第2話 クソガキ
彼女はずっと部屋から出てこない。
幸いにも空いている部屋があったので、彼女にはひとまずそこで寝泊まりしてもらうことにした。
黒坂家本家から車で1時間弱。
永遠とも感じられる沈黙の空間を耐え抜いたリクは、暑苦しい黒スーツから着替えた後、夕食の調理に取り掛かった。
駅からは遠いが、新築の小綺麗なマンション。最上階の角部屋でそこそこ広く、いくら天下のJKとはいえども文句はないはずだ。
大学進学時に入居したこの部屋に、卒業した後も引越しはせず居座り続けている。
家賃はそんなに安くはないが、今の彼には払えないこともない。
ただまあ払ってないのだが。
家賃は親のクレジットカードで支払いとなっている。
息子に戻ってきてほしいのであれば、まずその支払いを止めるべきだろうが、忙しい彼らはそんな些細な金額は気に留めていないのだろうか。いや明細書を見てもいないかもしれない。
もし親が支払いを止めれば、リクの生活は途端に質素になることだろう。
少女一人を養う余裕もなくなる。
リクはフライパンでソーセージと卵を焼きながら、少女がいるはずの部屋の扉を見る。
どんな生活を送ってきたんだろうか…。
カズオさんが生きていた頃はもちろん、悪くない生活をしていたはずだ。
そこから一転、母と二人だけで貧乏な生活をしてきた。
母親のリンさんが消息を絶ったのは、リクが家を継がずに独立することを両親に伝え、喧嘩別れした直後のことらしい。黒坂家情報の仕入れ先である親と連絡を取らなかったのだから、どうりで知らないわけだ。
そこから1年と5ヶ月、ずっと家中をたらい回しにされていた。
『あれだけ無愛想になってしまっても仕方がないな』
こんがりと焦げ目のついたソーセージと半熟のスクランブルエッグを皿の上に盛り付ける。
ケチャップは邪道。
塩で軽くスクランブルエッグに味付けをしてテーブルに置いた。
ソーセージとスクランブルエッグ、サラダ、それに味噌汁とご飯。
朝食かと自分でツッコミたくなるが、まともな食事はそれしか作れないのだから仕方ない。
『リオちゃん、ご飯できたよ』
言ってからなんだか恥ずかしくなった。
慣れない言葉に違和感を感じる。
人をちゃん付けで呼ぶこと自体ほとんどしないのに。
『食べよう』
…来ない。
どうしたのだろうか。
リクはご飯をよそう手を止めてリオの部屋に向かった。
『開けるよ』
リクは反応を待たずにドアノブを押した。
短気なのは黒坂家の血のせいだろうか。
『…寝てる?』
リオはベッドの上に上半身を乗り出して伏せていた。
『…起きてる…』
あ、起きてたんだ。
もそもそとリオは起き上がった。
制服のだらしない着こなしとボサボサの黒髪で、一見ゾンビのようにも見えなくもない。
ちょっと怖いから電気をつけた。
−ピッ−っと音を立てた後、点灯時のメロディが流れ出す。
チカチカと少女を照らす。
鬱陶しそうに顔にかかった髪をはらうと、身なりの割には整った端正な顔がチラッと見えた。
目が赤い…。泣いていたのかな…。
『ご飯できたから食べよう』
リクはもう一度言った。
『え?一緒に?』
『え?うん』
おかしなこと言ったかな?もしかして女子高生と食卓は別にしないといけない条例でもあったか?
あるわけない。となると。
『いやかな?』
生理的に無理とか?
『…えと、…わかった』
良かったそういうわけじゃないらしい。
リオは端的に応答して、こちらへ歩き出した。
『泣いてたのかい?』
『…』
無視かよ!応えにくいのはわかるけど。
『苦手なものは?』
無視or生返事なのは分かっているが、もう開き直ってやる。
『特にない…たぶん』
リオを特に考える素振りも見せずに言った。
何が好きで嫌いか判別できるほど種類を食べててないのかもしれない。
4、5歳の時に父親が亡くなって、貧乏生活をしてきたんだ。
もっと良い食事を出してやるべきだったかな。
『味はどうだい?あまり料理は得意じゃないんだけど』
『まあ』
なんだその返しは!うまいのかまずいのか、どっちなんだ!
たまごにケチャップかけるぞコラ!
頭の中で説教を再生しつつも、リクは顔には出ないように耐えた。
きつい…。
どうも合わないようだ。そもそも子供の相手なんて疲れるだけだし、無理してしゃべることもないか。
『…』
あと食べ方が汚い…。
本当に黒坂家のレディとは思えない犬っぷりだ。
リオは少し顔を上げ、上目遣いでちらっとリクの方を確認する。
すると突然、リオは立ち上がって自分の部屋に向かおうとした。
『どうした?まだ残ってるぞ?』
『もういいや、食べれない』
なんてやつだ。人のうちの飯をいただいておきながら、粗末に残して食べられないとは。
『食べられないならそれなりの礼儀ってもんがあるだろう。それに、ごちそうさまは?』
リクはさすがにこれはと思い注意をする。
『何?急に怒って。気にしないでよ。私なんて、どうせまたどこかの家に押し付けられるんでしょ?』
リオは表情を変えずに言う。今度ははっきりした口調だ。
『そんなことはない。両親に頼んで俺の実家に置いてもらえるようにするよ』
『じゃあ少なくともあんたは私を疎ましく思ってるんだ』
『そういうことじゃない。俺だってまだ若いし、独身で子供なんて持ったことない。俺が養うよりもずっと君のためになるんだ』
『そんな表面だけ取り繕わなくてもいい!本当は誰も私になんて関わりたくないんだ!私だって、なりたくてこんなになったんじゃない!』
『…』
突然の大声にリクは黙ってしまった。
言い返す言葉がなかった。
疎ましいと思ってないと言ったら嘘になる。
でも、見捨てることができるかというとそんなことはない。
もしかしたら、リオのことに関して軽く考えすぎていたのかもしれない。リクはそう思い直した。
とりあえず家に連れて帰って、別のところを見つけたらそこに行ってもらおう。そう考えていた。
これじゃあ、リオをこれ呼ばわりしていたあの中年夫婦と同じだ。
そうか…いや当たり前だ。彼女は今までずっと邪険に扱われて、心を削ってきたのかもしれない。
ただでさえ母親がいなくなっているというのに。
俺はなんて視野の狭い、クソガキなんだ…。
リクは下唇を強く噛んだ。
『…俺は君と関わりたくないなんて思ってない。今ので決心した。…今日から君の家はここだ。よそにはやらん。いいな?』
『…っ』
リオは顔をしかめて、そして振り返って自分の部屋に駆け込んだ。
リクは無言でその場に立ち尽くし、彼女の部屋のドアを見る。しばらくして目の奥が熱くなって上を向いた。それから再び席に座り、冷めたスクランブルエッグを口にかきこんだ。
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