実践!よくわかる貧困少女の育て方

@takayama

第1話 その少女は笑わない

その少女は一切笑わない。

確かに面白いことなど話してないが、さすがに愛想笑いの一つくらいしてほしいものだ。

短い返事を素っ気なく返すとすぐさまうつむき、黙ってしまう。

気まずい雰囲気が車内を覆う。

耐えきれずラジオのスイッチに手を伸ばす。

知らぬ男の笑い声が響く、が状況は改善しなかった。

この調子じゃどうなることやら。一緒に住むっていうのに。

空気を入れ替えるため窓を開け、アクセルを踏み込んだ。




T駅から徒歩1分、そこに彼の事務所がある。

アパートのような間取りのその一室には黒い硬そうなソファーが向かい合い、それに合わせた低い机、その奥にオフィスデスクが置いてある。

黒坂行政書士事務所の所長、黒坂リクはデスクではなくソファーの方に腰掛けるとそのまま後ろに倒れこむように天井を見上げた。

『どうする?』

誰に聞くともなく呟いた。

メガネを置き、右手の指で目頭をぐっと抑えた。

経営に行き詰まっているわけではない。

業績はボチボチ、飲食店の許認可業務を主にしており、丁寧な仕事で評価を受ける彼は次々と仕事を紹介してもらえている。

儲けてはいる。少女一人を養えるくらいには。

いやお金の問題ではないのだ。

まだ20代前半だし、独身だ。なんなら彼女もいない。

なぜそんな俺が16の少女の面倒を見なければならないのだ。

事は黒坂家とその親族一同の集まりである、恒例の立食パーティーに始まる。

リクは本家の直接的な血筋ではないが、比較的近いところにある。また曽祖父から続く不動産業がT県でなかなかのシェアを占めており、黒坂一族ランキングの中でも上位に入る家だ。

本家との関係は悪くなく、もちろんのことながらパーティーへの招待状(強制参加通知書)が届いた。

そのパーティーで、あまり参加に乗り気でなかったリクは会場の端っこで小さくなっていた。

−−−

片手には水が入ったグラス。アルコールは極力取らないポリシーだ。

『リクさんはみなさんと話さないのですか?』

ふえっ、と変な声が出る。

急に話しかけられたリクは挙動不審に声の主を確認し、グラスに口をつけた。

長い黒髪と端正な顔立ちのその女性は、ザ日本美人という感じだ。まるでお姫様のような格好 −着させられたのだろう− をしているが和風な感じが伝わってくる。着物がよく似合いそうだ。

口を少し湿らせた後、リクは会場の中心辺りを見ながら応えた。

『俺がいっても話が続かないよ。父と母に任せておけばいい。ミヤコさんは行かないの?』

『私も同じ理由です。歳が近い方たちは今日は来ていないみたいで。私とリクさんくらいですよ』

ミヤコはクスッと笑った。

『本家のミヤコさんはともかく、なんで俺まで呼ばれるのかなぁ』

リクも少し口角を上げる。

『リクさんやリクさんのご両親は、おじいちゃんが気にいらしてますからね。あ、あと私年下なんですからさん付けはやめてくださいよー』

ミヤコは口を膨らませた。

『ごめんごめん、やっぱり本家のご令嬢だからさ。つい、ね。気をつけるよミヤコ』

『昔はミーちゃんって呼んでくれたのになぁー』

『それは勘弁してくれ、大人になると流石に恥ずかしい』

リクは顔の前で手をひらひらさせた。

会場を見渡す。

たしかに。今回のパーティーに呼ばれたのは、どうやら年寄りと本家のお気に入りだけのようだ−−−


ん?


リクは、会場を一周させていた視線を止めた。

女の子?

