第2話 トマトシフォンケーキの底なし沼

 先生は、私の作文にチラッと目を通し、「はい」と言って受けとった。拍子抜けなくらい。

 帰り道、百合ちゃんと甲太朗君が追いかけてきた。

「今日も野菜採る?」

「手伝っても良い?」

 私はGrandpaの腰が悪くなった事を伝え、

「だから、今日も手伝うと思うわ」

 そう答えた。畑は広く、野菜は次々育って行く。昨日もいだ筈なのに、見落として居たのか、まだまだ食べ頃の物が見付かった。昨日咲いていなかった筈の花が咲いていたりもした。気が付かなかっただけなのかな?百合ちゃんと甲太朗君は、やはり張り切ってずんずん畑に入っていく。二人にとって、お気に入りの遊びになったようだ。私にとっても・・


 その日私はママに手紙を書いた。

「ねぇママ。Grandpaはエミリを抱き上げようとして腰を痛めて寝て居るの。お年寄り二人にエミリの世話は無理だと思うの」

ママの返事は何時来るかしら?きっとびっくりして迎えに来てくれると思う。そうしたら、東京でパパとママと暮らせるのね。

次の週末、思った通りの事が起きた。

 土曜の夜

「日焼けしたな~」

 と、私にとってはショックな事を嬉しそうに言いながら、パパがやって来たのだ。

「ママは?」

「ママは仕事」

 パパはそう言って、お土産のケーキの箱を差し出した。こんな田舎では、まともな洋菓子店も無いので、わたしにとっては嬉しいお土産。何でも素敵なイギリスだけど、お菓子は日本の方が断然美味しい。日本の洋菓子・・って何だかヘンだけど。クリームとか、美味しい。イギリスには無い味よ。

 実はあんこの和菓子も結構好き。ただ、ここに来たばかりの頃、Grandmaが作ったおはぎを気に入ってバクバク食べたら、暫くひたすらそれをおやつに出されたので、今はちょっと敬遠気味なの。

パパがGrandpaの部屋にお見舞いに行ったので、私はお皿を出してケーキを載せた。ここで紅茶が欲しい所だけれど、この家ではそんなもの期待できないし、自動販売機さえ中々無い。勿論家の近所には無い。仕方が無く牛乳を出してきた。ベリーがぎっしり乗ったタルトを慎重に口に運びながら、そわそわGrandpaの部屋が気になってしょうがない。

 パパは私を連れて帰るかな?荷物の整理をした方が良いかしら。GrandpaとGrandmaのお手伝いは百合ちゃんと甲太朗君がしてくれるだろうから、お礼に二人に何かあげても良いな。東京に行ったら新しい帽子を買って貰えるだろうから、私の白い帽子は百合ちゃんにあげよう。甲太朗君には・・きょろきょろと辺りを見渡し、そうだ!と思いついてゼリービーンズの瓶を取った。まだまだ沢山入って居るから、これで良いわ。お気に入りだけど・・まぁ、良いか。東京に行けばもっと色々なお菓子が有る。私は、瓶を掴むと、オルゴールの中に入れて置いた綺麗なリボンを引っ張り出し、1周瓶に巻いてちょうちょ結びにした。ちょっとリボンの長さがちぐはぐだけど、縦にならずに結べたから良い事にしよう。何度か引っ張って長さを調節したら、そんなに気にならなくなった。それから、たまにはGrandpaとGrandmaにも会いに来てあげよう。だから、あまり色々持って行かないで、ここに置いておこう。イギリスのお友達から貰った宝物だけはちゃんと持って行くけど、それ以外の物は東京で買って貰えば良いでしょ。ここに来る時に持ってきたキャリーバックに自分用の可愛いタオルやハンカチにくるんで詰めて行った。ハンカチ入れの奥から、仕舞ったままの天使様のハンカチーフを見つけ、はっと気が付いた。

「どうしよう・・」

 東京にも、天使様は来て下さるかしら・・なんだか、無理な気がする。だって、東京はロンドン位に人が多いと思う。天使様は人が沢山居る所では現れてくれないのだ。ハンカチを広げ、もう一度畳む。明日、天使様を探してみよう・・そして、時々戻って来るから待っていてくれる様に頼もう。最近していなかったけど、胸の前で十字を切り、お祈りした。きっと届くはずだ。

