epilogue 『蓮華座の茶会』

 蓮華の間。桜花東区にある藤林院寺宗家桜花別邸、通称「希帛邸きはくてい」にある広座敷は、昔からそう呼ばれてきた。軽く30畳はある広い座敷の上座には祭壇が設えられ、半分ほど巻き上げられた御簾の向こうには如来座像が鎮座する。

 その祭壇に向かって右手には縁側があり、雪見障子の向こうでは冬枯れした日本庭園を、吹き抜ける寒風が落ち葉を掃き清め来る春に備えている。左手に並んだ襖には連続した蓮の絵が描かれており、欄間には、雲間を泳ぐ天女が彫られている。

 青々とした畳の上に並べられた8枚の座布団には、1枚を除いて、和服や背広姿の老人たちが鎮座し、出された茶をすすったり、茶菓子に手を付けたり。

 だが誰1人言葉を発することなく、まるで時が過ぎるのを待っているかのように沈黙を守ってた。

 おそらく空いた1枚にすわるはずの老人だろう。ただ1人縁側に立ち、寒々とした庭を眺めながら、やはりただ時が過ぎるのを待つが如く沈黙を守っている。

「ただいま戻りました」

 閉まった襖の向こうから声が掛かったのは、一同が会してから2時間近くが過ぎてからのことである。

 祭壇を背にした上座に、空いた座布団のとなりにすわる老人がゆっくりと穏やかに応える。

「ショウヨウか。お入り」

 かすかな物音とともに襖が開くと、背広姿の青年が姿を現す。板の廊下に両膝をついていた青年は 「失礼いたします」 と断りを入れて入室すると、再び膝をついて襖を閉め、その場で向き直って一同に頭を下げる。

「遅くなりまして申し訳ございません」

「ようやっと戻ったか」

 縁側に出ていた老人が振り返り、ゆったりと声を掛ける。

「あまり年寄りを待たせるものではない」

 そう言って笑う老人に、先ほどの老人が 「ぜん」と窘める。

「わかっておるわ、せん

 応えた老人は祭壇を背に、空いた座布団に鎮座する。

「ショウヨウ、これへ」

 招かれた青年は畳の上を足音もなく進むと、車座の一番下座に正座し、改めて頭を下げる。

「さっそく話してもらおうか」

「御意」

 応えた青年はようやくのことで顔を上げると、集まった8人の老人に、大会議室であった事の次第を簡潔に話して聞かせる。

「総代選の廃止? はて、そのような制度はいつ出来上がったのか?」

 話半ば、1人の老人が言うと、別の老人が言う。

「議会の承認があった決定事項なら、わしらにも報告があるはず。前回の議事録にそのような事は書かれておらんかったはずじゃ」

 如何に歳をとろうと、その程度のことは覚えていると言わんばかりの老人に、また別の老人が言う。

「指名制とは。この民主主義の日本で、よくもまぁそのような考えが浮かんだものだ」

「議会も、それをおとなしく通したのか?」

 また別の老人に尋ねられた青年は 「いえ」 と簡潔に否定する。

「だがあの総代が言い出せば、何が何でも通すのが常。いったい今回は何を壊してくれたかしれん」

「まだまだ未熟な子供。まして力が有り余っておる年頃じゃ。多少の怪我や物を壊す事は大目に見てきたが、そろそろわしらも我慢の限界じゃ」

 口々に物申す老人たちは、桜花全82校いずれかの理事長たち。

 桜花自治会とともに三大組織の1つにして、最大の権限を持つ学園都市桜花理事会連合の一員である。その中でも集まった8人は 「八葉の老師はちようのろうし」 と呼ばれる顔ぶれで、理事会の最高決定機関である。

「解散やむなし。やはりそう仰いますかな、葵三つ葉あおいみつばの」

 先に茜と呼ばれた老人の問い掛けに、それまで唯一一言も発さなかった老人が、ゆっくりと結んでいた唇を開く。

「他に方法がございますかな、天宮殿」

 私立松前学院理事長、天宮葵茜あまみやきせん。自治会執行部の天宮柊の祖父にして、理事会の副長を務める彼は返される問い掛けに小さく息を吐く。

「結論ありきでこの場に臨んでおられる事が、わしには一番気に入りませんな」

「私見は据え置かれよ」

 手厳しく返される言葉に、葵茜はまた小さく息を吐く。

「結論ありきでは偏見になりかねぬと申しておるのです。

 貴殿が厳しいのは、無論子供たちのためを思っての事とは百も承知。

 だが偏見は、一歩間違えれば独善になりかねん」

「このままの状態を続けても荒廃は目に見えておる。それを食い止めるのも我らの役目ではありませんかな?」

 言って 「葵三つ葉」 の老人は、葵茜に 「善」 と呼ばれた老人を見る。

 もちろん視線には気づいているだろう。だが 「善」 と呼ばれた老人はゆっくりと茶をすすり、湯飲みを置いてからようやくのことで言葉を返す。

「そう結論を急がずともよいではありませぬか?

