act.3 『宣戦布告 ー桜の媛』
「お待ちなさい!」
思わぬ方向から放たれた声に全ての動きが止まる。空気さえもその流れを止めたかのような静寂の中、刺すような視線を一身に受けた少女は、半分ほど開いた扇子を口元に当て、その蔭に小さく息を落とす。
「この痴れ者どもが……」
忌々しげに小さく呟き、ゆっくりと立ち上がる。桜花では見ない制服を着た見慣れぬ少女に誰もが眉をひそめるが、高子だけはその表情を大きく変える。
自分を強く持ち、思いのままに道を切り開く意志の強さ。孤高にして気高い大輪の薔薇を思わせる桜花総代・高子の、最大にして最悪の天敵の登場である。
「
身長148センチ。触れれば壊れてしまいそうなほど華奢で、人形のように愛らしい少女は手にした扇子を、パチンと音を立てて閉じてからその口を開く。
「もちろん正式に出席要請を受けてのことです」
それはどういうことかと険しい目を向ける高子に、答えを求められた執行部を代表して西松明仁が答える。
「
ここに集うのは卒業する各校3年生会長だけでなく、その代行はもちろん、少数派とはいえ2年生会長もおり、新年度入都式はその彼ら彼女らによって執り行われる。そのため新入生代表は、例年、この大評議会の最後に挨拶をすることになっているのだが、進行表には名前が書かれないのが通例である。
なぜ書かれないのかは誰も知らないが、これまでずっとそうしてきたから今回もそうしたまでなのだが、高子は故意に伏せたのではないかと怒り出す。
「お祖父様もたいがいあんたには甘いけど、ここまで甘いとは思わなかったわ」
「わたくしが不正をして新入生代表に選ばれたとでも?」
「あら、違うの?」
馬鹿にする高子だが、ここにいる誰よりも高子との付き合いは長い朔也子。なにしろ朔也子が生まれた時から彼女は同じ藤林院にいたのだから、この程度の挑発には乗らず、淡々と答える。
「あなたと一緒にしないでいただきたい」
学都桜花の新年度初めを飾る行事、入都式は桜花自治会の主催で、全82校はもちろん、桜花三大勢力の残る2つ、学園都市桜花教職員組合、通称桜花組合や桜花理事会も参加する大イベントである。
そこで82校の新入生を代表して挨拶する生徒は、各校の首席入学者の中から選ばれる。入試後、参考テストの名目で行ったテストの成績トップを代表とするのだが、当人たちがそれを知らされるのはテストの結果が出てからである。
朔也子も知らずに受けたテストの結果通知によって新入生代表に選ばれたことを知り、同封されていた紙面にてこの大評議会への出席を要請されたのである。
「てっきりお祖父様が、あんたを新入生代表にしたくて裏工作でもしたのかと思ったけど?
どうなの、天宮?」
突然の指名を受けた天宮柊だが、なぜか隣の金村が驚きに表情をこわばらせる。
「なんでお前が反応するのさ?」
「なんでって……」
問いに表情をこわばらせたまま返答に困る金村を放置し、柊は高子に応える。
「なんで俺に訊くかな?」
「あんたのお祖父さんも理事でしょ? 理事会に顔が利くじゃない。総長と副長がつるめば、たいがいの無理もまかり通るってもんでしょ」
「新入生代表選抜は組合主体で、理事会と自治会から立ち会いを出すシステム。そのぐらいは知ってるだろ? 自治会からは西松さんと有村さん。俺は行ってないから理事会からどこの爺さんが来たかは知らないけど、
善さんとは桜花理事会総長を務める
そして茜さんとは、私立
2人が学生時代からの友人であることを知っていた柴は 「今も仲良しなんだね」 と納得し、大会議室の一部からも笑いが上がる。
「それでも不正をしようと思えば出来るけど、お前や俺だって選ばれたんだ。サクヤ君が選ばれても全然おかしくはないと思うけど? おつむの出来は、俺はあんたより遙かにいいんだ」
そう。今年度新入生代表を務めたのは柊であり、一昨年の新入生代表を務めたのが高子である。
ちなみに2人のあいだ、去年の新年度代表を務めたのは松葉晴美である。
言い放った高子は、改めて朔也子を見る。
