名探偵財田成香の以下余談

名探偵財田成香の挨拶

 警察署から出てすぐのところに財田さんがいた。私は顔を見る前から、それが分かった。


 それは彼女の右腕に巻かれていた『探偵』と書かれた腕章のせいでもあるし(幾人かがそれを見て彼女を振り返ったりしていたけれど、彼女は全く意に介さない様子だった)、ごく短かった邂逅での彼女の持つ「オーラ」または「気」みたいなものが、ものすごく印象的だったからでもある。

 彼女は両手を腰に当て、両足を大地に踏みしめるように立っていて、なんだか彼女こそが世界の軸で、彼女を中心に世界が、少なくとも人々が回っているかのように見えた。


「財田さん。お久しぶり……でもないですが。その節はどうも」

「ふん。お礼を言われる筋合いはないわ。んだから」


 私が少し戸惑っていると、財田さんはつい、と歩き始め、少し先に行ってこちらを振り返り、顎で私についてくるよう合図した。ような気がした。だから私は、素直に財田さんの横についた。


 しばらく二人で無言で歩いた。何を言えばいいか分からなかったし、なんとなく何も言うべきではないような気がしたからだ。いつのまにか秋が来ていて、まだ日が高いというのに風が吹くと少し、体の芯の方がぶるりと震えるような感じがした。財田さんは相変わらず、私の基準から言うと相当短いスカートを穿いていて、だから寒いのではないかと思った。喫茶店でも見つけたら、立ち寄ろうかと思ったのだが、財田さんは何故だか、人気のない道を選んで歩いていく。ふっと突然立ち現れた住宅街の中の、誰もいない公園のベンチに財田さんは腰かけた。だから私も、横に座った。ベンチの金具が、スーツの上からでもなぜかひんやりするように感じた。


「ウィスコンシン・カード・ソーティング・テストって知ってる?」

 財田さんは唐突に口を開いた。

「知りません」

 と私は素直に答えた。

「そ」

 と言うと、財田さんはひらりと立ち上がって、どこからともなく四枚のカードを取り出して、ベンチの上に並べた。


 赤い四角が一つ描かれたカード。

 黄色の十字が二つ描かれたカード。

 緑の三本線が三つ描かれたカード。

 青い丸が五つ描かれたカード。


 なんだかうちの社員みたいだ。財田さんはわざわざこのカードを作ったんだろうか?

 いつのまにか私の手元には赤い十字が五つ描かれたカードが乗っていた。


「さあ。黒星さん。あなたはどこにこのカードを置く?」

「どこ……って」

 

『赤』い『十字』が『五つ』あるカードだ。緑川――いや、緑の三本線のカード以外であれば、どこに置いても良いようなものだが、私はひとまず赤い四角が一つ描かれたカードの上に置いてみた。

「違うわ」

「あ、そうですか」

 次に私は手元のカードを黄色の十字が二つ描かれたカードの上に置いてみる。

「それも違う」

「……はあ」

 やむなく、私は青い丸が五つ書かれたカードの上に、そのカードを置いた。

「そうよ」

「はあ」

 財田さんはまた何枚かのカードを取り出し、そこから一枚私に手渡した。今度は、緑の四角が二つ書かれたカードだった。

 私は迷うことなく、黄色の十字が二つ書かれたカードの上にそれを置く。

「そうよ。合ってるわ」

「ええと、どうも」

 

 寒空の下、私は何枚かのカードを手渡されるがままにカードの上に並べていった。なんだか不思議な気分だった。


「次はこれね」

 財田さんの唇が、少し不思議な形でゆがんだ、ような気がした。

 だから私は、次に渡された青い三本線が一つだけ描かれたカードを――青い丸が五つ描かれたカードの上に置いてみた。


「……なんで?」

「え? あ、いや、なんか、ひっかけなのかなとか」

「もう」

 財田さんは急に興味を失ったかのように、すべてのカードをどこかに消し去って、そして再びベンチに座った。

 だから私も、再びその隣に腰かけてみた。気づけば夕日が射し始めていた。夕日に照らされた頬だけがわずかに熱を持っていて、それでもやっぱり寒かった。ごく短い秋はきっとため息をついている間に終わって、きっともうすぐ冬が来るな、と私はぼんやりと考えていた。


「WCSTってのはね」

「だぶりゅー……なんです?」

「さっきのテストのこと。アレは、前頭葉機能の検査に使うものなの。渡されたカードを『分類』するのにはある程度『計画』をする力が必要で、それから『何』を分類していたのかを覚えておかないといけない。そして――途中でルールが変わるから、。そのあと、今までのルールからどれだけ早く切り替えられるか、っていうのも検査項目のひとつなんだけど」

 妙に腰の据わった流し目で私を見ながら財田さんは言った。

って、あたしの顔に書いてたかしら? あたしもまだまだね」

「ああ、ええ、あの。すいません、なんか」

「いいわ。別に。

「自殺をさせ……えっ?」


 夕日に照らされて財田さんの表情が見えない。


「どうして経理に粗忽な人間を雇うのか。そして、どうして。単にとぼけた人柄だからかと思ったけれど――あなた、結婚を約束した人がいたわね?」

「まあ、長く生きていれば一人くらいいるでしょう」

「その人、どうなったの?」

「それ、私に言わせますか?」

「探偵ってのは、残酷なものなのよ」

 はあ。私は一つため息をついた。


「……ま、それを聞くということはご存じということなんでしょうな。確かに、彼女は緑川と結婚しましたよ。私との婚約を破棄して、ね。結婚式の2週間前のことでしたか」

「見る目が無かったわね。それでどうして、緑川さんを雇ったわけ?」

「どうしてって……。そりゃあ婚約こそ破棄されたものの、その、大事に思っていた(愛していた、という言葉は気恥ずかしくてどうしても言えなかった)女性が選んだ人間ですからね。当時緑川は、勤めていた会社が倒産しましてね。何か働き口がないかって、彼女に相談されまして。それで」

