名探偵財田成香のヒント(下)

 改めて階下に降りると、ホールで誠司氏が紅茶を嗜んでいた。辺見氏は弛緩して近くの椅子に腰かけているが、『美しきバレエ人形の死』とでも言うべき、これまた玄妙な美しさが漂っている気がする。誠司氏が声を掛けてくる。


「おや、名探偵さんと助手さん。いかがですか、この館は」

「なかなか大したものね。あ、そうだ。ちょっと外に行きたいんだけど、あそこの隠し通路、試してみてもいい?」

 成香さんはそう言って、(確かにそこだけ何も置かれていない)空間を指さす。

「おやおや、すっかりバレていますね。流石です。ちょうどお二人いますしね――いや、というのも、あれは死体を担いで脱出することを想定した仕掛けでして、一定の重量が必要なんですよ。ええと、二人並んでそこの壁際に立ってください。ああ、もう少し近づいて。良く床を見ると切れ目が入ってるんですが、その内側に。はい、そ」

 と誠司氏が言ったところで、足元がかちりと音を立てて沈み込むのを感じる。何かしらの仕掛けが作用して、とても静かに、しかし素早く壁が回転する。


 気づけば私たちは玄関の引き戸の目の前にいた。

 成香さんはどうやら興奮したようで、少し頬を上気させてふんふん言いながら、壁を弄っている。

「ふうん。へええ。これ、なかなか大したものね……。見て黒星、この壁紙の模様は一見ランダムパターンに見えるけれど、ほら、こうやって壁が反転しても違和感がないようになってるのね。面白いじゃあない。なかなかやるわね」

 なるほど、確かに。というか壁紙のことなんて私は全く気にしていなかったので、そのことを記述してすらいなかった。これでは『語り部』失格だ。私も感心して、壁紙の継ぎ目を探して指で壁をなぞったりするが、全く継ぎ目が見つからない。おそらく相当金がかかった仕組みなんだろうなあ、とちょっとズレたようなことを思う。成香さんが大きな声を上げる。


「誠司さあん、ありがとね! あたしたち、ちょっと外に出てくるわ! 夕食までには戻るから!」

 そう言うと、成香さんはくるりと身を翻し、玄関に向かおうとする――が、私は大切なことを思い出し、成香さんと呼び止める。

「何よ?」

「いや。その。さっきちょっとワインを飲んでしまったもので――あの、お手洗いに」

「ええ? いやしょうがないけれど、だったらこっちに出たのは遠回りじゃあない」

「面目ない。なんか、流されている間につい」

「ふふ。まあいいわ。生理現象は仕方ないものね。せっかくだから一階の小さい窓も確認しておきましょうか」


 という訳で、私たちは長い廊下を歩き、トイレと浴室を担う部屋に入る。

 部屋に入ると左手に大きな洗面所があり、その横にはこれまた巨大な洗濯機と乾燥機が置いてある。さらに横には、「小さな」(と言っても、私の基準で言えば十分大きいのだが)窓がある。成香さんと私は窓際に立ってみる。成香さんは興味深げに窓の外を見つめている。おそらく私は『語り部』としてはここで、窓からの景色を記述するべきなのだろうと思ったが――つい、その成香さんの横顔と、顔から突き出るような睫毛を眺めてしまって、だからこの時の窓の外の風景については記憶がない。まったくもって、いい年して。


 さて、窓から振り返ると二つの小部屋(繰り返すようだが、「小」というのはあくまで相対的なもので、それぞれの部屋はかなりの広さだ)があり、片方がトイレ、片方が浴室のようである。トイレのドアは向かって右で、トイレの他に布団を敷いて寝ようと思えば寝られるほどのスペースがある。ただ、部屋が三角形であるから、この部屋自体は台形を横に倒したような形になっていて、ちょっとだけ不安になるような、錯視に巻き込まれたような、ふらつくような感じになる。で私は便器に腰かけて用を足すことにした。

 トイレの中にも洗面台があり、なんとなく不思議な気持ちになりながら手を洗って、それから浴室も覗いてみる。大きな脱衣所に山のようにタオルが積まれており、ガラス戸の向こうにはシャワーと、美しい女性が沈んで(あるいは浮かんで)いても決しておかしくないような豪奢な金の装飾に縁どられた陶器のバスタブがある。