パパは帰る支度をしなさい・・と言い出さないまま夕食を食べ、眠る時間になった。大事な話は、明日なのかもしれない。そう思ってベッドに入った。急に言われても直ぐ出かけられるように、荷物の支度は出来ている。入れ忘れたものは無いかしら・・と思いながらいつの間にか眠りに落ちていた。

 気がついたのは、ドアが開いて、パパが入って来た時。迎えに来たのかな・・と思いながらも、これは夢かな・・とも思った。まだ半分夢の中だったから。

 でも暫くして、窓の外から光が差し込み、はっとした。車の音がする。

 急いで跳ね起き、カーテンを開けると、パパの車が走り去っていく所だった。

「パパ!!」

 思わず叫んで跳ね起き、飛び出そうとしたらGrandmaのシワシワの手に抱きとめられた。

「パパはお仕事だから帰ったんだよ」

 Grandmaは優しく言った。

「どうして?迎えに来たんじゃないの?」

 そう言い返したら、Grandmaはとても驚いた顔をして、それから淋しそうな顔に変わった。

「ごめんね、エミリ。もう暫く、ここに居てくれるかい?」

 宥める様なその声に、私は思わずかっとなった。

「知らない!パパもママも、エミリのこと要らないのね!」

 言ってから、その言葉に自分でショックを受けた。だって、今までそんな風に考えたこと無かったから。絶対に。自分で言って、それが本当の事のように思えて、急に涙が溢れてきた。そうだったんだ・・だからエミリはココに預けられたんだ・・田んぼと畑と虫だらけの、こんな汚い所に。外に飛び出したかったけれど、車の走り去った外はあまりに真っ暗で、しかも不気味な蛙の声がまるで合唱のように響き渡っている。そんな中に飛び出す勇気は無く、仕方なく部屋に駆け込んでベッドに突っ伏し声の限りに泣き叫んだ。そしてそのまま朝になった。

 翌日がお休みの日で良かった。だって、目が凄く腫れていたから。ベッドの上にのそりの起き上がったまま、暫く動けなかった。荷造りした、キャリーバックが恨めしい。このまま家出したいくらい。でも、何処にも行く所なんて無い。イギリスと地続きだったら良かったのに・・

 お昼までそうしていたけど、どうしようもなくて、天使様を探しに出かけることにした。あまり顔を合わせたくないので、そっと部屋を抜け出し、外に飛び出した。

 外は今日も良い天気。ちょっとくたびれたお気に入りの白い帽子を出来るだけ深く被り、あても無くとぼとぼ歩く。

 ここは田舎だから、すれ違う人が皆

「こんにちは。エミリちゃん」

 なんて声を掛けてくる。出来るだけ顔が見えないようにしながら会釈を返していたけど、何だかだんだん面倒になってきた。それで思い出したのが、あそこ。天使様と初めて出会った教会。あそこに行く道はちょっと憂鬱だけど、これは試練かしら。乗り越えないといけないのだわ。

 今回も手頃な棒を引き抜き、(これは冬、雪で見えなくなっても道と用水路と田んぼの境界線が解るように立っていたんだけど)棒でたたきながら草の中に踏み込む。これはかなり厳しい試練よ。でもこつを覚えたのか、前回ほど時間は掛からなかった気がする。そして、木のトンネルの下の石段を駆け上がる。胸がどきどき言っているのは、走っているからじゃなくて、天使様に会える期待のせいだわ。

でも、木漏れ日に照らされながらそこに居たのは、残念。天使様じゃなかった。

「あら・・」と言って振り向いたのは、色とりどりの花を抱えたママ位の年の女の人。

 ママほど美人じゃないけど、黒いラメの入ったキャミソールにグレーのシャツカーディガンに黒いデニムパンツの服装は、ここらのおばさんたちに比べたらシンプルだけど、素敵よ。

