第23話

 ベヒモス母さんは言いました。


 『レインちゃん、うちの子まだ帰ってきてないんだけど、どこ行ったか知らない?』


 いや、私が捨ててきたのだから『うちの子をどこにやったのよ!』か?

 ……なんてふざけている場合ではないか。

 最近ベヒモスがルシファーの保護者に見えてきたから、どうもおかしな邪念が過ぎりがちである。


 それはさておき。

 ルシファーがまだ戻ってこない件。


 彼にどんな移動手段があるのかは知らないが、バルトやソレルがいる村まではすぐに追いついてきた。

 だから捨ててきた海からでも丸一日経てば戻ってきているだろうと思っていたのだが……。

 あれから三日経った今でも戻らないのはどうしてなのだろう。

 何かあったのだろうか。

 まさかあいつ、カナヅチだなんてことはないよね!?

 死んじゃったりしてないよね……殺しても死なないような奴だから、大丈夫だよね?

 だって魔王だし!

 大丈夫ということにして、ベヒモスにはルシファーを捨てた位置に印をつけた地図を渡しておいた。


 はあ……何やってるんだろアイツ。

 なんかちょっと気になるのが腹立つな……。




※※※




 不浄の森、エリュシオンから遠い海。

 レインに捨てられ、波に身を任せながら海を漂い続けていた。


「王よ。何をそんなに憂いでおいでなの?」


 傍らにはいつの間にか海の魔女、セイレーンがいた。

 セイレーンは半獣人のような姿で上半身は美女、下半身は鳥の海に住む魔物だ。

 ベヒモスのように人型になることが出来る。

 今も人型になり、海面に横たわりながら俺に寄り添っている。

 

「ああ……愛しき我らが魔の王よ……」


 セイレーンの問いには答えず、一言も声を発せず空を見てただ漂う。

 時折、慰めるように美しい歌声が聞こえたがあまり耳には入ってこない。

 頭の中では処理しきれていない問題が渋滞していた。

 感情も消化出来ていない。

 戸惑い、怒り。

 そして悲しみ……というより意気消沈といった感じか。

 ……この俺が。

 少し馬鹿らしくて乾いた笑いが出たが、あまり経験の無いこの感覚は案外悪くはない。


 どうしてレインは怒っていたのだろう。

 自分は譲って、彼女を許したというのに。

 今思えばあんな羽虫にむきになって大人気なかったかもしれないが。


 それに彼女に触れた時、確かに彼女は自分を受け入れていた。

 重い一撃を貰ったが照れ隠しなのだろう。

 彼女はあの外見や能力からは想像出来ないが、実は慎ましやかな内面を持っていることは分かっている。

 だが、そろそろこちらに身を委ねてくれてもいいのではないかと思う。

 全く、素直ではない。


 そして何より衝撃的だったのが彼女が攻撃してきた時、受け止めようとしたが出来なかった。

 つまり、彼女の方が俺より強いということだ。

 そんなことはあるはずがない。

 彼女の能力が驚異的なことは分かっていたが、力で対峙した時に自分が負けるとは考えたことも無かった。


 彼女は何者なのだ。

 本当に分からない。

 彼女の全てが不思議でならない。


 だが、手に入れてしまえば全ての謎は解けるだろう。

 彼女の謎も、そして自分の知りたい事も……きっと分かる。

 そんな予感がする。


 ああ、早く手に入れたい。

 もどかしい、苛々する。

 彼女は『特別』であることは間違いない。

 なら、女としても自分の常識で扱うことは出来ないのだろうか。


 ふと纏わりつく鳥に意識がいった。

 同じ『女』であれば何か分かることがあるだろうか。


「おい鳥。お前、俺にその身を差し出せと言われれば従うか」

「ええ、勿論! 仰せのままに……。ああっ身に余る光栄ですわ」


 矢張りそうだ。

 これが普通なのだ。


「俺に従わない女を従わせる方法はあるか」

「王に従わない女? ……理解出来ません。そんな女がいるとは思えませんわ。いたとしたら、その者は女ではありません。豚か何かなのでは……」

「……俺が豚相手に手こずっていると?」


 下らない。

 時間の無駄だったようだ。

 ベヒモスの方がまだマシだった。


「ああ……王よ、お許しください……どうか、わたくしを見てくださいませ……!」


 縋りついてくる腕も許しを請う声も鬱陶しい。

 そろそろ戻ろう。

 移動しようと意識を集中したとその時、視界に広がった空の中に突如異物が現れた。


 青い空の中に異様な黒の塊。

 それは風にたなびく黒のウエディングドレス。

 自分の頭を埋め尽くしている渦中の人物の登場だった。


「レイン?」


 彼女は波がぶつかる岩場に立ち、自分を見下ろしていた。

 気のせいかもしれないが、その視線はいつもより冷ややかなものに見えた。


 だが、どうしてここに彼女が?

