第7話 光を失った世界は
「いつまでそうしているつもりだ、ケイ・アオツ」
破棄の決定したバトルドールの操縦席に座ってぼんやりとしていた桂に、新しい制服の男が声をかけてくる。まだ見慣れない、新しい制服は白と青の清潔感のあるデザインだ。連盟も連合もなくなりひとつにまとまった。もう敵はおらずバトルドールは戦う必要が無くなった。失職だ。そしてこれまで桂が人生をかけてきた、たったひとつの大切なものも失った。心臓の辺りが酷く痛む。ここの所ずっとこうして他の部隊を煙に巻いて逃げてきた。電気の消された格納庫には人気が無く隠れるにはもってこいの場所だ。自室に篭っていても外から空けられる、誰とも話したくなかったし、ひとりにもなりたくはなかった。仕方が無く、彼女を、実を失うことにもなった機体の元に戻るしか桂には考えられない。
改めて自分にはもうなにひとつ残っていないのだと思うと、がらんと胸が空きどうにもたまらなくなる。今までもそういう時はあった。そういう時は決まって実のために自分は最善を尽くしているのだからこんな所でくじけてはならないと立ち上がりまた戦えた。だがもう実はどこにもいない。
大声で叫び、泣き吼えられたのならば少しは違ったのかもしれないと思う。泣くことが出来たのは実が目の前で死んだあのときただ一度だけだった。悲しみが大きすぎてどう感情を処理すればよいのか桂にはわからず、ただ道に迷った子どものように立ち尽くすことしか出来ずにいた。置いてかれてしまったのだとまだ信じられず泣けない。どうして彼女が連合ではなく連盟側に居たのか理解に苦しむし、バトルドールに乗って自分と同じように人を殺し戦うことを選んで生きていたというのはまるで誰かによる自分をだますためのうそにも思える。
しかし実際に刃を交えた自分が一番よくわかっていた。あれは間違いなく実であ
り、目の前で自爆したのも実で、自分をこれまで支え続けていたたったひとつのものも実という存在であった。
壊れたゲーム機を握り締めて額に押し当てる。実が幼い頃くれたものだ。
「……俺たちは軍事裁判にかけられて死ぬのか」
かすれた声で桂は聞いた。
「軍事裁判なあ。公平な第三勢力が存在しない今にそれは不可能だろうって上に行った連中が言ってたぜ。それよりお前はお前のやるべきことをやれよ」
「何だよやるべきことって」
「演説」
即答される。
「ばからしい」
桂はひとことで一蹴する。
戦争を終わらせた、戦場の英雄。桂の立場はそう変化していた。桂自身は何ひとつ変わってなどいないのに、今までは冷徹無慈悲な殺人機械を畏怖し避けようというものだった者たち、あれ以来周囲の目は感謝と期待の温かいものに変わった。桂は気持ちが悪くてたまらなかった。
「新しい社会にはお前が必要なんだよ、英雄様」
優しい声色で男は桂に語りかけた。なぐさめてくれているというのがわかる。桂が打ち落とした機体に乗っていた女性パイロットが知り合いであったということは周知のことになってしまっている。おかげでカウンセリング医師たちにも追い掛け回されるはめになっていた。
「なんで演説なんかしないといけないんだ」
「そりゃお前、節目だ。人間ってのは人間によって心変わりする、お前っていう英雄の言葉が今は必要なんだ」
「誰か別のやつがやればいいだろう。どこに俺の名前を公表する必要がある。今まで軍自機密にして隠し続けていたのに」
「大人の事情ってやつですよ、先輩」
ひょこりと女性パイロットが、以前自分は楽しいからバトルドールに乗ると言っていたあの女性だ。着ているのは新しいバトルドールパイロットの制服である。桂は受け取りを拒否した。
「レムシ上官、アオツ元少尉には演説なんて無理ですよ、だって先輩の無口ぶりはレムシ上官も知っているでしょう?」
ヨハネス・レムシはあごに手をやりうなる。桂はどうでもいいと思い相変わらずコクピットに座りぼんやりとする。これから先のことなど考えられなかった。実のいない世界などどうなろうと興味が持てなかった。どうだっていい、すべてがどうだっていい。
「ところで、スェーレ。ケイをしばらくひとりにしてやるべきだと主張したお前がなぜここに居るんだ」
レムシが尋ねる。桂は例の女性パイロットはスェーレという名前だったのかといまさら知る。同僚の名前はコールサインでしか覚えていなかった。