「今日もフランスパンみたいな頭をしてるのね」
まだ新しい制服が出来上がっていないこともあって、今日の朔也子は中学の制服を着てる。長く伸ばした髪は高いところで1つに結い上げて大きく巻いているのだが、それがコルネに似ているので高子は 「フランスパン」 と揶揄するのである。
もっともコルネは日本で作られた菓子パンで、フランスパンではない。
「わたくしがどんな髪型をしようと、あなたには関係ありませぬ」
言い放った朔也子は、意を決するようになぜか有村を見る。
「進行を妨げるは本意ではございませぬが、どうか今しばらくお時間をいただけませぬか? わたくしの立場で申し上げられぬこととは重々承知の上、あえてお願い申し上げます」
突然の藤林院寺朔也子の申し出に、なにをするつもりかとざわめく大会議室内。さすがに荷が勝ちすぎると思ったのだろう。発言を求められた有村は、無言で3年生の西松に意見を求めるが如く視線を送る。
そのことにすぐ気づいた高子が金切り声を上げるのと、ほぼ同時に西松が大きく頷く。
「有村! 西松!」
「新入生代表、藤林院寺朔也子の発言を認めます」
「誰がそんなことを許すと思ってるのっ?」
「ありがとう存じます」
淡々と進める有村に、あいだに高子の声が入るものの朔也子は無視。好機、疑心、怒気……様々な思惑を孕んだ視線の中、ひな壇嬢になった大会議室内、ブロックごとに設けられた階段の1つを朔也子はゆっくり通り始める。
誰もなにも言わず、ただその動向を凝視している。
「また藤家か。あの一族はどんだけいるんだよ?」
姉たちの楯となるべく立ちはだかっていた
「あのお媛さんがこれから何をするか? それによって、新年度前に一度、藤家の面子を洗い出したほうが良さそうですね」
無論それは決して易しいことではない。自治会執行部か松藤学園あたりの協力を仰ぎたいところだが、これまた易しいことではない。これからの状況によっては邪魔さえされかねず、最悪の場合、敵になるかもしれない相手である。
「まさかこの場を止めに入ったくせに、女王を支持するなんてことはないだろうな?」
あり得ないけれど、有り得そうで怖いという都波の後頭部を、彼より少し背の低い姉の南がはたく。
「性格が同じなら、やろうとすることは同じでしょ! あの女に取って代わろうとしてるかもしれない。ちぃちゃんと鳥子はそれを心配してるの。
いい音がしたと思ったらあんたのこの頭、空っぽでしょ?」
「姉貴には言われたくねーよ」
「姉弟喧嘩はよそでやりなさい」
鳥子に言われ、八つ当たりよろしく南はもう一発弟の後頭部をはたく。それを横目に見て気の毒そうに苦笑いをするのは
代表議会北区副代表のもう1校を務める同校生徒会の会長である彼は2年生のため、その後ろに代行はいない。新年度生徒会役員選挙の公示によって、旧年度生徒会が解散するまでが彼の任期である。
「確認ですが、あの小さなお媛様が何をしようと、俺は動いちゃ駄目なんですか?」
遠慮がちに美作が尋ねるのは2人の女会長である。
「当然でしょ」
南が答えると、鳥子が続く。
「良に代行はいないんだから、潰されたら星風一高が使い物にならなくなるわ」
だが自分たちはその代行をも巻き込み、なんとしてでも女王陛下の暴挙を止めようとしている。そんな彼女たちに何か手助けをしたい美作だが、この場で立ち上がり、ともに反抗することを彼女たちは決して許さない。そして彼らも許さない。
「俺や都波が無事に残っても、所詮代行は代行。いきなり知らない連中の中に放り込まれても、あの海千山千連中が相手じゃ口でも勝てやしない。
隙あらば他地区の権利を削ごうという連中である。この1年の流れを知っている人間でなければ到底太刀打ち出来ないという千鳥だが、美作は 「島根は全然平気だと思うけどね」 と苦笑を浮かべる。案外自分より役に立つのではないか、とさえ呟くものの千鳥は聞こえない振り。
そもそも星風一高には自治会執行部役員の1人、
聞き流した千鳥に代わって都波がある。