 まさか……俺を心配して、迎えに来たのか?


 そう思うと、落ちていた感情が一気に浮き上がった。

 ダラダラと浮かんでいる場合じゃない。

 今すぐレインを抱きしめてあげなければ!

 彼女の元に飛んで行こうと、波に預けていた身体を起こすが……。


「さっさと帰ってきなさいよ!」


 そう怒鳴って彼女は姿を消した。

 烈火のごとく怒っていたように見えた。

 ……何故だ?


 ああ、いつもの照れ隠しだな。

 それだけ早く戻ってきて欲しいというわけだな。


「王よ、今のが……?」

「邪魔だ。失せろ。帰る」

「ああっ! お願いします、私もお側に……!」


 縋りついてくる鬱陶しい女を引き剥がし、エリュシオンへと帰路を急いだ。

 レインが待っている。




※※※




 ベヒモスにルシファーの位置を書いた地図を渡した後、私は自分には簡単な確認方法があることを思い出した。

 キャラクター検索すればいいんじゃん、と。

 早速ルシファーで検索する。


 名前と性別しか分からないがそれでもルシファーを特定することは出来た。

 ちゃんと存在しているので死んでもいないし、捨てた海から少し離れたところにいることが分かった。

 まだ海にいるのか。

 何やってるんだろう。


「で、魔王はいつ戻ってくるわけ?」

「さあねえ。知らない」


 声の主はソレルだ。

 バルトもいる。

 メガフレア連発事件が片付き、帰っていたのだがまたこちらに来ていた。


 用件は正式にソレルを大使として認めて欲しいということと、私達とルフタ側とで条約を制定したいということだった。

 私は面倒だから、いつもの馬鹿の一つ覚えのように『放っておいてくれるんだったらなんでもいい』と答えたのだが真面目にやれとソレルに怒られてしまった。


「あんたが不浄の森から一歩でも外にでたら条約違反、なんてことにもなるかもしれないんだぞ。こっちに任せたらこっちの都合の良いようになるんだ。自分の権利を守るくらい自分でやれ。まあ、あんたがどうなってもオレはどうでもいいが。あんたが迂闊なせいで、戦争みたいなことになったらたまらない」


 一瞬デレた気がしましたが、気のせいですか?

