第二話 焼け堕ちた森
少なくとも四人は、歩いているうちに町やそうでなくても家の一つくらいにはたどり着くと思っていた。
結論から言えばしかし、その期待は裏切られることになる。
永遠に続く灰色の世界。
その中に、ポツンと存在する五人。
先頭を歩くのはエーデル。レイナも彼女と手をつなぎながらついて行く。
ヴィランとの戦闘を掻い潜り、ようやく四人はエーデルを捕まえることができた。
手をつないでいるのは、エーデルが事あるごとに走り出すのでその防止策である。エーデルの身長が低いので、レイナは右肩をやや下げながら歩く。その組み合わせは、何よりエーデルはレイナに一番懐いていたということもある。
その後ろをタオとシェインが歩くき、さらに彼らを傍観するように進むのは蒼髪の少年。新人という肩書のもと、シェインやタオよりも自然と後ろに下がっていることが多い。けれど、たとえ前に出たところでレイナやタオが行先を決めることが大半なので、今の並びが一番居心地よかったりする。
自由気ままにこの大砂漠を
「ねえエーデル。あなたはどこからやってきたの?」
先ほど尋ねた問を、レイナはもう一度訪ねた。
「あっちなの!」
エーデルはまたも自分が来たという方向を指差す。その細い指が指し示す先には、相変わらず顔色を変えない無色の世界。
「……さっきと方角違ってないか?」
そんなタオの突っ込みもお構いなしに小さい船頭は足を大きく上げて進んでいく。
ただ、レイナだけが静かに頬を赤らめ、そっぽを向いている。どうやら彼女だけがそれに気づかなかったらしい。
「そ、そうだ! エーデル、お母さんとお父さんはどこにいるの?」
「お父さんは知らないの。エーデルのお母さんは、エーデルを待ってるなの」
「待ってる?」
「大地の中心で待ってるなの!」
エーデルはレイナの手を解き、四人の前で手を広げ嬉しそうに発表した。
会話に引っかかりを覚えたシェインが二人に割って入る。
「エーデルさん。この想区に何があったんですか?」
その言葉に三人は声をつまらせた。さすがにずばっと言いすぎだ。
言葉を失う彼らをよそにシェインは一人、何気ない様子でいる。
「そーく?」
「この世界のことです。あなたが住んでいたところです」
そこまで言うとエーデルは合点がいったようだ。
「ずっと前に森が燃えちゃったなの」
「え?」
事も無げに言うエーデルにレイナは驚いた。タオも小さく「まじか」と呟く。そして、ゆっくりと傍観者が口を開く。
「これ、炭だよね」
レイナは彼を振り返った。エクスは
「つまり、灰が、燃えかすが固まったもの……。この想区の大地はみんな灰と炭でできてるみたいだね」
エクスは努めて穏やかな声音で言った。
そこで初めて四人は理解した。
そう、エーデルの、エクスの言ったとおり、この世界は灰が降り、灰が積り、灰が舞う想区。樹木が炭に代わり、草花は灰になる。世界は終わってしまったのに、無情に、無慈悲に、惰性で太陽は昇り、怠惰に月は還る。
これがこの世界の、想区の全貌なのだ。
*
「エーデル! ごはんよ!」
「はーいなのー!」
鮮やかな
降り注ぐ太陽は生い茂る草木を照らし、泉の水面に眩しく反射する。
想区中では一般的なツリーハウス。
「今日はどこへ行くの?」
母はエプロンを外し、娘と共に食卓につく。今朝はサラダときのみ、それからミルクや果汁を混ぜて作った特性ジュース。
エーデルは活発な少女だった。周りの子よりも少し身長が小さく、母としてはいじめられないかしらと悩む時期はあった。しかし、好奇心旺盛な彼女はそんなことは気にもせず、年上の少年にも負けない度胸をもっていた。だからこそ、気が気でない時も確かにあるが、母はエーデルのちょっとした無茶も許容するといった方針で娘を育ててきた。
「草原の向こう側に行くの!」
野菜を頬張りながら答える我が子を見て、夫に似ている。そう母は思った。
エーデルの父は冒険家だった。この無限に続く緑の中を無謀に泳ぐ冒険家。森の中でもそれなりに名の知れた男で、家に帰ってきては綺麗な石や珍しい昆虫の標本などを持って帰ってくる。二人の家はそんなお土産で溢れていた。
しかし、父はエーデルが生まれて幼いころに命を落とした。
冒険中に事故に遭ったそうだ。妻である女が聞かされたのはたったそれだけだった。
彼がどんな最期を迎えたのか。それを彼女は知らない。崖から転落したのか、落石で怪我をしたのか、川で溺れたのか。あるいは名も知れぬ地で迷子になってしまっただろうか。それならば彼らしいか。などとあれやこれやと思いめぐらせて眠れぬ夜もあった。
