名探偵財田成香の第三種接近遭遇(2)
クルーズは小一時間というところだそうだ。はじめ私たちは甲板で海を眺めていたが、いくら内地(本州)とは言え、1月の海は寒々しく、すぐに船内に戻って不吉集団が集まるテーブルにつくことになった。
比較的不吉集団の中では私寄りの(と勝手に思っている)人の好さそうな顔をした男が話しかけてくる。
「どうも、えっと、探偵の財田さん、と、そちらは黒星さんでしたっけ」
何かに怯えるような目つきで、気弱げに男は言う。たぶん、この男から見ると、私もそう見えるのではないかと思い、余計に親近感が増す。
「そ。あなたは?」
成香さんは余裕の表情で問い返す。
「僕は――えっと、そうですねえ。
三つ首の犬、と言えば冥界の番犬であるが、まさか犬が人間に化けてやってきた、とかそういうことではあるまい。成香さんの顔を窺うと、成香さんは瞳をきらりと輝かせている。少しだけ興奮した声で成香さんは言う。
「あら、知ってるわよ。三津首先生と言えば、気鋭の新人ミステリ作家じゃあない」
「いや、その、気鋭の、というのはまあ……新人は間違いないですが。いや、存じ上げていただいていて、光栄です」
正直私はぜんぜん知らなかった。小説の中ではわりにミステリは好みだが、この年になると登場人物が沢山出てくる上に、前の話をきちんと覚えていないと楽しめないので(ものすごく当たり前のことを言っている気がするが)、新しいミステリを読む、というのには非常に気合が必要だし、それだけの気合を入れていまひとつの出来だった場合なんだかとても悲しくなるので、自然古いミステリ作品を読み返してばかりになってしまう。それの何が楽しいのか、と言われそうだが、これがある意味ありがたく、ある意味悲しいことに、記憶力の衰えとともにトリックなんかの大半は忘れている。でも登場人物の言動には記憶があるから、登場人物の名前を覚えるといったことには負荷をかけずに、気軽に『謎』を楽しめるのである。
閑話休題。
この人の好さそうな人物――三津首氏――は作家先生であるようだ。なるほど。中村氏はミステリマニアということだし、妥当な人選と言えるだろう。三津首氏は私に顔を向け、何かを言いたげにしている。だから私はこう言った。
「私はその、成香さんのオマケみたいなものなので、あまり気にせず。どうぞその、ええとミステリ談義などをしていただければ」
「ああ、いや、実は僕もそのう(三津首氏はここで声のトーンを落とした)、ちょっとこの招待客の皆さん、なんていうか……とっつきにくいって言いますかね。変わってますよね? 執事のあの、辺見さんでしたか、あの人はあの人でちょっとなんかヤンキー、ってのも違うんでしょうけど、ああいう感じの話し方する人は得意じゃあなくて。財田探偵はかわいらしいし、黒星さんはなんかこう、――常識人、って感じなんで、いや実は安心したんですよ」
三津首氏の意見には概ね賛同するところで、それでなんとなく私たち三人は固まって話をすることになった。成香さんが『常識人』かどうかは難しいラインだが、まあかわいらしいことは間違いないし。
三津首氏は成香さんに、探偵の推理方法を尋ね、成香さんは腰に手を当てて、堂々と推理の心得を語っている。私はその様子を眺め、少し心穏やかな気分になる。
と。
「あ、さっせー、
口調ですぐに分かるが、話しかけてきたのは辺見氏だった。
辺見氏は、私たちに二枚の紙を示した。どうやら『嵐の惨劇荘』の見取り図のようだ。正式な、というか、いわゆるCADなんかで製図したような精密なものではなく、ペイントソフトか何かで作ったもののようだ。
1F: http://www.fastpic.jp/viewer.php?file=1280565275.png
2F: http://www.fastpic.jp/viewer.php?file=8118973028.png
これを見る限り、嵐の惨劇荘は星型(またずいぶん珍妙な形だな、と私は思う)で、1Fには中央に正五角形のホールがあり、12時の方向から時計回りに主寝室、浴室・トイレ、雇用人寝室、玄関、厨房が配置されている。それぞれの部屋の形状はなんともはやという感じだが、二等辺三角形だ(家具が置きにくいことこの上なさそうである)。
2Fは中央が吹き抜けになっており、ホールを見下ろせる構造になっている他は、間取りは1Fと同じである。ただ。
「これ、えっと、私と成香――財田さん、同室なんですか?」
