名探偵財田成香の探検(2)

 室内の空気は最悪だった。まるで時が停まったように感じる。一月ひとつきくらいこのままじっとしているような気さえする。原因は私にある。


 部屋に勇んで入った成香さんは、さっそく部屋の壁に手を当てたり、窓から外を眺めたりしてふんふんと鼻息を荒くしていた。その様子を見て私は小さく呟いた(これが失敗だった)。「ああ、なるほど」――と。


 それを耳ざとく聞きつけた三津首氏が(耳ざとく、と言うより、「質問がある」と言って室内に入ったわりには何も言葉を発せず、部屋を隅々まで見て回っている成香さんに驚いたという方が正確かもしれない。どうしたらいいのか戸惑い、間を持たせようとした結果なのかもしれない)、私に問う。

「なるほど、って、どういうことですか?」

 三津首氏の方を振り返って、何の気なしに私は答えた。

「ああいや、あの、船の中で、私たちを除くと三津首さんだけが見取り図を見せられていたでしょう。なんでかな、と思ったんですが――この部屋、窓が他の部屋より小さいんですね」

「ああ、そうなんですよ。いやどうも一階がお風呂とかトイレの部屋である関係で、窓が小さく作られているらしく、て……」

 三津首氏が突然語尾を萎れさせ、どうしてか強張った表情になる。

 私も自分の背中側に、ドス黒い闇のオーラのようなものを感じる。


 恐る恐る振り返ると、そこには、顔を伏せて暗黒の闘気のようなものを発する成香さんがいた。


「えっと、その、成香さん?」

 成香さんは返事をしない。

 黙ったまま、冷蔵庫にすたすたと歩いていき、ジンジャーエールのペットボトルを取り出して、蓋を開けてぐい、と喉に流し込む。炭酸が思ったより強かったのか、むぐ、と言って無理やり飲み下して、けほこほと咳き込み始める。

「あの、大丈夫ですか?」

 私は再びそう問いかけるが、成香さんはわかりやすく横を向いて無視を決め込む。


「えっと、そのう……」

 三津首氏も困惑している。そりゃあそうだろう。成香さんが突然闇の戦士みたいになってしまった理由は、私にだって分からないのだから。


 成すすべがなくなり、しばらく我々はこれまでのあらすじについて話した。ほかにできることもなかったし、なんとなく、いろいろなことが忘れ去られているような気がしたからだ。


 中村誠司と名乗る男に招待され、船に乗ってこの島まで来ましたねえ、とか。

 執事の人は美形なのに、話し方がもったいないよなあ、とか。

 息子さん2人と娘さん1人が来てましたけど、あの弟さんの方は自由人っぽい感じでしたよねえ、なんの仕事をしているんでしょうかねえ、ひょっとしたら推理小説作家であるところの三津首さんと近い分野のお仕事かもしれませんよ、いやあミステリ小説ってのは芸術とはまたちょっと違うから、おやおや、そんなことを言ってよろしいんですか? あっはっはあ。はっはっはぁ。


 精一杯笑ってみても成香さんはジンジャーエールのボトルを傾けっぱなしだ。


 あ、そうだそうだ、人形を『妻』と言い張る瘧師という人がいますよねえ、とか。

 寡黙な刑事さんみたいな人がいますよねえ、そうそう、あの人見取り図によると吉田っていう苗字らしいですよ、へえ、『吉』とは縁遠そうなのにねえ。


 それでもどうにか話を続けていると、成香さんが突然低い声をあげる。


「その話、なんか面白いわけ」

「いや、その、ええと」

「もういいわよ。解散。夕食でね。あーあ退屈」

「ちょ、ちょっと。ちょっと待ってください」

「何よ?」

 立ち上がった成香さんは、腕を組んでこちらをじろりと睨む。

「あのですねえ。窓が小さい、っていうのが成香さんの聞きたいことだったわけですか? その、三津首氏に」

「正確には、『なぜ三津首氏だけが船内で見取り図を見せられていたか』『その理由は、この窓の小ささではないか』の二段構えだけど、そうよ。だから何よ」

「いやその。それは分かったんですけれども。それを聞いて、何の意味があるんです?」

「え? 黒星、あんたそこまで分かってて、質問の意味が分かってないわけ?」

「そこまで、というか、それしか、ですけど」

 私がそう答えると、成香さんの唇の端がぴくぴく動く。どうも、にんまり笑いそうになるのを堪えているような様子だ。なんとなくだが、あと一押し、という雰囲気が漂う。

「さ――さすが、探偵さんですよね。その、僕も、それがどんな意味を持つかなんてぜんぜん分かっていないんです。いやはや、ミステリ作家だなんて言って、おこがましい」

 いやいや、さすがミステリ作家! 私は心の中で快哉を叫んでいた。昔ミステリ作家への批判の常套句と言えば、「人間が描けていない」であったが、(私がこうして記録している文章が『人間が描けている』かはともかくとして――だ)今日日はミステリもキャラクターが大事と聞く。そうやってキャラクターのことを考えるからには、人間の機微にも通じている、ということだろう。

 私がなるべく「よっしゃ」「よくやった」という表情を出さないようにしつつ、成香さんの表情を伺い、かつ三津首氏をとにかく心中で褒める、という器用なことを苦労して成し遂げているうちに(成し遂げる意味があるのか、とは聞かないで欲しい)、成香さんをとりまく闇のオーラは雲散霧消した。そして、ふふん、と短い歌のように成香さんは笑う。


「仕っ方ないわね! どーしてもって言うなら、あたしが窓のことを気にしている理由、教えてあげてもいいわよ?」


 もはや記述するまでもなかろうが、我々はほとんど即座に「どうしても」と声を揃えて尋ねた。さて、この部屋の窓が小さいことには、どういった意味があるのだろう?

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