ただ、それよりも彼女が案じたのは、彼がエーデルの記憶に残らないうちに亡くなってしまったこと。それを彼は後悔してないだろうかという懸念である。
親不孝ならぬ子不孝。自分の身に置き換えると、彼が最後に行ってきますと言って出て行くのを止めるべきだったのではないかとも考えあぐねた。
そんな彼女の不安とは裏腹にエーデルはすくすくと育っていった。川で魚を採ったり、木をするすると登ったりもできるようになった。彼の探究心を受け継いだように。
あれから数年が経ち、彼女の悩みはエーデルが冒険家になると言い出さないかというものに変わっている。
そのとき、自分はなんと言うのだろう。それでも、もう答えは出ているのだろうけど。
「約束。遅くならないようにね」
エーデルは元気よく返事をする。
彼女の活動領域はどんどん広くなっているが、友達を連れて数人で遊んでいるし、そもそも言っても聞かないのだからとうるさく言うことはなくなった。
それが幸か不幸か。彼女を助けることになるとは、この時は思いもしなかった。
*
その日の夕暮れ。
火は突然に噴き出し、瞬く間に燃え広がった。
その火事は事故なのだろうか。故意に起こされた事件か。はたまた偶然によって引きよこされた惨事なのか。原因を知るものはいない。なぜなら、それは人が考える前に人を喰らい尽くしたのだから。
この想区で火を扱うことはほとんどない。生涯で火を見る者さえ少ないと言っても過言ではないほどだ。
そもそも、森の中で炎を扱う事が禁忌に等しく、どうしても扱わなければいけない時だけ森の長に申請しなければならない。
火が上がったのは、ちょうどエーデルたちが草原に戻ってきてツリーハウスの立ち並ぶ区域に帰ろうというところだった。一同が今日の活動に満足し、さてもう少しだと思ったそのときだった。
見たこともない煙……黒煙が立ち上り、同様にして悲鳴が上がる。
彼女たちには理解できなかった。ただ彼女たちの遺伝子がこれは危険だと。そう訴えかけるだけだった。
十人弱のグループで一番の年長者が「炎だ」とそれだけ呟いて走り去ってしまった。
不安感は伝播する。徐々にヒステリックになっていく少年少女。
どうしていいかもわからず、とにかく、と自分の家に駆けて行く者もいれば、あんぐりと口を開けて立ちすくむ者もいた。
エーデルは前者だった。
慌てながら村の中を走ると、嫌でも聞こえてくる叫び声。怒号。鳴き声。
それは彼女の焦燥を一層深くした。
その時には既にツリーハウスにまで炎は燃え移っていた。
エーデルは家についた。
しかし、それはもはや自分の知っている家ではなかった。
とにかく、母と合流しなければ。そうして、彼女は家にドアを開けた。
扉を開けて、第一に気づいたことは今まで感じたこともない暑さ。吹き飛ばされそうになる熱風。なんせ部屋の温度は五百度にもなろうとしているのだ。目を開けることすら億劫になる。
その灼熱の中に、母の姿があった。
天井の下敷きになっている。母の姿。
「お母さん!」
「来ちゃダメッ!!」
小高い岩壁にも、ましてや火の上がっている家にも怖気ずに、立ち向かってきた彼女でさえ肩を震わせた。
温厚な母が怒鳴るところを初めて見たのだ。
嫌でも立ち止まることをやめなかったエーデルが、この瞬間初めて立ち尽くした。
「お母さん……」
自分の母は今、赤い部屋の中で上半身だけを生かして身動きが取れないでいる。その顔には、彼女を安心させるために貼り付けた笑顔があるが、しかし、どうしてもそこには絶望の色が滲んでしまう。
自分ではどうしようもない。幼心に自分の力量の無さを実感する。
「エーデル……」
我が娘の名前を呼ぶと、彼女は首にかけていたペンダントを千切り、それを放り投げた。
足がすくんだエーデルの前に、彼女の爪ほどの大きさをもつ種に花の茎を巻きつけた首飾りが落ちた。
依然動くできないことができないでいる娘に、母の声が響く。
「エーデル……これはね、『根源の種子』っていうの」
欠けた天井が鈍い音を立てる。業火の勢いは更に強くなる。エーデルの背中から狂気の声がこだまする。
異常すぎる空間。
その中で静かに、いつもどおりに母は子に語ろうとする。
「約束。それを大地の中心に植えて……」
待ってる。
それを最後に、母は見えなくなってしまった。
住み慣れた家は表情を変え、そこの住民を閉じ込めようと天井を落とす。身体を揺らすほどの轟音を立てて柱が崩れる。床が割れる。思い出をかき消していく。
意味のわからない騒音の奥に、微かに自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。