「ま、千鳥ならある程度はなんとかなるだろうけど、海千山千に女王の親衛隊までいたんじゃ、さすがにちょっとね。
おまけに裏表央都、英華と松藤は厄介すぎる。ちょーっとお勉強が必要なんじゃない?」
「あんたの頭で松藤の偏差値に勝てるわけないでしょ」
またしても弟の後頭部を気前よくはたく南に、隣りに立つ鳥子は小さく息を吐く。
そんな姉の憂鬱に気づいているのかいないのか、弟の千鳥は、まるでこの事態を楽しむように呟く。
「さて、どんな茶番をみせてくれるのか、藤家のお嬢さん方」
その千鳥の視線の先で階段を下り終えた朔也子は、2人の英華高生とにらみ合う黒服の男たちの傍に立ち、英華高生2人に軽く会釈をして寄越す。
「御前、失礼をばいたします」
朔也子の登場に少しばかり男たちが怯んだせいか、会釈を返す余裕が出来たらしい。だが澄ました表情のまま、その目は油断なく男たちを伺っている。
「そなたたち、ここで何をしていやる?」
口元に当てられた扇子越しに掛けられる朔也子の声に、男たちは軽く頭を下げる。だが無言である。
「何をしていやるかと問うておる。答えや」
「恐れながら媛様、我々は高子様にお仕えする身でございます」
その返事に満足したのはもちろん高子だけ。まるで小学生のように小柄な朔也子だが、毅然と顔を上げ、凜とした声で男たちに質す。
「言い訳などよい。何をしていやるかと問うておるのじゃ。答えや」
「再度申し上げます。
我々は高子様にお仕えしております身でございます」
「わたくしの問いには答えられぬと申すか?」
「恐れながら」
その返事に、朔也子はパチンと音を立てて扇子を閉じる。そしてすっと息を吸い込んだかと思えば、男たちを一喝する。
「この
「あらあら、声を荒らげちゃってみっともない」
高子が茶化すように割り込んでくる。もちろん朔也子に責められている部下を庇ってのことではない。朔也子への嫌がらせである。
「あなたは黙っておいでなさい。わたくしが院の配下と話しているのです。口を挟むなど、分を弁えぬ行いと知りや」
「あんたこそ、あたしが桜花総代とわかっててそんな口を利いてるの?」
「桜花総代なれば、正式に発言権を得ておるわたくしの邪魔などせぬもの。
ここでわたくしにこの者たちを排されて困るはわかりますけれど、到底看過出来る事態ではありませぬ」
「桜花のことに藤林院が口を挟むって言うの?」
少し目を吊り上げる高子は言葉巧みに朔也子の行動を非難するが、その論点のすり替えには朔也子も気づいており、怯むことなく凜然と反論する。
「総代選云々のことに口を挟んだ覚えはありませぬ。そのことについてはこの者たちを退室させた後、存分に話し合われればよろしいでしょう。わたくしも席にておとなしく拝聴いたしましょうぞ。
なれどこの者たちが桜花に関わることは、看過出来ぬ藤林院の問題。桜花総代としてそこに
都合よく己が立場を代えて論点をすり替えようなど姑息な真似、この朔也子には通じませぬぞ」
言い放った朔也子は、男たちに向き直って続ける。
「そなたたちに命を下ししは
「藤林院寺宗家が当主、
「院はそなたたちになんと命じしや?」
「高子様をお守りせよ、と」
「今、そなたたちがしていやることは高子の警護と申すのかえ?」
何も答えない男たちに、朔也子はさらなる言葉を浴びせる。
「院にこの事態を問われ、なんと申し開きをしやる」
「ここは学都なれば、御前と申しませど何も仰せられぬかと存じます」
「桜花に対しては何も仰いますまい。それが藤林院の総意なれば。
されどそなたたちは桜花の一員に
学都桜花は在籍する生徒たちのためにある場所であり、男たちはここにいるべき存在ではない。誰もがそれをわかっていても、藤林院と学都桜花の深い関わりを知っているため口にすることが出来なかったけれど、それを定めた藤林院の一員として朔也子は男たちにその非を質す。
「そなたたちのしていることは、まさに藤林院が総意として禁じた桜花への干渉そのものではありませぬか」
「媛は、我らにこの場を退けと仰いますか?