 まずはショウヨウの話を最後まで聞いて、それから議論するといたそうぞ」

 その言葉に促された 「葵三つ葉」 の老人が怪訝そうに下座の青年を見ると、他の老人たちも同じように視線を青年に移す。

「総代が指名制を強行したのではないのか?」

「いえ、新年度総代選挙は例年どおり執り行われることとなりました」

 青年はうつむき加減に、だがよく通る声ではっきりと答える。

「あの総代が反対意見に折れたと申すか?」

「正確には、折れざるを得ない状況に追い込まれたと言うべきでしょうか」

「何があった? あの高子たかいこが自分を曲げるなど有り得ぬこと」

 我が孫ながら……と、その我の強さを持て余した様子の 「善」 に、青年は顔を上げて答える。

「恐れながら、媛様がお止めになりました」

「なぜ朔也子が大評議会に出席しておる?」

 ますます訳がわからないと言わんばかりに困惑する 「善」 に、青年はなんのことはないと言わんばかりに答える。

「新年度新入生代表として、正式に自治会から出席を要請されてのことです」

「なんと……」

 高子同様知らなかった老人は、周囲の目も気にせず驚きとも呆れとも取れる声を上げる。

「うちの柊でも務まったくらいじゃ。嬢ちゃんなら易いじゃろう」

「そういうことではない、茜。笑い事ではないぞ、あの朔也子が人前に立つなど……」

「今頃はぶっ倒れておるじゃろうな」

「ショウヨウ、なぜそのようなことになった?」

「御前が葵茜様と、温泉で旧交を温めておられるあいだにそうなりました。

 こちらに戻る前、ご挨拶をと思い媛様のお車を覗かせていただいたのですが、如月きさらぎが血相を変えておりましたので遠慮いたしました。御前より、媛様によろしくお伝え下さいませ」

「近々、貴玲たかあきら殿から小言が来そうじゃの」

他人事ひとごとのように言いおって」

 恨みがましく横目に葵茜を見る老人に、葵茜は 「他人事じゃ」 と笑い飛ばす。そして改めて話を続ける。

「では今回の大評議会、乱闘騒ぎはなかったということか」

「幸いにいたしまして」

 青年の返事に、天宮葵茜は満足そうな表情を浮かべ 「葵三つ葉」 の老人に話しかける。

「何もなかったとあらば、解散処分は申し渡せませんな」

「よさんか、せん

 葵三つ葉も。貴殿が矢鱈滅多に解散を口にしておるわけではないこと、わしもせん同様、その主張は理解しておる。

 じゃが過ちは自ら正す、自治会やこれまでそうやってきた。同じ過ちを繰り返すのも、桜花が学都である以上、避けられぬ運命のようなもの」

 毎年、その人口の3分の1が入れ替わる学都桜花。そのため同じ間違いが何度も繰り返されるけれど、間違えることが許され、正す機会を得られるのが学都桜花である。

 自ら考え、自ら行動すること。そのために用意された模擬社会シミュレーションフィールドなのである。

 そしてその繰り返される、けれど毎年少しずつ違う四季の巡りを見守ってきた学園都市桜花理事会連合と 「八葉の老師」 たち。干渉しすぎず、無関心にならず、その付かず離れずの距離を守ることの難しさ故、「葵三つ葉」の老人が解散を口にしたことは誰にも理解出来る。

 だが実際 「葵三つ葉」 の老人が不満に思っていることは別のところにあった。

「いい機会だ、はっきり言おう。

 あの総代といい、こうも藤家とうけが表だって権力を振りかざしては、学都桜花は成り立たぬ。

 桜花本来の姿に戻すため、藤家の子弟には学都から身を引いてもらいたい」

「結局それがうぬの本音じゃろう」

 呟く葵茜は、これで何度目かの溜息を吐く。

「なれど藤林院は、学都桜花創設以前からこの桜花島とともにある。そのような申し入れをしたとろで、藤林院が首を縦に振るとは思えぬが?」

「無論、そのようなことはわかっている。

 だが一度、理事会としての意見をはっきり申し入れるべきだと言っておるのだ!」

「どうするよ、ぜん

 目を閉じたまま茶をすすっていた 「善」 は、飲み干してほっと一息吐いてからゆっくりと答える。

「高子を総代に推したのも、藤林院寺の名を前面に押し出して選挙運動を展開したのも、全て自治会内でのこと。選挙に不正がなかった以上、理事会も文句は言えぬ。

 不干渉を総意とする藤林院も、その件については何も申してこなかった。なればそのような申し入れ、聞き入れるとは到底思えぬな」

 私立松藤学園理事長、藤林院寺善三郎とうりんいんじぜんざぶろうは先代藤林院寺宗家が当主にして、朔也子、高子の祖父。桜花理事会初代総長を務めた創始者藤林院寺太郎坊法康とうりんいんじたろうぼうのりやすの孫として、現在四代目総長を務めている。

