名探偵財田成香のヒント(下)

 私たちは電車に揺られて私の(借りている)オフィス・ビルに向かった。タクシーで向かおうと思ったけれど、財田さんが「いいわよ別に。ICOCA使いましょ? せっかくなんだから」となんだか恨みがましい口調で言うので、素直に電車に乗ることにしたのだ。


 オフィスのドアを開ける。

「いらっしゃいま……あ、社長。お帰りなさい。そちらの方は?」

 私を出迎えたのは赤枡だった。私は黙って、彼女の『探偵』という腕章を指さす。

「あ、なるほど……緑川の」

「そう」

「ここには、捜査に来た、というわけですか」

 赤枡の視線が、少し険しくなった。

「まあ、そうだけれどね。安心しろ、赤枡。どうやら、私が犯人ということになっているらしい。ちょっと保管庫に入るが、応接室の方に茶でも出しておいてくれ。あと何か甘いものがあればそれを」

「え? は? 社長が?」

 困惑する赤枡を後目に、私たちは保管庫に入った。


 先ほども述べたように、それぞれの部屋はそんなに広くない。というか狭い。9畳ぶち抜きで二部屋の方が、何かと使い勝手が良さそうだが、まあこのビルの構造がそうなっているのだから仕方がない。

 保管庫は四畳半で、壁際には私の背丈ほどのロッカーが2つずつ、合計4つ並んでいる。ロッカーは三段になっていて、それぞれの中には宝飾品のカタログや、会社の情報が入ったファイル、キャビネットに入れた宝飾品類、それから二つだけ金庫があって、この中には特に貴重な宝飾品類が入っている。

 また、床のスペースには、そこそこのサイズがある彫像や壺、皿の類も置いてある。凶器になった壺も、その中にあったものだ。


「ふうん。結構狭いわね。なるほどなるほど。凶器の壺はどれ?」

「それはまだ警察が持ってます。感じとしては……アレが近いですかね」

 私は似たような青銅製の壺を指さした。財田さんの腰くらいまである、わりに大きなものだ。財田さんはどこからともなく、艶やかな黒色の手袋を取り出し、両手にはめた後、その壺を持ち上げようとした。が、手袋が滑るのか、それはうまくいかなかった。

「重っ」

「5 kgくらいはあると思いますから。結構重いですよ」

「ふうん。あなたは持ち上げられる? 黒星さん」

「そりゃあ、まあ」

 ただ、これを振りかぶって人を殴れるか、と言われると難しいところだ。結構大きいし、よろけてしまう。良く良く考えれば、人を殴るのにもっと手ごろな、たとえばクリスタルの灰皿なんかも置いてはあるのだが――なぜこんな巨大な壺を凶器に選んだのか、少し気になるところではあった。まあしかし、事前に両手を縛ることに成功していれば、抵抗は避けられるわけだから、一番強そうなものを選んだのかもしれない。


「価格としては?」

「はい?」

「凶器に使われた壺、買うならいくらくらいするの?」

「あ――ああ。そうですね。いいとこ2万くらいでしょうか。その、骨董品としての価値があるものでは別になくて――まあレストランなんかの装飾に使うようなものですからね。たいして価値はなかったです。今財田さんが持とうとしているそれも、大体同じくらいですね」

「たとえば、この灰皿は?」

「それは実はブルガリのものなので、5万円くらいします」

「ふうん。この部屋に、その壺より安いものってあるかしら?」

「言われてみれば――あの壺が一番安いかもしれませんね」

「ふふ。しらじらしいわね。安いのをわざわざ選んだくせに」

 ああ、なるほど。そういう考え方もあるわけか。

「いや、選んだ覚えはないんですけれども――」

 そう言いながら、私は内部犯の犯行説自体はほとんど間違いないと思った。というのは、財田さんの言う通り、あの壺は大きくて重いだけで、価格自体は極めて安価なのだ。送料は多少かかるから、取引時にやりとりをする金額だけで言うならば少々高くつくが、あれが売れたときの利益率は、本当に微々たるものだ。

 つまり、意識的にか無意識にかは分からないが、『犯人』は、もっとも安い物で緑川を殴ったことになる。それができたのは、そのものの価値を良く知っていたから――と考えるのは早計だろうか? しかし私は、ほとんど間違いないと思った。もしどうしてもこの中で、人を殴る凶器を選べと言われれば、確かに私もあの壺を選ぶ。あれが一番、安いからだ。壊れにくいし。