 驚いた事に、

「エミリちゃん・・?」

 彼女はそう言ったの。

「はい」

 私は顔を伏せてそう応えたわ。

「はじめまして。甲太朗に会いに来てくれたの?」

 彼女がそう言ったので、私はびっくりして顔を上げてしまった。

「ごめんね。あの子、今野球の練習に行っているの。お昼過ぎには帰ってくると思うけど」

 そう言ったので、ますますビックリ。

「あの・・おばさんは・・?」

「あら、ごめんなさい。わたし、甲太朗の母親です。宜しくね」

 彼女はそう言って右手を差し出した。自然にその手を握り返した。そう言えば、初めてここに来たのは、逃げる甲太朗君を追いかけている時だった。

「いつもお野菜ありがとう。おじいさんの腰はどう?」

 おばさんは私を手招きし、丸太を切って組み立てたような素敵なベンチに座った。私もその隣に座る。

「まだ痛いみたい」

「そう・・心配ねぇ。甲太朗で良かったらいつでもお手伝いに行かせるし、大人の手が要る時も遠慮無く言ってね」

 彼女はそう言いながら、ベンチの端に置いてあったグラスに、ティーポットからミルクティーを注いでくれた。

「お口に合うかしら?」

 そう言った笑顔は少女のよう。可愛らしい人だわ。ちょっと甲太朗君の笑顔と似ている。ママはこう言う顔はしない。いつも凛とした大人の顔をしているの。

 久し振りに飲むロイヤルミルクティー。

「美味しい♪」

 思わずそう口に出しちゃった。

「良かった。最近はまっているの」

 そう言って、彼女も一口飲んで幸せそうに笑った。

「家には畑というより、花壇しかないの。でも甲太朗がそこで何か野菜を作りたいなんて言い出して、それで、今・・」

 そう言って彼女が指差した先の花壇の一角は、花を切り取られた茎が残っていた。

「エミリちゃん、少し持って帰らない?」

 彼女はそう言って、積んであった新聞紙でお花を一束くるんで、麻紐でちょうちょ結びにしてくれた。

「甲太朗は、お花には興味無いみたいで」

 おばさんは残念そうにそう言いながらお花の束を私の膝に置いた。何だかジョアルのママと同じことを言っている。

「ありがとう御座います。お部屋が明るくなります」

 そう言うと、おばさんはとびきりの笑顔をくれた。やはり甲太朗君に似ている。

「あ、あとね、ちょっと待ってて」

 そう言って、教会の裏手に回り暫くして戻って来た時には、手に、セロファンで包んだ15センチくらいの丸いお菓子を持っていた。

「先日頂いたトマトを使ってシフォンケーキを焼いたの。お家で、皆でどうぞ」

「トマト?」

 私はビックリしてそのお菓子を見た。

 真ん中が丸く空いているシフォン独特の型が紙で出来ていて、ケーキはほんのりピンクがかって居る。

「そうなの。意外に美味しいのよ。お菓子は好き?」

 そのケーキを見詰めながら頷く。

「じゃ、食べたら感想聞かせてね」

 そう言ってもう一度笑った。

「はい。ありがとう御座います」

 そう言って、両手にお花とケーキを抱えた私は、あろう事かあの草の道を棒で叩く事も忘れ、呆然としながら帰ってきちゃった。

 凄い凄い。あそこはやっぱり不思議な所。行く度に、私をhappyにしてくれる。こんな田舎町じゃない、どこか別の空間みたい。

「でも甲太朗君のママなのよね・・」

 何だか不思議な感じ。両手一杯の荷物を抱え、あんまりにも青くて広い空を見上げ、何故だか笑っちゃった。甲太朗君のママの笑顔が移ったみたい。

 帰ったら、Grandmaが

「あらまぁ」

 と言ってお花を入れる花瓶を出してくれた。

「これじゃあ小さいかしらねぇ」

 そう言いながら色々なのを引っ張り出している。どれも地味だけど、そう悪くない。びっくりするくらい、色々なのが有るの。私は薄い水色に刷毛で塗ったような模様が有るのを部屋用に選んだ。

