第5話 その少女について

ようやく話もまとまってきたところで、ちょうど二人のコーヒーは空になった。

リクは立ち上がり、コーヒーマシーンのスイッチを押す。

話題は業務の話から世間話へ移行しつつあった。

『可愛らしい妹さんね、お手伝いなんて偉いわ』

トモコはリオに柔らかく笑いかけた。

ひと段落ついて気を許したのか、トモコの言葉遣いはいつの間にか砕けている。

『え?あ、ありがとう、ございます…』

リオは突然話しかけられたからかおどおどと応えた。

人見知りだな、いや気持ちはわかる。

『すいません、この子恥ずかしがり屋で』

と、フォローしたつもり。

リオはリクを睨む。

恥ずかしがってない、と言わんばかりだ。

リクは無視して続ける。

『あと、この子は妹じゃないんですよ。今親戚から預かっているんです』

『あらそうなの。夏休み中遊びに来ているのかしら?』

トモコは真っ直ぐリクを見ている。

違う、が−−−

『ええ、まあ』

その全てを見透かしそうな瞳にリクの目が思わず泳ぐ。

『歯切れが悪いわね。…何かありそうだけど、詮索するような無粋な真似はしないわ。もし無神経な質問だったならごめんなさい。』

『あ、いえ。こちらこそ気を使わせてしまって』

勘のいい人だ。

『…あの実は…』

少し迷いながらリクは口を開く。

この人になら話してもいいんじゃないか、と思った。

軽くはない内容だが、話せば受け止めて、もやもやを消化してくれる。そんな雰囲気を持っている人だ。

もしかしたらお年寄り効果もあるのかもしれない。

リクはリオをちらっと確認した。

伝わったのかは分からないが、リオは一瞬目を合わせるとすぐにそらし軽く鼻を鳴らした。

…オッケー、と勝手に判断しよう。

『実は、この子は身寄りがいないんです。父親は幼少期に亡くなり、母親と二人で暮らしていたそうなのですが、その母親も1年ほど前に失踪してしまって』

トモコは驚く様子も見せず、黙って頷く。

リオは、逆に驚いた顔をしている。

話すの⁈といった感じだ。

なんだやっぱり伝わってなかったか。さっきの意味ありげなのはなんだったんだよ。

話してしまったものは仕方ない、リオには悪いが最後まで話すことにする。

『私や彼女の家はちょっと大きな家系なのですが、彼女はその親戚中をたらい回しにされていて』

『あなたが引き取ったというわけね。でもああ、やっぱり。黒坂という苗字でもしかしたらと思っていたけれど、あの黒坂家の方なのね』

『ご存知ですか?』

『ええ、もちろん。県下では有数の名家ですもの。私たちのような成り上がりとは、わけが違うわ』

トモコは自嘲的に笑った。

『いえそんなことは、それに私も彼女も本家の人間ではありませんし』

冗談だとわかっていても、リクは焦ってフォローする。

『そんなことあるわよ、何も謙遜することはないわ』

『恐縮です』

リクは恥ずかしそうに頭を掻いた。

『それにしてもそんな可哀想な境遇だったなんて。名家といえども、軋轢はどこにでもあるものなのね』

『ええ、どうやら親戚中でもあまりいい扱いは受けていなかった様子で』

ふと、リクはリオの方を確認した。

自分の不遇な話をどんな顔をして聞いているのか、気になったのだ。

『…』

…ザ・無表情。

ただあまりいい気分ではないだろう。

昨晩は泣いていた。

自分の境遇に涙するほどなのだ。

いい気分であるはずがない。

もしかすると毎晩泣いていたのかもしれない。

『名前はなんて言うの?』

トモコはリオに聞く。

リオはまたもやおどおどした様子で、無愛想に答えた。

こういうタイプは苦手なのだろうか。

『リオちゃんは今は高校生?』

『彼女は今高校2年生で16歳です』

今度はリクが代わりに答えた。

『そう。大事な思春期だものね。楽しく生きて欲しいものだわ。リオちゃん、あなたはいい人に出会ったわね』

トモコはリオに言う。

リクは、いい人というのが自分のことを指しているのだと気付かなかった。

リオは何も応えない。

『リオ、無視はいけない。なにか応えなさい』

『いいのよ。返事はいらないわ。今の言葉を一番よく理解しているのはリオちゃんだもの』

どういうことだろう、とリクはトモコを見る。

トモコは応えず、ただ笑いかけるだけだ。

リオは少し不機嫌そうにして下を向いている。

しばらくの沈黙のあと、トモコがそれを破った。

『先生、今日はありがとう。あと、話してくれて嬉しかったわ』

『あ、はい。今後ともよろしくお願いします』

リクはすぐさま立ち上がって一礼をする。

同じくトモコも立ち上がって深々と頭をさげる。

『では先生、また。リオちゃんもまたね』

リオはガン無視。…いや微かに首が縦に触れたような気が。

いやいや、もっとしっかり挨拶しないと。

リクは焦ってリオに注意しようとする。

『おい、リオ−−−』

『いいのいいの。では失礼します』

トモコはリクを遮って、リオのフォローをする。そして、歳を召しているとは思えないスムーズな動作で、くるりと振り返ってスタスタと事務所をあとにした。

リクは玄関でトモコを見送った後、リオを見返す。

リオは背中で本棚に体重を預け、うつむいて立っている。

さっきのトモコへの態度を注意しようと思った、がやめた。

自分の境遇を勝手に喋られて、気分を害さないわけはない。

そう改めて思って開きかけた口を閉じ、もう一度ソファーに腰掛けコーヒーを啜った。

そのコーヒーは少しだけ冷めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る