「ぬしの息子じゃろう、貴玲殿は」

「息子とはいえ、院はあやつじゃ。隠居したわしの意見など、聞く耳持たぬよ。

 高子のことにしても、桜花ですることに関してはなにも言わぬが藤林院の取り決めじゃ。院とて自ら禁を破りて干渉は出来ぬ。

 じゃがあやつは高子にいい心証は持っておらぬからの、桜花を出れば厳しい処分を下しそうな気もするが、自治会にはあくまで干渉すまい。

 無論、我々理事会にもな」

「くだらぬ申し入れなど、門前払いが関の山か」

 結論を口にする葵茜に、善三郎は少しばかり苦笑を浮かべる。

「それが藤林院の取り決めじゃ。

 外部からの圧力から桜花を守るのが務めとはいえ、内部からの干渉も排さねばならぬ。それを不干渉で行うは、そう易いことではない故な」

 それこそ自治会なり理事会なりが、桜花の影響範囲を島外にまで広げろと言い出しても、藤林院はそれを認めるわけにはいかないのである。

 内外からの干渉を全て排し、長きにわたって桜花を守り続けている藤林院は、これからも桜花を守り続けてゆかなければならないのである。

 今でこそその責を息子に譲った善三郎だが、かつてはその重責を負ってきた身である。現在は桜花理事会総長として桜花内に籍を置くため、藤林院としての発言は控えてきたけれど、その労を全く顧みぬ 「葵三つ葉」 の老人の発言には、やはりやりきれぬものを感じずにはいられないだろう。

「藤林院の子弟とて、ほかの子供となんの変わりがあろうか?

 確かに桜花内における影響力は強い。故に高子のように、その名を利用して悪事を企む者もおれば、愚息のように、桜花をまとめ上げるための組織を創り出す、その御旗とするものもいる。

 名に善悪がないように、その影響力ちからにも善悪はない。全ては使う者の心次第なれば、藤林院を桜花から排することに意味があろうか?」

 静かに話す善三郎だが、隣にすわる葵茜は、これまた気前よく笑い飛ばす。

「藤林院はともかく、藤林院寺という名も、桜花にかかれば子供たちの教材の1つに過ぎぬか」

せんよ、もう少し言い方はないか?」

 安っぽく聞こえて嫌だという善三郎だが、葵茜は 「ない」 とつれない。

「藤林院が桜花を庇護し続けるに当たっても、その存在理由を自ら知らねばならぬ。

 どうしてもと望むならば、藤林院の子弟を排除すればよい。次代の当主はともかく、さらなる代の当主が存続理由を知らずば、果たして桜花の庇護を続けるか?」

「庇護を失えば、あっという間に学都は崩壊すうじゃろうな。藤林院がその気になれば、島を沈めることも出来るのじゃから」

 それこそ各校を桜花島内から撤退させることなど易いこと。撤退せざるを得ない状況を簡単に作り出せるのである。

「桜花を支配しようとした総代は、何人もおったではないか。

 たまたま今回は高子たかいこが藤林院の娘であったに過ぎぬ。

 結局、藤林院であろうとなかろうと学都桜花に迎えられた子供たちじゃ。我らはただ、見守るのみ。藤林院も然り」

 実際、桜花を支配しようと考えた総代が藤林院寺家の生徒を利用しようとしたこともあり、理事会もそんな過去を知っている、彼らは歴代総代をずっと見てきたのだから。

「理事会としても、藤林院寺という名で出された願書を不受理には出来ぬ。

 まして成績ではなく、名で不合格にするなど言語道断。そのようなことがまかり通れば、不正もまた、まかり通ることになる」

 公正であるべき入学試験が、特定の名前を排除する、それだけで十分に公正さを失う。そんなことが公になれば、学都桜花の信用に関わる大事となる。

 桜花三大組織の1つと数えられつつも、その権限は絶大な桜花理事会。その理事会がそのような大事を引き起こすなど、あってはならないこと。

 まして彼らは経営者ではあるが、教育に関わる者としての自負もある。そのような真似をして、生徒たちの前で理事として堂々と胸を張れるだろうか?

