名探偵財田成香の退屈

名探偵財田成香の登場人物紹介

名探偵財田成香の第三種接近遭遇(1)

 空港に到着し、そこから電車をいくつか乗り継いで、最後にはタクシーに乗り、目的の海の駅に辿り着いたのは昼頃だった。正月早々だがある程度人はおり、どうやら釣り初めをしようという陽気な人たちのようだ。正直言って私もちょっとそっちに加わりたいような気持ちになった。


 というのは。

「えっと、……あ、あれね」

 成香さんが指さす先には、明らかに謹賀新年とは無縁そうな不吉な黒色の集団がいたからだ。


 真っ黒なトレンチコートを羽織った、いかにも寡黙な刑事といった男(後で分かったが、この男は実際に刑事だった)。

 黒いゴシックドレスを着た人形を抱える、こちらも黒一色の細身の男。

 そしてその前には、燕尾服を来た、妖艶ささえ漂うような美しい男。

 唯一、黒っぽいセーターにジーンズを履いた男だけが、平凡で人の好さそうな顔をしている。


 私は少し躊躇したが、成香さんはずんずんとその群れの中に突進していく。私は慌ててその後についていく。


「はじめまして。あたしは財田成香。探偵よ。こっちは――まあ助手の黒星。みなさん、中村氏のお宅に伺うのよね?」

成香さんは物怖じしないなぁ。と私がぼんやりしていると、燕尾服を着た男がつい、と優美な仕草で進み出る。

「あっじゃあす、よっしくす。辺見へんみっす。財田たっらださんッすね、よっこそらっしゃあすぅ」

 正直言って、外国語だと思った。私は財田さんに耳打ちする。

「えっと、これ、英語ですか? いや私はちょっと外国語に明るくなくて……」

「黒星。落ち着きなさい。これは日本語よ」

「え?」

「どうしてお礼を言われたのか判然としないけれど、『ありがとうございます、よろしくお願いします。財田さんですね? ようこそいらっしゃいました』と言っているわ」

「はあ」

「そっちゃあ黒星くろっしさんスね、よっしゃっす」

「よ、よっしゃす」

 どうもかなりざっくばらんな言語感覚を持っているようだ、ということがなんとなく察せられたが、まだ外国語気分が抜けない私は、ついオウム返しをしてしまう。

 成香さんは腕組みして、薄く笑って言う。

「あなた、見た目と言葉遣いのギャップがなかなか面白いじゃあない。悪くないわよ、そのキャラクター。別に無理に執事風に話す必要はないわよ。介護職で雇われたんだから、そのまま行けばいいのよ」

「そっすか、あっざす、ざす。で、あれが船なんスけど、これでなっさん、そろってんで、行きまスか」

 そういうと男は優美な仕草で風を切るように歩き出した。

 私はまだ、そのギャップを埋めることに成功していない。


 狐につままれたような気分で、私は歩き出した不吉集団を他人事のように眺める。成香さんが背中をつつく。

「ぼうっとしないの。行くわよ」

「ああ、はい。えっと、あの、成香さん――」

 私が「なぜ彼が『介護職』として雇われたと分かったのか」と尋ねようとした矢先、私たちの後ろから細く甲高い声が聞こえ、私の心臓がぎゅっと跳ねる。

「まずは彼の見た目と言葉の齟齬。それからボタンのゆがみ――そうですね?」

 振り返った先にいたのは、人形を持った男だった。

「失礼。自己紹介がまだでしたな。ワタシは瘧師ぎゃくしじんと申します。これはワタシの配偶者の理恵りえ

「ぎゃ、えっと?」

 まず名字が良く聞き取れなかった。配偶者って、それは人形でしょうに、とはさすがに言えない。それに、どうやら彼は自己紹介の前に私の(声にも出していない疑問に)答えてくれたようだが、その意味合いも今一つわからない。正直言って情報量が多すぎて私はついていけてない。

「黒星。落ち着きなさい。説明してあげるから。まずは歩きましょう。よろしくね、仁さん――と理恵さん」

「そう致しましょうか」

 甲高い声でケケケ、と笑い、機嫌よさそうに仁氏(と理恵氏)は一歩先だって船に向かう。


 私は正直、若干帰りたくなっていた。それでもなんとか歩を進め、小声で成香さんに話しかける。

「ええっと」

「うふふ。なかなか面白そうね。いい、まず黒星の疑問だけれど、あの辺見って男は、たぶん期間限定――この別荘にいる間だけかしらね?――のアルバイトよ。あの燕尾服は執事っぽく見せるための中村氏の趣味ね。もし辺見氏が正社員、というか中村氏に長年勤めている人間だとしたら、これは趣味の問題だから確定はできないけれどおそらく言葉遣いは矯正されているでしょうし、何よりあの真新しい燕尾服のボタンがいきなりほつれるとは考えにくいわ」