「さて、現場検証――と言っても、もうすっかり片付いちゃってるわね。まあ、出来るだけ再現しましょ? まず、緑川氏が後ろ手に縛られてたというのは、どういう感じ? 縄か何か?」

「あ、いや、そっちのロッカーの中のキャビネットに結束バンドが入ってるんですけども――ああ、それです。これで、親指を拘束されてました」

「ええ? 何それ?」

「いやこれ、結構頑丈なんですよこう見えて。こうやって」

 結束バンドというのは、家電の配線を結束したりするのに使うもので、プラスチック(おそらく)で出来た、小さなベルトのようなものである。ベルトと違うのは、バンドそのものにがついていて、ベルトで言うところのバックルを通すともう多少引っ張っても抜けないようになっていることである。

 と言葉だけで言っても分かりにくいだろうと思って、私は実演することにした。財田さんの指に巻くのがたぶん実感しやすいだろうが、それはなんというか、あまりよろしくない絵面になりそうな予感がしたので、自分でやることにする。

 緩く巻いた結束バンドを、両手の親指にひっかけて残った指で引っ張る。ちかちかちかちか、とまさに「結束」される音がして、親指が多少締め付けられる感覚がある。

「こういう感じでしたね。で、ほら、今結構私力入れてますけれども、その程度では全然取れません」

「ふうん」

 そう言うと、財田さんは私の両腕を掴んで、遠慮会釈なしに左右に引っ張った。私は財田さんの体が近いことに少しだけ動揺する。親指が引っ張られて痛いが、我慢する。

「見せて」

 と財田さんが言うので、私は素直に結束バンドで縛られた両手を見せた。財田さんは少しバンドをずらして、私の指を撫ぜている。

「確かに……赤く痕がついているけど、これでも抜けないものなのね。ふうん、なるほど。もう外していいわよ」

「いや、これ自力では無理です。えっと、そこのキャビネットの二段目にたしかハサミが……、あ、それです。すいませんけど、切ってもらえます?」

「じゃあ、ついでに『現場検証』の続きをやりましょう」

「は?」

「両腕を縛られて殴られた――または、強盗の偽装工作で、殴られた後に両腕を縛られた――緑川さんが、どう動いたかを検証しておきたいのよ。まず、凶器の壺で殴られるわよね。それから?」

「それから、と言われても――ええと、ばら撒かれていた宝飾品は、金庫には入れていない、そちらのロッカーのキャビネットの、一段目から三段目に入っているものでした」

「ふうん。ばら撒いてもいい?」

「傷がつくと困るのであまり良くはないですが――まあいいですよ」

「じゃあ、遠慮なく」

 そういうと、財田さんはキャビネットの一段目から三段目の宝飾品を床にぶち撒ける。ああ、傷がつかないといいなあ。

「配置はこんな感じだった?」

「いや正直言って配置までは……詳しい写真は、警察にあると思いますけど」

「まあいいわ。はい、じゃああなたは犯人に殴られました。倒れて?」

「え。いや、倒れるのはいいですけど」

「なによ。何か不満でも? 社長がそんなことはできないって?」

「いやいや。財田さん、その、ええと――おみ足が」

 財田さんは黒いミニスカートを穿いている。普通に対面している分には問題ないが、視点が下に移動すると、よろしくないことが起こるようなそんな予感がした。


「ああ。何よ、『探偵』舐めんじゃないわよ。ほら」

 そう言うと財田さんはスカートを自らまくり上げた。光沢のある黒い布地のスパッツを穿いているが、正直言ってそれだって私からしたら下着そのものだ。年甲斐も無く顔を赤らめてしまう。