 発言した別の理事は 「葵三つ葉あおいみつばの」の老人の申し入れは、到底受け入れがたいと主張する。

「御老が主張される解散については、自治会発足の理由を鑑みれば拙速と思えるが、自治権の剥奪は止むなしと思う」

 別の理事が言うと、ほかの理事たちも小さく頷いたりと同意を表す。

 しかし 「葵三つ葉」 の老人は、出された意見を鼻で笑う。

「自治権を持たぬ自治会とは滑稽じゃな。そのような半端な形に残すならば、一度解散させ、再度自ら発足させるべきじゃ」

「どうかの?

 無法地帯になれば、第二、第三の現総代が出現しそうな気もするが」

 それこそ混迷の一途を辿るのではないかと 「葵三つ葉」 の老人の意見に、葵茜は危惧する。

「怪我や多少の破壊はともかく、自ら作り上げた規約すら平気で破るのだぞ。

 挙げ句に学校を武力制圧だと? 脱退届が出されただけでも前代未聞だというのに!」

 やや言葉を荒らげる 「葵三つ葉」 の老人だが、葵茜は高らかに笑い飛ばす。

「学都桜花の創設自体が前代未聞じゃ。今更その程度のことで驚いてどうする?」

 これからもどんどん前代未聞の事態は起こるであろう。そのたびに驚いていては理事など務まらぬ、と。

此度こたびの大評議会も、嬢ちゃんの尽力で、新年度総代選挙も行うことで落着しておる。解散を申し渡す機は逸しておるわ」

「次の総代選挙次第と申すか」

 それでは遅いと言わんばかりに 「葵三つ葉」の老人は、葵茜ではなく善三郎を上目遣いにねめつける。

「総代選挙は通過点に過ぎぬ。

 完全に入れ替わる3年後にどうなっておるか。

 それに高子を総代に選んだ最後の学年がまだ残っておる。きゃつらも自分たちの不始末を、 そのままで卒業するのは不本意じゃろう。自分たちの手で片を付けさせてやってもよいのではないかな?」

「機会を与えてやるか」

 善三郎の隣で葵茜がつぶやくと、すかさず 「葵三つ葉」 の老人が言う。

「いつも機会があるわけではない。それが社会というものだ」

 現実はそんなに甘くないと手厳しく主張する。

 だがそんなことは善三郎もわかっている。

「社会に出れば、そうそう名誉挽回の機会などあることではない。

 だがここは学都ですぞ。子供たちが様々な経験を積むために用意された、巨大な模擬社会。機会は常にあり、どんな子供にもある。それが学園都市桜花創立の目的ではありませんでしたかな?」

「度が過ぎれば甘えになる」

「子供たちは甘えるどころか、ただがむしゃらに、目の前の事態に当たっておるだけじゃ。

 わしらのように高みの見物を決め込んでおるわけではないからの。

 わしらとて、別段機会を用意しておるわけではない。自分たちから動こうとせねば、その機会は確実に失する。

誰もお膳立てなどせぬ。まして大人がどうにかしてくれるなど、期待するだけ無駄というもの。それが桜花のルールじゃからの」

「成功も失敗も、全て自身に返ってくる。

 成功は大きな自信となって子供たちを育てるじゃろう。

 失敗もまた、桜花では許されること。さらなる失敗を繰り返さぬための教材に過ぎぬ。

 それが創始者の望みであり、我々理事会はその番人を命ぜられておること、忘れてはいかんな」

 続く葵茜の、善三郎は7人の理事たちを見回す。

「どうですかな?

 助成の大幅な削減に、さすがにまた乱闘騒ぎなどを起こすならば、期間限定の自治権停止。このあたりが妥当ではないかと思うが、他に意見はありませんかな?」

「総代選挙の没収も含めていただきましょうか」

 もちろん 「葵三つ葉」 の老人の意見である。

「総代を不在にするのは得策とは思えませんが?」

 他の理事が意見を返すと 「葵三つ葉」 の老人は 「無論」 と続ける。

「後日、改めて総代選挙を行う。

 但し我々理事会主導で行い、自治権の意味を改めて考えさせる機会とするのです」

 それこそ腐りきった根性を叩き直してくれると言わんばかりの 「葵三つ葉」 の老人だが、善三郎も反対はしない。

「面白い意見ですな。

 他に意見はございませんかな?」

 改めて揃った面々を見回した善三郎は、その沈黙を以て賛同とする。

「ではこれてに、此度こたびの茶会をお開きといたしましょうぞ」


                 ~project method Ⅰ~ 女王陛下の都 終わり

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女王陛下の都 ~project method Ⅰ~ 藤瀬京祥 @syo-getu

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