「結構いいお風呂ね。薔薇の花を浮かべたり、泡風呂とかにできそう」

「確かに。でも、交代でお風呂に入るんですよね?」

「あったりまえじゃあない。何、黒星、あたしと風呂に入ろうっての?」

「いやいやいやいや。そういうことではなく。一人ひとりの風呂に使える時間はそう長くはないのではないか、と。薔薇風呂なんかにしちゃうと、掃除が大変でしょう」

「ああ、もう。急に現実的なことを言わないでよね。でもまあ、そうね。あたしは別に最後でもいいけど――ま、後で聞いてみましょ」

 そんなこんなで、ようやく、いよいよ、どうにかこうにか私たちは外に出た。


 一月(そう、皆さん覚えておいでかな? これは一月の話なのである)で、潮風が吹く島とは言え、内地の風は北海道民にとっては暖かい。天気も良いから、そんなに寒くはなくって、これは確かに散歩――じゃあない、『探検』日よりだな、と私は思う。


「さて、どちらへ参りましょうか?」

「うん、そうね。まずはちょっと、この外壁に沿って周ってみましょうか」

 成香さんはそう言って、壁に手をついて歩き出す。外壁。先ほどの反省を活かし、私は外壁のタイル――というのか、こう、レンガを組んだように見える壁紙のどこかに継ぎ目がないか、とか、不自然な色の違いがないか、と言ったことを気にしながら歩く。少なくとも私の目につく範囲には、これといって不自然なところはない。ように思えた。


 玄関の扉から反時計回りに館の外壁を回って、雇用人室の先端(部屋の先端、というのは結構斬新な表現だな、と私は思う)に辿り着くと、一月(繰り返すようだが、これは一月の話なのである)とは思えないようなぎらついた日射しが目に飛び込んできた。

「ああ――いい天気ですね」

 と私は言う。

 成香さんは、どうしよっかな、これ言おっかな、やめとこっかな、と迷う悪戯っ子のような顔をして、結局、歌うように「そうね」とだけ言ってまた先に立って歩き始める。


 雇用人室の窓には薄いレースのカーテンが引かれているが、室内に誰もいないことは見て取れた。そして、立派なツインのベッドが置かれていることも分かる。


「ツイン? あれ、辺見氏以外にも雇用人がいるんですかね? お姿は見てないですが」

「ううん、居てもおかしくはないけれど、さっき辺見氏が言ってたの忘れたの? 今日はここに中村兄弟が泊まるって言っていたでしょう。そのためのツインよ、きっと」

 ああ、そういえばそんなことを言っていた。しかし、なんというか――このベッド一つとっても相当な値段がするはずで、ましてや離島に運び込むとなれば手間賃だって安くはないだろう。改めて私は、誠司氏の資金力の豊かさに溜息をつく。これは、いくつか宝飾品のサンプルでも持ってくるべきだっただろうか。とは言え、うちの店で扱っているものは、基本的には黄十字のオリジナルで、だから古式ゆかしい呪いだとか謎とかは全然なく、そういう意味では誠司氏のお眼鏡に適う物はおそらくないだろうな、と思う。そして、私は「呪われたホープ・ダイアモンド」とか、「血染めのルビー」とか、そういうものを扱う趣味はない。とはいえ、例のネックレスは、警察から戻ってきたあと流石に売り出すこともできず、かといって鋳潰すのも勿体ないので、壁にディスプレイしてあるが――そういえば、アレなんて使い道がないわけだし、一応間抜けとはいえ犯罪絡みの品だから(何しろ、多少ニュアンスは変わるが、ダイイング・メッセージに使われた宝飾品だ)宿泊料替わりに誠司氏に進呈すれば喜ばれたかもしれない。後でお礼がてら贈るべきかな――いやでもそれなりに値段が張るものだしな――などとぼんやり考えながら歩いていると、浴室の窓に出くわした。


 私は少し屋敷から遠ざかって見て、窓をすべて視界に入れようとするが――はっきり言って、全然小さくない。でかい。さっき見た雇用人室の窓と、そんなにサイズが変わらないような気もする。いやあ、立派なお屋敷だなア、という感想以外は出てこない。


 成香さんは屋敷から離れずに、すたすたと主寝室の壁に沿って歩いている。私は慌てて、成香さんの横まで走っていく。


 主寝室の先端に辿り着いたとき、成香さんは言う。


「わかったわ」

「何が、ですか?」

「犯人よ」

「は――んにん? えっと、何の?」

「決まってるじゃあない。今夜起こる『事件』の、犯人よ!」

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