第6話 その少女の学力
こいつはやばいな、とリクは思った。
リオは彼の手渡した文庫本を訝しげに眺めている。
窓の外はすっかり暗くなっていた。
マンションの最上階の角部屋から眺める景色は、点々と明かりが灯っていてなんともノスタルジックな心が刺激される。
はあ、と嘆息が出た。
『読めないのか?』
リクはベランダの窓のカーテンを閉めながら言った。
『読みたくない』
リオは文庫本をつまみ上げるように持ちながら言う。
呆れたものだ、とリクはまた大きく息を吐いた。
こいつといると、いくら空気を吸っても足りないくらいだ。
『それは読めないということだろう。分からない漢字や言葉があるか?それなら恥ずかしくないから言ってみなさい』
彼女には思った以上に教養がないようだ。
このご時世、文字を読むのすら怪しい16歳が日本にいるか?とリクは眉間にしわを寄せる。
どうやって高校に入ったのか気になる。いや、高校に入ったのは母親が失踪してからか、なるほど想像はつく。
『…漢字もだし、文字がいっぱいありすぎて見るだけで疲れる』
『それは読み慣れてないからだな。そもそも本は読んだことあるのか?』
まさかとは思うが−−−
『ない、授業も聞いてないし教科書もまともに読んだことない』
やっぱり。ああ、なんてことだ。
リクはソファーに吸い寄せられて座り込み、そのまま文字通り頭を抱えた。
義務教育レベルの漢字も読めないということは、母親でさえ面倒を見てくれなかったということじゃないのか。
『リオ、お母さんはどんな人だった?』
『は?何急に』
突然の質問にリオは顔をしかめる。
『話したくないか?それならいい』
『…』
リオは何も言わない。
リクは立ち上がってリオの手にある文庫本を取り上げた。
『幼稚園児レベルの頭に、いきなりこれは無理だな』
メガネを持ち上げて腕を組み、暫く考える。
『幼稚園児って』
ムッとして、リオは盛大に舌打ちをかます。
『事実だろ?舌打ちはやめろ。こっちが耳障りなんだよ』
リクは腕を組んだまま無表情で冷罵する。
兎にも角にも、この子の教養のなさをどうにかしないといけない。
リオは不機嫌そうにそっぽを向いている。
マナー云々はそれからだ。
『リオ、明日は出かけるぞ』
『やだ』
即答!
『書店に行く。明日は10時までには支度を済ませておきなさい』
リクも無視で応戦する。
リオは返事代わりにヴゥゥと喉を鳴らした。
−−−−−−−−−−
『もしもし』
『あ、もしもし。お世話になっております。私、黒坂行政書士事務所の黒坂と申します』
『あら先生、逢沢です。例の見守り契約のお電話かしら?』
『はい。お時間はいつでもいいということでしたが、お忙しかったですか?』
『いえ、そんなことはないわ。いつでも暇だもの、ふふふ』
『その後、お変わりありませんか?』
『私の方は何にもなくてつまらないわ。でも大丈夫、頭の方はまだまだしっかりしてるから。リオちゃん、どう?』
『リオ、ですか。いやぁ、思春期の子は扱いづらいですよ。逢沢様にご相談したいくらいです』
『何かあったの?』
『何かあったというわけではないのですが。彼女、簡単な読み書きも怪しいくらいなんです。私も預かったばかりなので、最近気付いたんです。もしかしたら、母親と暮らしていた頃もまともに生活していなかったんじゃないかと…』
『なるほどねぇ。お母様の事は聞いたの?』
『ええ、でも答えたくない様子でした』
『探りはしなかったのね。それが正解だと思うわ。リオちゃんが、話したくなった時に聞いてあげるのがいいのかもしれないわ』
『私もそう思います』
『それは兎も角、彼女のその学力はなんとかしてあげなくちゃね』
『はい。明日書店に行って、簡単なドリルや本を買うつもりです。どのレベルから教えればいいのかわからないので、大変ですよ』
『ふふ、なんだか楽しそうね』
『楽しい?んですかね。…いやぁ、どうだろう。ははは』
『私にはそう感じるわね。まあ根気強く待つことね。向こうが心を開いてくれるまで』
『わかりました。…すみません。こっちがいろいろ相談に乗ってもらっちゃって』
『いいのよ、楽しいわ』
『そう言ってもらえると助かります。それでは時間も遅いのでこの辺にしておきましょうか』
『そうね。おやすみなさい』
『はい、おやすみなさい。失礼します』
−−−−−−−−−−−−
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