恐れながら、我らに命を下されしは御前でございます。如何に媛様と申しませど、その権はございませぬ」
「権があるかないかを決めるは院のみ。此度のわたくしの言動について、問題があると院が判断するなれば後日、院より罰を与えられましょうぞ。
それとも何か? そなたたちが院に代わりて、この朔也子を罰するとでも申すか?」
「決してそのようなことは」
「なればさっさと失せぬか!」
一際強く言い放った朔也子は、閉じた扇子で出入り口を指し示す。男たちの足が指し示される方へと向きかけた刹那、高みの見物を決め込んでいた高子が口を開く。
「いいわ。お前たち、外に出ていなさい」
絶妙なタイミングで指示を変える高子の内心を読んだ朔也子は、少し開いた扇子を口元に当ててにこりと笑う。
「このことはお父様にご報告いたします。あなたにも後日、院よりお話がございましょう。逃げることは決して許されませぬ故、覚悟を決めておかれるがよろしいでしょう」
「負け惜しみを」
鼻で笑う高子だが、それこそが負け惜しみに見えたのは気のせいではないだろう。パチンと音を立てて扇子を閉じた朔也子は、改めて有村に告げる。
「お見苦しいところをお見せいたしました。
これにてわたくしの発言を終わらせていただきます」
言って有村に一礼した朔也子は踵を返し、会議室内に顔を揃える一同にも軽く会釈をし、自分の席に戻るべく歩き出そうとする。その矢先、鋭く制止がかかる。
「待ちなさい!」
高子である。半分ほど開いた扇子の蔭に小さく息を落とした朔也子は、ゆっくりと黒薔薇の女王を振り返る。
「まだ何か?」
「こんなことをして、あんたこそただで済むとは思わないことね」
「この期におよんでまだくだらぬことを考えますか。その諦めの悪さ、悪あがきなどという言葉では表しきれませぬ」
もう1つ、扇子の蔭に溜息を落とす朔也子が、一緒に落とした視線を上げると、高子は立ち上がる。
「いいわよ、そこまで言うなら総代選をやらせてあげる。あんたたちのご希望どおりにね。堂々と当選すれば誰も文句はないわけでしょ?」
もちろん先に後継指名をした
その程度のことは、ここに集まる誰にでも容易に想像出来るけれど、 高子が急に心変わりした理由がわからず、不気味さのあまり沈黙が流れる。
高子にしてみれば、朔也子に配下を退けられやむなく総代選挙執行となるよりは、体裁を保つことを考えたのだろう。とうにそのことに気づいている朔也子は平然と言葉を返す。
「当然のことです。あなたの許しなど無用のこと」
「その減らず口、叩けなくしてあげるわ」
「あなたごときに出来るなれば」
半分ほど開いた扇子を口元に当てた朔也子は、まっすぐに高子を見返して宣言する。
「昨秋にも一度申し渡しことなれど、改めて申しましょう。
その醜いほどの桜花への未練、悪運とともに断ち切ってみせましょうぞ」
「あんた1人で何が出来るって言うのよ? ここは桜花よ」
「これは迂闊でした。
あれからわたくしも少し勉強いたしました。ですからこの学都桜花がどういった場所なのか、少しはわかっているつもりです」
「なら、あんたごときの出番はないってわかってるでしょ?」
「さて、それはどうでしょう?
確かに主体となられますは上級生の方々ではありますが、わたくしも微力ながら、そのお手伝いが出来ればと思うております」
「新入生に出番があるはずないでしょ? 本当に勉強したのかしら?
それとも難しすぎて理解出来なかった?」
「新入生も上級生も、この学都桜花を
なれど卒業を以て桜花を去る。それが学都桜花の
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