「元連盟側から使節団が着ているのですが、その中のひとりがアオツ先輩と内密に会いたいそうです」
「内密になってない」
桂が口を尖らしてくだらないことを言うとスェーレは大げさにため息をつく。レムシはやれやれと首を振る。
「向こう側の、その、なんて言ったいいのかわからないんですけど戦ったパイロットって言えば良いんですか?あの女性の友だちらしくて……ほら、噂のミノリ・モリウエって人の」
「だから」
実の情報は公にされなかった。桂の名前のみ公開され、死んだ実のことは一部の人間しかしらない。それをスェーレはどこからか教えてもらい実の名前を知ってたのだろう。バトルドール乗りならば誰だって興味がある、戦っていた敵側のエースパイロットだ。
「アオツ先輩のこと、知ってるらしいんですよその使節団の人が。なんでも事件の時一緒の艦に乗っていてミノリと一緒に連盟にいたから話したいって」
桂は眉をしかめる。
「嘘じゃないだろうな」
「嘘なんかじゃありません、青津先輩お久しぶりです」
そう遠くから大声で誰かの声がした。広い格納庫に響く、女性だ。声色からして同い年ぐらいだろうと推測する。
「あ、ちょっとここは立ち入り禁止です、戻ってください」
「青津先輩、檜葉穂波って覚えていませんか」
声が近づいてくるのがわかる。記憶には無いなあと桂は思いながらコクピットを出る気にはなれずにいた。
「同じ日系でたまに青津先輩にも遊んでもらっていた、ショートカットで赤い眼鏡をかけていた女の子です」
記憶の隅に薄っすらとその姿が浮かぶ。徐々にそれは輪郭が確かになり学生時代、実の後ろにくっついていた女学生を思い出させた。覚えている。教室の端で実が楽しそうに数名の友人と話していた際に輪の中へいたひとりだ。羨ましく思いながら横目で見ていた、あの陽だまりのように穏やかであったけれどとても孤独であった風景を今でも忘れることのできない桂にとって忘れることのできない思い出だ。
「なにをやっているんですか青津先輩!」
大声で檜葉に怒鳴られる。びくっと反射で肩がすくむ桂。
「戦争は終わったんですよ!終わって森山先輩は青津先輩と会うのを、十年以上こういう日が来るのを待っていたんですよ、なのにどうして青津先輩はそんな風に閉じこもっているんですか!」
上から激しく叱咤する檜葉へ視線を移す。ノンフレームの眼鏡をかけた髪の短い女性。記憶の中の少女がそのまま大人になった姿であった。間違いなくあの檜葉穂波である。懐かしいなと思うとなんだかおかしく、桂は笑ってしまう。
「離れてください、ここは立ち入り禁止なんですってば」
「あなたになにがわかるって言うの!」
止めにはいったスェーレはどうやら檜葉の言葉がカチンと来たらしくきっと強く睨み鋭い声で返す。
「私は前部隊に配属されてからずっとアオツ先輩の元で戦ってきたんです、アオツ先輩がどれだけその人を想っているかも知っていますし、だからいまこうして苦んでいる理由もわかるんです!」
「だから何だって言うんですか!森山先輩がどれだけ苦悩して戦っていたか、あなたにわかるんですか!」
当人を置いてきゃんきゃんとふたりは言葉をぶつけ合う。桂は黙ってそれを聞いていた。どうにでもなれば良いと思い顔を伏せる。実が居なくなった今、この世界に生きる理由がどうしても見つけられなかった。放心状態がずっと続いてもう自分でもあれからどれほど日にちが経っているのかもわからない。使節団が来ているということは戦後処理が進んでいるということだ。少しずつ自分たちは社会から消えていくのだろうなあと思った。戦争が終わればバトルドール乗りはお払い箱だ。パイロットたちは早々に次の仕事を探しに走り回っている。生きていくには仕事が必要だ。桂にはもはやそれが必要ないように思われて仕方がなかった。何のために仕事をするのか、呼吸をするのか、思考をするのかわからない。
「森山先輩はずっと青津先輩のことが好きで探し続けてたんですよ!」
「アオツ先輩だって、ずっとその人のこと忘れられずに探してました!」
「よさないかふたりとも、本人が聞いていないんじゃ話しても無駄だ」
間にレムシが入りスェーレも檜葉も黙りこむ。
「聞いてる」
桂は小声で外に向けて言う。檜葉は切実な顔でコクピット口から桂を覗き込む。
「青津先輩、出てきて下さい。お願いです森山先輩のためにも、そこから出て森山先輩が作った新しい世界を生きてください」