中年の夫婦らしき男女の後ろをうつむいて追う少女が一人。

分家がいくつか集まって話しているあたりで、中年夫婦が足を止めた。少女も少し遅れて止まる。

会話がかすかに聞こえてくる。

『…世話なんて…』

気になって耳を澄ます。

『…………面倒…誰か……』

『…さん…』

『…クさん…リクさん、私おじいちゃんのところに呼ばれたので行ってきますね』

ビクッとして挙動不審に取り繕う。

びっくりした。まだいたのか、ミヤコ。

彼女は話すとき距離が近い上に、声がよく通るので突然話しかけられると心臓に悪い。

グラスに口をつけ、そのあとわかったと応えて再び集中する。

……………

聞こえないな。

しかたなく、リクはその方向に足を進める。

グラスに口をつけながら、あさっての方向を向いて。

『あら?』

なるべく気がつかれないようにさりげなく近づいたつもりだが、何人かがこちらに気がついたようで話しかけてきた。

めんどくさい…。

『リクくん良いところに!』

それに嫌な予感がする…。

『そうそうリクくんは家の不動産を継がずに行政書士になったんだって。どうなることかと思ったけど、うまくやってるみたいじゃない』

『ええ、おかげさまで』

『すごいわねぇ〜。あ、それはそうと私たち困ってるのよねぇー』

やっぱり来たか、とリクは苦い顔をする。もう少し世間話をしたらどうなんだろう。まったく短気が多い一族だ。

どんな面倒ごとを押し付けられるのか知らないが、この子絡みである事は間違いないだろう。

どこかの学校の制服を着ている。

遠目で見ると気がつかなかったが、随分と着こなしがだらしない。

というか貧相だ。汚れやシワが目立つ。

靴もボロボロ。

それに靴下が破けてる。

『え?なんですか?』とリクはシラを切る。

『わかるでしょー。これよこれ』

中年女性は少女を顎でさした。

これって言い方はどうなんだ…。

少女は少し顔を上げる。

思ったより顔は貧相ではなかった。だが少しやつれているか。

『この子がどうかしたのですか?』

リクはわからないふりをする。

『これねー、リンさんのとこから預かった子なの。ほら10年くらい前亡くなった黒坂建設のカズオさんところの娘。お葬式に行ったの覚えてるでしょう?』

単刀直入に何を押し付けようとしてるのか教えてほしいな。スパッと断ってやるのに。

余計な情報を聞くと断り辛いじゃないか。

『あー覚えてます。たしかに小さい子がいましたね。へー大きくなったなー、ってその時僕もガキだったかー。ハハッ』

なんとか話を逸らそうと、たいして面白くもないが笑ってみる。

少女はチラッとこちらを確認したが、すぐにうつむいた。

『全く、愛想悪いのよねぇ。教育がなってないわ。まあ父親もいないし、母親一人だと仕方ないわね』

リクの努力むなしく、断り辛くするための余計な情報が入ってくる。

それにこの中年女性は随分と少女に対して当たりが強いようだ。

『これの母親のリンさんもいなくなっちゃったみたいだし』

『いなくなった?』

あ…不覚にも興味を示してしまった。リクは後悔した。

ここぞとばかりに中年女性はたたみ込む。

『そうなのよー行方不明らしいんだけど、かわいそうでしょ〜。身寄りもなくてねぇ』

身寄り?いっぱいいるじゃないか。少女一人くらい容易に養える頼れる身寄りが。

『私のところも子供がいるし、面倒みれないのよ。他の家の人たちもそんな余裕はないって』

ないわけないだろ。が、リクは納得した。たらい回しにされてるわけか。

ベッドが空いてるのに受け入れないなんて、救急隊員もビックリだな。

『施設に入れるわけにもいかないし』

『それはダメだ、黒坂家の恥だぞ』

隣から分家の老人が横槍を入れる。じゃあお前が面倒みろと言いたくなる。

ここまでこの少女が厄介者扱いされている理由は、おおよそ見当がつく。

リクの家の仕事柄、黒坂建設の黒坂カズオさんはリクもよく知っている。

カズオさんは黒坂家の中では異端児として有名だった。

