第4話 よくわかる成年後見制度
リクはエスプレッソマシーンで淹れたコーヒーをふるまいながら、相談の詳細を聞いた。
リオは部屋の端でつまらなそうに立っている。
時々、本棚にあるリクの法律書を手に取るが眉間にしわを寄せ、口をへの字に曲げて本棚に押し戻す。
読めないのか、とリクは笑いをこらえる半分、呆れた。
リクは目の前の客に目を戻す。
その気品のある老婆は、逢沢トモコと名乗った。
昨年、トモコは夫を亡くした。
彼女の夫が残した遺産は莫大で、お金には困っていない。
しかし彼女には子供もおらず、兄妹もいないため身寄りがいない状態であるらしい。
トモコくらいの歳になると、親しい友人も亡くなって心の底から信頼できる人間がいないのかもしれない。
莫大な遺産の存在も、他人を頼る事への枷となっているだろう。
『もし私がこの先、認知症になったり介護が必要になったらどうしたらよいのか…』
トモコはリクに一通りの自らの状況を説明したあと、一つ大きく呼吸をしてコーヒーに口をつけた。
『なるほど、だいたいお話はわかりました。大変ですね』
リクも、依頼者の相談内容がびっしりと書かれたメモ帳を脇に置いてコーヒーを啜った。
リオは大きなあくびを一つ。
『そうなんです。ですから本当に不安なんです。でも、最期くらいは人に迷惑はかけたくなくて。今日は終活?っていうんですか、それをお願いしに来たんですが』
トモコは相変わらずの上品な喋り方だ。
老い先が短いと、死について逆に楽観的になるのだろうか。
話の内容は重たいが、その喋り方も相まって暗さは不思議とない。
『ありがとうございます。では少し遺言、相続についてお話ししますね』
リクはゴホンと咳払いを一回、メガネを人差し指の関節で持ち上げてルーティンを完了し、話し始めた。
『まず戸籍を取得して調べてみないといけませんが、法定相続人であるお子さんやご兄妹などがいらっしゃらない逢沢様の場合、遺言書を書かないとお持ちの資産は国庫に入ることになります。しかし遺言が無くても相続人以外で相続することができる人、特別縁故者という決まりがあるため、もし裁判所でそれが認められた場合はあなたと疎遠な人でも相続ができてしまう可能性があります。ですから是非、遺言書を残されることをお勧めします。遺産を残したい方などはいらっしゃいますか?』
『うーん、…いないですねぇ。例えば、寄付とかにしたいと思っているのですが』
トモコは少し考え、すぐに答えた。
頼れる身寄りがいないのだから、莫大な資産を相続してもらいたいと思うような人もいないのだろう。
寄付をすると、最初からほとんど決めていたようだ。
『それでもいいと思いますよ。公共団体に寄付をすれば、名を残すことができますし。またその他にも遺言書に記載することについては、葬儀についてやペットの世話なども書かれる方が多いですね。まあ今ここで一気に話す事もないので、これから少しづつ進めていきましょうか』
『そうですね、お願いします』
『あと、逢沢様は成年後見制度はご存知ですか?』
『いえ、存じ上げないですが』
トモコは首を傾げる。
リクはそう答えるのをわかっていたように、間を置かず続けざまに話す。
『後見制度は、高齢化が進み最近注目度が上がっている制度なんですよ。これは法定後見制度と任意後見制度の二つに分けられます。法定後見制度というのは、認知症などで判断能力を失ってしまった方のご親族が家庭裁判所に申し立て、その人をサポートする後見人を選定するという制度です。また任意後見制度ですが、法定後見制度と違い本人の判断能力があるうちにその人が後見人を選ぶという制度です』
行政書士が後見業務という場合は後者のことを指す。
ただ後見業務は行政書士の独占業務ではなく、取り扱っている他士業のものも多い。
『それは誰に頼んでもいいんですか?』
『もちろんです。基本的には私が後見人になりますが、後見人は複数人立てることができるのでもし他に立てたい人がいれば、何人かにお願いしてその人たちの中で権限を分けることができます』
『そうですか。ただそういったことを頼める人なんて周りにはもういないんですよね。でも誰かにお願いできれば安心ですね。…黒坂先生にお願いしてもいいですか?』
『かしこまりました。具体的にどのような契約にするかについても、今後話し合っていきましょう。あとこれには見守り契約というのもセットにすることをお勧めしているんです。こちらはご存知ですか?』
一般人にはほとんど知られていない制度というものは多い。
ネットで簡単に調べられるようになって士業の仕事はなくなっていくと言われるが、やはりそんなことはないようで、知らない人は知らないものだ。
法的行為は手続きも多く、難解で手間がかかるものが多い。
リクはそういった法律実務を扱う行政書士という仕事に可能性を感じ、だからこそ行政書士になった。
『見守り契約、ですか?』
案の定、トモコはまたもや首を傾げる。
『はい、たいていの方は将来型の後見契約にするんです。判断能力を失ったら後見開始という風に。ですので定期的に連絡を取ったり、会ったりして判断能力が低下してきているか否かを知る必要があります。ですから是非オススメです。それに定期的に様子を見てくれる人がいて安心だ、と評判がいいんですよ』
評判というのはあくまで聞いた話だ。
リクは後見業務を実際に行ったことはない。
しかし間違っても初めてなんですとは言わない。
高い金を出して初めてやる仕事を任せるなんて事は、自分自身が客ならしないだろう。
少しは悪いと思うが、騙しているわけじゃないし、とリクは勝手に納得している。
『黒坂先生にそれをしていただけるんですか?』
『はい、電話連絡は少なくとも週に3回、お宅訪問は月に最低1回させていただきます』
『それは嬉しいです。最近は交友もすっかり減って、ちょうど話し相手が欲しかったところなんです。サービスの本意とは違うかもしれませんけど』
『いえいえ、そう言って喜んでいただけるお客様も多いですよ』
どちらかというと話し相手になるという方が、実はメインのサービスだったりもするのだが、一応法律家としての体裁上そうは言わない。
『ボケ防止にもなるかもしれませんしね。では是非宜しくお願い致します』
トモコは体を折って頭をさげる。
『いえ、こちらこそ』
リクも合わせて深く礼をした。
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