「いっぱい有るから、少しグランパのお部屋に置いて来る」

 そう言うと、

「じゃあこれに・・」

 とGrandmaが出したのは、何だか見覚えがあるような、細い花瓶。

「これじゃあ少ししか入らないよ?」

 そう不満を洩らすと、

「それでも良いの。おじいさん、これが一番好きだから」

 そう言って渡された。

「余ったのは、玄関に飾っても良いかい?」

 Grandmaはそう言って、平べったいお皿みたいなのを引っ張り出した。私は自分のとGrandpaのを入れてから、

「後は使って良いよ」

 そう言ってそれぞれの場所に置きに行ったの。まず沢山のを自分の部屋に置き、Grandpaの部屋へ。部屋は暗く、Grandpaは相変わらず寝込んでいたけど、

「部屋が明るくなるなぁ」

 そうか細い声で言った。

「その花瓶・・覚えているか?」

 そうGrandpaが言ったので、もう一度見たけど、その細い歪な花瓶はやはり何だか見覚えが有るような気がする。

「エミリが学校に上がった最初の年に学校で造った・・ってプレゼントしてくれたものだ。憶えてないか?」

 私はビックリした。それはビンの周りに紙粘土を付けて色を塗っただけの花瓶だったけど、そんなの全然憶えてない。でもそうだったんだ。

「ふうん・・」

 私はそう応えてGrandpaの部屋を出た。どんどん暗く重たくなっていくGrandpaの部屋が、ちょっとでも明るくなったら良いなぁ。

 玄関先で、Grandmaは平べったい器にお花を刺していた。

「何それ」

「生け花だよ。昔はよくやったんだけどね。久し振り。エミリもやってみる?」

 色々並んだ器の中から小振りでちょっと深さのあるものを選んで、Grandmaの隣に座った。

「一番気に入ったお花を、まず二本選んでごらん」

 グランマはそう言って自分の手を止めた。選んだ花の大き目の方を下に、小さめの方を背を高くして・・と場所を決めて行く。グランマのようには上手く決まらないけど、この作業は楽しい。

「そうそうその調子」

 そう言いながら、Grandmaはいくつも仕上げて行く。

「凄い、キレイ」

 私は本当に感心してそう言った。

「いつか日本をまた離れても、日本の文化を知っていることは大事だよ」

 Grandmaはそう言って笑ったけど、その笑顔はちょっと寂しそうだった。

「もう少し、ここに居るよ」

 私はポツリと呟いた。うん。そんなには嫌な事じゃないって思えてきたから。

 でも、お花を全部使い切って、ビックリした。お花を包んでいた新聞、家に有るのと違う。英字新聞だったんだ。新聞だから、言葉は難しいけど、私には読める。暫く眺めて、読んでいたら、ちょっと切なくなってまた涙が出てきた。それを見たGrandmaは

「もう暫くね・・お願いよ」

 そう言って、私の肩に太くてごつごつの手を乗せたんだ。

 ママみたいにキレイな手じゃないけど、何だかほっと安心したのよ。


 その日の夢は不思議だった。

 沢山のお友達と緑一色の世界のトンネルを抜けたら、ふわふわのピンクの世界。それは、トマトのシフォンケーキで、足がずぶずぶ埋もれる。だから、すっぽり埋もれる前に次の一歩を出さなきゃいけない。忙しいの。わっと駆け出した友人を追って私も足を必死に動かすんだけど、中々追いつけない。気が付いたら、走っていくのは黒髪の日本人たちで、金髪の友人たちは私の後ろに立ち止まって楽しそうにお話している。もう直ぐ埋まってしまうのに。

 私は気になって引き返そうとしたけど、上手く方向転換できない。早く歩かないといけないから仕方が無く前に進む。

「ねぇ、歩いて!」

 そう叫んだけど、彼等には通じない。

 そうだ・・日本語じゃ解らないんだ・・どうしよう・・英語で何と言えば良いんだっけ?どうしよう・・英語が出てこない!

「仕方が無いよ。エミリちゃんは日本人なんだもん」

 そう言う声が聞こえた。百合ちゃんだ。

「宿題も日本語で書かないとね」

 と、甲太朗君。

「やり直し!」

 先生が怖い顔をしている。

「エミリ、早くおいで」

 向こうでGrandpaとGrandmaが呼んでいる。行かなきゃ。前に進まなきゃ。でも・・でも・・

 その時、輝く光を背負って現れたのは勿論、私の天使様。彼がにっこり差し出したものは、英字新聞で折られた大きな船。そこによじ登ると、ゆっくりと動き出した。ピンクでどろどろの川の上を。誰の顔も見えないけど、英字新聞の船はまるで天使様の笑顔にくるまれているかのように安心出来た。そのまま心地良く流されていく。

 布団の上で目覚めた時も、その幸福感は続いていたわ。


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