ほどかけて展示館の周りを何度もぐるりと偵察する。しかしこれまた、何も発見できず。そして今に至るまでの残り時間、彼女は今度は遊歩道沿いにゆっくりと索敵を行っていたのだ。
(まるで、やる気がないみたい)
どんな人間でも、緊張を維持し続けることはできない。フェオドラの行動は時間の経過に合わせて、徐々に大胆になりつつあった。
見回し、耳を澄ませ、何もないことを確認する。何もない。
移動し、立ち止まり、また周囲を窺う。何もない。
時折敢えて明かりの下に立ち、ことさらに隙を見せつけすらもした。やはり何もない。
傷を受けず、戦いもなく、敵の姿も見えない。動く気配も感じられない。
何もない時間が続き過ぎたのだろう。そんな時間が続けば、必ず人間の集中力は低下するものだ。当然、油断も生じる。
修羅場を数度くぐり抜けたとはいえ、彼女はそもそも軍人でも警官でもない。自身のそういった精神状態を管理する訓練など、当然受けてもいないのである。元々は、ただの女子高生にすぎないのだから。
(やっぱり、【スカー】は時間切れを狙っているんだ)
開始直後のアナウンスによれば、【スカー】は既に二勝を挙げているはずだ。だからこの試験自体に、「やる気」が無いとは思えない。しかしこの対戦、当初からスカーの行動には積極性が見られないのだ。これは、どういうことだろうか。
(……きっと【スカー】の能力は、この戦場には適さないのね)
闇夜は都合が悪いのか、はたまた開けた屋外という環境が適さないのか……それはフェオドラには分からないが、とにかく【スカー】は手出しができないのだ。
(瓶を投げてきたのは、何か能力の発動条件っぽいと思うんだけど)
だが瓶投擲以降結局何も仕掛けてこなかったところをみると、あれは失敗に終わっていたのだろう。それで【スカー】は今回の対戦を捨てて、生き延びることのみを優先したに違いない。そのため、あれ以降はずっと闇に隠れているのだ。
(引き分け狙い……【スカー】にはそんな選択肢だってあるの……いや、普通はそうか)
戦術的撤退が許される【スカー】の立場を、フェオドラは羨ましく感じていた。
(でも私は、引き分けでは終われない)
引き分けに終われば、また「総括」が待っているだろう。その未来図だけで、彼女の膝はがくがくと震え始める。諸手で膝を押さえつけるようにしながら、フェオドラは自身を必死に奮い立たせた。
「……やってこないなら、こっちからやってやる」
闇に隠れ続けるなら、いいだろう。戦う気が無いなら、好きにすればいい。だがそちらの都合が悪いことなど、知ったことではないのだ。
(でも、しかしどうやって探そう?)
戦場はあまりにも暗すぎる。明かりだ、明かりが欲しい。いっそ管理事務所に戻り、懐中電灯か何かを探してくるか。
と、そこまで考えたところでフェオドラは、はっと閃いたのである。
簡単な話だ。実に簡単で、単純な話。
光源がないなら作ればいい。それもとびきり大きい奴を、だ。
◆
事務所の中へ戻ったフェオドラは各窓のカーテン、壁近くの可燃物、そういったものへ徹底的に放火して回った。燃やすものが無いところには、雑誌や新聞紙を運んできて焚き付ける。倉庫の中には板切れも何枚か転がっていたので、それも薪代わりに燃やしていく。
当初は灰皿の横で見つけたライターで行うつもりだったが、事務員の机とおぼしきものの中に着火専用の小型器具があったので、彼女はそれを手に火を点けて回った。引き金を引けば筒の先から火が出るのだから、ライターより数倍楽で、早い。
そうして奥から順に火を放ち、天井まで燃え広がり始めたのを確認しつつ、入り口から外へと向かう。
一般家屋で火災が起きてからもっとも火が強まるまで、おおよそ七、八分程度と言われている。この事務所がそれに比べて火に弱いのか強いのかまではフェオドラには分からないが……木造部品をふんだんに使った建屋は、しっかりと火の勢いを強めていった。それも、加速度的に。
(灯油でもないと厳しいかと思ったけど、いらなかったな)
建屋から脱出したフェオドラは事務所の脇、火の粉を被らない程度の位置に立ちながらそう考えていた。
(十分。これで、十分)
燃え上がる炎は、巨大な光源として煌々と周囲を照らしている。そしてこの明るさは火勢と共に、これからもっと強くなるだろう。
その赤い光を利用してゆっくりと、だがしっかりと全周を見回していくフェオドラ。
……あれは、裸の少女のブロンズ像。
……あれは、水鳥の彫像。
……あれは、作者の正気を疑うような現代アートの金属作品。
……あれは、立っている人影。
(人影だ!)
距離がある。どんな顔をしているかは分からない。だがあれは展示の芸術作品などではなく、間違いなく、人間だ。黒っぽいセーラー服を着た少女が、赤く照らされながら草むらの中に立っているのだ。
「見つけた!」
フェオドラの唇が、意識せず釣り上がる。
(これで「総括」は免れる)
彼女の思考は、その一点だけで占められていた。
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