手を伸ばす檜葉。届くわけがない距離なのだがその行為に意味があるのだと必死に桂に向かい手を伸ばす。掴みたかった手は、この手ではなかったのだと桂は思いながらゆっくりと座席から立ち上がる。実の命と交換にできた新しい社会というものには若干興味があった。どのようなものなのか、見てみたいと思った。コクピットから無言で出ると、レムシ・檜葉・スェーレが桂を凝視する。居心地が悪いなあと思いため息をつく。
「生きていたんだな、檜葉……」
「事件の時に森山先輩に助けてもらってなんとか救助されました、青津先輩は連合側に救助されていたんですね……」
「ああ」
手元のゲーム機に目をやり頷く。なんと言葉を続ければよいのかわからず無言が流れる。
「あ、先輩演説の件なんですけども」
気まずい空気をなんとか切り上げようとスェーレが話し始める。それを遮るように桂は口を開いた。
「スェーレ、俺は演説も挨拶もしない、今まで通り表に出る気はない。影武者でも立ててそいつに俺の名前を名乗らせて色々やらせればいい、最初からそういうのは向いていない性格だしな。檜葉、森山実の話しはなるべくするな、お前の気持ちもわからんではないがこれからの時代にもう森山実は必要ないんだ、青津桂もな。俺は一般人になるよ、どうしても俺にしかできないことができたら呼びに来てくれ、そんなものが残っているかはわからないが」
すらすらと喋りながら格納庫の出口へと歩き始める。そうするのが正しいのだと今の桂には思えた。表に立つべきは自分であり自分ではない。必要なのは自分の名前であり自分の中身ではないのだ、演説とて用意された原稿を読むだけの作業、その後様々な行事に駆り出されるであろうことは予想がつく。ならば一切を捨てて、普通に暮らしたかった。あれほど憧れていた普通の人間という職業に新しい社会では就ける。バトルドールを動かす技術は身についているから仕事を探すのに苦労はしいないであろう、頼めばおそらく同僚であった者から仕事を紹介してもらうことも可能だと思う、退役金が出るという話しは聞いていたのでしばらくはそれで生活をすればよい。なんとかなる。
実のことをいきなり理解するのは難しかった。どうして連盟から連合に抜けて来なかったのかも理解できなかったし、自分からバトルドールに乗るというのも信じられなかった。てっきり結婚でもして母親になっていると思っていたのに。どうしてこうも自分たちはすれ違ってばかりなのだろうと桂は思うと少し泣きそうになった。もうすれ違うことは、ないのだ。
「先輩、待ってください、これだけは渡しておきたいんです」
走って追ってくる檜葉を無視して速足で歩く。
「これ!なんとか残った森山先輩の遺品です。森山先輩に関するものはすべて処分されましたが、私の手元にあったこれだけは残せました」
ずいっと出された手には白銀の細いチェーンと鍵であった。何の鍵だろうかと思いながらそれを受け取る。キラキラと光り輝く美しいデザインをした鍵。実の存在はエースパイロットであったという情報以外はすべて消された。残っているのは実と顔を合わせていた者たちの記憶だけだった。
「これは?」
「森山先輩が戦後搭乗予定だった機体のキーです、もう少し状況が落ち着いたら青津先輩も見かけると思いますが、あれが本当は森山先輩のウエディイングドレス代わりであったことと、青津先輩のことを最後まで愛していたことを、忘れないで下さい」
半分泣きながら檜葉はそう言うとぺこりとお辞儀をし、走って格納庫を出て行った。ぼうぜんとその後姿を見送る桂をレムシとスェーレは優しい眼差しで見ていた。
桂は退役をした。様々な誓約書にサインをし、今ままであったことを決して口外しないと契約をさせられる。それにもサインをすると簡単に一般人としての戸籍を与えられた。もうなににも縛られない自由を、手にして初めて自分がこれから何をすればよいのか本当にわからないのだと知った。ただ目まぐるしく変化をする新しい社会にぽつんと立ち改めて桂は自分が本当は大したことのない普通の人間なのだと実感した。明日のことは明日考えればよいと、ただ生きていればよいと思い元連合を去った。
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