「ちょ、ちょっと。恥ずかしがんないでよね。あたしまで恥ずかしくなるじゃあない」

「す、すいません」

 私は謝り、なるべく財田さんの方を見ないようにしながら、慌てて床に倒れこんだ。


「ふ、ふん。まあいいわ。それで、さあ、倒れたあなたは――ところで、緑川氏の携帯は?」

「緑川は携帯を持っていませんでした。自宅に置きっぱなしで来たようです」

「本当に粗忽ね。なんで経理に雇ったわけ?」

「いやまったく、人手不足で」

「つまり、なんとかポケットから携帯電話を取り出して、警察を呼んだりメッセージを入力することはできなかった――と。さあ、あなたの意識はだんだん薄れていくわ。そして、犯人は逃走する。あなたは犯人の顔を見ている。なんとか犯人の名前を伝えたい。さ、這って移動なさい?」

「え、ええ」

 私は体をずりずりと動かし、宝飾品が散らばるところを目指す。

「ストップ」

「はい」

「発見された時の緑川氏の体勢は覚えてる? それに近い形になってちょうだい」

「ああ、はい」

 私は部屋の奥に向かって体を這いずらせ、うつぶせになった。

 いくつかの宝飾品が体の下に入るのを感じ、傷がつかないなといいなと思う。


「そんな感じ?」

「そうですね」

「ちなみに壺はどこにあったの?」

「ええと――」

 仰向けになると目の前に財田さんの脚があり、私はまた少し動揺する。よいしょ、と体を起こして、部屋の入り口当たりを指さす。


「ふむ。やっぱり間違いないわね。犯人はあなたよ、黒星六郎太さん」

「ええと――」

 そう言われても、本当に心当たりがないのだけれど。


 ひとまず結束バンドを切ってもらい、私たちは応接室に移動した。

 緑茶と大福という和風のチョイスで、私は少しだけ赤枡を見直した。


「いい? さっきの『精神的問題』についてだけれど、あのネックレスを選んだのは偶然じゃあないわ」

「と、言いますと」

「まず、犯人に殴られた後、うっすらと意識があったか、意識を取り戻した緑川氏は、部屋から出ようとせず、部屋の奥に向かっているわ。これは、『ダイイング・メッセージ』を遺そうという明白な意志と言えるわね」

「それはそうですね」

「次に、あのネックレスを何故『選んだ』と言えるかというと――緑川氏が口の中にあるのがわかった、のよね?」

「そうです」

「とすると、ただそれを銜えただけではなくって、のよね? 結構大きい物でしょう? 五つも宝石がついたネックレスなんだから」

「ええ、そうですね。確かに、完全に口の中に入っていたので、だから最初は見つからなかった、ということです。それから、そう、あの中にあるものの中では、かなり大きいものだと思います」

「だったら結構時間もかかったはずよね。いい? もし犯人がその場に残っていたとしたら、そういうことをしている緑川氏をどうしたかしら?」

「いや、分かりませんが――ううん、トドメを刺すか――、いや、少なくとも、何をしようとしているかは確かめるでしょうね。変わった行動ですから」

「そうね。そして、意味が分からなかったとしても、なんらかのメッセージと判断して、口の中からネックレスを取り除くはずだわ。それをしなかったということは、緑川氏が動いたのは、犯人が立ち去ってから、と考えられる」

「なるほど」

「そういう状況だとしたら、口の中に完全に入れる理由はないわよね?」

「いやでも、犯人が戻ってくるかもしれないとか――あと、それこそ私が犯人だとしたら、私が第一発見者になるのはほぼ間違いないわけで、そのときに隠ぺいされないようにと思ったとか」

「ふうん。面白いこと言うわね。でも、さっき私がばら撒いた宝飾品の中には、赤いルビーの指輪も、金色の十字のピアス(ピアスだから一組で二つよね)も、トルコ石が5つあしらわれたバングルもあったわよ。バングルは口の中に入れるのは難しかったとしても――特定の誰かを指したかったのなら、絶対そっちを銜えた方が楽に決まっているわ。やっぱり、あのネックレスは、と考えるのが自然よ」


 ううん。そうだろうか? 完全に論理的とは言えない気もするが、財田さんが言うのだからそうなのだろうという気もする。しかし、ネックレスが意図的に選ばれたものだとすると、どうして私が犯人ということになるのだろうか?


 私は再び、問いかけた。

「本当に、しらじらしいわね。もう十分に手掛かりは提示されていると思うのだけど。ここまで言っても認めないなら――しょうがない。説明するしかないわね。いい? もう、後戻りはできないわよ」

 財田さんはそう言って、決意を示すかのように大福をばくん、と齧った。

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