「その、ボタンっていうのは、えっとさっきのぎゃ――なんでしたっけ、仁さんも仰ってましたが」

 私がそう問いかけると、前方を歩いていた仁氏がくるりと首だけを振り向かせて言う。

「ぎゃ・く・し。瘧師、と申します。虐待の虐にで瘧、それに師匠の師」

「は、はあ――お珍しい名字で」

「まあ確かにそうですな。しかし、全国的には富山県と――それからあなた方の出身地、北海道では他県よりも比較的多いらしいですよ」

「あ、なるほど。ん? えっと」

 北海道から来た、というのは何故分かったんだろう?

「到着時間。そうね?」

「仰る通りで」

 ケケケ、と再び笑って、瘧師氏はまた前に向き直って歩き出す。


「いい? 黒星。まずは辺見氏の方から説明するけれど、あの燕尾服は真新しかった。それにも関わらず、前のボタンがほつれていたわ。どうしてだと思う?」

「どうしてって――サイズが合わないとか?」

「あのねえ。ちゃんと見てた? アレはどう見てもオーダーメイドよ。サイズが合わないなんてこと、あるわけないでしょう」

「確かに。誂えたように――って、誂えたわけですね、実際。いや、良くお似合いでしたよね。ええっと、そうすると、――何故でしょう? 別荘に家具を運び込んだとか? それでひっかけたとか」

「燕尾服を着てそんな作業すると思う? でもまあ、そうね。何度かボタンをひっかけたのよ。たぶん、中村氏――じゃあないかもしれないけれど、中村氏サイドの人間の誰かが乗る、車いすに」

「車いす?」

「そ。たぶん足が不自由な人間が誰かしらいるのね。それで、別荘の滞在中に介助をしてくれる介護士の資格を持ってて、ついでに容姿が中村氏の好みに合う人間を探し出してきたんだと思うわ」

「え、しかし車いすって体から離れてますよね」

「んふふ。いいわね、そうやって質問するのは大切よ。ちょっとした坂道を上るときなんかは角度をつけて、そういう時は腰で支えることが多いのよ。それから一番ひっかかりやすいのはタイヤのブレーキを掛けるときね。ハンドグリップを持ったまま、体を前に倒すから、あの服装だと一番ボタンがひっかかりやすいわ。もちろん他にも可能性はあるけれど――イレギュラーな事態でボタンがほつれたのだとしたら、たぶんすぐに直してそれっきりのはず。それを怠っているのは、日常的にあの部分だけがほつれるような何かがある、ってことよ。で、あのざっくばらんな言葉遣いね。ただの執事で雇われてて、あの言葉遣いっていうのは相当特殊だわ。本職は別だと考えるのが自然。そのあたりを総合してカマを掛けたんだけど――アタリだったみたい」

 成香さんはそう言うと、いたずらっぽく笑った。良く見ると、瞳の奥には明るい炎が燃えている。私はその顔を見て、ようやく少しほっとする。

「さすが、成香さん」

「ふふん」

 そう言うと、成香さんはなにか小さく歌いながら跳ねるように歩く。


「それからねっ、仁氏があたしたちが道民だっていうのを当てたのは、たぶんバスの時刻表を見てたのよ。あたしたちの到着は最後だったけれど、それは乗り継ぎの関係で一本前のバスに乗れなくって、それでちょっと集合時間に遅れちゃったからよね? その乗り継ぎの時間に合う電車と、さらにそれに合う飛行機の到着時間――そのあたりのデータが入ってるわけね。もしかしたら、あたしたちの言葉にもちょっとなまりがあるのかもしれないわね。敵もさるものだわ」

「はあ。なるほど。大したものですね。できれば、敵にならないといいですねえ」

 

 仁氏、というか瘧師夫妻(『妻』の方は会話を交わしていないからわからないが)は、心臓に悪い話しかけ方をしてくるし、『妻』が異彩を放ちまくっているが、考えようによってはきさくに話しかけてくれるわけだし、成香さんとも話は合うようだ。どうやら成香さんには友達が少ないようだし、この旅行をきっかけに仲良しになってくれればいいのかもしれない。


 そんなことを考えながら私たちは船に乗り込んだ。

 成香さんがふっと目を開き、嬉しそうな声で言う。

「正月早々、陸海空制覇したわね」

 

 制覇、という言葉を聞いて私は少し笑ってしまう。

「覇を唱えるというほどのことはしていませんが――確かに、そうですね」

 そういいながら私は、このまま笑い続けていられる旅行だといいな、とそうささやかに願っていた。

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