そう。2Fの5室は、12時の方向から、中村、三津首、吉田(おそらくこれが、黒のトレンチコート男の苗字なのだろう)、瘧師、そして――「財田・黒星」となっている。
「いや、そなンすよ、や、布団つかベッドはあっスけどぉ、部屋がね、ちょうどぴったしで呼んでたもんで。これはやっぱヤベっすか?」
「んんん。いや、ううん、そうですねえ。これ、たとえば雇用人室とかは」
「れがっすねえ、セージさん、息子さんと娘さんも呼んでてっスね。で、娘さんはこの、2Fの中村なンすよ。ここはヤベんで、ちょっと無理っス。でぇ、息子さん二人が、たぶん雇用人室で寝るンすよね。オレはそんで、まあ布団はあるんで、とりま厨房かな、と思ってたンすけど、
「いや、なんというか突然押しかけた身ですし、そのう、辺見さんがお嫌でなければ、私はそれでも――」
「何よ黒星。あたしと同室がイヤだって言うわけ?」
顔を寄せて話していた私と辺見氏の間に、突然成香さんが文字通り首を突っ込んできた。私は少し焦って、なぜだか言い訳がましく言う。
「いやいやいや。そういうことではなく、いや、その、なんと申したら良いでしょうか」
「あれ、
私があわてているのを尻目に、辺見氏は妖艶と言っていい微笑みを浮かべ(この表情を見ると、どうしてもこの顔からこの言葉が出てくるのがいまひとつ納得がいかない)、成香さんの腕章を指さす。成香さんはふん、と鼻息をひとつ漏らし、右腕を掲げて『探偵』と書かれた腕章を見せ付ける。
「見てのとおり。腕章よ」
「何スかそれ。うけるンすけど」
辺見氏が優美な笑顔を見せる。成香さんは少々憮然とした表情だ。
「何よ。別に笑わせようってつけてるわけじゃあないのよこれは。いい? 世の中は謎に満ちていて、その謎に苦しんでいる人が沢山いるわけ。でも、それを誰に相談していいかも分からないでしょう? だからあたしは『探偵』を掲げているわけ。どんな謎でも解決してやるっていう、覚悟の表明なのよこれは」
「マジすか。いや、
どうも、見た目に反して、というか、見た目と口調の齟齬に反して、というか、辺見氏もわりに常識人の部類に属するようで、この神聖にして不可侵、という感じだった腕章を小ばかにしたような態度をとる。率直に言って、結構度胸あるなあこの人、と私は思う。
ちらりと成香さんの表情を見ると、成香さんは成香さんで、腕章に関する陰口はそれなりに叩かれ慣れているのか、「ま、分かんない人に分かんなくていいわよ」といった横顔を見せ、ツンと澄ましている。そして、少しだけトーンの下がった声でこう言った。
「ま、とにかくね。余計なこと気にしなくていいわよ。部屋割りはそれで結構。他に何か問題は?」
「あ、いンすか? いや、いンなら助かるス。ここはこれでほぼほぼオッケーです」
「え、あ、その」
「じゃ、あの、あ、なんか飲みます? 後ちょっと他の人にもちょっと話あって、でっから、茶ァかなんか持ってくるンすけど」
「それじゃあコーヒーを二つ。ある?」
「コーヒっスね。ありますあります。りょーかいでーっす」
私が口を挟めずにいるうちに、辺見氏は三津首氏のところに向かってしまい、例の間取りの紙を見せ、何か話している。腕を組んで目を閉じている成香さんに、私は言う。
「あの」
「何よ」
「私はその腕章見てると、安心しますよ。なんか、これで良い方に向かうみたいな感じがして」
私がそう言うと、成香さんは口元をにんまりと緩ませる。
「部屋のことでぐだぐだ言うかと思ったら、ちょっと分かってきたじゃあない、『語り部』の心得」
「いや、私は成香さんに問題がなければそれで構いませんので」
これが『語り部』の心得なのかどうか、『語り部』入門、以前の私には判断が難しいところであったが、とにかく成香さんの機嫌は(もともと別に悪くはなってなかったのかもしれないが)損ねずに済んだようだ。
辺見氏は瘧師夫妻(この表現にはやや抵抗がある)と吉田(おそらく)氏には紙は見せず、飲み物の注文だけを取って、しばらく姿を消した。そして紙コップに注がれた飲み物を持って戻ってきた。
「ここにミルクと砂糖あるんで、あの、あっちの屋敷に行けばマジのやつもありますから、ま、これはインスタントなんすけど、適当にどうぞ」
そう言って飲み物を配って回る。
そうこうしているうちに船はついに『嵐の惨劇荘』がたたずむ、絶海の孤島に辿り着いた。吉田氏は、私が観察する限り、まだほとんど一言も喋っていない。
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