「随分お人よしね?」

「まあ、人が好いのだけが取柄で。だから女性にも逃げられるんでしょうが」

「本当に、そう?」

「と、言いますと?」

「好意だけで、しかも自分を振った女性の相手のために、緑川さんを雇ったの?」

「いや、そのつもりですが――」

と思わなかった? そこまで思わなくても、とは? そしたらあなたは合法的に緑川さんを糾弾できるし、ひょっとしたら損害賠償請求みたいなことに発展するかもしれない。それで緑川さんの立場が失われれば――彼女の愛も戻ってくるかもしれない。だったら粗忽な人間に、粗忽では勤まらない経理をさせよう――なんてことはちらりとも思わなかった?」

 即答することはできなかった。

 私は喫茶店で財田さんと話したことを思い出していた。


 あのとき私は、私が犯人である理由を考えた。が、その理由に思い至ることはできなかった。ただそれは、動機がまったくないという意味ではなかった。

 私は確か、私が意識していないだけで――彼に何かをしてしまった、ということもあるのかもしれない、と考えていた。あるのかな、そんなこと、と否定はしたものの、どこかで私は、薄昏い嫌がらせのようなふるまいを、緑川にしてしまっていたのかもしれない。


「嘘を吐くつもりはないんですが――正直言って、私は『彼女』を愛していたかというと、あまり良く分からないんですね。ただなんとなく長く付き合って、それで、『そろそろ結婚か』という時期になったから、結婚の申し込みをして。だから、というわけでもないですが、その――恨みと言いましょうか。そういう情熱的な気持ちはないはずで、それで、だから緑川にもそういうつもりで接していてはなかったんですけどね。ただ、向こうにしてみれば、『私に恨まれている』と感じていた部分はあったかもしれませんし――『使い込み』のあと、私に相談できる雰囲気は、確かに出していなかったかもしれませんね。もっときちんと、そういうわだかまりがないことを、緑川に話しておけば良かったかも知れないですね」

 だからそう――結果的に財田さんの推理は、のかもしれない。

 深い根っこのところでは、私が犯人であった、と言えるのかもしれない。


 私が反省を込めてそう言うと、財田さんは目を丸くしていた。

 そして、突然噴き出した。


「ふふっ、そんな、そこまで言ったらお人よしも度が過ぎてるわよ。あはは。あーあ、

「え――いや、財田さんの仰ることも、ごもっともかと思っていたところなんですが」

「あのねえ。黒星、あなた犯人の才能ないわよ。全然。からっきしね。もっとこう、『犯人』ってのはね、陰湿でドロドロした動機があったり――あとはそう、ナチュラルキラーみたいな、何も考えずに他人に酷いことができたりね。どっちかに極端に振れてないといけないの。あなたもっとこう、昔の女を引きずったりさ、心の奥底で煮えたぎった怒りとか、そういうの持った方がいいわよ。何が『わだかまりがないことを話しておけば良かったですね』よ、そんなのどう考えたって使い込みをした方が悪いに決まってんじゃあない。素直に受け入れちゃだめよこんな話」

 いつのまにかさらっと呼び捨てにされていたような気がするが、なんとなく、すっと胸の澱みが抜けていくような気持ちがしたので、特にそこについては触れないことにした(そもそも澱みを作ったのは財田さんだ、という気がしないでもないが)。


 財田さんは立ち上がり、ぱんぱん、とミニスカートの裾を払った。

「はあーあ、せっかく安楽椅子探偵返上で調査までしたのに、ほんとに黒星はただのお人よしだったか。まあいいわ。今回はあたしの負けね。でもほんとに、あたしは結構すごい『探偵』なんだからね。いつか度肝抜いてやるから、覚悟しとくこと。いいわね」

「え――っと、いや結構度肝は抜かれてますし、その――こういうのって勝ち負けとかあるんですか? ていうか」

「あるのよ。ま、見てなさい」

「……はあ」


 なんだか釈然としない思いでいると、財田さんは、突き合わせて悪かったわね、と一言言って、その場を立ち去ろうとした。


「あ、ちょっと、すいません。財田さん」

「何?」

「いやその――先日、探偵料を受け取っていただけなかったようで」

「だって事件を解決したのはあたしじゃあないもの。その話はもういいわよ。野暮ねえ」

「あ、いや。でもそれはやっぱり。それで、その――まあお礼というか、これ、もしお会いできたら渡そうと思っていたもので。受け取っていただけますか?」

 私はあわてて鞄をあさり、ずっと鞄に入れていた小さな包みを取り出した。

「何よ?」と言いながら財田さんは素直に受け取り、包みを思いのほか丁寧に開いた。

 

 中に入っている物を見て、財田さんは目をぱちくりさせた。

「ネックレス?」

「はい。まあ、シンプルなデザインなので、いろいろ使いやすいかな、と」

「ふうん。でもほんとにシンプルね。あの『星のカケラ』はごてごてしてて好みじゃあないけど、なんか宝石くらいつけてくれても――ん?」

「えっと、その、それは」

「いいわ。分かったわよ。言っとくけど、あたしそういうダジャレみたいなのは好きじゃあないからね」

「あ、はあ、その、すみません」

「でもまあ、……ありがと」


 そう言って財田さんは薄く微笑んだ。私はなぜだか――いや、正直に言って、その笑顔に見とれてしまって――茫然とした。

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