第8話 役立たず②




 窓から月明かりが照らし、小便が垂れ流しになった幻想的なトイレの隅で、僕はポケットから書く物を取り出し、自身の運命の書にこう記した。


_____導きの栞に紋章が浮かび上がる。


 これをすれば、万事解決。

 やれやれ、初めて人から罵倒されたから変な汗を掻いてしまったではないか。

 僕は、額の汗を拭い、改めて、握り締めた導きの栞を見て。


「____えっ!?」


 僕の出した声は賑やかな店内に聞こえるほどの声だったようで、それを聞いたエクスが慌てながらトイレに入って来た。


「スペア大丈夫!? 凄い声だったけど」


「エクス!? いきなり、トイレに入ってくるなよ!」


 僕は咄嗟に運命の書と導きの栞を隠し、平然を装った。


「え? ああ。ごめん。心配になって... ...。シェインの言った事なら気にしないで。彼女、口は悪いけど、悪い子じゃないんだ。許してあげて」


「え? あ・ああ。別に気にしてないよ。エクスも気にかけてくれてありがとう。もう、少ししたらそっち戻るからさ」


「そっか。それなら良かった。本当、気にしないでね!」


 エクスは優しい。

 だが、そんな優しさは、僕の傷心に塩を塗った。


 今まで、運命の書に記した事が現実にならない事はなかった。

 僕はもう一度、運命の書と導きの栞を交互に見る。

 書いている内容に対して、それが現実に反映されていない事は確かだ。


 僕はおかしいと思い、運命の書に記入した文字に二重線を引き、訂正した。

 そして、同じ意味になるように別の文書を書いてみた。

 しかし、表現を変えても導きの栞に紋章が浮かび上がる事はなく、僕は脱力し、トイレの天井を見上げた。


 どうやら、僕の運命の書はこの世界では何も役に立たないようだ。

 

 あ... ...。自分で役に立たないと思ってしまった... ...。

 

 いや、でも、実際そうだ。

 世界を変える能力がない僕はただの人。

 運命も与えられていない僕はこの世界ではただの木偶。


 ギャンブルで有り金を全てスッてしまった大人のように狭い空間で窓から微かに見える月をボーっと見ていると、いつまで経っても出てこない僕を心配してエクスが再び、呼びにきて、僕を宴会の席まで戻した。


「お! 坊主! 長いトイレだったな! 大物だったか!?」


 タオは何か声をかけなきゃいけない。という使命感で僕に声をかけたに違いない。

 感覚が研ぎ澄まされていた今の僕にはその優しさは毒だ。


「き・気にする事ないわよ! みんな違ってみんな良いってね! あはは... ...」


 いつになく、空元気を振りまくレイナ。

 無理をしているのか笑顔が固い。

 はあ... ...。みんな、優しいな。こんな役立たずの僕に気を遣ってくれるなんて... ...。


「あ。さっきは酷い事言ってごめんなさい。さあさあ、気を取り直してタダメシをじゃんじゃん食って下さいよ」


「ちょっと! シェイン! 謝って言ったでしょ!」


「え? 姉御。ちゃんと謝ったじゃないですか。それに、使えねえ野郎に『あなたが役立たずって分かったからってここの飯代払えなんて言わないわよ』って事もやんわりと伝える優しさも見せたんですよ。百二十点の謝罪ですよ」


「マイナス百二十点の謝罪よ! これは、新しい仲間を祝う宴会なの! 新しい仲間が役に立たない人でも関係ないわ! スペアは私達の仲間よ!」


「ほら。姉御も役立たずって思ってるじゃないですか」


「... ...お・思ってない! もう! 揚げ足取らないで!」


「何ですか? その間は?」


 シェインはニヤニヤとしながら、顔を真っ赤にしたレイナを責め立てる。

 まるで、ここは地獄だ。

 こんな辱めを僕が受けるなんて... ...。


 こんな地獄の窯の中に連れ戻される運命が分かっていたのなら、いっその事、あの汚い便所で月明かりに照らされながら首を吊っておくべきだった。

 幸運にも今穿いている靴は父が森から伐採してきた木の皮で作られた街で一番丈夫な靴。

 

 この靴をほどけば千切れる事の無い木の皮で出来た紐になる。

 それで、首に輪をかければこんなに苦しむ事なく、あの世に行けたろうに... ...。


「シェイン! レイナ! もう、止めなよ!」


 温厚なエクスが僕の前で初めて、声を荒げた。

 他の三人の前でもこのような態度を取ったのは初めてだったのか、一同、驚き黙ってしまった。


 流石、エクス。

 人の気持ちが分かるやつだ... ...。と僕は感心した。


「戦闘が出来なくたってサポートとかなら出来るじゃないか! 掃除とか買い物とかさ! ね!」


 その偽りのない無垢な表情が潰れかかっていた僕の心をぺしゃんこにしたのは言うまでもない。

 いや、提案としてはそうだよ。合ってるよ。


 でもね。それってさ... ...。

 もう、僕は考えるのは止めた。そして、黙って冷めたチキンを頬張った。


「なんかそれって使いっパシリみたいですね」


 シェインは本当に明確な事を言う。

 そうだね。分かっていたけど、雑用係しかこの世界で僕は役に立てそうもない。


「使いっパシリ? 何それ?」


「まあ、要するに... ...」


「シェイン! いい加減にしなさい!」


「え? どうしたのレイナ? 僕たちのようにヒーラーとかアタッカーのような役職名をスペアにも付けてあげようよ! 使いっパシリ! うん! 何かカッコイイ言葉だ!」


「そうですねえ。役職名は必要ですからね~」


 シェインは首を縦に振ってエクスの提案に賛同。


「エクス! 止めなさいって!」


 レイナはエクスの口を押さえるようエクスに飛びかかり、エクスはそれに抵抗し、シェインは終始ニヤニヤとしながら事の展開を楽しんでいる。

 ふと、話の輪に入って来ないタオをみると、机に突っ伏した様子でいびきをかきながら眠っていた。


 「ははは。参ったなあ」


 とおどけた様子で笑いを取りに言ったが、絞り出した声が小さすぎてレイナとエクスが言い争う声にかき消されてしまった。

 どうやら、シェインはその僕の失態を見逃さなかったようで、風船のように口を膨らませ「ぷふ~ぅ」と無表情で笑った。


 僕は賑やかな輪に囲まれ、朦朧とする意識の中、塩辛いチキンにむしゃぶりついた。

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