 そっちに気がいって、本来の大事なことに意識がいかなくて困ります。


 はあ、しかし……条約ねえ。

 結局はこちらが力で脅してる関係なわけだから、まともな条約なんて出来ないと思うのだけど。

 それでもある程度のガイドラインというか、『これを守っている間は暴れません』という確約が欲しいらしい。

 確約をしたところで誰かさんはそんなもの知らない! と暴れるような気もするが、大事なのは条約を結んだ既成事実ということだろう。

 まあ、何もない口約束の状態でルフタが他の国をまとめるのは難しいだろうから出来るだけ協力はするけど。

 結局はそれが一番平和に暮らせる手段になるだろうし。


 だが条約の話は私一人で進めるわけにもいかない。

 ソレルの大使任命についても条約についても、一応ルシファーがいないと。

 一応、ね……。

 だから早く話をしたいのだが……帰ってこない。


 バルトとソレルは私達が条約を結ぶ意思があるかどうかの確認をとらない限り戻れないので、いつ戻ってくるのだと苛々している。

 まあ、苛々しているのはソレルだけだ。


「あんたが捨てたんだから拾ってきなよ」


 ごみを拾うかのような言い草である。

 一応推定魔王なのですが……。


「まあ、ゆっくりしていきなさいよ」

「断る」

「バルトなんてあんなにくつろいでるじゃない」


 部屋のテーブルを囲んで和気藹々としている空間に目を向ける。

 ちょうどバルトがユミルが作ったお菓子を頬張りながらこちらを向いた。


「ソレル、これ美味いぞ!」


 窓際に腕を組んで苛々しているソレルとは対照的にバルトはユミル達とおやつタイムを楽しんでいた。

 舌打ちをするソレルを気に留めず、バルトは更に甘いものを次々と口に運んでいる。


「このケーキとか見た目も凄いじゃ無いか。ほんとにお前作ったの?」

「そうだ、凄いだろう!」

「兄さんは昔からこういうの得意なんですよ」

「はあ~。お前の兄ちゃん、良い嫁になりそうだな!」

「貰ってやってくださいよ」

「ネル!?」

「女だったら貰ってやるけどな」

「兄さん、気合を入れればなんとかなるんじゃない?」

「……ネル、どうしてそんなに嫁に出そうとするんだい?」


 ソレルの眉間の皺は深くなる一方である。


「楽しそうじゃない。混ざってきたら?」

「……馬鹿がうつる」


 深い溜息をついて窓の外に視線を戻した森の王子。

 その姿も様になっているが、そろそろ王子の眉間の皺が取れなくなってしまわないか心配なので渋々ルシファーを迎えに行くことにした。

 とても、とっーても気が進まないが。

 捨てた手前、戻らないのも少し気になってはいるし。

 なんだか私が落ち着かないし仕方がない。

 ルシファーの最寄りのポイントまで飛んだ。


 目の前には先日と同じような一面の蒼。

 吹きつける風も同じく強い。

 足場は前回より大きな岩場でしっかりと立つことが出来た。


「わっ、冷たい」


 岩場に波がぶつかり、水飛沫が飛んできた。

 キラキラと輝いていて綺麗だがブラックマリアが潮臭くなりそうで嫌だ。

 早く帰りたい。

 改めてルシファーの位置を確認すると、こちらに近づいて来ていることが分かった。

 移動している様子を見るともうすぐ接触出来るだろう。

 姿が見えるはずの方向に顔を向けた。


 荒れているわけではないが、風が強いためか波も高い。

 近づかないとはっきり姿は見えなさそうだ。


「あっ、あれかな?」


 気がつかなかったが、いつの間にか三十メートルほど先の海面に異物があった。

 広がる蒼の中に浮かぶ白と黄色。

 白は目当ての残念美人推定魔王、ルシファーだ。


「黄色?」


 ルシファーにはない色を見て首を傾げた。

 波に揺られて姿をはっきりと見ることが出来ていなかったが、近づくにつれてその姿が明確になった。


 ルシファーにぴったりと張りついた黄色は、見たことのない女性だった。

 しかもスタイル抜群の金髪内巻き縦ロール美人。

 海の上が正直似合わない。


「むむ……」


 私よりも豊満な胸や引き締まった括れが凄い。

 服といえるようなものは身に着けておらず、羽毛のビキニみたいなものが大事なところだけかくしている。

 目のやり場に困るというか、逆に物凄く見てしまう……谷間とか尻とか。

 凄い、あれはもう暴力だ!

 波の上なのに魅力的な肢体を優雅に横たえてルシファーに枝垂れかかっている。


 っていうか誰?

 っていうかなんなの?

 こんなことをするのに忙しかったの?


「レイン?」


 白が私に気づいたようだ。

 腹が立つほど綺麗な顔をこちらに向けていた。


 隣の暴力美人もこちらを向いた。

 妖艶美人だと思っていたのだが、正面を見ると以外に目がぱっちりとしていて可愛らしい顔つきだった。

 なんという……ロリ顔巨乳というものを実際に目の当たりにしてしまった。


 面白くない。

 良いか良く聞け、乳はでかければいいというものではないのだ!

 乳では私は負けないぞ!

 見よ、この程良い大きさと角度!

 我こそは美乳だ!

 ルシファーもあんな乳を当てられて喜ぶな!

 

 駄目だ、殺意しか湧かない。

 サンダーストームでもお見舞いしてやろうか。

 刺激的なリゾートにしてやろうか。


 私の黒い感情に反応してかは知らないが、女の方が射殺すような視線を向けてきた。

 そしてあてつける様により一層ルシファーに身体をくっつけた。


「……」


 よろしい、戦争だな?

 全力で戦おう。

 レベル三百近い私に勝てるかな?

 それに私の場合はルシファーの方からくっついてくるんだからな!

 ……っていやいや、何を張り合っているの。

 『くだらない』と落ち着こうとする私を余所に、暴力巨乳はその武器をルシファーに押し当てながら勝ち誇ったように微笑んだ。


 カチーン。

 ルシファーごと焼き払ってやろうかしら。

 メガフレアをぶっ放せるのはルシファーだけじゃないのよ?


 ……おっといけない、いけない。

 私、大人ですから。

 そんなことしませんけど。


「さっさと帰ってきなさいよ!」


 全ての怒りをルシファーにぶつけるように吐き捨てた。

 連れて帰ろうと思っていたけどやめた。

 自分で帰って来い!

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