エリート志向が強い黒坂一族の中では数少ない (いやいないだろう) 中卒という学歴を持っていた。

詳しくは知らないが、昔から喧嘩っ早い不良だったらしく手を焼いたそうだ。

しかし子供が生まれてからは心を入れ替えたように仕事に熱中し、やはり黒坂家の血が流れているからだろう、自分の会社を持つまでになった。

好き勝手やっていた男が成功者になるというのは、真面目でつまらないお坊ちゃん、お嬢ちゃんたちにとっては面白く感じなかっただろう。

亡くなった時も、泣いている者はそんなに多くなかったと記憶している。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とはこのことだ。

そういえばなんで亡くなったのか知らないな。

『ということで、ね?リクくん。あなたの家、カズオさんと仲が良かったでしょう?お願いできるかパパとママに聞いてみて』

『ということでって、本当に誰も面倒が見れる人がいないんですか?』

『本当にいないのよ』

間髪入れずに応答してくる。

はぁ、とリクは嘆息を漏らす。

今あまり父と母と話したくないんだよな。

本来、家の仕事に就くはずだったリクは黒坂家への反抗心から、半ば家出の形で行政書士として独立した。

大学まで面倒を見てもらって、申し訳ないとは思うが自分の人生の面倒は自分がみたい、と思った。

その後、ほとんど親とは連絡を取っていない。

この黒坂家本家に来たのも自分一人でだし、今日は親と顔も合わせていない。

『そう言われましても…』

『じゃあとりあえずお願いね。荷物はこれが今持ってるので全部だから』

中年女性は早口でまくしたてると、満足したように近くにいる分家の中年や老人たちの方へ体を向けた。

荷物って、少女は学生カバンしか持っていないが。

『荷物これだけ?…じゃなくて!え⁈ちょっと!無理ですって、そんなのないですよ!』

リクは裏返る声で不服を申し立てるが、中年夫婦とその仲間たちはそっぽを向いて話し始めている。

一体、俺になんの恨みがあるっていうんだ。

リクはしばらく固まったまま、何を考えるともなく立ち尽くしていたが、少しして少女の方へ向いた。

『あの、なんか大変だね?』

何か話さないといけない空気を感じ、慣れない会話を振った。

『いつものことだし…』

それだけ言うと、また黙る。

会話が…。

父や母とは今は関わりたくない。ミヤコは…なんだか忙しそうだ。

…気まずい。

『あっそうだ!名前、なんて言うんだっけ?』

『…黒坂リオ…』

『まじで!俺も黒坂だよ!偶然だね〜イェーイ!当たり前か。ハハッ。』

『…』

心がきゅってなった…。

さて、どうするべきか。

ある程度顔を出したし、本家にも挨拶はした。

もう帰るつもりだったのだが、少女を連れて?

親には頼れない。交換条件を突きつけられるに決まってる。

本家に話すと面倒なことになりそうだ。今日終わらせたい仕事もあるし。

とりあえず帰ろう。いや帰りたい。もうなんか本当に疲れた。

パーティーの空気のせいもあるが、今の数分で一気に。

帰ってから考えよう。…あれ?連れて帰っても事案にならないよね?

『あの、リオちゃん?とりあえず俺の家に行こうか。あ、一応変な意味じゃないからね?今、親には話せないし俺も頼りがいないんだ』

『…わかった…』

リアクションの薄さは低反発枕以上だな。寝心地が良さそうだ。あ、変な意味じゃなくて。

無意味なジョークを浮かべながら、小汚い少女をリードする。

−−−少女を連れて、途中でパーティーを抜け出して家に帰る−−−

文字に起こすとなんとまあ危険な香りがすること。

リクはコソコソと会場をあとにした。

『こっそり出よう。あ、変な意味じゃないからね。見られると面倒そうだから。』

不審者じみた行動を、少女に弁解しながら。



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