それを聞いたとき、彼女は手にしていた種子を握り締め、閉ざされていた扉を再び押し開けた。
エーデルは走って走って走り続けた。
見たこともない大地を走った。
走っているうちに地面はどんどん白くなっていった。
気づけば自分を遮る木々や背の高い草はなくなり、目の前は平らになった。
いつしか、あの朱に染まった空は青く澄み渡るようになった。
しかし、太陽と月は意味を無くした。
それでも、エーデルは意味を探した。
待っていると言い残した母に会うために――。
*
エーデルはそれを語るには幼すぎた。
彼らが理解できたのは、何か踏み入れるには多大な時間を要するということ。ただそれだけだ。
一番そばにいるレイナはそれを察し、浮かない顔を見せる。エーデルは依然にぱっとした笑顔で歩を進める。
彼女はこの無に
その事実の受け止め方は三者三様だろう。
あるいは、
「ていうかちびっこ? お前さんはその大地の中心がどこかっていうのはわかってんのか?」
「ちびっこじゃないの! エーデルなの!」
ちびっこ呼ばわりには少々気が触ったらしく、彼女はタオに向かって猛抗議を始めた。
タオは
「わかってるの! あっちなの!」
ありったけ講義した後、エーデルは自分たちの進行方向に指をびしっと向ける。
「本当かよ……」
呟くように放った言葉はおそらくエーデルには聞こえていない。
そうやって、旅は続いていく。
*
日は頂点を超えてからゆっくりと落ちていった。空は気づかれないような速さで色を濃くしていく。そのような時間の経過だけが景色を変えるだけで、鳥も飛ばず虫も鳴かず雨も降らない。何者にも染まらない世界。すべてを染められてしまった世界。その世界をどうにか染めるために線を引く五人。
あてもなく彷徨う五人の前に、三度ヴィランの影が差す。
囲まれたと同時にエーデルがわっと飛び上がる。
「こわいのー!」
そう言って走り出しそうになるのを、今度はレイナが静した。彼女はエーデルと同じ目線になると、こう言った。
「大丈夫、あなたは私が守るから」
小さな肩に両手を置く。その行為は少女に安心感を与え、レイナ本人にも自信を与えた。
目と目を合わせ、じっくりとお互いの深層心理に語りかける。エーデルの
しかし、そんなことは構わず、ヴィランたちが示し合わせたように五人に飛びかかる。
「お嬢! ちびっこは任せるぜ!」
三人は『導きの栞』を『運命の書』に挟む。
レイナはエーデルの背中に腕を回し、抱き寄せる。エーデルの薄い布を
この景色のために――。
「安心して、みんなが頑張ってくれる……」
レイナの必死な表情に、エーデルは母の面影を見た。
炎の中で自分の命を顧みず我が子を守った母の姿。
世界が朽ち果てる前に、母は……。
エーデルはレイナの胸に顔を埋め、目を閉じた。
*
ヴィランを撃退すると、三人は青髪、灰髪、黒髪の少年少女に戻る。心に宿った
レイナはエーデルをなだめると、三人に向き直る。
「ありがとう。助かったわ」
「いいですよ姉御。お礼なんて」
シェインは事も無げに言う。しかし、彼女にとって、それは文字通りのことであった。
そこで、ちょうどタオとシェインの目があった。
「やっぱり、そうだよな……」
「タオ、どうしたの?」
「気付かなかったか? さっきよりもヴィランの数が少なくなっているし、弱くなってる」
エクスは「そうなんだ」と恥じらいながら呟いた。シェインはそれに対し、やれやれと言った様子で肩をすくめる。
……ヴィランが少ないということ。それはすなわち、この想区の鍵から遠ざかっているということ。
ヴィランはその鍵に近づくほど数は増え、力の強いメガ・ヴィランや、通常の個体から派生した魔法を扱うものなど、その種類も多様になる。
しかし、先ほど相手したヴィランは比較的数も少なく、大型のヴィランもわずかなものだった。
つまり……。
「なあちびっこ……本当にそっちであってるのか?」
「あってるの!」
エーデルは語気を強めて反抗するが、歩き出した路は示していたはずのそれではなかった。
タオは肩を落とした。それを見てエクスも困ったように笑う。
「エーデル」
レイナはエーデルの脇を抱えると、そのまま持ち上げ方向転換させた。
「私たちに任せて。ちゃんとお母さんの待ってるところに連れて行ってあげるから!」
小さな指揮者は最初ぽかんとしていたが、レイナの笑みにやがてにっこりと笑い返した。
「さあ、エーデル。行きましょ!」
「お嬢、そっちでもない」
船頭多くして、船山に登る。
*
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